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国王、勇者が逃げたので、魔王に降伏して「王のおじいちゃん」を目指す
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アルカディア王国の象徴たる玉座の間。 高い天井には歴代の王たちの功績を称える壮麗なフレスコ画が描かれ、磨き上げられた大理石の床には、窓から差し込む陽光が幾何学的な模様を描き出していた。本来であれば、そこは一国の政を司る厳粛な静寂に包まれているべき場所である。
しかし、その時、あらゆる装飾を震わせるような、形容しがたい絶叫が響き渡った。
「……今の声は何だ? 珍しい南方の鳥でも迷い込んできたのか?」
窓の外、遠く離れた塔の頂から届いた凄まじい叫びを聞き、国王は怪訝そうに空を見上げた。その瞳には、自国の王女である娘がプライドを砕かれて発した断末魔であるという認識は微塵もない。
「いえ、陛下。おそらくシャルロット様の――」
傍らに控える大臣が、冷や汗を拭いながら事実を告げようとした。しかし、国王は重厚な王冠が載った頭を振って、その言葉を遮った。彼にとって、奇声の主の正体よりも優先すべき「現実」が目の前にあった。先ほど、姫の侍女から届けられた衝撃的な報告である。
「そんなことより、勇者が逃げ出したというのは事実か? 姫は『使命を果たすため』などと言っているようだが、そんな言葉を鵜呑みにできるほど、わしは若くないぞ」
国王は、年季の入った革張りの椅子に深くもたれかかり、沈黙した。玉座の間を支配する空気が、急激に冷え込んでいく。
(勇者のやつめ。逃げるということは、何らかのやましいことがある証拠だ。やはり、わしが危惧していた通り、魔王側と結託しておるのか? 早々に処断しておくべきだったか……。いくら、わしの孫の親となる男だとしても、罪は罪。裏切りは断じて許されん)
国王の思考は、疑心暗鬼の迷宮をさまよっていた。やはり大臣が言う通り、大陸を焦土にする禁忌の呪法を発動させるべきか。それとも、逃げた勇者を追撃し、見せしめに処刑すべきか。
(まったく……シャルロットが子どもを身ごもったなどと言わなければこんなことにはならなかったのだ。わしも孫ができることそれ自体は嬉しいし、シャルロットが報告したときは有頂天になってしまったが、よく考えれば、複雑な状況だ。やれやれ――)
その時、国王の脳内に、稲妻が走り抜けた。
「……ん? 待てよ。ちょっと待てよ!」
国王はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。その勢いで、卓上の羊皮紙が数枚宙を舞う。彼は何かに取り憑かれたように、玉座の前で激しく往復し始めた。カツ、カツと、高級な革靴が大理石を叩く音が、静かな広間に不気味に響く。
「勇者がわしの座を奪って王になる可能性がある……。しかしだ、シャルロットの腹には勇者の子種が宿っている。ということはだ……整理してみろ、わしよ……」
国王の歩みが止まった。その瞳が、これまで国の存亡を賭けた軍議でも見せたことがないほど、キラキラと少年のように輝き始める。
「勇者が次の王になったとして、その次の王は、勇者とシャルロットの子供……つまり、わしの孫ではないか! 孫が王になれば、わしは『王のおじいちゃん』として、院政を振るえるではないか!」
「……へ、陛下?」
大臣が困惑の声を上げたが、もはや国王の耳には届いていなかった。国王の脳内では、既に「平和な老後」という名のバラ色の未来予想図が完成していたのである。
