上 下
52 / 76

敗走(5)

しおりを挟む
 路地裏に待機させた馬に乗り込むと、私たちはそのまま全速力で王都から逃げ出した。
 馬車の用意はもちろんないので、足を痛めた私が乗るのは、アンリと同じ馬だ。
 抱きかかえられるように馬に乗せられ、無力感に唇を噛みながら王都を飛び出したあと――。

 王都の外で、私たちは護衛兵たちと合流した。

 場所は、街道から少し外れた森の中だ。
 魔族やグロワール兵もここまでは追ってこないらしい。
 剣を収めている護衛兵たちの姿に、ようやく息を吐ける――と、そう思ったのも束の間だった。

「いいか、わしを絶対に守れ! わかっているな? 命に代えてもだ!!」

 聞こえたのは、怯え震えた声だった。
 見れば、護衛兵たちの背後に隠れ、へたり込んだまま叫ぶ陛下の姿がある。

「わかったら剣を抜け! なにを気を抜いておる! いつ魔族が責めてくるかわからんのだぞ!!」

 唾を飛ばして叫ぶ陛下に、護衛兵たちもどこかうんざりした様子だった。
 陛下の声に応じて剣を抜く者はなく、持て余したように護衛兵同士で視線を交わし合っている。

「助けたはいいけど、ずっとあの調子なんだよねえ。護衛を一人も離したがらないから参ったよ」
「……だから叔父上が、俺たちを迎えに来たんですね」

 馬上でコンラート様と言葉を交わしながら、アンリは納得半分、苦々しさ半分に息を吐く。
 陛下は未だ声を枯らして叫び続け、神経質そうにきょろきょろと周囲を窺っていた。

「そなたらの命よりも、わしの命の方が重いのだぞ! わしのために死ねることを光栄に思え――ひいっ! で、出た! 出たああああ!!??」

 その視線がアンリに気が付いたとき、陛下は甲高い悲鳴を上げた。
 アンリの姿によほど驚いたのか、尻もちをつきながら後ずさる。
 どうやら腰が抜けているようだ。

「な、なにをしに来た!! わしはグロワール国王だぞ! も、もしわしに手を出せば、護衛の兵どもが――どうした、なぜ剣を抜かん! あれの姿が見えんのか!!」

 甲高い陛下の声に、しかし護衛兵たちは振り向きもしない。
 剣を抜くどころか、アンリに向けて敬礼する兵たちに、陛下は苛立ったようだ。

「なにをしている! あれは魔王だぞ! わしの命令が聞け! とっとと、あの化け物をころ――」
「そこまで」

 コンラート様は馬から飛び降りると、喚く陛下の肩を掴む。
 驚きに目を見開く陛下に、彼が向けたのは笑みだった。

 いつもの陽気な笑みではない。
 フロランス様によく似た――底冷えのする、少しも笑っていない笑顔だ。

「私の甥を相手に、少々口が過ぎますよ、グロワール国王」
「ひ――――」

 陛下は引きつり、悲鳴を口にする。
 だけどその声は、コンラート様の手が陛下の首を軽く叩いた瞬間、響き渡ることなく掻き消えた。

 気を失い、がくりとうなだれた陛下を一瞥すると、コンラート様はアンリに振り返った。
 呆然とするこちらの反応などものともせず、彼は今度こそ陽気な笑みを見せた。

「まったくうるさい御仁だ。荷物の方が大人しいぶん、まだ扱いやすいな」

 はははは、と快活な笑い声をあげるコンラート様に、私とアンリは顔を見合わせた。
 コンラート様、すごく怒っていらっしゃる……。

 ――でも、アンリのために怒ってくださったんだわ。

 護衛兵たちも、アデライトも、コンラート様も、王宮での一件のあともアンリへの接し方が変わらない。
 護衛兵たちはアンリを敬い、アデライトは兄として慕い、コンラート様は甥として気にかけてくださっている。
 その事実に、私はなによりほっとしていた。

 アンリの抱えているものは大きい。
 それでいて、とんでもないものだ。

 だけどもしかしたら、このまま変わらずにいられるのかもしれない――。

「――もっとも」

 そう期待してしまう私に、コンラート様の声が釘を刺す。

「陛下ほどではないが、私もアンリに言いたいことがないわけじゃない」

 わかっているな、と言うように、コンラート様は夜色の瞳でアンリを貫いた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約破棄させてください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:532pt お気に入り:3,012

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:5,583pt お気に入り:91

幕末の与平が異世界に行く

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:271pt お気に入り:0

処理中です...