この世界を、統べる者

空川億里

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第10話 地獄の平和

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 導師は今の制度になってから300年平和だったと胸を張るが、だからどうだと言うのだ。
 民にとっては地獄の平和で、奴隷の日常ではないか。このヤマトで太っているのは特権階級だけなのだ。
 飢饉がなくても庶民は普段からやせ細り、病になればろくな治療も行われず死んでゆく。
 普段から贅沢な生活をして、病気になっても高度な医療を受けられる導師や神官や兵衛達とは大違いだ。
 もちろん心ある神官や兵衛もいて普段から憤りを感じており、何かあったらイカヅチと共に決起すべく、互いに誓いを立てていた。 
 彼は周囲に人がいないのを確認してから、懐から出した交信機の蓋を開き、釦を押した。
 交信機は手のひらに収まる程の大きさの、円盤だ。
 しばらくすると円盤のすぐ上に、握りこぶしと同じぐらいの大きさの導師の顔が、立体的に浮かびあがった。
 普段は導師の腹心の部下が出る場合が多いのだが、今日は珍しく本人が出る。
「何の用だ」
 円盤から、導師の声が、流れでた。彼は齢70だが、同じ年齢の農民達より恰幅がよく、色艶のよい肌をして、実年齢より10歳ぐらいは若く見える。
   そもそも普通の百姓はまず70までは生きられなかった。せいぜい生きて50歳。
 そもそも幼児の死亡率が高い。農家はどこも子だくさんだが、流行り病や飢饉で簡単に死んでしまう。
   庶民は特権階層の人間が神の子だから伝染病にかからないと信じさせられている。
 が、実際には普段から予防接種をしているのだ。具合が悪くなれば一般人には入手できない薬を飲んだり注射を打つ事もできた。
   そもそも庶民は衛生の知識もないし、その教育もされてない。絵に描いたような愚民化政策が行われているのだ。
「キリサメ公に会ってきました」
    イカヅチは、説明した。
「公爵閣下の周囲をくまなく調べましたが、謀反の兆候は見当たりませぬ。配下の者達の軍事訓練もないですし、百姓を徴兵する動きもありません」
「真にそうならいいのだがな」
 疑い深そうな目を矢のように向けてくる。
「引き続き領内にとどまり、調べを続けます」
「そうだな。少しでも妙な動きがあれば、すぐにでも報告せよ」
「仰せのままに」
 やがて導師の顔は、円盤の上から消えた。通信が終わるとイカヅチは乗ってきた馬を、近所にあった民間の厩に預けた。厩の主人には三味線弾きだと話して金を払った。言い値を払うと逆に怪しまれるので、普通に値切る。
 その後徒歩で移動して、長期に渡り借りている旅籠に向かった。そこに隠れ蓑と飛翔機を、置いてある。イカヅチは隠れ蓑を着て飛翔機を背負うと旅籠から離れて歩き始めた。
 そして旅籠が米粒のように小さくなるまで歩いた頃、周囲に人がいないのを確認して飛翔機の釦を押すと空に飛び、導師とヨイヤミ公の直轄領の調査を空から開始した。
 飛翔機自体も光学迷彩といういにしえの技術を使っているため、周囲から見る事はできない。雲の上まで舞いあがると、体がふわっと軽くなり、飛翔機の釦を押して作動を止めても、そのまま勢いで飛び続けられる。
 今のところ直轄領内の軍隊に不穏な動きは見られなかった。彼はその旨を暗号でしたためた紙を小さな筒に入れ伝書鳩の足につけると、それを放した。伝書鳩はキリサメ公の居城に向かって舞いあがる。猛禽類に襲われて命を落とす場合もあるため、一羽ではなく、複数の鳩を空に放った。
                 *
「イカヅチからの伝書鳩です」
 キリサメ公の居城の一番天辺からたまたま周囲の景色を観ていたツユクサが、そばにいた公爵にそう話した。今日も雲一つなく、雨はずっと降っていない。草木は立ち枯れ、水気を失った大地はひびわれ、砂埃が舞っていた。
