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第8話
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和室で紋付き袴を藤代さんに脱がされると、熱い湯でしぼった手ぬぐいを渡された。
俺はまず、顔を拭い、そして身体も拭いた。
衝立の向こうでシノさんが着物を衣紋掛にかけ吊るしている衣擦れの音がした。
それから藤代さんの勧めで、身体が楽で温かい洋装に着替えた。
慣れないが、身体の締め付けが和装とは違い動きやすかった。
寒いからとせーたーというものも着せられた。
羊毛の糸を編んだもので、温かい。
少し気持ちが落ち着いた。
藤代さんは俺を伯爵様が待つお部屋に連れていった。
いつものそふぁには着替えた伯爵様が座っていた。
俺の姿を見ると腰を浮かしたが、中にいた中川さんがぎろりと伯爵様を見るとそのまままたそふぁに座った。
それは離れた位置だった。
だから俺がいつもの場所に座っても、伯爵様が真横にいて身体をぴったりと押しつけるようになることはなかった。
「キヨノさん、お茶はいかがですか。
もう夜遅いから、ほうじ茶にいたしましょう」
中川さんの勧めで俺はほうじ茶をいただいた。
ふうふうと息を吹きかけ、冷ましながらすする。
喉が渇いていたんだな。
「さて、キヨノさん」
「はい」
俺は両手で湯呑を持ち、中川さんを見た。
「キヨノさんがこのお屋敷にいらっしゃってから十日も経っているので、今さらですが幾つかお聞きしてもいいですか」
「はい」
「キヨノさんはどうしてこのお屋敷に来ることになったのか、あの日なにがあって、どう思っていたのか聞かせてください。
それから、楽な言葉遣いで構いませんよ。
話せることも話せなくなってはいけませんからね。
ゆっくりと、落ち着いて」
「はい」
なんで今さら、と俺も思ったが、中川さんの厳粛な声に言われたまま、思い出しながらぽつりぽつりと話していく。
「あの日、俺は田村様の屋敷の周りを掃除していた。
朝早くて、ちょっともやがかかっていた。
急に黒い自動車が停まって、驚いた。
そうしたら、中から伯爵様が出て来てまた驚いた。
すぐに伯爵様が俺の手を引っ張っていくからますます驚いた。
この人は何を言っているのだろう、って思った」
よくわからないまま伯爵様と田村様が話し、車に乗せられ、役所に連れていかれ、何度も名前を書き、そうしてここに連れてこられた。
と、俺はぶつぶつ途切れながらも話し終えた。
中川さんは大きく頷きながら聞いてくれるので、話しやすかった。
そして。
「要するにキヨノさんはよくわからないままこの屋敷に連れて来られ、気がついたら結婚していた、というわけですね」
「はぁ」
「なるほど、これで合点がいきました。
どういうことですか、旦那様」
「いや、私はきちんとキヨノさんに私の気持ちをお伝えして」
「伝えたつもりでも、伝わっていなかった。ということでしょう。
伝わるように伝えないと『伝わった』とは言わない、とお教えしたはずですがね」
「キヨノさん!」
「はい!」
突然、大声で伯爵様が俺の名前を呼んだ。
「まったく伝わっていなかったのでしょうか」
なにが?
「私は自分なりに貴方に愛を伝えたつもりだった」
あい?
「それなのに、全然伝わっていなかった?」
なにが?
