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第17話 検査
しおりを挟む教室でも、学校の外でも、蓮菜さんと会わない時間は静かに過ぎていった。
顔をあわせても言葉を交わさなかった。かといって完全に無視し合うわけでもなく、すれ違いざまに視線が絡み、すぐにほどける。そんな微妙な距離感。周囲もなにか察しているらしいけど、相変わらず誰もなにも言ってくるわけでもない。
奇妙なほどに無音な日常。
その間にも、僕の身体は着実に女のそれへと変貌を遂げていた。
制服のズボンは腰回りが緩くなり、逆にヒップラインはきつくなっていた。毎朝、鏡を見るたびに知らない少女の輪郭が濃くなっていく。睫毛が長くなってきた。女になった男の睫毛や髪が勝手に長くなるのはアニメのなかだけだと思っていたけれど、髪の毛はともかく、睫毛や産毛はホルモンの影響で長さが変わるんだということを知った。
不安でたまらない。
それでも、僕は蓮菜さんに助けを求めなかった。
自分で、自分を見つめ直さなきゃ。僕が、どうしたいのか。僕はなにものなのか。
男として生きていきたいのか、女であることを、選ぶのか。
毎晩のようにネットで似たような状況のひとを探した。けれど、目ぼしいものは見つからない。蓮菜さんが言っていたように、当事者も、そして国や病院も、こういう現象があるということを隠しているんだろう。
病院には相変わらず相談していない。蓮菜さんがまいにち検査漬けになったと言っていたことが引っかかっていたし、結局、それだけの検査のあとで、身体にとっては大きな変化だけど病気ではない、といってなんの処方もなく放り出されたらしいのだ。
誰にも頼れない。
僕が、自分で決めなきゃいけないんだ。
どうやって生きるのか。
両親は相変わらず、腫れ物に触れるように接してくる。
学校へ行き、体育以外はふつうに過ごし、帰ってきて宿題をして、眠る。
そうやって繰り返す日常のなかで、蓮菜さんの肌の匂いをほんの少し忘れかけていた頃、週末のことだった。
僕は参考書を買いに、少し離れた街の書店に来ていた。
その帰り道、路地裏から怒鳴り声が聞こえたのだ。
「おい、無視すんなよ」
「や、やめてください……!」
見ると、他校の女子生徒が、いかつい男子数人に囲まれていた。
足が竦んだ。
いまの僕は、あの子と同じくらい無力だ。もともと喧嘩なんてできないし、力でも勝てないけれど、もう肉食獣と獲物ほどに世界が違ってしまっている。
けれど、あの日の保健室での記憶がフラッシュバックした。
意図せずに無防備な姿を晒されてしまった、あの恐怖。あの子がいま感じている絶望が痛いほど理解できてしまった。
「……あの、嫌がって……る、から」
気がつくと、僕は進み出ていたのだ。小さく声を出す。緊張で裏返ったただでさえ高い声は、完全に女の子のものに聴こえていたはずだ。
男子たちが一斉に振り返る。
「あぁ? ……なんだ、女かよ。こいつのオトモダチか?」
ひとめで、女、と言われてしまった。
そのことに僕は、思わず逆上していたのだ。
「ぼ、ぼく、は……男だ! そ、その子を離せ!」
「はっ、男だぁ? そんなナリでかよ。笑わせんな」
ひとりが僕に掴みかかってきた。
抵抗しようとしたけれど、腕力はまるで通用しなかった。簡単に突き飛ばされ、アスファルトに叩きつけられる。
「うぐっ……!」
肩から落ち、その拍子にあたまの横を打ち付けた。激痛。視界がぐらりと揺れた。
倒れたまま動けない僕を見て、男たちは引き攣った声を出した。
「おい、やべぇ、なんか血ぃ出てるし」
「逃げるぞ!」
男たちは慌てたように走り去っていった。
助けたはずの女子生徒も、パニックになったのか、ごめんなさいと叫んで逃げてしまった。
取り残された僕は痛む身体を起こそうとして、がくりと崩れ落ち、そのまま意識を失ったのだ。
◇
目が覚めると、消毒液の匂い。
白く無機質な天井。点滴のチューブ。
病院のベッドだ。
「気がついた?」
白衣を着た女性の医師がカーテンを開けて入ってきた。
「怪我は大したことないわよ。脳震盪と、擦過傷。頭を軽く打っているけどレントゲンに異常なし」
「あ……はい、すみません」
「謝らないで。君、女の子を助けたんでしょ。救急車を呼んでくれた周りの商店のひと、病院までついてきて警察に状況を説明してくれて。みんな君の心配してたんだから」
そういい、少し笑ってから、いちど言葉を止める。
どこか言いづらそうな、複雑な色が表情に浮かんでいた。
「……それ、で……ね。あなたの意識がないあいだに、いろいろ検査させてもらったんだけど」
きた、と思った。
ずっと避けていた病院。どこかで必ず、知られることにはなると覚悟していた。
それでも、手が震える。唇を噛み締めて、俯いてしまう。
