10 / 18
第10話 欲情の確認
しおりを挟むそれから数日が過ぎた。
僕の世界は薄氷の上を歩くような緊張感に満ちていたけど、狩野さん……蓮菜さん、という強固な支柱のおかげで、なんとか崩壊を免れていた。
放課後の行為、男性性の維持という治療名目のそれは日課となっていた。蓮菜さんの両親はわずかな期間だけ帰国して、またすぐに海外公演の旅に出てしまったのだ。会えなかった期間、蓮菜さんはずっと苛々した様子だった。その分、久しぶりの治療は、長く深く、重いものだった。
僕は男としての尊厳を削り取られながら、女としての快楽に沈む。そんな倒錯した日々を彼女に強いられていたのだ。
ある日の放課後。
蓮菜さんが用事で職員室に呼ばれたため、僕は珍しく一人で校門を出た。
なるべく目立たないように下を向いて早足で歩く。いまの僕は、周囲の視線がなによりも怖い。
「よう、日高じゃん!」
と、不意に背後から声をかけられた。びくりと肩が跳ねる。聞き覚えのある、太い声。
振り返ると、そこには中学時代からの友人、大輝が立っていた。いまは別のクラスで、最近はめっきり疎遠になっていた相手だ。
「げっ……大輝」
「なんだよその反応。冷てえなぁ」
大輝はニカッと笑って、僕の肩をばんばんと叩いた。その衝撃が華奢になった身体には予想以上に響く。痛い、と言いそうになるのを必死で飲み込む。
「最近お前、付き合い悪いじゃん。なんかコソコソしてるし」
「あ、あはは……ちょっとね、勉強とか忙しくて」
「嘘つけ。お前が勉強なんてガラかよ」
大輝は疑いの眼を向けてくる。
彼は昔から勘が鋭い。いま、いちばん会いたくない相手だったのだ。
「まあいいや。久しぶりにカラオケ行こうぜ。駅前に新しい店できたんだよ」
「え……いや、今日はちょっと……」
「いいじゃんかよ。一時間くらい。奢ってやるからさ」
強引に腕を引かれる。
その力強さに、僕は自分が男であることを忘れそうになる。圧倒的な、オスの力。
「ほんとに、ダメなんだってば……!」
「いいからいいから。ちょっとくらい、付き合えっての!」
拒絶し続ける僕に、大輝が苛立ちを露わにした。
掴まれた手首に力がこもる。
「痛っ……!」
鋭い痛みに思わず声が出た。
それは自分でも驚くほど高く、艶のある悲鳴だった。
「……は……?」
大輝が動きを止める。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、僕を見つめている。
「おい、なんだよいまの声……お前、なんか……変だぞ?」
「ち、違う、いまのは……」
「マジでなんなんだよ。気持ち悪いな」
不審そうに眉をひそめ、それでも手を離そうとしない。
さらに強く引かれ、僕はバランスを崩して彼の胸元に倒れ込みそうになる。
男の匂い。それがいまの僕にはひどく暴力的な、そして自分と異質の存在のものに感じられた。
「はな……して」
「あら、奇遇ね」
そのとき、凛とした声が背中からかけられた。
僕と大輝のあいだにすっと細い手が割って入る。
「ひより君、ここにいたの。探しちゃった」
蓮菜さんだった。
いつの間に来ていたのだろう。彼女は涼しい顔で身体を差しはさんできた。大輝も気圧されたように足を引き、僕の腕から手を離す。
「……誰?」
大輝が呆気にとられたように訊く。
美少女の突然の登場に明らかに動揺している。
「えっと、その、彼女は……」
「初めまして。同じクラスの狩野です」
僕が言い淀むのを遮り、彼女は完璧な笑顔で自己紹介をした。
「えっ、狩野って……あの有名な、狩野蓮菜? マジで?」
「あはは。あの、って、どんなあのなんだろう。うん、ひより君とは仲良くさせてもらってます」