本当にこの方はなにをおっしゃっているんだろう。
俺が首を傾げて伯爵様を見ているのを見て、中川さんがぼそりと言った。
「離縁されてもいいかもしれませんね、旦那様」
「!」
伯爵様はどんどんうなだれていく。
「キヨノさん」
「はい」
今度は伯爵様はお元気のない声で俺を呼んだ。
「私は一目貴方を見た時に雷に打たれたように感じました。
私の妻は貴方しかいない、と思いました」
「どうしてですか」
「理由は、わからない。
ただそう感じたのです。
貴方を守りたい、幸せにしたいと思いました。
ずっと一緒にいて、ずっとずっと暮らしていきたい、と思ったのです」
「はぁ」
「あの時の貴方はとてもお寒そうでした。
とにかく温めてあげたい、と思いました。
そしてどこにも行かせたくない、と思いました」
「はぁ」
「だからすぐに役所に書類を提出して手続きをしました。
もう貴方を田村さんのところに置いてはおけなかった」
「はぁ」
「こんな私のことは、お嫌いですか」
「さぁ」
俺が曖昧に答えてしまうと、伯爵様はますますうなだれてしまった。
好きとか嫌いとか、考えたことがなかった。
「わかりません。
俺、そんなこと考えたことがありません」
「そうですか」
さっきから伯爵様のお顔は真っ白で、今では真っ青になっている。
「伯爵様、大丈夫ですか」
俺はまじまじとお顔を見た。
綺麗なお顔は歪んでいて、目の下のほくろが泣きそうになっていた。
「苦しいですか。
おまじない、またしましょうか」
どうやっても具合の悪いひどいお顔だ。
早くお休みになったほうがいいかもしれない。
「……いいえ。
ありがとう、キヨノさん」
伯爵様は力なく首を振った。
「キヨノさん」
「はい」
中川さんに呼ばれて返事をする。
「伯爵と離縁することもできますよ」
「りえん?」
「結婚を解消することです。
そうすれば伯爵の妻ではなくなります」
「はぁ」
「伯爵様と離れたいですか」
「それは……」
どうなんだろう。
「よく、わかりません」
中川さんも何を言っているのだろう。
「田村様にも奥様がいらっしゃいました。
屋敷を切り盛りしたり、あれやこれやしていらっしゃいました。
俺は滅多にお会いすることもないから、詳しくは知らないけど。
あれをやれ、というのなら、俺にはできません。
今日、『妻』という女性を見てきました。
あれもできません」
「そんなことは私は望んでいませんよ、キヨノさん」
突然、伯爵様が力強い声を出した。
「できることならキヨノさんに私のことを好きになってもらって、愛してもらいたいと願っています。
しかし、一番大切なのはキヨノさんを幸せにすることです。
貴方に幸せに過ごしてほしい」
「はぁ」
「今日見た奥方のようになれとは望んでいません」
「はぁ」
「もう夜も遅いですね」
中川さんが言った。
「キヨノさん、いかがでしょう。
そんなにお嫌ではないのなら、しばらくこのままこのお屋敷にいらっしゃるというのは。
お二人のお話をお聞きして、中川は、いや恐らく藤代もシノも頭が痛くなっているはずですよ」
「え。俺のせいですか。
すみません」
「いいえ、旦那様のせいです」
「早くお休みになられたほうがいいのでは。
伯爵様もお顔の色が悪いし」
あんなに真っ青で寒いのだろうか。
こんなに暖炉が燃やされてこのお部屋はあったかいのに。
中川さんはちらりと伯爵様を見るだけだった。
「どこかあてがないのなら、もう少しここにいてみませんか。
そうですね、一か月くらい。
そしてこのお屋敷がお嫌いなら、また考えましょう。
伯爵に離縁状を叩きつけるお手伝いもいたしますよ」
「はぁ」
ここで放り出されても、行くところもないしな。
「お返事はよくよく考えてからでよろしいですよ」
「はい」
そう返事をしてちらりと横の伯爵様を盗み見るともうぐったりしていらした。
大丈夫か。
「ところでお夜食を召し上がりますか。
川崎が小さなうどんを準備していますよ」
「わぁ」
思わず声を上げてしまい、俺は慌てて俯いた。
行儀の悪い声を上げてしまった。
「いいんですよ、キヨノさん」
優しい伯爵様の声がした。
「そんなキヨノさんがたくさん見たいです。
お腹が空きましたね。
パーティではほとんど食べなかったから」
「それは残念でしたね。
宰相様のところのシェフも腕がいいと評判ですのに。
しかし、川崎も負けてはいませんよ」
川崎さんは俺たち五人に小さなお椀におうどんを作ってくれた。
熱くてうまかった。
食べ終わると中川さんに聞かれた。
「今夜はどうされますか。
和室でお休みになりますか」
「そうしたいのですが、伯爵様がそれでは眠れないのではないのか心配なので伯爵様と一緒に寝ます」
またお風邪をひいてはいけないし、明日もまたお仕事があるし、しっかり眠っていただかなくては。
中川さんと藤代さんとシノさんは大きくうなずいた。
伯爵様は?