「『おじいちゃん』……。ああ、なんていい響きだ。これこそが王に与えられる真の報酬ではないか。わしは孫を膝に乗せて、『よいか、政治というのはな……』と耳打ちするだけで、実権を握り続けられる。勇者が王でいる間は、やつに面倒な政務や陳情、軍備の管理をすべて押し付け、わしは美味しいお菓子と孫に囲まれて暮らせばいいのだ!」
国王は力強く拳を握りしめ、まるで聖戦の開始を告げるかのような厳粛な顔で、高らかに宣言した。
「よし! 決めたぞ! 降伏だ! 魔族に降伏する!」
「は、はいいいっ!? こ、降伏、でございますか!?」
大臣の絶叫が玉座の間に反響した。
「そうだ! 魔王に降伏して、勇者を『平和の象徴』として婿に迎え入れればすべて解決だ! いったんは、わしの命に従って、王都まで帰って来た男だ。わしを殺すことはすまい。今はよっぽどだ。やつが愛するわしの娘にわしの孫が宿っているのだからな。院政計画の始まりだ!」
「い、院政? へ、陛下、勇者は今や逃亡の身、魔王軍と結託している可能性が濃厚なのですぞ。今こそ、禁忌の呪法を発動させるべきです。今、新たな生贄候補を選出しておりますので!」
大臣が必死の形相で詰め寄る。国王は鼻で笑い、窓の外に広がる美しい王都の景色を眺めた。
「禁忌の呪法だと? そんなもん、もういらん! 孫に、焦土になった国を残してどうするのだ! 孫が『おじいちゃん、この国、黒こげで何もないよ』と泣き出したら、わしはどう責任を取ればいい!? わしは平和な国で、おじいちゃんとして、クッキーでも頬張りながら君臨したいのだぁぁぁ!」
国王の叫びは、もはや国家の主権などという矮小な概念を遥かに超越していた。
「大臣、今すぐ魔王軍に無条件降伏の使者を出せ! 『勇者を婿にして次の王として迎えるから、もう戦うのはやめよう』と伝えるのだ。あと、勇者を探し出せ。あやつがいないと、わしの計画が始まらん!」
「……陛下、本気でございますか」
「本気だ。これほど本気だったことは、生まれてこのかた一度もない」
国王は、まるで長年の重荷を下ろしたかのような清々しい表情で、再び玉座に深く沈み込んだ。大陸を揺るがす大戦の火種は、一人の老王の「孫を膝に乗せたい」という、あまりにも個人的で、あまりにも強烈な欲望によって、あっさりと消し止められようとしていた。
しかし、その時、あらゆる装飾を震わせるような、形容しがたい絶叫が響き渡った。
「……今の声は何だ? 珍しい南方の鳥でも迷い込んできたのか?」
窓の外、遠く離れた塔の頂から届いた凄まじい叫びを聞き、国王は怪訝そうに空を見上げた。その瞳には、自国の王女である娘がプライドを砕かれて発した断末魔であるという認識は微塵もない。
「いえ、陛下。おそらくシャルロット様の――」
傍らに控える大臣が、冷や汗を拭いながら事実を告げようとした。しかし、国王は重厚な王冠が載った頭を振って、その言葉を遮った。彼にとって、奇声の主の正体よりも優先すべき「現実」が目の前にあった。先ほど、姫の侍女から届けられた衝撃的な報告である。
「そんなことより、勇者が逃げ出したというのは事実か? 姫は『使命を果たすため』などと言っているようだが、そんな言葉を鵜呑みにできるほど、わしは若くないぞ」
国王は、年季の入った革張りの椅子に深くもたれかかり、沈黙した。玉座の間を支配する空気が、急激に冷え込んでいく。
(勇者のやつめ。逃げるということは、何らかのやましいことがある証拠だ。やはり、わしが危惧していた通り、魔王側と結託しておるのか? 早々に処断しておくべきだったか……。いくら、わしの孫の親となる男だとしても、罪は罪。裏切りは断じて許されん)
国王の思考は、疑心暗鬼の迷宮をさまよっていた。やはり大臣が言う通り、大陸を焦土にする禁忌の呪法を発動させるべきか。それとも、逃げた勇者を追撃し、見せしめに処刑すべきか。
