神聖な国

空川億里

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第5話 探偵登場

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「そんなわけないですよ。何でぼくが殺すんですか」
「あの庭にチャカがあるのを知ってるのは、おれと家崎さんとアンジェラしかいないはずなんだよ。報道された銃弾の種類や口径は埋まってたのと同じ物だし、あのトカレフが使われたのは間違いねえだろ」
 額田は声をはりあげた。
「お前アンジェラからトカレフの隠し場所聞いてただろ。家崎さんが商品のアンジェラを殺すわけねえし、殺ったとしたら、お前しか考えられねえ。アンジェラと結婚しようとしてたなんて嘘だろう。遊びのつもりでつきあってて、女に結婚迫られたから面倒になって殺したんだろ」
    額田は両手で、達也の胸をどついてきた。
「アンジェラが死んだせいで、家崎さんに監督責任問われたんだよ。お前には二度と、偽装結婚させないって言われたんだ。アンジェラと離婚した後、他の女とまた偽装結婚して金が入るはずだったのに、なくなった」
「気持ちわかりますけど、無関係です。拳銃が埋まってたのも知らなかったし。結婚しようと思ってたのも事実です。ちゃんと五月に彼女を連れて、お袋に紹介したし」
 突然額田が達也の顔をなぐり、達也は後ろに吹っとんだ。
 背中から床に叩きつけられ、その反動で壁にかかった写真入れが、床に落ちた。
 そこには母親と達也が一緒に写った写真が納まっている。
「アンジェラの前に偽装結婚してた女は、おれに一発やらせてくれたのに、アンジェラの奴ちょっとケツをさわっただけで、家崎さんに言いつけやがった。お前がやらせないように、あの女に吹きこんだんだろう」
 額田は達也にのしかかり、胸元を再びつかんで、のどをぐいぐいしめつけてきた。
 達也は両手で額田の両手をはずそうとしたが、腕力の差が違いすぎ、ピクリとも動かなかった。
    このまま自分は死ぬんだろうか……。気が遠くなりながら、達也の胸を、そんな思いがよぎってゆく。
 が、万力のようにしめつける額田の両手が突然はがれ、とびはねるように、額田が達也から離れていった。
    気がつくとヤクザの家崎がいつのまにか現れて、額田の着ているTシャツの背中をつかんでいる。
「お前何やってんだよ。この兄ちゃんは関係ねえだろ」
     家崎は鬼のような形相で、額田に向かってどなっていた。
「今度この兄ちゃんにこんな真似したら、てめえ半殺しじゃすまねえぞ。万が一お前がこの兄ちゃんを殺しちまったら、うちの会社から殺人者が出るって事になるだろうが。そうしたら会社のイメージがた落ちじゃねえか」
 家崎の気迫に、さすがの額田も叱られた子犬のような面持ちだった。
「さっさと出てけ……スマホに電話しても、珍しくすぐ出ないから、何かたくらんでると思ったら、案の定かよ」
「すんません。家崎さん。この野郎が犯人じゃないかと思って、しめたら白状すると思って」
 額田は何度もぺこぺこと家崎にだけ謝りながら、外に出ていった。
「悪かったな、あんちゃん」
家崎が達也の方を見た。
「もう、あいつにはこの家にはこさせねえ。どこでこの住所を調べたのかわからねえが、アンジェラのスマホか手帳でも調べたんだろう。怪我ねえか」
「大丈夫です」
 返答しながら立ちあがった。まだ、足がすくんでいる。
「兄ちゃんよ、犯人に心当たりねえかなあ。こっちとしては、うちで世話してる女を殺した奴をほっとくわけにはいかねえのよ。アンジェラに限った話じゃねえけど、うちで偽装結婚斡旋してる女の子達、みんな貧乏でよ。ちょっとでも親に楽な生活させようと、必死に働いてる孝行娘ばっかりなのよ。おれが言うのもなんだけど、かわいそうな子達でさ。だから今度の件みたく、殺されたりして、全く不憫な話だよ」
「刑事さんにも同じ質問されましたが、アンジェラとは店で会って話すだけで、彼女を憎んでた人に、ホント心当たりがないんです。強盗じゃないんですか」
「金や貴重品を盗られてないんで、それはねえだろうな」
 少し考えるような仕草になって、家崎が答えた。
「それにおれが護身用に額田に渡して、額田が庭に埋めといたチャカが使われてるから、アンジェラか額田から、拳銃の場所を聞いた奴のしわざだろうな」
「言っとくけどぼくじゃないです。ピストルが埋まってたなんて知らなかったし、とてもじゃないけど、人を殺す度胸なんてないですから。ましてやアンジェラを殺すなんてありえない。好きだから指名してたんです。本気で結婚したかったから、お袋にも紹介したし」
 思わず、声が震えていた。
「殺した奴は、おれがかたづける」
 家崎は、自分の右手で拳銃を撃つ真似をした。本物のヤクザが言うだけあって、凄みがある。達也は心臓が縮まるような気持ちがした。
                    *
 突風のように登場した家崎がやはり風のように去った後、達也は部屋を出て、徒歩で新宿の西口に行く。まだ興奮は収まらなかった。西口の小田急ハルクから少し離れた場所にある雑居ビルの一つに探偵事務所がオフィスを借りている。『池松(いけまつ)探偵事務所』だった。
