苦いヴァカンス

空川億里

文字の大きさ
9 / 10

第9話 情報

しおりを挟む
「どうぞ。入ってください」
 中から承諾の声がした。
「失礼します」
 楓が一言言って、扉を開けた。部屋の中には50代ぐらいの男性がいる。毛髪が薄く、眼鏡をかけていた。今時細胞培養で髪の毛を増やしたり、視力回復手術なんて、貧乏人や新興宗教のエコロジー教徒でない限り誰でもやってるので、驚いた。あまり身なりに構わないか、先天的にそういった治療を受けつけない体質かもしれない。
「はじめまして。レクリエーション・コロニー担当の富永(とみなが)と申します」
 眼鏡の男が一礼した。
「こちらこそ、はじめまして。江間と申します……もしかすると、ホロテレビで嫌って言うほど観てるかもしれないけど」
「うちの増沢が、あなたの大ファンでね」
 富永が、受付嬢をちらりと見ながら、笑顔を浮かべた。
「光栄です」
 おれは、深々と一礼する。
「それで今日は一体全体何の用ですか?」
「重要案件なので、できれば富永さんと2人きりでお話したいのですが」
「それでは、個室へ案内しましょう」
 富永は席を立った。不安そうな目で楓が、こっちを見ている。おれはとっておきの1千万ドルのスマイルをプレゼントした。彼女は、多分恥ずかしそうに目をそらす。富永に案内された応接室で、男2人が向かいあって腰をおろした。
「して、今日のご用件は」
 部屋の扉を閉めた後、富永が質問してくる。
「富永さん、『エデン』はご存知ですよね。老朽化で改装中のレクリエーション・コロニーです」
「もちろん、存じておりますよ。わが社の誇るコロニーの一つですから。営業中は、地球同盟政府の執政官も、ご家族と遊びにいらしたぐらいです」
「実はぼくは、おたくの会社の入福さんのはからいで、その『エデン』に遊びに行ったのです」
「入福とは……入福光則の話でしょうか」
 富永が、怪訝そうにこっちを見る。
「そうです」
 江間は以前もらっていた薄い金属性の名刺を見せた。入福の顔を映したホログラムが、名刺の上に浮かぶしかけになっている。にこやかな彼の笑顔を以前は好ましく思ったが、今は憎悪といらだたしさしか感じなかった。
「本当に彼だったんですか。入福さんなら、すでに退職しておりますが」
 その言葉を耳にして、頭をなぐられたような衝撃を受けた。
「間違いないですよ。ぼくの番組に出たぐらいですから。ちなみに辞めたの、いつですか」
「今年の5月いっぱいで退職しました。有給休暇の消化もあるので、それ以前から会社には出てきてません」
「だったら、何で入福さんは『エデン』に出入りできたんですかね」
 おれは嫌味のスパイスをたっぷり言葉に混ぜこんだ。
「あなたがおっしゃるのが本当なら大変由々しき問題なので、大至急調査いたします。結果がわかったらご連絡いたしますので、連絡先を教えてください」
 うわずった声で、富永が口走った。おれは左腕のナノフォンを、相手のナノフォンに近づけて、ナノフォン・ナンバーと量子テレポーテーション・アドレスを読みこませた。21世紀のスマホと違い量子テレポーテーション通信でメールするので、地球上のどこにいても、どちらかが宇宙にいても、タイムラグなく連絡できる。
 おれは椅子からゆっくりと立ちあがった。それまで怒りがおれの心を支えてきたが、入福がすでに退職してるという言葉がショックで、今は心身共に鉛になったように重く感じる。まるで両足に分銅をつけてるかのように、ゆっくりゆっくりおれは歩いた。
 エレベーターで1階へ降り、受付の横を通る時楓がちらりとこっちを見たので微笑を飛ばしたが、脱力のあまり、果たして笑みになっているかも自信がなかった。1千万ドルの微笑みも、ガス欠らしい。受付嬢は、おれの元へ走ってくる。
「大丈夫ですか?     何だか体の具合が悪そうですけど」
   不安そうなまなざしを向けながら、彼女は両手でおれの手を握った。やわらかくてすべすべで、白い肌。楓はいつもこんなふうにボディタッチが激しいのかと、余計な妄想をたくましくする。
