騎士が花嫁

Kyrie

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番外編 騎士が花嫁こぼれ話

59. 窓辺の花

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ざっざっとリズミカルな足音が近づいてくる。
ドアが開けられる前にこちらが開けてやると、大きく輝いた顔を上気させたリノが走ってきた勢いのまま家に入り、俺に抱きつく。

「ジュリさん、ただいまっ!」

彼を抱き留めたかと思うと、リノはそのまま唇を重ねてくる。
それを避けることなく俺も唇で受け止める。

「おかえり、リノ」

「俺が帰ってくるの、よくわかったね」

俺は何も言わず、リノの頬にキスをするとすぐに食卓の用意をする。
リノが帰ってくる足音を何年聞いていると思う。
あの、足枷を外すためにいつも走って帰ってきていた足音から今に至るまでずっと。
間違うはずがない。



テーブルに夕飯を並べ、二人で向かい合って食べる。
よほどお腹が空いていたのか、リノはがつがつと食べている。

「もっと落ち着いて食べたらどうだ、先生」

「ぐっ、ややややめてよ、ジュリさん!」

からかうと、リノは少しだけ落ち着いて食べ始めた。
いい食べっぷりだ。


リノは俺が「先生」と呼ぶのを好きではない。

「次の研修士が来るまで」と期限付きでリノはユエ先生の助手をしていた。
マグリカ新王が国を治めるようになり、落ち着いた頃、ユエ先生のところに研修士が来ることになった。
それまでにユエ先生に相談していたらしい。
自分がやりたいことに関する本をユエ先生から借り、リノは熱心に読み込んでいた。
俺がそれを知ったのは、リノが独学を始めてから随分経った頃だった。
ずっとユエ先生の助手を止めた後のことを考えていた。

「あ、ジュリさんに知れちゃったか。
はっきり決まってから言いたかったんだけど」

俺はクラディウス経由でそれを知った。
少し面白くなくて、ちょっとつっけんどんにリノに聞いてみた。
リノは俺のことは気にせず、カラリとそう言った。

「俺、子どもに読み書きと計算を教えたいんです」

リノはまっすぐに俺を見て言った。

「ジュリさんに文字を教わって、読み方も書き方も計算も教えてもらって、すごくよかった。
子どもに読み書き計算が必要なんだ。
そうしたら騙されることも少なくなるし、お役人さんが言っていることもわかる」

仕事でくたくたになりながら、質の悪い石板を使って文字を覚えていたリノの姿を思い出す。
私と結婚させられ、それでも食べていくためにもっと稼ぐために始めた勉強。


識字率を上げたいのはマグリカ王も考えていたことで、国でもその体制は整えられつつある。
しかし、なかなかすぐには動けない。
そうなると王よりクラディウスのほうが身軽に動けた。
ユエ先生からリノの思いを聞いていたクラディウスが、国の教育者育成の勉強をリノにさせながら、半分私設で街の子どもたちにすぐに文字を教える教室をリノに持たせた。
国の教育者育成には高学歴を修めた者が集められたが、彼らは貴族の子どもに勉強を教えたことはあれども、なにも知らない街の子どもになにかを教えるには役に立たないことも多かった。

リノには学歴はない。
しかし、自分の体験がある。
そこをクラディウスが買い、マグリカ王に直接売り込んだ。
どれだけ読み書き計算が大事なことで、将来が拓け、自分を守ることになるのかをリノならば街の子どもたちに伝えやすい。

だからリノは子どもたちから「先生」と呼ばれながら細々と文字や計算を教え、教育者として自らも学んでいる最中だ。



気持ちのいい食べっぷりで、最後の果物まで平らげ、リノはようやく満足した様子だった。

「久しぶりのジュリさんのご飯、おいしかったー!」

俺もクラディウスが率いる第三騎士団での任務がみっちりと詰まっているため、たまにある非番のときにしか、こうやってリノに食事を作ってやることができなくなってきた。
こういうときは決まって、リノは少し甘えたようになる。

片づけをすませると、ソファに並んで座り、身体を預けてくる。
ひどく疲れていると、ここでこっくりこっくりとリノは眠りだすのだ。

今夜のリノは眠りはしないものの、ぴったりと寄り添ったままだ。

「どうした、リノ?」

「ううん、なんでもないよ」


おそらくなにかあったのだ。
教育者育成の教室では、リノは異質だ。
あからさまではないものの、差別的な言動をする者も少なくなさそうだと、ユエ先生から聞いている。
そして、妻が元敵国の私だ。
これについてもつらく当たる者もいるだろう。
クラディウスが何か対策を立てているらしいが、簡単にはいかない厄介な相手が多いらしい。


「ジュリさんと一緒にいられてよかったなぁ、と思って」

「うん?」

「俺の世界を広げてくれたのはジュリさんだから」


リノが何も言わないのなら、私も何も聞くまい。
以前ほど、リノは思い詰めることが少なくなった。
リノが言い出すまで、待っていよう。

「私もリノと一緒にいられて嬉しいですよ」

「えへへ。
そうか、嬉しいな」

リノは私の肩に腕を回す。
私よりも小さくて細いことには変わりないが、もう出会った頃のリノではない。
たくましい成人した男だ。
私の首筋に顔を埋め、満足そうに笑っている。
私がリノの腰に腕をやり抱きしめた。

「ジュリさん」

「はい?」

「今度さ、『金の海猫亭』にご飯食べに行こうよ」

「いいですね」

「俺、がんばるからさ」

「はい」


なにか聞きたい気持ちをぐっと抑える。
私の方が見えるものが多いが、それを全部言ってしまえば、リノのためにならない。
自分で探したほうがいいし、リノはそれができる。

「リノ」

「なあに、ジュリさん」

私はなにも言わず、リノの頬に唇を落とす。
リノはくすぐったそうにそれを受けると、小さく「ありがと」と言って、私を強く抱きしめた。

多分、私が言いたいことはリノに伝わったと思う。
リノのことをそばで見続けるのは私なのだと。



窓辺に置いた小さな花瓶の花をリノは俺の腕の中から見ていた。
俺が非番の時には、カーティさんの言いつけを守って、花を活けている。

「今日の花も綺麗だね」

「ああ、そうだな」

そう言うと、リノは俺に身体をすり寄せてきた。
俺はすっぽりとリノを包むように抱きしめ返した。







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