 達也の住むマンションから、歩いて十五分ぐらいだろうか。ここは以前佳代子がやはり、達也が当時つきあってた女性の調査を依頼した会社だ。佳代子の兄(つまりは、達也の伯父)が経営する会社が、自社の社員の調査をするのにも使っており、まだ達也が松涛の実家にいた頃、佳代子の招きで所長の池松が夕食を食べに来た時もある。
 事務所は雑居ビルの七階だ。羽振りがいいのか、以前来た時より看板が大きく綺麗になっていた。七階までエレベーターで上昇し、事務所のドアの呼び鈴を押す。
「どうぞお入りください」
 鈴のような声が鳴り響いて、中に入ると受付に、二〇代ぐらいの見目麗しい女性がいた。以前来た時の受付は高齢のおばちゃんだったが。
「春山達也って言います」
彼は自分の顔写真入りの会社の名刺を相手に見せた。
「アポはないけど、春山佳代子の息子が来たと説明すれば、所長さんウサイン・ボルトなみのスピードで走ってくると思います」
「少々お待ちくださいませ」
 受付の女は愛想笑いを浮かべながら奥に行き、戻ってきた時には顔なじみの、池松所長を伴ってきた。
「これはこれはお坊ちゃん、お元気そうで。お母様には、いつもお世話になってます」
 池松は元刑事で筋肉質の体型だが、六〇を超えて、さすがに腹が突きだしていた。
「折り入ってお話したいんですけど」
「よろしいですよ。中へどうぞ」
 それまでにこやかに微笑んでいたが、さすがに引きしまった顔になって池松が返答した。捜査一課にいた頃は、こんな表情で捜査に取りくんでいたのかもと達也は思う。別室に通された彼は勧められたソファーに座る。
 以前ここに来た時より、腰かけた時の感触がレベルアップしているようだ。腰全体が、ふわりと包みこまれる感じ。テーブルをはさんで、二人は向かいあわせに座った。さっきの女性がアイスコーヒーを二つ、モデルのような笑顔と一緒に運んできた。
「単刀直入に話します」
達也は女性が姿を消すと、抑えた声で口を開く。
「池松さんがお袋の依頼でアンジェラのアパート前を張りこんだのは知ってます。本人に聞きましたから。そして庭に額田さんがピストルを埋めたのも」
「坊ちゃんも知ってるでしょう」
 池松が苦笑を浮かべたが、目は笑ってない。
「探偵には守秘義務があるんです」
「それならこの話警察に持ちこみましょうか。池松って探偵が、一般人が拳銃を庭に埋めたのを見たのに警察に通報しないのは問題だってね。それとも週刊誌に持ちこみますか」
 探偵の顔は、まるでメデューサでも見たかのようにしばらく固まってしまったが、やがて考えなおしたように、口を開いた。
「これは本当に例外ですよ。坊ちゃんだけに、特別にお話しするんです。お母様含めて、他の人には他言無用ですよ」
「もちろん、わかってます」
 とっておきの笑顔を浮かべて、達也は答えた。
「その時張りこんだのは部下ではなくて私自身だったんですが、明確にピストルを見たわけじゃないんです。撮影もしてないし、別の物だった可能性もあります。その件は、お母様にもお話ししました」
「池松さんは、誰が犯人だと思います。アンジェラの調査をしてて、この人物が怪しいとか、心当たりはないですか」
 探偵は、しばらく両腕を組みながら、考えこむように上を見た。
「全くの推測ですが、考えられるとしたら、やはり偽装結婚相手の額田でしょう。何かの理由で言い争いになり、カッとなって拳銃でアンジェラさんを殺したのかもしれません」
 確かに、庭にトカレフが埋まっているのを知ってる者は限られる。額田、家崎、アンジェラ。そして達也と佳代子、池松である。ただアンジェラが達也に話したように、家崎や額田やアンジェラや佳代子が、達也の知らない人物にポロリと漏らした可能性も否定できない。
「でも、アンジェラは額田さんにとって金づるですよね。簡単に殺すでしょうか」
「それは、そうですがねえ。人間常に合理的な思考をするわけじゃない。一緒に住んでたから、色々あったでしょう。思わぬ理由で喧嘩になったかもしれません……それより、お母様は坊ちゃんをとても心配されてましてね」
 こちらを窺い見るようなまなざしになって、池松が続けた。
「偽装結婚してるフィリピン女性とつきあってるのがばれたら、斡旋してるヤクザに狙われるんじゃないかとね。最近変な男に尾行されてるとかないですか。あったらすぐに、連絡ください。お金はかかるけど、うちの会社で調査するなり、護衛を一人つけますから。そのぐらいの費用なら、お母様も出し惜しみしないでしょう。おどすつもりはないですが、今度の調査を始めてから、私も目つきの悪い男に尾行されるようになりましてね。もしかしたら、アンジェラさんに関係あるヤクザじゃないかと踏んでます」
 一瞬家崎の名前を出そうと迷ったが、彼の言葉を信じるならば仇をとってくれそうなので、やめにした。普通に警察が犯人を逮捕しても、どうせ短期間で出所するに違いない。それよりは本当にやってくれるなら、家崎に犯人を殺してほしかった。
「護衛の件は、遠慮しときます。今のところ、危険な目にもあってないので。でも何か気づいたら、すぐにこっちへ連絡しますよ」
「それがいい」
 元刑事は、自分の名刺をさしだした。
「何かあったら、そこへお電話ください」
 以前もらったのは白黒で文字しか載っていなかったが、今度の名刺はカラー印刷で、少々作りすぎの笑顔を浮かべた池松の写真が載っている。
 実物よりも髪が多く、黒々としていた。肌も加工で本物より、皺が少なく映っていた。
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