この世界を、統べる者

空川億里

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第9話 狼藉

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   そこへ現れたのがイカヅチだった。
「取りこみ中、すまないね。アオイちゃん」
「イカヅチ様……どうして、ここへ」
 物の怪でも見たような顔で、彼女が尋ねた。
「実を言うと、今回の一件には、ぼくも関わっててね」
「イカヅチ様が」
 驚いた目で、彼女が見つめる。
「君は大神殿内部の者が全て導師様のもとで一心同体だと感じているかもしれないが、そうじゃない。ぼくみたいな不満を抱く者が何人かいてね。まあ、そんな話を突然されたって困るだろうけど」
 神官見習いは、石でも噛んだような苦笑を浮かべた。
「イカヅチ様も、導師様のやり方に疑問をお持ちなんですか」
「その通り」
「わたし、言いつけたりしませんわ。だからどうか、大神殿に帰してください」
「君が言いつけるのは、心配してない。なぜなら仮に、君をあそこへ戻すとしたら、ぼくとこうして会った記憶だけ、消してしまえばいいのだから」
「そんな真似ができるのですか」
 アオイが、目を丸くした。
「そうしないと大神殿の者達が君の記憶を魔術で探り、言葉で質問しなくても、誰が君をあの祭典から連れだしたか、すぐにわかってしまうからね。魔術というより正確には、ご先祖様が遺してくれた、古代の技術なんだが……ともかくどうだい。大神殿に行くにしても、せっかくだから十日ぐらいは、ここで過ごしたらいいじゃないか。十日たっても君の気持ちが変わらなければ、大神殿に戻してもいいよ。ただし戻ったら、君もやがては他の巫女同様、導師様の妾にさせられるだけだがね」
「そりゃあ一体どうなってんだよ」
    激高したのは、セセラギだ。
「巫女は死ぬまで男女の契りを結ばねえはず」
「それは、あくまで建前でね。巫女として仕えた女性は一年後には、全て導師のお手つきになる。アオイちゃんは一年たってないから、まだだけど。アオイちゃん、君も先輩の巫女から聞いて、知ってるよな」
   イカヅチが尋ねると、娘は目をそむけてしまった。
「まあ、いいさ。ともかくぼくは十日後に迎えに来る。その時点で気が変わってないなら、大神殿に送りかえすよ」
「村は、どうなる」
    アオイが再び神官見習いの方に再び目を向けた。
「あたしが戻らないと、村の衆は、皆殺しにされるでしょう」
「それは大丈夫だ。君は自らの意思で逃げたのではなく、何者かに連れさられているからね。実際大神殿でも、今度の件はキリサメ公の差し金だと噂されている。見せしめのためサイハテ村を焼こうという話は、出ていない。過去に逃亡者が出て、逃げた巫女が住んでた村の衆が虐殺されたが、その時はすぐ討伐隊が出て、村は焼き討ちにあっている。今回は、そういう動きは出ていない。普通の農家はスティルス・ガウン、いや、隠れ蓑なんて持ってないしね」
「そう言われても、心配です」
 アオイが答えた。
「それなら、こうしよう。ここに君達と交信できる通信機を置いていく。サイハテ村の情報は逐一伝える。何か疑問が生じたりしたら、遠慮なくこの機械で連絡してくれ」
 イカヅチは、掌に収まるぐらいの銀色の円盤をアオイに渡した。そして、その操作方法を、アオイとセセラギの二人に教える。
                   *
 セセラギの住む粗末な家を出たイカヅチは、ふと歩きながら地面を見る。最近雨が降らないため、水気がなく、ひび割れていた。キリサメ公の直轄領で、こんな状況が出現するのは初めてだ。周囲の草木も立ち枯れている。
 導師はいにしえの技術を使ってキリサメとヨイヤミの二大公の直轄領には普段から適度な雨を降らせ、日でりにならぬようにしてきた。それが、この天候である。いよいよこのヤマトを統べる専制君主は、キリサメ公に喧嘩を売ろうとしてるのだろうか。
