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終章
終章① 無法魔術師はかえりみない
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「……というわけで、一件落着さ。本当なら君も何かしらの罪に問われるはずなんだろうと思うけど、今回は君のおかげで真相に近づけた部分もあるし、特例として不問になったみたいだね。まあ、ひょっとしたらこの街の『お偉いさん』の意向なんかもあったのかもしれないけど、そのあたりは君のほうが詳しいかな?」
翌日、僕は性懲りもなくアレス・R・フランチェスカのもとを訪れていた。
市民学校の魔術教練実習室(の準備室)にはまるで最初から僕のことを待っていたかのようにアレスが鎮座していて、空振りになる可能性のほうが高いと思っていた僕のほうが逆に驚いてしまったくらいだ。
「わたしは、何も……」
しかし、挨拶がてらに僕が昨日の一件について話聞かせても、相変わらずアレスは机の端に視線を落としたまま決して僕の顔を見ようとはしなかった。
ただ、少しばかり違うことがあって、不思議なことに今回の彼女は僕がこの部屋に現れた瞬間も驚いていなかったし、誤解を恐れずに言えば、少し嬉しそうにしている気配すら感じられた。
どうして彼女がそのような素振りを見せたのかは分からないが、ひょっとしたら思い込みではなく、本当に彼女が僕を待っていたという可能性もあるのかもしれない。
どのみち、僕がわざわざこの場所を訪れたのは世間話をするためではなく、これまでにもあったそういう彼女の釈然としない態度に対して、僕なりに結論を出すためだった。
「実は、事件については僕ももうどうだっていいんだ。最初からそんなに興味があったわけじゃないし、何となく乗りかかった船で行き着くとこまで行っちゃっただけだから」
「そう……」
「でも、おかげで君みたいな信じられないくらいの美人と知り合えたし、得られたものもたくさんあるとは思ってるよ。それは……君にとっても、同じじゃないかな?」
「……っ……」
自分でもわけの分からないことを訊いているという自覚はあるのだが、それでもアレスは不意打ちでもくらったかのように強く息を飲んでいた。
「君がいきなり自首したこと、何でかなってずっと考えてたんだ。実を言うと、今でも考えてる。でも、たぶん明確な答えなんか出ないと思うし、君に聞いたところで教えてはくれないだろうね。だから、いちおう僕なりに考えたことだけでも伝えておこうと思ったんだ」
「……そのために、ここに?」
「まあ、そのためだけってことはないさ。僕はほら、そもそも君みたいな綺麗な女性と楽しくお話をするのことが何よりも生き甲斐だったりするからね」
「そう……」
アレスの視線は机に固定されたままピクリとも動かず、その口角も微動だにしない。
僕がこういったことを言うと大抵の女性は(本心はどうあれ)笑ってくれるのだが、彼女に関してはまったくといっていいほど通じていないようだ。
あるいは僕が彼女に対して性的な魅力をいっさい感じていないのと同様に、彼女にとって僕もそういった対象になっていないのか。
でも、それにしたって少しくらいは笑ってもらえないと、これでは僕がただの話し下手みたいな空気になってしまって非常にいたたまれない。
「勝手な思い込みかもしれないけど、僕には君がずっと僕を窺っているように見えた」
ともあれ、腐っていても仕方がないので、話を進めることにする。
「実際、二回目に会ったときと三回目に会ったとき、君は明確に僕の意思を窺ってきた。僕がそれを望むかどうかを確認して、僕が答えると、君は忠実にそれを実行した」
アレスの肩がピクリと動き、伏目がちなその視線が机の上を左右に彷徨いはじめる。
「君が何を思ってそうしたのか、興味がないわけではないんだけど、心の何処かで知らないほうがいい気もしてるんだ。その意味が、君には分かるかな?」
「……」
そう訊いても、アレスは肩を震わせるだけで答えはしなかった。
僕は溜息まじりに肩をすくめ、言葉を続ける。
「君は僕と初めて顔を合わせたとき、別れ際に『これがわたしへの報いなのね』と言った」
「……覚えていたのね」
