無法魔術師はかえりみない ~殺人容疑をかけられたので逃げまわってたけど、酒の勢いで女刑事を押し倒したら一緒に事件を解決することになった件~

佐間野 隆紀

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三章

三章② 無法魔術師はちゃんと話がしたい

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「あら、あなた……」

 一日ぶりにあったヘレナ・ベスティアは、少なくとも昨日見たときよりはかなりまともな様相をしていた。

 バサバサだった髪も綺麗に纏まっているし、その瞳にも幾分か生気も戻っている。

 ただ、玄関口から見える部屋の床には相変わらず無数の酒瓶が転がっているし、何だったらその数は昨日より増えているようにも見えた。

 一方で壁に投げつけて派手に割ってしまった瓶に関しては片づけられているようで、飛び散ったワインによる染みも見あたらない。

 これなら大家さんに見られても嫌な顔をされる心配はなさそうだ。

「昨日はあまりちゃんと話を聞けなかったから、今日はどうかなと思って」

 可能なかぎり爽やかに微笑みながら僕が告げると、ヘレナは少し悩ましそうにしながらも頷いてくれた。

「いいわ、上がって」
「ありがとう」

 僕の笑顔が彼女の心を動かしたのか、あるいは単なる気まぐれか、何にしても第一の関門は突破できたらしい。

 室内は雑多に酒瓶が転がっていること以外は荒れた様子はなく、昨日はたまたま虫の居所が悪かっただけで、普段からああやって暴れ散らかしているわけではないようだ。

 そういえば初対面のときもベッドでボーッとしていただけだし、どちらかというと無気力であった時間のほうが長いのかもしれない。

「聞きたい話ってなに? 事件については、あたしは何も知らないわよ」
「アレスって人のことに関しては、随分といろいろ知っている口振りだったけど」

 昨日よりは幾分かハッキリとした口調で告げるヘレナに、迂闊な僕はつい率直な思いを口にしてしまう。

 表面的に元気そうだからといって、ちゃんと内側まで元気になっているとはかぎらない。

 何かのきっかけで昨日のようなことになってしまったら、わざわざ僕がここにきた意味もなくなってしまう。

「あれは……まあ、少し冷静じゃなかったところもあるわ」

 しかし、僕の心配は杞憂だったようだ。

 今日のヘレナは打って変わって冷静で、昨日の彼女が実はよく似た他人だったと言われても納得できるくらいにその受け答えには差があるように感じられた。

 もちろん、僕にとってはそのほうがちゃんと話も聞けて都合がいいはずなのだが、何か釈然としないものがあるのもまた事実ではある。

「でも、昨日言ったことは、嘘じゃないわ」

 ともあれ、ヘレナはベッドの縁に腰を下ろしながら言葉を続けた。

「ハワードは確かに女にだらしない男ったけど、少なくともあんな噂が出るまではあの女のことなんて気にもとめてなかった」
「あんなに綺麗な女性を気にもとめないなんて、逆に変な気はするけど」

 自分のことは棚に上げつつ、訊き返す。

「ちゃんと身の丈を知ってたからよ。ハワードは自分がおとせると思った女にしか手を出さなかったわ。そういう嗅覚があったのよ」
「高嶺の花と判断したってこと?」
「あんな美人とつり合いが取れる男なんて、そこいらにいるはずないでしょ? まあ、あなたくらい顔がよければ、隣に立っても見劣りしないかもしれないけど」
「ありがとう。見た目には自信があるんだ」
「……ふふっ、変な男ね」

 少し緊張が解けてきたのか、そこで初めてヘレナが口許を綻ばせた。

 別に冗談を言ったつもりはないのだが、まあいいか。

「不躾なことを訊くけど、ハワードさんは君とつきあっている間も浮気を?」

 ヘレナが僕に心を許しかけていることを期待しつつ、少し踏み込んでみる。

「どうかしら。メディアとはそういうこともあったかもしれないけど、他は知らないし興味もないわ。彼の心が満たされるなら、別にわたしはそれでかまわなかった」
「随分と含みのある言いかたに聞こえるけど」
「別に大したことではないわよ。わたしは彼に寄り添っていたかっただけ。彼はきっとそうすることでしか心の傷を埋めることができなかったんだと思うから」
「ふうん……?」

 何処か遠い目をして告げるヘレナの言葉に、僕は何となくジョンソン家を取り巻く家庭環境を思い返していた。

 服毒自殺(あるいは他殺か……)をはかった母、自身を認知しない父――ボルジアは裏で経済的な支援をしていたと嘯いていたが、真実がどうだったかなんて分からない。

 気にはなったが、さすがにまだこの件に関して踏み込んだことを訊くのは躊躇われたので、僕は話の矛先を別の方向に向けることにする。

「メディアさんは、君たちの交際がはじまってからハワードさんとは距離を取ったと言っていたよ」
「そうなの? そう、じゃあ、やっぱりメディアも……思えば、あの子とももう半年くらい顔を合わせてないわ。今回の件で、彼女も塞ぎ込んでないといいけど……」
「え? そんなに会ってないの?」

 それは意外な事実だ。てっきり今も頻繁に交流があるものと思っていた。

「ええ、そうだけど」
「僕たちは、メディアさんに言われて君の安否確認に来たんだ。彼女は君のことを心配して、何度かこの家にも来ていたと言っていた」
「本当? まるで気づかなかったわ。昨日まではかなりお酒も入っていたし、それに、薬も飲んでいたから」
「薬?」
「安定剤よ。知人の医者に処方してもらったの。今も飲んでるわ。じゃなきゃ、こんなふうにまともに話せてないわよ」

 なるほど。そんなものを服用していたのか。

 だとすると、昨日はその薬と酒が悪い反応をしてあのような状態になってしまっていたのかもしれないな。

「メディアには、悪いことをしてしまったと思ってるわ。あの子もいろいろと思うところはあったでしょうけど、心の奥底ではきっとハワードのことを愛していたでしょうから」
「君からはそう見えたわけだ?」
「ハワードだってその自覚はあったはずよ。あの二人、幼いころからずっと互いの傷を舐め合って育ってきたんだもの」

(随分と詳しいな……)

 口には出さず、胸中で呟く。

 彼女はメディアを通じてハワードと交際をはじめたはずだが、あるいは二人の存在やその環境についてもっと以前から知っていたという可能性もあるのだろうか。

 もちろん、メディアとの交流やハワードとの交際を経て様々なことを知っていったと考えるたほうが無難だとは思うが……。

「あなた、ひょっとしてメディアのことを疑ってたりする?」
「……どうしてそう思うの?」
「何となくよ。でも、あの子にハワードは殺せないわ。あの子もまた、あたしと同じくらいハワードを愛していたはずだから」

 優しげとも悲しげともつかない目で何処か遠くのほうを見つめながら、ヘレナが言った。

 何だかよく分からないが、少なくともハワード・ジョンソンが随分と愛されている男だったことは確かなようだ。

 僕も心の傷をチラつかせたりとかしたら、もうちょっと周りの女性たちが優しくなったりするのだろうか……。
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