「あなた、自分の身体のこと……知ってる、のよね」
「……はい」
先生は手元のカルテに視線を落とした。
そこに書いてある文字は大きくはないけれど、僕には迫ってくるように見えたのだ。
『特発漸進性性別移行症候群』
「……ご両親はこのこと、知っているのよね?」
「……はい、あの、一応……」
「いつからだったの。血液検査のホルモン値、もうほとんど完全に女性のそれよ。身体の構造もかなり変化が進んでる。学校とか、どうしているの? 先生とはちゃんとおはなし、してる?」
答えられずにいると、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
がらっ、と扉が開く。
「ひより!」
父さんと母さんだった。
警察からの連絡で飛んできたのだろう。二人は僕の無事を確認すると安堵の表情を浮かべた。ただ、すぐに先生の方へ視線を移す。不安げに向けられた目に、先生は頷いて別室を示したのだ。
「ひよりさん、先生はご両親とすこしお話ししてくるから。看護師が病室に案内します」
「……病室」
「ええ。少しのあいだ、入院してもらうことになると思う。頭を打っているし、他のこともあるから」
◇
それから、五日。
僕はずっと入院を余儀なくされている。
怪我はもう、なんともない。痛みもないし、傷も塞がりかけている。
ただ、毎日のようにいろいろな検査を受けているのだ。
両親はあの日、長いあいだ先生と話していたらしい。夜になって、個室のベッドに寝ていた僕のところにやってきて、しばらく入院することになったからね、とだけ言って、誤魔化すように笑って帰っていったのだ。
入院の理由を尋ねることは、できなかった。
入院の翌日に、蓮菜さんからメッセージが届いていた。
大丈夫? という短いものだった。
たぶん学校で、僕が怪我をして入院した、と説明があったのだろう。
ごめん心配かけて、たいしたことないから大丈夫、とだけ返しておいた。すぐに既読がついて、でも、それきり。この間のこともあるし、入院している僕に配慮しているのもあるだろう。
スマホを置いて、僕はため息をついた。ちょうどいい機会なんだ、と、思おうとしていた。
◇
一週間ほどで退院と聞かされていたけれど、もう、十日目。
今日は東京の大きな病院の先生だという初老の男性の診察だという。
午前中、長い時間、話を聞かれた。言いたくないことをたくさん言わされた。
いつから、どう変化していったのか。男性器の機能はどうなのか。女性の部分の感覚は。性欲は変化したのか。男性に欲情することはあるのか。
そして、この病院の検査は血をとったり画像を撮ったりするだけのものだったけど、その先生は別の検査をすると短く告げたのだ。
入ったことがない部屋に通された。女性の看護師さんがひとりついているだけ。示された椅子は、歯医者さんのものが大きくなったようなかたちをしていた。でも、なにか変だ。足が乗る部分に、ふたつの大きな機械の腕のようなものがついている。その上はクッション。
「はい、そこに座って」
書類に目をおとしたまま、冷たい口調で言葉を発する男性医師。
看護師さんに促され、階段を登るようにその椅子に座る。
「足、乗せて。そこに」
「え」
「両足を、開いて。その機械に乗せて」
看護師さんが僕の足に手を添えた。持ち上げ、右と左の機械に足を乗せられる。
男性医師がスイッチを入れると、ぶううん、と低い音とともに椅子の足の部分が持ち上がり、同時に機械の腕が左右に開いていった。そこに乗せている僕の足も、持ち上げられながら開いてゆく。
検査着の下には、なにも着けていない。下着もつけないように言われていた。
だからいま、医師の目の前に、僕のその部分が大きく開いて晒されているのだ。
「や、やだ」
「検査だからね。我慢して」
男性医師は感情を乗せない声を出すと、横からなにかの器具を取り出した。先端が丸く太い、棒のようなもの。
そこになにかぬるっとしたものを塗り、僕の方へ差し出してくる。
冷たい、と思った直後。
ぐい、と遠慮のない力で、それは僕のなかで押し入れられたのだ。
「い、痛い……!」
医師も看護師もなにも答えない。そのまま器具は僕の奥のほうへ押し進んでくる。涙が滲んだ。未成熟なその部分を押し広げられた痛み。男でも女でもない部分を無造作に観察される恥ずかしさ。そして――蓮菜さんにしか見せたことのないそこを、蹂躙されたという悔しさ。
塗られた液体が、ぬっちゃ、ぐっちゃ、という音を出す。蓮菜さんの指が入ってきたときと似た音。でも、なにもかもがぜんぜん違う。
(蓮菜、さん……!)
僕は声を出さずに、喉の奥で彼女の名前を呼んでいた。
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