「物忘れは激しいほうなんだけどね。これだけは不思議と忘れなかった」
その言葉に何か響くものでもあったのか、アレスがゆっくりと顔を上げる。
こちらを見つめるその瞳に秘められた感情がなんであるのか、僕にやはり分からない。
ただ、暢気な僕にだって、さすがにここまで態度に出されれば気づくことがあった。
「君は最初から、僕のことを知ってたんだね。それもたぶん、近しい存在として」
アレスの瞳に明らかな動揺が走り、唇を震わせ、それからじっくりと時間をかけて何かを言おうとしていたが、けっきょく彼女は何の言葉も発せずにそのまま俯いてしまった。
ただ、言葉はなくとも、彼女の答えは明白だった。
「それだけ、確認したかったんだ。これで、僕にとって今回の事件は解決だ」
もう完全に俯いてしまっているアレスにそれだけ告げて、僕はくるりと踵を返した。
「……ま、待って!」
そんな僕の背中に、悲鳴のようなアレスの声が突き刺さってくる。
これまでに聞いたこともないくらい真に迫ったその声に、しかし、僕は振り返らずに戸口のほうへと歩いて行く。
「アテナ、わたしは……!」
「その先は、別に言わなくてもいいんじゃないかな」
扉に手をかけ、肩越しに振り返って、僕が言った。
「僕はさ、自分の過去に、興味はないんだ。それに、君の様子からすると、たぶん僕たちはあまり友好的な関係ではなかった……少なくとも円満な別れかたはしていないような気がするんだよね」
「それは……」
「だから、この話はここで終わりさ。僕は、君と僕との間に何か繋がりがあったのか、それだけが確認したかった。でも、それがどのような形であったのかをわざわざ暴こうとまでは思わない」
「でも、わたしは……!」
ここにきて妙に食い下がってくるアレスに、僕は思わず苦笑してしまう。
まるでこれでは今生の別れみたいだ。
「そんなに僕と話がしたいなら、今度はお休みの日にオシャレなオープンカフェで珈琲でも飲みながらってのはどうかな?」
「え……?」
よほど不意打ちだったのか、アレスの瞳がびっくりするくらい丸く大きく見開かれる。
普段から伏目がちなせいで気づかなかったが、本来はもっと瞳もクリッとしていて、ただ綺麗なだけでなく、女の子らしい愛嬌もある顔立ちなのかもしれない。
「だからさ、お休みの日に、ちょっとおめかしして、普段はあまり行かないようなオシャレなオープンカフェで、普段は滅多に飲まないようなオシャレなドリンクを飲むんだ。それでさ、暗い過去のことなんて忘れて、これから先の話をしよう」
「わたしと……また、会ってくれるの……?」
「言っただろう? 僕は君みたいな綺麗な女の子と楽しく過ごすのが生き甲斐なんだ。それに、この前も言ったよね。次は楽しい雰囲気でお話ができるといいねって」
「あれは……だって、そんなの……」
「まあ、考えてみれば、一回分だけズレちゃったか。それなら、お詫びに次に会うときは僕の奢りにしよう。お金には困ってないしね」
「で、でも……」
「もし気を遣うってんなら、そのまた次は君が僕に奢ってくれればいい。そうやって、これから先も僕の暇つぶしにつきあってもらえるなら、僕だって周りに自慢できる。信じられないくらい綺麗な女性と、何度もデートをしたことあるって」
アレスはもう完全に言葉を失っていて、その顔は泣いているのか笑っているのか分からないくらいクチャクチャになっていた。
本当に泣き出されても困るので、僕は扉に手をかけながら最後に一言だけ告げる。
「記憶を持たない僕が言うのも無責任な話だけど、過去ばっかり振り返ったって、そんなにいいことはないんだ。だから、僕はいつだってかえりみないことにしてる。周りには、もう少し反省しろっていつも怒られるけど」
いよいよ背後から嗚咽のような声が聞こえてきて、どうしてアレスがこのタイミングで泣くのかまったく想像もつかなかったが、僕はもう振り返らずにその場をあとにした。
僕と彼女の間に何かあったことは確実で、しかし、僕の個人的な見解を述べさせてもらえば、それはたぶんこの先の人生にとってそこまで重要なことではないと思う。
アレスが泣く理由も、僕に拘る理由も、いつか知る機会があるかもしれないが、それならばその機会に改めて知ればいいことだ。
