女王さまのオンナになった、僕。

臼井 さくら

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第10話 欲情の確認

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 それから数日が過ぎた。
 僕の世界は薄氷の上を歩くような緊張感に満ちていたけど、狩野さん……蓮菜さん、という強固な支柱のおかげで、なんとか崩壊を免れていた。

 放課後の行為、男性性の維持という治療名目のそれは日課となっていた。蓮菜さんの両親はわずかな期間だけ帰国して、またすぐに海外公演の旅に出てしまったのだ。会えなかった期間、蓮菜さんはずっと苛々した様子だった。その分、久しぶりの治療は、長く深く、重いものだった。
 僕は男としての尊厳を削り取られながら、女としての快楽に沈む。そんな倒錯した日々を彼女に強いられていたのだ。

 ある日の放課後。
 蓮菜さんが用事で職員室に呼ばれたため、僕は珍しく一人で校門を出た。
 なるべく目立たないように下を向いて早足で歩く。いまの僕は、周囲の視線がなによりも怖い。

 「よう、日高じゃん!」

 と、不意に背後から声をかけられた。びくりと肩が跳ねる。聞き覚えのある、太い声。
 振り返ると、そこには中学時代からの友人、大輝だいきが立っていた。いまは別のクラスで、最近はめっきり疎遠になっていた相手だ。

 「げっ……大輝」
 「なんだよその反応。冷てえなぁ」
 
 大輝はニカッと笑って、僕の肩をばんばんと叩いた。その衝撃が華奢になった身体には予想以上に響く。痛い、と言いそうになるのを必死で飲み込む。

 「最近お前、付き合い悪いじゃん。なんかコソコソしてるし」
 「あ、あはは……ちょっとね、勉強とか忙しくて」
 「嘘つけ。お前が勉強なんてガラかよ」

 大輝は疑いの眼を向けてくる。
 彼は昔から勘が鋭い。いま、いちばん会いたくない相手だったのだ。

 「まあいいや。久しぶりにカラオケ行こうぜ。駅前に新しい店できたんだよ」
 「え……いや、今日はちょっと……」
 「いいじゃんかよ。一時間くらい。奢ってやるからさ」

 強引に腕を引かれる。
 その力強さに、僕は自分が男であることを忘れそうになる。圧倒的な、オスの力。

 「ほんとに、ダメなんだってば……!」
 「いいからいいから。ちょっとくらい、付き合えっての!」

 拒絶し続ける僕に、大輝が苛立ちを露わにした。
 掴まれた手首に力がこもる。

 「痛っ……!」

 鋭い痛みに思わず声が出た。
 それは自分でも驚くほど高く、艶のある悲鳴だった。

 「……は……?」

 大輝が動きを止める。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、僕を見つめている。

 「おい、なんだよいまの声……お前、なんか……変だぞ?」
 「ち、違う、いまのは……」
 「マジでなんなんだよ。気持ち悪いな」

 不審そうに眉をひそめ、それでも手を離そうとしない。
 さらに強く引かれ、僕はバランスを崩して彼の胸元に倒れ込みそうになる。
 男の匂い。それがいまの僕にはひどく暴力的な、そして自分と異質の存在のものに感じられた。

 「はな……して」
 「あら、奇遇ね」

 そのとき、凛とした声が背中からかけられた。
 僕と大輝のあいだにすっと細い手が割って入る。

 「ひより君、ここにいたの。探しちゃった」

 蓮菜さんだった。
 いつの間に来ていたのだろう。彼女は涼しい顔で身体を差しはさんできた。大輝も気圧されたように足を引き、僕の腕から手を離す。

 「……誰?」

 大輝が呆気にとられたように訊く。
 美少女の突然の登場に明らかに動揺している。

 「えっと、その、彼女は……」
 「初めまして。同じクラスの狩野です」

 僕が言い淀むのを遮り、彼女は完璧な笑顔で自己紹介をした。
 
 「えっ、狩野って……あの有名な、狩野蓮菜? マジで?」
 「あはは。あの、って、どんなあのなんだろう。うん、ひより君とは仲良くさせてもらってます」

 彼女は自然な動作で僕の腕を取り、大輝から引き剥がした。そして所有物であることを誇示するように、僕の腕に自分のそれを絡める。柔らかい感触。甘い香り。
 大輝の目が点になった。