「お仕事が忙しいから?」
「そう見えたかな?  全然体は大丈夫だよ」
 おれは無理やり声のトーンを高くして、増沢嬢にそう答えた。むしろ問題なのは、心の方だ。
「それなら、いいです。これからも音楽活動楽しんでください」
 輝くような笑みを浮かべて楓が話した。
「ありがとう。君に会えて良かった」
 おれは彼女にそう返答する。楓は耳まで真っ赤になる。まるで突然、赤い薔薇にでもなったようだ。おれがビルを出て、かなり歩いてから後ろを振りかえっても、こっちを見てる楓の姿が視界に入った。そのうちおれは、自分の拳が紙きれを握っているのに気がつく。
 よくよく見ると、ナノフォンの電話番号が書いてある。さっき増沢楓嬢に握らされたのだと気がついた。おれは近くのビルの駐車場に停めた愛車に乗りこむと、運転席の眼前にあるいくつかのボタンに触れて、世田谷のマンションまでの道のりを設定し、自動運転を開始した。やがて電気自動車が走りはじめる。
 今の世の中発電は核融合と、地熱等の再エネが主流である。石油はとっくに枯渇していた。気分がいいと手動で運転する時もあるが、とてもじゃないが今のテンションでは、無理である。アルコールを口にしたいが、自動運転中でも酒を飲んだとわかると処罰されるので、できなかった。
 何らかの原因で機械が故障し、手動運転の可能性があるというのが理由である。もっとも今仮に酒を飲んでも、多分味がわからぬだろう。ストレスで味覚が麻痺しているはずだ。今では日本でも合法化された大麻の方が、気分を変えるにはいいかもしれない。
   それにしても、どうしておれは当初予定された日時より24時間遅刻するはめになったのだろう。入福が何らかの形で関与したというのは推測できる。だが、どうして……。おれは帰宅を延期しようと決断した。ストーカーまがいのファンに狙われた時、利用したとこだった。結果は上々。
 どこの誰かもわからなかったストーカーが誰かをつきとめ、厳しく説諭してくれて、ストーカー行為を中止させたのだ。事務所のあるビルに車を止めると、エレベーターで4階にあがった。
  金属製の箱を出て通路に出ると、『吉富(よしとみ)探偵事務所』というホログラムの文字が浮かんだドアに向かった。呼び鈴を鳴らしてしばらくすると、いかにも話しやすそうな雰囲気の、五〇代ぐらいの女性が現れる。
「あら、お久しぶり。江間さんじゃない」
「その節はどうも。実は、またもやトラブルに巻きこまれちゃって」
「そうなの……それは災難ね」
 眉をひそめて女性が話した。この女は平原芳江(ひらはら よしえ)だ。この事務所の窓口係である。最初にここを訪れた者は、彼女に依頼の内容を説明する。やわらかな印象の人物なので、依頼者は話しやすいはずだ。実際の調査は、他の者が行う。
「お茶でも淹れるから、中にいらっしゃい」
 平原さんは、まるで自分の甥っ子が遊びにでも来たかのような口調で、おれを迎えいれた。おれは用意された個室で日本茶を飲みながら、自分がどんな目にあったかを説明する。ただし、絶滅危惧種の動物の狩りに興じた件は黙っていた。平原さんは、熱心におれの話を聴きながら、シートパソコンに、会話の内容をメモっていく。
「それで何でこんな展開になったのか、調べてほしいんです。おそらく入福が『ゼムリャー』の社長あたりの意向を受けて、おれをはめようとしたんだろうけど」
「どうなんでしょうね。ともかく、ご依頼内容は把握しました。早速うちの調査員に調べさせます」
「お願いします」
 おれは深々と、頭を下げた。
「元気出してちょうだい。あなたがそんな顔してたら、大勢のファンが悲しむわよ」
「そうですね……ありがとうございます」
 おれは足を引きずりながら、外に出た。そして自分の車に乗り、今度こそ自分のマンションあてにカーナビを設定する。やがて車は世田谷のマンションの駐車場に辿りついた。おれはオートロックのエントランスを抜け、エレベーターに乗りこみ、最上階の億ションに帰宅する。