 イカヅチは、外の木に縄でつないだ馬に跨ると、救貧院に向かってそれを走らせた。向かった先には、キリサメ公が乗ってきた馬の姿もある。イカヅチが乗る馬は平凡な茶色い馬だが、公爵のは、高貴な一族だけが乗るのを許される真っ白な毛並みだ。
 救貧院には、いつにも増して大勢の民が集まっていた。やせ細った老若男女が争うようにして、粥を持った椀を奪いあっている。そんな様子を、沈痛な面持ちでキリサメ公が見ていた。
「公爵閣下」
 イカヅチが呼ぶと、キリサメ公の表情が、ちょっとだけほころんだ。苦い茶を飲んだ後、甘いまんじゅうでも口にしたように。
「申しあげたき儀がございます。一時お借りしてよろしいでしょうか」
 キリサメはうなずくと、周囲を見た。
「ここはまるで戦のような有様だが、優秀な侍のような者達が奮闘しているゆえ、安心して任せられる」
「まあ、公爵閣下もお上手です事」
 大笑したのは、米びつから飯を盛る中年の女性であった。キリサメ公とイカヅチは救貧院の中にある、普段は人の来ない離れに向かった。
「キリサメ公は、此度の日照りを、いかように考えてらっしゃいますか。本来なら閣下の直轄領はいにしえの技術によって、適度な降雨が保たれないとならぬはず」
 離れに入ると、イカヅチは小声で公に話しかけた。
「導師様に問いあわせたが、いにしえの技術が故障したそうだ。直るまで待つよう言われた。全く信じておらんがな。今までこんな話はなかった。ヨイヤミ公の直轄領に放った隠密の話では、あっちは普通に雨が降っておるそうだ」
「いかがなさるおつもりです。直るまで待つおつもりですか。このままでは、民は疲弊するばかり」
「全くだ。今まで導師様は、サイハテ村の時のように、意図的にある場所で雨を降らせず、泣きついてきた者達に年貢の増加と、若い娘をさしだすのを条件に雨を降らせ、己の独裁を強化してきた。実際はいにしえの技術の賜物に過ぎぬのに、まるで自分が神の代理で、奇跡を起こしたかのようにふるまってきたのだ」
 口の中に、石でも含んだような顔で、公はしゃべった。
「閣下はいつまで、この傍若無人なふるまいに耐えるおつもりですか。もしも反逆をお考えなら、このイカヅチ、共に戦います。閣下が兵を挙げるなら、私も大神殿内部の不満分子を集めます。以前から申してますように、多くの者が面従腹背で、導師様のご無体に義憤を感じています。今こそご決断を」
 イカヅチは、握った拳に力をこめた。
「貴公の気持ちは嬉しいが、まだ我々には力がない。挙兵しても、簡単に潰されたらおしまいだ」
 凍りついたような表情で、キリサメが答えた。
「でも、このままでは、領内の農地は壊滅状態に……」
「飢饉に備えて蓄えてある米を放出する。導師様には早急にいにしえの技術を直し、再び雨を降らせるよう、要請する。気持ちはわかるが、ここはどうかこらえてくれ」
 まるで刺されたかのような、あまりに悲痛な表情を見て、イカヅチは、さすがにそれ以上の主張はひかえた。救貧院の外に出ると、つないであった馬に乗り、大神殿に向かってそれを走らせる。彼がこうしてキリサメ領に来るのは元々導師の指示で、間者として公の監視をするためだったが、表向きは流しの三味線引きを名乗っていた。
 導師はキリサメ公に謀反の兆しがあると以前から考えており、その状況を逐一見張らせ、反逆の動きがあれば、一挙に軍を総動員して公爵を討ち、代わりに自分の都合のいい人物にすげかえようという算段だ。
 元々イカヅチも導師の忠実な部下だったがキリサメ公の春の陽光のごとく暖かな人柄に触れ、また導師が意図的に日照りを作り、重税で農民を苦しめている状況をまのあたりにして、このヤマトの現状に、疑問を抱きはじめたのだ。
 そこで彼はキリサメ公に自分の真の身分を打ち明け、ダブルスパイとして動いていたのだ。
 導師もそうだが、虎の威を借りた兵衛や宗教警察の狼藉も、普段から目に余るものがあった。
 百姓の若い娘を陵辱したり、戯れに百姓をいじめたり殺したりして、何をやってもおとがめなしなのである。
 特権階級の者達は悪行三昧、末端の農民は過酷な重税や乱暴狼藉に普段から耐えていたのだ。
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