(まったく……シャルロットが子どもを身ごもったなどと言わなければこんなことにはならなかったのだ。わしも孫ができることそれ自体は嬉しいし、シャルロットが報告したときは有頂天になってしまったが、よく考えれば、複雑な状況だ。やれやれ――)
その時、国王の脳内に、稲妻が走り抜けた。
「……ん? 待てよ。ちょっと待てよ!」
国王はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。その勢いで、卓上の羊皮紙が数枚宙を舞う。彼は何かに取り憑かれたように、玉座の前で激しく往復し始めた。カツ、カツと、高級な革靴が大理石を叩く音が、静かな広間に不気味に響く。
「勇者がわしの座を奪って王になる可能性がある……。しかしだ、シャルロットの腹には勇者の子種が宿っている。ということはだ……整理してみろ、わしよ……」
国王の歩みが止まった。その瞳が、これまで国の存亡を賭けた軍議でも見せたことがないほど、キラキラと少年のように輝き始める。
「勇者が次の王になったとして、その次の王は、勇者とシャルロットの子供……つまり、わしの孫ではないか! 孫が王になれば、わしは『王のおじいちゃん』として、院政を振るえるではないか!」
「……へ、陛下?」
大臣が困惑の声を上げたが、もはや国王の耳には届いていなかった。国王の脳内では、既に「平和な老後」という名のバラ色の未来予想図が完成していたのである。
「『おじいちゃん』……。ああ、なんていい響きだ。これこそが王に与えられる真の報酬ではないか。わしは孫を膝に乗せて、『よいか、政治というのはな……』と耳打ちするだけで、実権を握り続けられる。勇者が王でいる間は、やつに面倒な政務や陳情、軍備の管理をすべて押し付け、わしは美味しいお菓子と孫に囲まれて暮らせばいいのだ!」
国王は力強く拳を握りしめ、まるで聖戦の開始を告げるかのような厳粛な顔で、高らかに宣言した。
「よし! 決めたぞ! 降伏だ! 魔族に降伏する!」
「は、はいいいっ!? こ、降伏、でございますか!?」
大臣の絶叫が玉座の間に反響した。
「そうだ! 魔王に降伏して、勇者を『平和の象徴』として婿に迎え入れればすべて解決だ! いったんは、わしの命に従って、王都まで帰って来た男だ。わしを殺すことはすまい。今はよっぽどだ。やつが愛するわしの娘にわしの孫が宿っているのだからな。院政計画の始まりだ!」
「い、院政? へ、陛下、勇者は今や逃亡の身、魔王軍と結託している可能性が濃厚なのですぞ。今こそ、禁忌の呪法を発動させるべきです。今、新たな生贄候補を選出しておりますので!」
大臣が必死の形相で詰め寄る。国王は鼻で笑い、窓の外に広がる美しい王都の景色を眺めた。
「禁忌の呪法だと? そんなもん、もういらん! 孫に、焦土になった国を残してどうするのだ! 孫が『おじいちゃん、この国、黒こげで何もないよ』と泣き出したら、わしはどう責任を取ればいい!? わしは平和な国で、おじいちゃんとして、クッキーでも頬張りながら君臨したいのだぁぁぁ!」
国王の叫びは、もはや国家の主権などという矮小な概念を遥かに超越していた。
「大臣、今すぐ魔王軍に無条件降伏の使者を出せ! 『勇者を婿にして次の王として迎えるから、もう戦うのはやめよう』と伝えるのだ。あと、勇者を探し出せ。あやつがいないと、わしの計画が始まらん!」
「……陛下、本気でございますか」
「本気だ。これほど本気だったことは、生まれてこのかた一度もない」
国王は、まるで長年の重荷を下ろしたかのような清々しい表情で、再び玉座に深く沈み込んだ。大陸を揺るがす大戦の火種は、一人の老王の「孫を膝に乗せたい」という、あまりにも個人的で、あまりにも強烈な欲望によって、あっさりと消し止められようとしていた。
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