神聖な国

空川億里

文字の大きさ
上 下
4 / 7

第4話 刑事登場

しおりを挟む
    8月13日日曜朝10時、部屋のチャイムを鳴らす音がした。
 一瞬家崎が来たと思い、達也はおっかなびっくりで、インターフォンのモニターまで歩いてゆく。モニターに2人の男が映っていた。
「朝早くからすみません。警視庁の津本(つもと)と申します」2人のうち年配の男の方が、写真つきの手帳を見せる。
「春山達也さんのお宅ですよね。『クラブ・セブ』のマリアさんの件で、お話を伺いに来たんですが」
 もしやアンジェラの偽装結婚がばれたのか。が、だとしたら、こっちに来るのはおかしな話だ。
 不安に胸を震わせながら、達也はチェーンを外し、ドアを開いた。
「よかったら中へどうぞ。汚いですけど」
 部屋の前の通路を通るマンションの住人に話を聞かれたくないので、達也は男達を中へと迎えた。
 そしてテーブルをはさんで、2人の刑事の向かいのソファーに腰かける。
「あなたの名前は『クラブ・セブ』の顧客名簿で知りました」
 津本と名乗った男が話した。多分五〇歳前後だろう。小さな目には、穏やかな笑みを湛えている。
「店長の話だと額田アンジェラさん……店ではマリアで通ってたそうですが、その彼女をよく指名してたと聞いたもんで」
(ペラペラ余計な話しちゃって)
 脳裏に店長の顔が浮かんだが、警察に捜査権を行使されては、答えぬわけにはいかないのだろう。
「指名してたの、ぼくだけじゃないでしょう。彼女、人気ありましたし」
「もちろんです」
津本はそこで、一旦言葉を止めた。
「実は申しあげにくいんですが、彼女拳銃で殺されましてね……テレビ報道はご覧になってませんか」
 一瞬相手が何を話したのか理解できなかった。どう答えていいかわからず、おかしな沈黙が続いてしまう。
「何かの間違いなんじゃ……」
 ようやく沈黙を破り、達也が聞いた。
「犯人が捕まってないので動機はわかりませんが、アンジェラさんのアパートの庭で、トカレフという拳銃で胸を一発撃たれた状態で、見つかりました」
 神妙な表情で、津本が現場の状況を語りはじめた。
「鑑識の見解では、ほぼ即死だったろうという話です。大変不幸な事件ではありましたが、あまり苦しまず亡くなったと思われます……発見したのは、ご主人の額田さんです」
 達也の胸に、額田の、人の良さそうな笑顔が浮かぶ。偽装結婚相手とはいえ、彼も苦しんでるに違いない。
「額田さんの話では、いつも土曜の夜は麻雀やったり飲んだりして、翌朝アパートに帰るのですが、たまたま昨夜は飲み会の途中で気分が悪くなり、通勤で使うワゴンを会社の駐車場に置いたままタクシーで帰ったそうです。
 そろそろ着くだろうという頃自分のアパートから銃声が聞こえたそうで、その件は額田さんを乗せたタクシーの運転手も証言してます。それが今日の午前零時五分だから、真夜中ですな。
 タクシーは急停止して、運転手がその場で警察とタクシー会社に連絡しました。警察で電話を受けたのが零時六分。勇敢にも額田さんは一人でアパートへ行きました。途中で傘をさした人物とすれ違い、傘で隠れた顔がちらっと見えたそうですが、大雨の夜なんで、性別も年齢も人種もよくわからなかったそうです」
「そいつが犯人でしょうか」
「わかりません。たまたますれ違っただけかもしれないです」
 津本は、答えた。
「額田さんはアパートの庭でアンジェラさんの遺体を発見。近くに拳銃はありませんでした。なぜか遺体の近くにシャベルで穴を掘ったあとがありました。額田さんの話では出勤時に穴はなく、誰が何で掘ったかわからないとおっしゃってました。穴の中は空でした。シャベルは庭にあった物で、それはアパートの他の住人も証言してます」
 当然ながら額田は嘘をついたようだが、その穴はトカレフを埋めた穴だろう。その件は、アンジェラから聞いていた。誰かが庭から拳銃を掘りだして、アンジェラを撃ったに違いない。
 銃のありかを知ってるのは達也とアンジェラ、額田と家崎の最低四人だ。額田はヤクザの家崎の経営する運送会社にいるのだが、違法な物も扱ってるとアンジェラから聞いていた。
 麻薬、拳銃、危険ドラッグ……普通の商品の中に隠し、全国の取引先に運ぶのが業務内容だ。庭に埋めた拳銃は、額田が護身用に一丁だけ隠し持った物である。家崎から入手したのだ。やばいブツを運んでる時危険な目にあうかもしれないので、持っていたようだ。
 とはいえ警察に職務質問されるとかして、その時ピストルを携帯しててはまずいので、普段は庭に埋めたままだとアンジェラから聞いていた。彼女は額田からその話を聞いており、万が一強盗に侵入された時等使うよう指示されていた。
「他の方にも同じ質問してますが、今日の午前零時頃、春山さんは何をされてましたか」
「今日は日曜なんで、ここで今、呼ばれるまで寝てました。一人暮らしなんで、証人はいません」
「犯人に心当たりないですか。アンジェラさんを憎んでた人、嫌ってた人」
「いませんよ」
 思わず大声になった。