市民学校の廊下を正門のほうに向けて歩きながら、僕は何となく首に下げた銀細工のペンダントにそっと触れた。
アテナとアレス。僕が女性名で、彼女が男性名。お互いに銀髪碧眼で――。
彼女の胸にも似たような意匠の銀細工のペンダントが輝いていたことには、もう随分と前から気づいていた。
翌日、僕は性懲りもなくアレス・R・フランチェスカのもとを訪れていた。
市民学校の魔術教練実習室(の準備室)にはまるで最初から僕のことを待っていたかのようにアレスが鎮座していて、空振りになる可能性のほうが高いと思っていた僕のほうが逆に驚いてしまったくらいだ。
「わたしは、何も……」
しかし、挨拶がてらに僕が昨日の一件について話聞かせても、相変わらずアレスは机の端に視線を落としたまま決して僕の顔を見ようとはしなかった。
ただ、少しばかり違うことがあって、不思議なことに今回の彼女は僕がこの部屋に現れた瞬間も驚いていなかったし、誤解を恐れずに言えば、少し嬉しそうにしている気配すら感じられた。
どうして彼女がそのような素振りを見せたのかは分からないが、ひょっとしたら思い込みではなく、本当に彼女が僕を待っていたという可能性もあるのかもしれない。
どのみち、僕がわざわざこの場所を訪れたのは世間話をするためではなく、これまでにもあったそういう彼女の釈然としない態度に対して、僕なりに結論を出すためだった。
「実は、事件については僕ももうどうだっていいんだ。最初からそんなに興味があったわけじゃないし、何となく乗りかかった船で行き着くとこまで行っちゃっただけだから」
「そう……」
「でも、おかげで君みたいな信じられないくらいの美人と知り合えたし、得られたものもたくさんあるとは思ってるよ。それは……君にとっても、同じじゃないかな?」
「……っ……」
自分でもわけの分からないことを訊いているという自覚はあるのだが、それでもアレスは不意打ちでもくらったかのように強く息を飲んでいた。
「君がいきなり自首したこと、何でかなってずっと考えてたんだ。実を言うと、今でも考えてる。でも、たぶん明確な答えなんか出ないと思うし、君に聞いたところで教えてはくれないだろうね。だから、いちおう僕なりに考えたことだけでも伝えておこうと思ったんだ」
「……そのために、ここに?」
「まあ、そのためだけってことはないさ。僕はほら、そもそも君みたいな綺麗な女性と楽しくお話をするのことが何よりも生き甲斐だったりするからね」
「そう……」
アレスの視線は机に固定されたままピクリとも動かず、その口角も微動だにしない。
僕がこういったことを言うと大抵の女性は(本心はどうあれ)笑ってくれるのだが、彼女に関してはまったくといっていいほど通じていないようだ。
あるいは僕が彼女に対して性的な魅力をいっさい感じていないのと同様に、彼女にとって僕もそういった対象になっていないのか。
でも、それにしたって少しくらいは笑ってもらえないと、これでは僕がただの話し下手みたいな空気になってしまって非常にいたたまれない。
「勝手な思い込みかもしれないけど、僕には君がずっと僕を窺っているように見えた」
ともあれ、腐っていても仕方がないので、話を進めることにする。
「実際、二回目に会ったときと三回目に会ったとき、君は明確に僕の意思を窺ってきた。僕がそれを望むかどうかを確認して、僕が答えると、君は忠実にそれを実行した」
アレスの肩がピクリと動き、伏目がちなその視線が机の上を左右に彷徨いはじめる。
「君が何を思ってそうしたのか、興味がないわけではないんだけど、心の何処かで知らないほうがいい気もしてるんだ。その意味が、君には分かるかな?」
「……」
そう訊いても、アレスは肩を震わせるだけで答えはしなかった。
僕は溜息まじりに肩をすくめ、言葉を続ける。
「君は僕と初めて顔を合わせたとき、別れ際に『これがわたしへの報いなのね』と言った」
「……覚えていたのね」
「物忘れは激しいほうなんだけどね。これだけは不思議と忘れなかった」
その言葉に何か響くものでもあったのか、アレスがゆっくりと顔を上げる。
こちらを見つめるその瞳に秘められた感情がなんであるのか、僕にやはり分からない。
ただ、暢気な僕にだって、さすがにここまで態度に出されれば気づくことがあった。
