苦いヴァカンス

空川億里

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第8話 緊急無線

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「質問の意味が広すぎますが」
 眉をひそめて白人型のロボットが返答してきた。
「悪かったな。てっきり入福さんが一緒に来ると思ってたんで。念のため言っとくけど、コロニー開発公社の入福光則さんだ」
「入福さんは『都合が悪い』という話で、私が代わりに参上しました。私は『アルファ』と申します」
「オーケイ。長旅ご苦労さん」
「パースノイドに『苦労』という概念はありません。苦痛もなければ疲労も感じないのですから」
「そりゃ、悪かった」
 どうやら使われている陽電子頭脳が一世代前の物で、こんな融通の利かない受け答えしかできないらしい。おれは『エデン』に来た時と同じように副操縦席の座席に着き、シートベルトをしめた。操縦席にはアルファが腰かける。
アルファが眼前のコンソールにあるスイッチやレバーを操作すると、宇宙船は地球に向けて出発を開始した。ここからまた36時間かけて、軌道エレベーターのてっぺんまで戻るのだ。
   船室に時計がないのでわからないけど、多分コロニーを後にして3時間か4時間ぐらいたった頃、突然船の緊急無線が鳴りだした。無線を取ったのはアルファである。
「地球の銅田さんという方から連絡です」
 アルファが自分の席の前にある送受器を保留にしたので、おれは自分の席の前にある子機を取りあげた。
「何やってんの。もう昼の12時だよ。ケンタウリの大瀬会長カンカンだよ。時間にうるさい人だって、話したよね」
 送受器の向こうから、銅田さんの怒声がとびこんできた。送受器から、つばが飛びそうな勢いだ。
「ちょっと待てよ。後24時間もあるでしょう」
 思わずおれは怒鳴り声になっていた。
「冗談言わないで。今日はもう、日本時間で7月29日の金曜だよ」
「嘘だろう。今日は日本時間で7月28日の木曜だろう。いくら時計を持たないからって、昼と夜が何回めぐってきてるかはわかってるよ」
   そこでおれは、パースノイドに向かって声をかけた。
「おいアルファ、今は日本時間で7月28日だろう」ところがアルファは無反応だ。さっきまで普通の人間よりも魅力的な微笑を浮かべていたはずなのに、今はまるで壊れたマネキンのようだった。
「おい、どうした。起きろよアルファ」
「アルファは故障いたしました」
   横から割りこんできたのは、この船の人工知能だ。正確に表現するならその声は、天井のスピーカーから聞こえてきた。
「故障の原因は不明です。陽電子頭脳が、完全に沈黙しています。ですが、ご心配なく。この船は目的地の軌道エレベーターまで、安全にお運びいたします」
「ちなみに今の日時を教えてくれよ、AIさん。日本時間で」
「グレゴリウス暦でよろしいでしょうか」
「いわゆる西暦ってやつで、頼むわ」
「2135年の7月29日金曜昼12時です」
 AIの人工音声が、よどみない口調で日時を告げた。それは、大瀬会長との、待ちあわせの日時であった。おれは自分が今聞いた言葉の羅列を信じたくない気持ちである。目の前が真っ暗になり、どこかへ墜落してゆきそうな思いであった。
 その後の展開は、まるで悪夢のようである。ホロテレビのSF物に出てくるようなワープなど使えるはずもなく、宇宙船が軌道エレベーターに着く前に、激怒した大瀬会長は待ちあわせの店を出てしまったと、その後真宇から連絡があった。
 地球に戻ってから会長に謝罪しようと乃木坂にある『ケンタウリ』の本社に行ったのだが、受付で門前払いを食らってしまった。一方すでに今の事務所の『ゼムリャー』はマネージャーと一緒に辞める旨を通告しており、今さら元に戻れない。
 いきなり路頭に迷うわけではないけれど、ミュージシャン生命は絶たれたも同然だった。
ナビの設定を変え、新宿にある探偵事務所に目的地を変更したのだ。そこは以前、スト勉強も運動もろくにできないこのおれが、唯一自慢できるのが、音楽で大勢客を集められる事なのに。
   収入が絶たれたら、今持ってる家も車も手放さざるを得ないだろう。家や車は、まだいい。おれは自分が貧乏で苦労したので、日本や海外の貧しい人達を支援するNGOを立ちあげていた。収入が絶たれたとなれば、かれらを絶望から救えはしない。
   今日食べる食事にすらありつけるかわからない、アフリカや東南アジアの子供達の顔が浮かんできた。かれらがちゃんと勉強できるように学校まで現地に建設したのに……。だが、泣き言ばかり話していてもしかたがない。
   おれは新宿にあるコロニー開発公社の支社があるビルに押しかけた。ここは一階からてっぺんの55階までが公社の自社ビルで、普通の直方体ではなく、スペース・コロニーを模した円筒形の姿をしている。
   1階の受付に行くと、見目麗しい若い女性が制服姿で迎えてくれた。名札には『増沢(ますざわ)』と書いてある。美人を見ると、どうしても名前をチェックしてしまうのは、男の本能かもしれない。
「どちら様でしょうか」
 増沢嬢は、よく通る綺麗な声で質問した。
「おれの顔、知らないの」
 帽子を脱ぎ、ホログラスのスイッチを切って、彼女に己の顔を見せた。女性は大粒の目をさらに大きく見開き、口を丸くして、小さな歓声をあげる。
「知ってます。あたし大ファンなんです」
 彼女は悲鳴に近い声をあげ、驚いた周囲の人達が、一斉にこっちを向いた。増沢嬢は、恥ずかしそうに周囲を見渡す。
「だったら、協力してくれないか。レクリエーション・コロニーの担当者に、江間露彦が会いたいと話してほしい」
「わかりました。今、連絡を取ってみます」おれの大ファンだという女性は受付にある3Dフォンで、どこかに連絡を取りはじめた。「担当が会うと申しております。今ご一緒に42階へ案内します」
 おれと彼女はエレベーターに乗りこんだ。2人を乗せた金属の箱は、音もなく上昇してゆく。
「ネットで江間さんの悪い噂が流れてますけど、わたし信じてないですからね」
 増沢嬢は、突然突きとばす勢いで、おれの襟元をつかんできた。
「ど、どの悪い噂かな」
 おれは、たじたじになりながら、彼女に聞いた。真偽含めて悪いニュースばかりがネットに拡散しているので、一体どれをさしているのかわからない。
「江間さんが長年お世話になった事務所をやめて、他に行く話です。本当だとしても、きっとそれなりの理由があったと思ってます」
「ありがとう。増沢さん。君っていい子だね」
かえでって、呼んでください」
 観ていると吸いこまれそうな大粒の目で、受付嬢が、おれを見た。
「じゃあ、楓さん。ぼくは今のところ、事務所やめる気はないよ。ネットとか週刊誌とか、根も葉もない噂ばかりで困っちゃうよね」
 おれは笑顔を作って答えた。ただし自分の表情が引きつってないか自信がないが。楓の目が、おれの気持ちを透視しそうな勢いでこっちを見ている。やがてエレベーターは42階で停止した。おれ達は降りて、通路に出る。増沢嬢が、廊下に面したドアの一つをノックした。
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