 さすがにもう慣れたけど、ひまりが出ていった後は、この家のスペースが、やたらと広く感じたものだ。おれは靴を脱いで中に入ると、寝室に向かい、自分のベッドに倒れこんだ。
 やがて午後の5時を過ぎ、おれは自分のナノフォンから、さっき楓に渡されたナノフォン・ナンバーにかけてみた。呼びだし音が何度も鳴らないうちに、増沢楓の顔がホログラムで、ナノフォンの上に現れた。
「嘘でしょう!」
   おれが言葉を発しないうちに、コロニー公社の受付嬢は、開口一番そうぶつけてくる。
「本当に、本当にかけてきたんだ。かけてこないかと思ってた」
 楓は目を、ピンポン玉のように丸くしている。おれは思わず声を出して笑ってしまった。
「君は、素直ないい子だね。楓ちゃんの顔を観てると癒されるよ」
「でしょう!」
 彼女は臆面もなく、肯定した。
「あたし、みんあから癒し系って言われるの!」
 この子がそう口にしても、嫌味に聞こえないから不思議だ。性格の良さがそうさせるのだろう。
「実は、君に聞きたい話があるんだけど」
「何? あたしにわかる事だったら、何でも話すけど。あたしのスリーサイズとか?」
「別にそんなの聴かないよ」
 思わずおれは、ふきだした。
「楓ちゃん、入福さんって知らないかな? コロニー公社にいた人で、最近辞めたそうだけど」
「ああ、あの人ね。入福光則課長でしょう。あの人が、どうかしたの」
「彼について知ってる情報を話してほしいんだ。例えばお金に困ってたとか」
「ええ!」
 増沢嬢が、さっきよりも大きな声で叫んでいた。
「何でそんな話知ってんの?」
「やっぱり、そうなんだ。でも、コロニー公社の課長って、いい給料貰ってるんじゃないの」
「そうなのよ。普通に暮らしてたら、それなりの貯金もできるぐらい貰ってるのよ。多分年収100万アジアは貰ってるはず。ところがあいつ浪費家で、ギャンブルとか、愛人にも結構つぎこんでんのよ。子供は2人共私立大だし、家も都内の一等地に豪邸建てちゃってさ。見栄っ張りなんだから。高級車も何台も持ってるし」
 呆れはてた口調で楓がそう話した。
「それでとうとう会社の金に手をつけたのよ。横領だよ。表向きは円満退社になってるけど、クビ切られたの。消費者金融とか闇金とか、あっちこっちでたくさんお金借りてたみたい。会社の方にも借金取りみたいな人からナノフォンがガンガンかかってきてさ。結局奥さんとも離婚して、都内にあった豪邸も売っちゃったのよ。元奥さんはお子さんと実家に戻ったけど、入福さんは、いまだに行方がわからないみたい」
「そうなんだ。ありがとう」
 話を聞いて、愕然とした。そこまで奴は、追いつめられた状況に陥っていたのだとは。そんな状況とは露知らず、卑劣な罠に簡単にひっかかって、我ながらマヌケな話だ。
「ちなみに入福さんは、芸能人とか芸能関係者の知りあいは、いないの」
「そういえば、若い時は宇宙船乗りをやりながら、俳優も少しやってたって聞いた。そのうち夢を断念して、うちの会社に入ったみたい」
 やはり芸能界と接点があったか。おそらく入福は、おれの移籍を邪魔しようとする『ゼムリャー』の社長に頼まれたんだろう。借金を全部肩がわりするとでも囁きかけられ、話に乗ってしまったのではなかろうか。
「貴重な情報ありがとう。恩に着るよ」
「いいんです」
 楓は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「代わりに今度、食事奢ってくださいね」甘ったるい声になって、彼女がおれにおねだりした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

航空自衛隊奮闘記

北条戦壱
SF
百年後の世界でロシアや中国が自衛隊に対して戦争を挑み,,, 第三次世界大戦勃発100年後の世界はどうなっているのだろうか ※本小説は仮想の話となっています

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

処理中です...