「君は最初から、僕のことを知ってたんだね。それもたぶん、近しい存在として」
アレスの瞳に明らかな動揺が走り、唇を震わせ、それからじっくりと時間をかけて何かを言おうとしていたが、けっきょく彼女は何の言葉も発せずにそのまま俯いてしまった。
ただ、言葉はなくとも、彼女の答えは明白だった。
「それだけ、確認したかったんだ。これで、僕にとって今回の事件は解決だ」
もう完全に俯いてしまっているアレスにそれだけ告げて、僕はくるりと踵を返した。
「……ま、待って!」
そんな僕の背中に、悲鳴のようなアレスの声が突き刺さってくる。
これまでに聞いたこともないくらい真に迫ったその声に、しかし、僕は振り返らずに戸口のほうへと歩いて行く。
「アテナ、わたしは……!」
「その先は、別に言わなくてもいいんじゃないかな」
扉に手をかけ、肩越しに振り返って、僕が言った。
「僕はさ、自分の過去に、興味はないんだ。それに、君の様子からすると、たぶん僕たちはあまり友好的な関係ではなかった……少なくとも円満な別れかたはしていないような気がするんだよね」
「それは……」
「だから、この話はここで終わりさ。僕は、君と僕との間に何か繋がりがあったのか、それだけが確認したかった。でも、それがどのような形であったのかをわざわざ暴こうとまでは思わない」
「でも、わたしは……!」
ここにきて妙に食い下がってくるアレスに、僕は思わず苦笑してしまう。
まるでこれでは今生の別れみたいだ。
「そんなに僕と話がしたいなら、今度はお休みの日にオシャレなオープンカフェで珈琲でも飲みながらってのはどうかな?」
「え……?」
よほど不意打ちだったのか、アレスの瞳がびっくりするくらい丸く大きく見開かれる。
普段から伏目がちなせいで気づかなかったが、本来はもっと瞳もクリッとしていて、ただ綺麗なだけでなく、女の子らしい愛嬌もある顔立ちなのかもしれない。
「だからさ、お休みの日に、ちょっとおめかしして、普段はあまり行かないようなオシャレなオープンカフェで、普段は滅多に飲まないようなオシャレなドリンクを飲むんだ。それでさ、暗い過去のことなんて忘れて、これから先の話をしよう」
「わたしと……また、会ってくれるの……?」
「言っただろう? 僕は君みたいな綺麗な女の子と楽しく過ごすのが生き甲斐なんだ。それに、この前も言ったよね。次は楽しい雰囲気でお話ができるといいねって」
「あれは……だって、そんなの……」
「まあ、考えてみれば、一回分だけズレちゃったか。それなら、お詫びに次に会うときは僕の奢りにしよう。お金には困ってないしね」
「で、でも……」
「もし気を遣うってんなら、そのまた次は君が僕に奢ってくれればいい。そうやって、これから先も僕の暇つぶしにつきあってもらえるなら、僕だって周りに自慢できる。信じられないくらい綺麗な女性と、何度もデートをしたことあるって」
アレスはもう完全に言葉を失っていて、その顔は泣いているのか笑っているのか分からないくらいクチャクチャになっていた。
本当に泣き出されても困るので、僕は扉に手をかけながら最後に一言だけ告げる。
「記憶を持たない僕が言うのも無責任な話だけど、過去ばっかり振り返ったって、そんなにいいことはないんだ。だから、僕はいつだってかえりみないことにしてる。周りには、もう少し反省しろっていつも怒られるけど」
いよいよ背後から嗚咽のような声が聞こえてきて、どうしてアレスがこのタイミングで泣くのかまったく想像もつかなかったが、僕はもう振り返らずにその場をあとにした。
僕と彼女の間に何かあったことは確実で、しかし、僕の個人的な見解を述べさせてもらえば、それはたぶんこの先の人生にとってそこまで重要なことではないと思う。
アレスが泣く理由も、僕に拘る理由も、いつか知る機会があるかもしれないが、それならばその機会に改めて知ればいいことだ。
市民学校の廊下を正門のほうに向けて歩きながら、僕は何となく首に下げた銀細工のペンダントにそっと触れた。
アテナとアレス。僕が女性名で、彼女が男性名。お互いに銀髪碧眼で――。
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