ご迷惑かな。
ちらっと伯爵様を見る。
「はい」
伯爵様は小さくうなずきお返事をされた。
お腹がほっこりとふくれたところでおやすみの挨拶をし、伯爵様の隣の俺の部屋で寝間着に着替え、伯爵様の部屋に入った。
伯爵様も寝間着姿でベッドに腰掛けていた。
「キヨノさん、本当にいいんですか」
「?」
「和室で寝てもいいんですよ」
「ここでいいです」
「そうですか」
伯爵様に手を引かれ、俺はベッドに入った。
ああ、今日は疲れた。
本当に疲れた。
たくさんのことがあって、頭が沸騰しそうだ。
ベッドの布団はやわらかだな。
すぐに眠気がきそうだ。
「キヨノさん、抱きしめてもいいですか」
暗闇の中、伯爵様の声がした。
「はい」
ふっと笑ってしまう。
いつもこんなこと、聞かないくせに。
おずおずと伯爵様の腕が伸びてきて、俺はいつものように抱きしめられた。
赤ん坊じゃないんだけど。
そう思ったが、嫌な気にはならなかったし、緊張もしなかった。
むしろ気持ちよかった。
宰相様のお屋敷ではずっと伯爵様は俺のそばにいてくださった。
俺を守るように肩を抱いていた。
今も、守られているみたいだ。
そうか、俺も伯爵様を風邪から守らなくては。
俺もおずおずと手を伸ばし、伯爵様の背中に回した。
伯爵様は大きくてすぐに腕が外れそうになる。
思わず伯爵様の寝間着の背中を掴んだ。
「キヨノさん!」
「お風邪をひかないでください。
俺が守ってあげます」
伯爵様が息を飲む音がした。
息苦しいのかな。
「ありがとう、キヨノさん。
好きですよ」
「はぁ」
間抜けた返事をしてしまったが、伯爵様は怒らなかった。
「おやすみなさい、キヨノさん」
「おやすみなさい、なりあきさま」
お名前を呼ぶのを忘れていたの思い出し、呼んでみた。
途端にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
「苦しいです、なりあきさま」
「しばらくこうさせてください」
「む」
「貴方も風邪をひかないでください」
「はい」
言葉通り、伯爵様はしばらくそうしたのち、力を緩めてくれた。
俺は大きな背中に腕を回したまま、うとうととし始めた。
俺はまず、顔を拭い、そして身体も拭いた。
衝立の向こうでシノさんが着物を衣紋掛にかけ吊るしている衣擦れの音がした。
それから藤代さんの勧めで、身体が楽で温かい洋装に着替えた。
慣れないが、身体の締め付けが和装とは違い動きやすかった。
寒いからとせーたーというものも着せられた。
羊毛の糸を編んだもので、温かい。
少し気持ちが落ち着いた。
藤代さんは俺を伯爵様が待つお部屋に連れていった。
いつものそふぁには着替えた伯爵様が座っていた。
俺の姿を見ると腰を浮かしたが、中にいた中川さんがぎろりと伯爵様を見るとそのまままたそふぁに座った。
それは離れた位置だった。
だから俺がいつもの場所に座っても、伯爵様が真横にいて身体をぴったりと押しつけるようになることはなかった。
「キヨノさん、お茶はいかがですか。
もう夜遅いから、ほうじ茶にいたしましょう」
中川さんの勧めで俺はほうじ茶をいただいた。
ふうふうと息を吹きかけ、冷ましながらすする。
喉が渇いていたんだな。
「さて、キヨノさん」
「はい」
俺は両手で湯呑を持ち、中川さんを見た。
「キヨノさんがこのお屋敷にいらっしゃってから十日も経っているので、今さらですが幾つかお聞きしてもいいですか」
「はい」
「キヨノさんはどうしてこのお屋敷に来ることになったのか、あの日なにがあって、どう思っていたのか聞かせてください。
それから、楽な言葉遣いで構いませんよ。
話せることも話せなくなってはいけませんからね。
ゆっくりと、落ち着いて」
「はい」
なんで今さら、と俺も思ったが、中川さんの厳粛な声に言われたまま、思い出しながらぽつりぽつりと話していく。
「あの日、俺は田村様の屋敷の周りを掃除していた。
朝早くて、ちょっともやがかかっていた。
急に黒い自動車が停まって、驚いた。
そうしたら、中から伯爵様が出て来てまた驚いた。
すぐに伯爵様が俺の手を引っ張っていくからますます驚いた。
この人は何を言っているのだろう、って思った」
よくわからないまま伯爵様と田村様が話し、車に乗せられ、役所に連れていかれ、何度も名前を書き、そうしてここに連れてこられた。
と、俺はぶつぶつ途切れながらも話し終えた。
中川さんは大きく頷きながら聞いてくれるので、話しやすかった。
そして。
「要するにキヨノさんはよくわからないままこの屋敷に連れて来られ、気がついたら結婚していた、というわけですね」
「はぁ」
「なるほど、これで合点がいきました。
どういうことですか、旦那様」
「いや、私はきちんとキヨノさんに私の気持ちをお伝えして」
「伝えたつもりでも、伝わっていなかった。ということでしょう。
伝わるように伝えないと『伝わった』とは言わない、とお教えしたはずですがね」
「キヨノさん!」
「はい!」
突然、大声で伯爵様が俺の名前を呼んだ。
「まったく伝わっていなかったのでしょうか」
なにが?