 「仲良くって……え、もしかして、彼女?」
 「ち、ちがうよ! そんなんじゃ……」
 「そうだよ」

 僕の否定を、彼女の肯定が上書きした。
 こともなげに。まるで、今日の天気の話でもするかのように。

 「えっ!」
 「ふふ、驚いた? わたしたち、付き合ってるの」

 嘘だ。
 けれど、彼女の瞳は笑っていなかった。
 合わせなさい。
 無言の圧力が僕の口を封じる。

 「……お前、いつの間に、こんな子と……」

 大輝は羨望と嫉妬が入り混じった目で僕を見た。完全に蓮菜さんのペースに飲まれている。
 そんな彼に流し目を送ってから、蓮菜さんは僕に視線を向けた。

 「で、カラオケに行く話だったのかしら?」
 「あ、うん……そうなんだけど」
 「いいわね。わたしも行っていい?」

 予想外の提案に、僕と大輝は同時に顔を見合わせた。
 
 「え、狩野さんが? 俺らと?」
 「ええ。ひより君の友達なら、仲良くなりたいし……行くよね? ひより」

 彼女が僕に上目を向ける。背丈はほとんど変わらないのに、あえてそうしているのだ。
 小首をかしげる仕草は可憐だが、その目は拒否権はないと告げていた。
 僕の交友関係すらもみずからの監視下に置こうとしているのだ。
 
 「う、うん……」

 僕は小さく頷いて、きゅっと目を瞑った。



 駅前のカラオケ店。
 通された個室は狭く、空調が効いていない。機械の熱気が籠もっていた。
 長いソファに大輝、僕、蓮菜さんの順に腰を下ろす。
 大輝はさっそく流行の曲を選び、マイクを握って熱唱し始めた。僕は二人に挟まれてひたすら俯き、縮こまっている。隣の蓮菜さんはすました顔で優雅にアイスティーを飲んでいる。

 暑い。
 空調が弱いのもそうだし、なんだか身体の奥が火照る。
 ホルモンバランスの乱れによるホットフラッシュだろうか。それとも、この状況へのストレスか、隣にいる蓮菜さんに身体が勝手に反応しているのか。
 汗が首筋を伝う。制服のカッターシャツが肌に張り付いて不快だ。

 「ふぅ……」

 無意識だった。
 僕はシャツの胸元を指で摘み、ぱたぱたとあおいで風を送った。
 第二ボタンまで開けた隙間に、白く滑らかな鎖骨と、うっすらと膨らみ始めた胸の谷間とが覗く。

 「……っ」

 気がつくと、歌い終わった大輝がマイクを握ったまま固まっていた。
 僕の右側に立って見下ろしている彼の視線が、胸元に釘付けになっている。無防備に晒された白い肌。汗ばんで艶めく首筋。そして、男にしてはあまりにもしなやかな手つき。どれも彼の視線を感じるまで気がつかなかった。慌てて襟元を合わせ、顔を背ける。

 「日高……お前、なんか……」

 大輝がゴクリと喉を鳴らした。
 その瞳に浮かんでいるのは、友人に向ける色ではない。紛れもない、女を見る目。生々しい欲望の光だった。

 「あら、いけない」

 すっ、と視界が遮られた。蓮菜さんが僕の前に身を乗り出したのだ。
 彼女は手にしたおしぼりを僕の首筋にそっと押し当てた。ひんやりとした冷たさに僕は小さく声を漏らす。