 ツユクサはキリサメ公の近衛兵だ。肩幅が広く両脇に一本ずつ、大小の刀を差している。左の頬に傷が走るが、昔キリサメ公爵領内で活動していた盗賊を退治した時にできたものだった。飛んできた伝書鳩を捕まえると、足に縛った紙を公爵に渡す。
「今のところヨイヤミ領内の軍勢に動きはなしか……。他の間者の報告も、皆同じだな。わが領内に雨を降らせず、疲弊したところを見はからって、進軍を開始すると思っていたが」
 キリサメ公が、手紙の中身を読みあげた。
「導師様は、いまだに雨を降らしてくれはしないのですか」
 ツユクサが問うた。
「雨を降らせるための装置が、上手く働かないと言っておったわ。どうせ嘘だろうが」
「やはりここは挙兵して、導師様を、討つべきでは」
「気持ちはわかるが、時機早尚だ」
 キリサメは、渋柿でも食べたような表情だ。
                    *
 アオイがまどろみから目覚めると、まだ朝早いのに、ゆうべ一緒の布団に入ったセセラギがすでに起きていて、庭で竹刀を振り回し、剣の稽古をやっていた。結局二人は元々仲が良かったのもあり、祝言こそあげてはいないが、夫婦同然の生活をしている。
 キリサメ公が所有している畑を借りて、ささやかながらも作物を育てていたのだが、一年前にサイハテ村で味わったような日照りが続き、せっかく植えた作物が立ち枯れていた。キリサメ公が倉庫に保管していた米や麦を放出していなければ、とっくに飢えていたところだ。
 そしていつしかアオイの『夫』は、キリサメ公の配下にいる武人の下で、剣術を始めていた。元々運動神経がよく、筋肉質の体型をしているセセラギは、見る見るうちに上達している。
 彼が剣術を始めたのは、ゆくゆくは起こるであろう戦に備えるのが理由だという。が、アオイには理解できない。このヤマトは、代々の導師が国を治めるようになった三百年の昔から、戦乱等起こった試しがないのである。今まで三百年も平和が続いたのに、本当に戦が起こるものなのか。全然ピンとこなかった。
 三百年前勃発した四二日大戦で民のほとんどが死んで絶滅の危機にあったのを、信仰心溢れる当時の導師が民衆を慰め、励まし、時には叱咤し、より良き道へ導いたので、再びヤマトの人達は、絶望と恐怖のどん底から復活したと、子供の頃から大人達に教えられてきたのである。
 実際にアオイ自身も、彼女の親も、その親も、戦の経験がない。血で血を洗う戦争は、じさまとばさまが寝物語に話してくれる昔話の中にしか出てこない伝説だった。アオイは寝床から起きあがると、庭にいる『夫』のもとへ歩いてゆく。
 それまでかけ声をかけながら、気合を入れて竹刀を振っていたセセラギが『妻』の気配に気づいたのか、こっちを見た。その目はまるで刃物のように尖っている。
「一体、誰と戦うの」
「争うかどうか、まだわからねえ。でも戦になるなら、導師様を惑わそうとしているヨイヤミ公の軍勢とだ。おれはキリサメ公の軍勢に混じって戦う」
「そんなの、やめて。せっかくこうして会えたのに、戦で死んだら何にもならないじゃない」
 アオイは、嘆いた。両目から、熱いものがこみあげる。
「じゃあ、このままでいいのか。今のままならいつまでたってもおれ達は、導師様の言いなりだ」
 セセラギの言葉に対して、アオイはどう返答すべきかわからなかった。
 彼女は『夫』を抱きしめると、ただただ、泣くしかできなかったのだ。
 が、そのうちこのままではいけないと感じるようになってきた。
 考えてみれば今まで自分は周囲の思惑、特に男達の言動に翻弄されてきた。 
 物心ついた時から、女は男の命じるままに従うようしつけられてきたからだ。
 でもそれで、楽しくやってこれただろうか。
 飢えから救われるためとはいえ、村長の一存で導師様のもとへ、自分の意思とは関係なく巫女にさせられてしまったのだ。
 その後こうして救われたが、それも、彼女が頼んで助けられたわけではない。
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