「私は自分なりに貴方に愛を伝えたつもりだった」
あい?
「それなのに、全然伝わっていなかった?」
なにが?
本当にこの方はなにをおっしゃっているんだろう。
俺が首を傾げて伯爵様を見ているのを見て、中川さんがぼそりと言った。
「離縁されてもいいかもしれませんね、旦那様」
「!」
伯爵様はどんどんうなだれていく。
「キヨノさん」
「はい」
今度は伯爵様はお元気のない声で俺を呼んだ。
「私は一目貴方を見た時に雷に打たれたように感じました。
私の妻は貴方しかいない、と思いました」
「どうしてですか」
「理由は、わからない。
ただそう感じたのです。
貴方を守りたい、幸せにしたいと思いました。
ずっと一緒にいて、ずっとずっと暮らしていきたい、と思ったのです」
「はぁ」
「あの時の貴方はとてもお寒そうでした。
とにかく温めてあげたい、と思いました。
そしてどこにも行かせたくない、と思いました」
「はぁ」
「だからすぐに役所に書類を提出して手続きをしました。
もう貴方を田村さんのところに置いてはおけなかった」
「はぁ」
「こんな私のことは、お嫌いですか」
「さぁ」
俺が曖昧に答えてしまうと、伯爵様はますますうなだれてしまった。
好きとか嫌いとか、考えたことがなかった。
「わかりません。
俺、そんなこと考えたことがありません」
「そうですか」
さっきから伯爵様のお顔は真っ白で、今では真っ青になっている。
「伯爵様、大丈夫ですか」
俺はまじまじとお顔を見た。
綺麗なお顔は歪んでいて、目の下のほくろが泣きそうになっていた。
「苦しいですか。
おまじない、またしましょうか」
どうやっても具合の悪いひどいお顔だ。
早くお休みになったほうがいいかもしれない。
「……いいえ。
ありがとう、キヨノさん」
伯爵様は力なく首を振った。
「キヨノさん」
「はい」
中川さんに呼ばれて返事をする。
「伯爵と離縁することもできますよ」
「りえん?」
「結婚を解消することです。
そうすれば伯爵の妻ではなくなります」
「はぁ」
「伯爵様と離れたいですか」
「それは……」
どうなんだろう。
「よく、わかりません」
中川さんも何を言っているのだろう。
「田村様にも奥様がいらっしゃいました。
屋敷を切り盛りしたり、あれやこれやしていらっしゃいました。
俺は滅多にお会いすることもないから、詳しくは知らないけど。
あれをやれ、というのなら、俺にはできません。
今日、『妻』という女性を見てきました。
あれもできません」
「そんなことは私は望んでいませんよ、キヨノさん」
突然、伯爵様が力強い声を出した。
「できることならキヨノさんに私のことを好きになってもらって、愛してもらいたいと願っています。
しかし、一番大切なのはキヨノさんを幸せにすることです。
貴方に幸せに過ごしてほしい」
「はぁ」
「今日見た奥方のようになれとは望んでいません」
「はぁ」
「もう夜も遅いですね」
中川さんが言った。
「キヨノさん、いかがでしょう。
そんなにお嫌ではないのなら、しばらくこのままこのお屋敷にいらっしゃるというのは。
お二人のお話をお聞きして、中川は、いや恐らく藤代もシノも頭が痛くなっているはずですよ」
「え。俺のせいですか。
すみません」
「いいえ、旦那様のせいです」
「早くお休みになられたほうがいいのでは。
伯爵様もお顔の色が悪いし」
あんなに真っ青で寒いのだろうか。
こんなに暖炉が燃やされてこのお部屋はあったかいのに。
中川さんはちらりと伯爵様を見るだけだった。
「どこかあてがないのなら、もう少しここにいてみませんか。
そうですね、一か月くらい。
そしてこのお屋敷がお嫌いなら、また考えましょう。