 「ひゃっ」
 「汗、かいてるじゃない。風邪ひくよ」

 甲斐甲斐しい彼女の仕草。けれど、それは巧妙な目隠しだった。
 大輝から僕の肌を隠し、同時に所有権を主張しているのだ。強烈な牽制。同時に大輝へ視線を向け、眉を上げる。なにか、とでもいうような表情。

 「あ、ああ……悪い。なんか日高、雰囲気変わったなって思って」

 大輝がバツが悪そうに視線を逸らす。
 我に返ったのか、耳まで赤くなっている。男友達に欲情しかけた自分への動揺が見て取れた。

 「うふふ、そうでしょ。最近、体質かわったんだもんね、ひより。肌が綺麗になったってよく言われてる。わたしのケアのおかげだね」

 蓮菜さんは余裕たっぷりに微笑んだ。
 大輝は腰を下ろし、選曲用のタブレットを意味もなくいじりだした。
 僕もまた、自分の身体が大輝にどんな反応を引き起こしたのかを自覚し、恥ずかしさで縮こまるしかない。なにも言えない。気まずい。
 もじもじとする男ふたり……いや、ひとりと半分。
 甘酸っぱいような、背徳的なような、薄い桃色の空気が漂う。

 と。
 かしゃん。グラスを置く音がやけに大きく響いた。
 振り返ると、蓮菜さんが立ち上がっていた。

 「ひより」
 「は、はい」
 「ちょっと来て……汗、拭きに行きましょう」

 彼女の声は低く、拒絶を許さない響きがあった。
 有無を言わせず僕の腕を引く。

 「あ、大輝、ごめん。ちょっと……」
 「お、おう。行ってこいよ」

 大輝の安堵したような声を背に、僕は蓮菜さんに引きずられるようにして部屋を出た。
 廊下に出ても、彼女の歩みは止まらない。
 トイレの表示が見える。
 青いマークと、赤いマーク。
 当然、僕は青い方へ向かおうとした。

 「こっちよ」

 ぐい、と強く引かれた。
 彼女が扉を開けたのは、赤いマーク――女子トイレの方だった。

 「えっ、ちょっ、蓮菜さん、ここは……!」
 「いいから」

 抵抗する間もなく中に押し込まれる。幸い、誰もいなかった。
 彼女は僕を一番奥の個室に連れ込み、背後の鍵をかちゃりと回した。
 ふたりの匂いが混ざり合い、密室に充満する。

 「れ、蓮菜さん、まずいってば。誰か来たら……」
 「……」

 彼女は何も言わない。
 ただ、じっと僕の目を見つめている。
 その瞳の色に、僕は息を呑んだ。

 あの目だ。
 寝室で僕をはじめて壊したときと同じ、捕食者の目。
 嫉妬と、独占欲と、昏い怒りが渦巻いている。

 「……嬉しそうだったね」

 ぽつりと、彼女が言った。

 「え……?」
 「彼に見られて。男の欲情を向けられて……満更でもなさそうに、もじもじして」
 「ち、ちがうよ! 僕はただ、困って……」
 「嘘」

 彼女が一歩、詰め寄る。
 僕は便座の上に腰を落とす形になった。さらに背後のタンクに追い詰められる。

 「男としての君を守るって言ったけど、君自身がそれを望まないなら話は別だからね」

 彼女の手が伸びてくる。
 僕のベルトのバックルに、細い指がかかった。

 「ねえ、まさか……彼に欲情とか、してないよね?」
 「し、してない! 絶対にしてない!」
 「どうかしら。身体は、男の視線を浴びて喜んでたんじゃない?」

 かちゃり、とベルトが外される音が、死刑執行の合図のように響いた。

 「確認させて……ここが、どうなってるか」

 彼女の冷たい手が、ズボンの中に滑り込んでくる。
 女子トイレという禁断の場所で、誰かが入ってくるかもしれない恐怖の中で。
 だけど僕の身体は、自分でも信じられないような熱を持っていたのだ。

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