彼女は自然な動作で僕の腕を取り、大輝から引き剥がした。そして所有物であることを誇示するように、僕の腕に自分のそれを絡める。柔らかい感触。甘い香り。
大輝の目が点になった。
「仲良くって……え、もしかして、彼女?」
「ち、ちがうよ! そんなんじゃ……」
「そうだよ」
僕の否定を、彼女の肯定が上書きした。
こともなげに。まるで、今日の天気の話でもするかのように。
「えっ!」
「ふふ、驚いた? わたしたち、付き合ってるの」
嘘だ。
けれど、彼女の瞳は笑っていなかった。
合わせなさい。
無言の圧力が僕の口を封じる。
「……お前、いつの間に、こんな子と……」
大輝は羨望と嫉妬が入り混じった目で僕を見た。完全に蓮菜さんのペースに飲まれている。
そんな彼に流し目を送ってから、蓮菜さんは僕に視線を向けた。
「で、カラオケに行く話だったのかしら?」
「あ、うん……そうなんだけど」
「いいわね。わたしも行っていい?」
予想外の提案に、僕と大輝は同時に顔を見合わせた。
「え、狩野さんが? 俺らと?」
「ええ。ひより君の友達なら、仲良くなりたいし……行くよね? ひより」
彼女が僕に上目を向ける。背丈はほとんど変わらないのに、あえてそうしているのだ。
小首をかしげる仕草は可憐だが、その目は拒否権はないと告げていた。
僕の交友関係すらもみずからの監視下に置こうとしているのだ。
「う、うん……」
僕は小さく頷いて、きゅっと目を瞑った。
◇
駅前のカラオケ店。
通された個室は狭く、空調が効いていない。機械の熱気が籠もっていた。
長いソファに大輝、僕、蓮菜さんの順に腰を下ろす。
大輝はさっそく流行の曲を選び、マイクを握って熱唱し始めた。僕は二人に挟まれてひたすら俯き、縮こまっている。隣の蓮菜さんはすました顔で優雅にアイスティーを飲んでいる。
暑い。
空調が弱いのもそうだし、なんだか身体の奥が火照る。
ホルモンバランスの乱れによるホットフラッシュだろうか。それとも、この状況へのストレスか、隣にいる蓮菜さんに身体が勝手に反応しているのか。
汗が首筋を伝う。制服のカッターシャツが肌に張り付いて不快だ。
「ふぅ……」
無意識だった。
僕はシャツの胸元を指で摘み、ぱたぱたとあおいで風を送った。
第二ボタンまで開けた隙間に、白く滑らかな鎖骨と、うっすらと膨らみ始めた胸の谷間とが覗く。
「……っ」
気がつくと、歌い終わった大輝がマイクを握ったまま固まっていた。
僕の右側に立って見下ろしている彼の視線が、胸元に釘付けになっている。無防備に晒された白い肌。汗ばんで艶めく首筋。そして、男にしてはあまりにもしなやかな手つき。どれも彼の視線を感じるまで気がつかなかった。慌てて襟元を合わせ、顔を背ける。
「日高……お前、なんか……」
大輝がゴクリと喉を鳴らした。
その瞳に浮かんでいるのは、友人に向ける色ではない。紛れもない、女を見る目。生々しい欲望の光だった。
「あら、いけない」
すっ、と視界が遮られた。蓮菜さんが僕の前に身を乗り出したのだ。
彼女は手にしたおしぼりを僕の首筋にそっと押し当てた。ひんやりとした冷たさに僕は小さく声を漏らす。
「ひゃっ」
「汗、かいてるじゃない。風邪ひくよ」
甲斐甲斐しい彼女の仕草。けれど、それは巧妙な目隠しだった。
大輝から僕の肌を隠し、同時に所有権を主張しているのだ。強烈な牽制。同時に大輝へ視線を向け、眉を上げる。なにか、とでもいうような表情。
「あ、ああ……悪い。なんか日高、雰囲気変わったなって思って」
大輝がバツが悪そうに視線を逸らす。
我に返ったのか、耳まで赤くなっている。男友達に欲情しかけた自分への動揺が見て取れた。
「うふふ、そうでしょ。最近、体質かわったんだもんね、ひより。肌が綺麗になったってよく言われてる。わたしのケアのおかげだね」