「彼女に限って嫌われたりしないです。天使みたいな子でした」
 そう口に出したけど、やっぱりどんな人間も誰かに憎まれているのだろう。
「強盗とか乱暴目的じゃないんですか」
「可能性はあります。ただ、彼女が持ってたハンドバッグの中の貴重品がそのままだったので、強盗の可能性は薄いと見てます」
「言っときますが、ぼくは犯人じゃないです。彼女が好きだから指名してたんで、動機がないです。むしろ犯人を八つ裂きにしたいです」
 声が怒りに震えているのが、自分でもわかった。憎悪と悲しみが腹の底からマグマのように、噴出している。
「お気持ちはわかります」
 津本は達也が落ち着くまで質問を控えたが、ようやく少し冷静になったと判断したらしく、クエスチョンを再開した。
「ところで春山さんは、京王線の代田橋駅の近くにある額田夫妻のアパートに行かれたご経験はありますか」
「ないです。フィリピン・パブの客がホステスの家に行けるわけないですよ。代田橋に住んでたのも、初めて知りました」
 達也は嘘をついた。その話をすると犯人と疑われると思い、話さなかったのだ。そんな彼を観察するように、津本の両眼が油断なくこっちを見ている。そのポーカーフェイスから、刑事の真意を読みとるのは無理だ。
 やがて二人の刑事が帰りしばらくすると、スマートホンが鳴り始めた。液晶に表示されたのは、母親の佳代子の名だ。今回は、電話に出た。
「ニュース観たわよ」
 佳代子の声が流れでる。
「殺された女の子、あなたが今年の五月に連れてきた人でしょう」
「ああ、そうだよ」
「達也には悪かったけど、あの後探偵を使って調べさせたの。だから本当はフィリピン・パブで働いてたのも知ってたわ」
「そう言わないと結婚を許さないと思ったからね」
 不機嫌になって、達也が答えた。
「探偵使うなんて、母さんも猜疑心が強いね」
「当たり前じゃない。どこの馬の骨かもわからない外人なのに。あなた達、二人で口裏合わせたのね。いつからあなた、お母さんにそんな嘘つくようになったの」
「もう子供じゃないんだ。誰と結婚しようと勝手だろ」
「天罰が当たったのよ。誰があの子を殺したのかわからないけど、あなたの身勝手さがあの子を殺したの」
 エモーショナルな口調で、佳代子が決めつける。
「そんな言い方ないだろう」
 思わず達也はどなってしまった。やや沈黙が続いた後、佳代子が再び音声を、スマホの向こうから送りこんできた。
「あなたには言わなかったけど、ちょうど先月の七月に、あの子うちに一人でやってきたの。聞いてない?」
「知らないけど」
「あの子、二人で話したいと熱心に言うもんだから、家の中に入れたげたの。あなたと結婚したいから、認めてほしいと話してたわ。それからあの子、偽装結婚してたんでしょう。本人も認めたわ」
「十二月には、偽装結婚の契約期間が終わる予定だったんだ」
「しかも相手はヤクザじゃない」
 泣きだしそうな口調がスマホのスピーカーから飛んできた。
「ヤクザじゃないよ。トラックの運転手」
 達也は思わず、声を荒げて否定した。
「そうかもしれないけど、偽装結婚してる時点で普通の人じゃないじゃない」
「額田さんに会ったけど、穏やかで、性格の良さそうな人だったよ。偽装結婚したのも、わけありじゃないの。みんながみんな、母さんみたいに食品会社の社長の娘に生まれるわけじゃないんだから」
「それだけじゃないのよ。探偵の池松(いけまつ)さんって人が代田橋にある額田のアパートのそばに夜張りこんでた時、額田って男が不意に現れて、スコップで庭を掘りはじめた事があったそうなのよ。そしたら、中から何が出てきたと思う?」
「知らないけど……徳川埋蔵金でも出たの」
「違うわよ。拳銃よ。ピストルをアパートの庭から掘り返して、しばらく見た後もう一回埋めなおしたのを見たって聞いたわ」
「銃の件は初めて知った」
 ここでも達也は嘘をつく。佳代子の口調が穏やかなものに変わった。
「あのねえ達也。あたしは何も好き好んで探偵に調査してもらったわけじゃないの。外国人でもちゃんとしたお嬢さんなら結婚したっていいと思う。でも、偽装結婚してたり、その相手が拳銃を隠してたりなんて、変じゃない。あくまであなたを思ってなのよ。それでもあなたがどうしてもアンジェラさんと結婚したいなら、認めてもいいと思ってた……こんな結果になってしまって、あたしも残念に思ってるのよ」
 話をしながらすすり泣く声が、スマホから流れてきた。
「わかったよ。ありがとう。天国のアンジェラも喜ぶと思う」
 思わず、達也の目から、熱い物がこぼれてきた。佳代子との通話が終わりしばらくすると、今度は家のチャイムが鳴った。刑事が戻って来たのかと思い、ついドアをそのまま開けると、思わぬ人物が現れる。額田だった。こないだとはうって変わって般若のような形相だったが、無理もない。
「このたびは、ご愁傷様です」
 達也は、深く頭を下げた。
「ご愁傷様じゃねえよ」
 いきなり額田は太い腕で、達也の襟元をつかんだ。
「お前がアンジェラ殺したんだろ」
しおりを挟む

処理中です...