伯爵に離縁状を叩きつけるお手伝いもいたしますよ」
「はぁ」
ここで放り出されても、行くところもないしな。
「お返事はよくよく考えてからでよろしいですよ」
「はい」
そう返事をしてちらりと横の伯爵様を盗み見るともうぐったりしていらした。
大丈夫か。
「ところでお夜食を召し上がりますか。
川崎が小さなうどんを準備していますよ」
「わぁ」
思わず声を上げてしまい、俺は慌てて俯いた。
行儀の悪い声を上げてしまった。
「いいんですよ、キヨノさん」
優しい伯爵様の声がした。
「そんなキヨノさんがたくさん見たいです。
お腹が空きましたね。
パーティではほとんど食べなかったから」
「それは残念でしたね。
宰相様のところのシェフも腕がいいと評判ですのに。
しかし、川崎も負けてはいませんよ」
川崎さんは俺たち五人に小さなお椀におうどんを作ってくれた。
熱くてうまかった。
食べ終わると中川さんに聞かれた。
「今夜はどうされますか。
和室でお休みになりますか」
「そうしたいのですが、伯爵様がそれでは眠れないのではないのか心配なので伯爵様と一緒に寝ます」
またお風邪をひいてはいけないし、明日もまたお仕事があるし、しっかり眠っていただかなくては。
中川さんと藤代さんとシノさんは大きくうなずいた。
伯爵様は?
ご迷惑かな。
ちらっと伯爵様を見る。
「はい」
伯爵様は小さくうなずきお返事をされた。
お腹がほっこりとふくれたところでおやすみの挨拶をし、伯爵様の隣の俺の部屋で寝間着に着替え、伯爵様の部屋に入った。
伯爵様も寝間着姿でベッドに腰掛けていた。
「キヨノさん、本当にいいんですか」
「?」
「和室で寝てもいいんですよ」
「ここでいいです」
「そうですか」
伯爵様に手を引かれ、俺はベッドに入った。
ああ、今日は疲れた。
本当に疲れた。
たくさんのことがあって、頭が沸騰しそうだ。
ベッドの布団はやわらかだな。
すぐに眠気がきそうだ。
「キヨノさん、抱きしめてもいいですか」
暗闇の中、伯爵様の声がした。
「はい」
ふっと笑ってしまう。
いつもこんなこと、聞かないくせに。
おずおずと伯爵様の腕が伸びてきて、俺はいつものように抱きしめられた。
赤ん坊じゃないんだけど。
そう思ったが、嫌な気にはならなかったし、緊張もしなかった。
むしろ気持ちよかった。
宰相様のお屋敷ではずっと伯爵様は俺のそばにいてくださった。
俺を守るように肩を抱いていた。
今も、守られているみたいだ。
そうか、俺も伯爵様を風邪から守らなくては。
俺もおずおずと手を伸ばし、伯爵様の背中に回した。
伯爵様は大きくてすぐに腕が外れそうになる。
思わず伯爵様の寝間着の背中を掴んだ。
「キヨノさん!」
「お風邪をひかないでください。
俺が守ってあげます」
伯爵様が息を飲む音がした。
息苦しいのかな。
「ありがとう、キヨノさん。
好きですよ」
「はぁ」
間抜けた返事をしてしまったが、伯爵様は怒らなかった。
「おやすみなさい、キヨノさん」
「おやすみなさい、なりあきさま」
お名前を呼ぶのを忘れていたの思い出し、呼んでみた。
途端にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
「苦しいです、なりあきさま」
「しばらくこうさせてください」
「む」
「貴方も風邪をひかないでください」
「はい」
言葉通り、伯爵様はしばらくそうしたのち、力を緩めてくれた。
俺は大きな背中に腕を回したまま、うとうととし始めた。
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