蓮菜さんは余裕たっぷりに微笑んだ。
大輝は腰を下ろし、選曲用のタブレットを意味もなくいじりだした。
僕もまた、自分の身体が大輝にどんな反応を引き起こしたのかを自覚し、恥ずかしさで縮こまるしかない。なにも言えない。気まずい。
もじもじとする男ふたり……いや、ひとりと半分。
甘酸っぱいような、背徳的なような、薄い桃色の空気が漂う。
と。
かしゃん。グラスを置く音がやけに大きく響いた。
振り返ると、蓮菜さんが立ち上がっていた。
「ひより」
「は、はい」
「ちょっと来て……汗、拭きに行きましょう」
彼女の声は低く、拒絶を許さない響きがあった。
有無を言わせず僕の腕を引く。
「あ、大輝、ごめん。ちょっと……」
「お、おう。行ってこいよ」
大輝の安堵したような声を背に、僕は蓮菜さんに引きずられるようにして部屋を出た。
廊下に出ても、彼女の歩みは止まらない。
トイレの表示が見える。
青いマークと、赤いマーク。
当然、僕は青い方へ向かおうとした。
「こっちよ」
ぐい、と強く引かれた。
彼女が扉を開けたのは、赤いマーク――女子トイレの方だった。
「えっ、ちょっ、蓮菜さん、ここは……!」
「いいから」
抵抗する間もなく中に押し込まれる。幸い、誰もいなかった。
彼女は僕を一番奥の個室に連れ込み、背後の鍵をかちゃりと回した。
ふたりの匂いが混ざり合い、密室に充満する。
「れ、蓮菜さん、まずいってば。誰か来たら……」
「……」
彼女は何も言わない。
ただ、じっと僕の目を見つめている。
その瞳の色に、僕は息を呑んだ。
あの目だ。
寝室で僕をはじめて壊したときと同じ、捕食者の目。
嫉妬と、独占欲と、昏い怒りが渦巻いている。
「……嬉しそうだったね」
ぽつりと、彼女が言った。
「え……?」
「彼に見られて。男の欲情を向けられて……満更でもなさそうに、もじもじして」
「ち、ちがうよ! 僕はただ、困って……」
「嘘」
彼女が一歩、詰め寄る。
僕は便座の上に腰を落とす形になった。さらに背後のタンクに追い詰められる。
「男としての君を守るって言ったけど、君自身がそれを望まないなら話は別だからね」
彼女の手が伸びてくる。
僕のベルトのバックルに、細い指がかかった。
「ねえ、まさか……彼に欲情とか、してないよね?」
「し、してない! 絶対にしてない!」
「どうかしら。身体は、男の視線を浴びて喜んでたんじゃない?」
かちゃり、とベルトが外される音が、死刑執行の合図のように響いた。
「確認させて……ここが、どうなってるか」
彼女の冷たい手が、ズボンの中に滑り込んでくる。
女子トイレという禁断の場所で、誰かが入ってくるかもしれない恐怖の中で。
だけど僕の身体は、自分でも信じられないような熱を持っていたのだ。
0
あなたにおすすめの小説
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
春に狂(くる)う
転生新語
恋愛
先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761
小さくなって寝ている先輩にキスをしようとしたら、バレて逆にキスをされてしまった話
穂鈴 えい
恋愛
ある日の放課後、部室に入ったわたしは、普段しっかりとした先輩が無防備な姿で眠っているのに気がついた。ひっそりと片思いを抱いている先輩にキスがしたくて縮小薬を飲んで100分の1サイズで近づくのだが、途中で気づかれてしまったわたしは、逆に先輩に弄ばれてしまい……。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる