無法魔術師はかえりみない ~殺人容疑をかけられたので逃げまわってたけど、酒の勢いで女刑事を押し倒したら一緒に事件を解決することになった件~

佐間野 隆紀

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二章

二章⑤ 無法魔術師は逃げられない

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「昨夜のあの営みは、わたしに愛し愛されることの素晴らしさを教えてくれた。それが仮に偽りであったとしても、あの温もりは今でも深くわたしの中に刻み込まれている」

 ライラの目がすっと細められ、その頬に少しばかりの朱が差した。

 昨夜の僕は随分とムーディに彼女を愉しませたようだが、あいにくと記憶に残っていないのでどのようにして愛が育まれたのかは想像もつかない。

 そんな困惑ぎみの僕の心中を知ってか知らずか、ライラは冷たい指先を僕の頬に伸ばしながら、深い瞳の奥に何やら炎のようなものを宿して告げる。

「であれば、わたしに課せられた命題は一つだ。おまえをわたしのパートナーとして相応しい男にしっかりと教育しなおしてやる。今さらわたしの相棒を降りれると思うなよ」

 ま、マジかよ。これじゃヤブヘビもいいところじゃないか。

 もともと僕はこの女警官から逃れる方法をずっと模索し続けていた。その算段もあと少しで実を結ぼうというところまできていたはずだ。

 それが、ほんの少しの歯車のズレからこんなことになってしまうなんて、運命の皮肉と言えばそれまでだが、あまりにも惨すぎる。

 いや、まだだ。まだ一縷でもこの状況から逃げられる可能性があるなら……。

「おまえ、この期に及んでまだどうにかなると考えているな?」

 ガッ! ――と、ライラが両手で僕の顔を掴んできた。握力がやべえ。

「わたしを侮るなよ。『緊縛の魔女』の名が伊達ではないことを改めて味わわせてやる」

 凄絶な瞳で睨み据えてくるライラに、僕はもう両手を上げて降参の意を示す他なかった。

 ダメだ。いったん逃げることについては諦めよう。

 それよりも、彼女との円満な関係を続けながら少しずつ本来の怠惰な生活を取り戻していく方法を模索していくほうがまだ建設的かもしれない。

 僕がライラに『教育』される前に、僕が彼女を『分からせる』のだ。

 いいさ。ここからが本当の勝負だ。

「……大丈夫。この先の僕の人生は、常に君とともにあるよ」
「心にもないことを言うな。さすがにもうその程度では騙されんぞ」

 さすがに甘いか。いくらポンコツ刑事とはいえ、もう少し頭を使う必要はありそうだな。

 ともあれ、腹が括れたらからか、急速に腹の虫が自己主張をはじめるのを感じる。

 唐突な修羅場の発生にすっかりタイミングを失していたが、ひとまず僕はライラが買ってきてくれたパンを紙袋から取り出すことにした。

 中に入っていたのはこんがりと焼けたエッグサラダのホットサンドと、やけに丸々とした大きなクロワッサン、そして、昨日もライラが食べていたカレーパンの三種類だ。

「あっ、それはわたしのだぞ!」

 僕が興味深げにカレーパンを見つめていたことに気づいてか、慌てたようにライラが手を伸ばしてきた。

 あそこまで激情に駆られていたわりに切り替えが早いあたり、意外とライラもちゃっかりしている。

 というか、わざわざ今日も買っているということは、このカレーパンのファンにでもなったのだろうか。

「そういえばひとつ気になったんだけど、怨恨の線が出てきたって本当?」

 クロワッサンの端をちぎって口の中に放り込みながら、僕が訊いた。

 そもそもこのカフェを訪れたのは打ち合わせをするためだったはずなので、いちおうは僕にもやる気があることを見せておく必要がある。

「む……何処でその話を聞いた?」
「守衛さんから」
「なるほど。わたしも今朝の報告会で聞いたのだが、被害者の男性が交友関係に問題を抱えていたことが分かってな。それで、実は痴情のもつれで殺害された可能性もあるのではないかという話が持ち上がっているのだ」
「痴情のもつれ……」

 何だかいろんな意味でタイムリーなワードだな……。

「うむ。おまえも誰ぞ恨みでも買って殺されないよう気をつけることだ」
「ぼ、僕はちゃんと大人な関係を結べるように心がけているから……」
「ここで死ぬか?」
「い、いえ、何でもないです」

 やべえ。今の殺気は本物だ。

「ただ、どうにもわたしとしては違和感があってな。とくに被疑者と目されている女性は確かに魔術師ではあるのだが、仮に彼女が実際に犯行に及んだとして、あんなお粗末な魔術で殺人を行うなどとはとても考えられんのだ」

 ――と、幸いにもライラは怒りの矛先はすぐに収めてくれたが、今度は何やら深刻な面持ちでそんなことを言っている。

 まるで被疑者の女性とやらについて何か知っているような口ぶりだが……。

「知り合いなの?」
「うむ……といっても、わたしが一方的に知っているだけなのだが」
「話だけでも聞いてみれば?」
「実はそのつもりだ。アポイントも取ってある……が、今はダメだ」
「なんで?」

 僕が訊くと、ライラは両手で大事そうにカレーパンを持ちながら肩をすくめた。

「その女性は、市民学校で魔術の教師をしているのだ。おそらく昼過ぎには授業も終わるだろうから、それまでは捜査資料でも確認しながら時間を潰すことにしよう」

 そう言って、話はそこで一区切りとばかりにカレーパンにかぶりついた。

「んむっ! 辛い! だが、うまーい!」

 コイツ、ひょっとして辛いもの好きなのか……?
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