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第12話
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伯爵様はまだお疲れの様子だったので俺はまた和室で一人で寝た。
そして起きる。
伯爵様と一緒に寝ないときは、他の使用人の人たちと同じくらいに起きていた。
伯爵様はきっとお疲れだ。
起こすのはもっと後でいいだろう。
そう思って身支度をし、使用人が使う裏口に行くと眠そうな伯爵様と妙ににこにこしている藤代さんがもういた。
「おはようございます、なりあきさま、藤代さん」
「おはようございます、キヨノさん」
「なりあきさま、まだ寝ていてもいいですよ」
「いえ、今日はキヨノさんの日常を見たいのでいいです」
と言いながら、伯爵様はあくびをかみ殺した。
無理しなくてもいいのに。
仕方なく、俺は藤代さんに声をかける。
「今日、俺は左回りですね」
「はい、私は右から回りましょう。
お願いします」
「お願いします」
「なんのお話ですか」
「お屋敷の外の掃除です。
交代で右回りと左回りをしています」
短く説明して、作業のために上着を羽織り外に行こうとした。
「キヨノさん、それだけですか」
「はい?」
「もっと温かい上着やマフラー、手袋は?」
「上着はこれです。
手袋はありません。
襟巻はありませんが、俺にはこれがあります」
俺は手ぬぐいを首に巻き結ぶと、端を襟の中に押し込んだ。
「しかし」
「作業をしてきます。
なりあきさまはお屋敷にいらっしゃるか、温かい格好をしてきてください」
そう言うと、俺は外に出た。
春が近づいている、といえどもまだ早朝は随分寒い。
しかしぼんやりしている暇はなかった。
塀の周りの掃除は一番に終わらせないと。
お屋敷のそばを通る人から、まだ掃除もしていないのかと言われてはいけない。
少し遅れたな。
手早くいこう。
俺は外の物置から箒を取り出し、掃除を始めた。
伯爵様は動きやすい汚れてもいい格好でいらしたが、さすがに上着はなかったらしく上等なものを着て、襟巻も手袋もしている。
藤代さんも俺につくことになり、最初は中川さんと同じように背広に上等の上着を着て「寒い寒い」と言いながら、俺がしていることをそばで見ていた。
このお屋敷は小さいとはいえ、庶民の家に比べれば大きかった。
使用人は多くない。
執事の中川さん。
中川さんの手伝いをする藤代さん。
女中頭のシノさん。
女中のハナさん。
シェフの川崎さん。
外回りや修理などの作業をする小林さん。
伯爵様の運転手兼秘書の佐伯さん。
そして俺。
手早く作業を進めないと間に合わない。
俺は黙々と箒を動かした。
向こうでは伯爵様が熊手を手にしている。
あー、そうやっても葉っぱは集まらないよ。
俺は何度か伯爵様に熊手の使い方を見せたが、結局うまくいかないまま掃除は終わってしまった。
次は塀の中の玄関周りから掃除をしていく。
ドアを拭くのは中川さんか藤代さんだ。
俺はまた掃き掃除。
もともと外の掃除は小林さんがしていた。
だから藤代さんも今の伯爵様のように掃除は下手だった。
見ているだけだったのが、俺がやっているのを見ていて自分もやりたくなった、と上等な服から作業のしやすい服へと変わり、襟巻から首手ぬぐいへと変わった。
葉っぱが集められなかったのが、綺麗に掃き清めちりとりの使い方もどんどん上手くなっていった。
「もっとお話をしながら掃除をしているのかと思いました」
箒を片付けていると伯爵様がそう言った。
なに言ってるんだろ。
「伯爵様はお仕事のとき、おしゃべりをしながらなさるのですか」
「……そ、うですね。しませんね」
しょんぼりしている伯爵様を屋敷に連れて帰る。
俺は動いたけど、あまり動いていない伯爵様は寒いだろうに。
そして厨房の横の使用人の部屋で川崎さんが用意してくれた朝餉を食べた。
他の人たちは伯爵様がいるので緊張気味だったが、俺は構わず食べた。
今朝は卵焼きがうまかった。
そのあとは力仕事をした。
暖炉のある部屋には薪を運び、洗濯が終わった洋風手ぬぐいなどを運んで干し、炭を運び、水を運び。
昼前になると川崎さんを手伝う。
料理自体はできないが、洗い物や器の準備、ごみ捨てなどこまごましたことはできる。
昼餉のあとは小林さんと外回りのことをした。
朝掃けなかった庭の掃除や冬の間にも生えてくる雑草抜き、土運び。
庭は狭かったが、中川さんがばらという西洋の花をせっせと世話している。
ばらは気難しく手がかかるようだったが、冬なのでまだそれほど手間はいらないと話していた。
初夏になると開くばらと香りを俺にも披露したい、と話していたな。
見られそうにないけど。
それらが終わると藤代さんと外へ出た。
こまごまとしたものの買い物だ。
メインの食材は川崎さんが俺よりももっと早く起きて市場で買い付けるが、全部買って帰られなかったものや調味料や取り置きの食材などを買いに行く。
今日は砂糖とエノキ、小芋だった。
本来なら二人がかりで買いにいくものではないが、俺が金を扱うわけにもいかないし、一人での外出を禁じられているから仕方ない。
ここにきて、ようやく俺は少し気が抜ける。
「行きましょうか、キヨノさん」
「はい」
この時間、藤代さんとぽつぽつと話をするのが好きだ。
中川さんによく怒られているが、藤代さんは賢い人だと思う。
それに男の中では年が一番近い。
屋敷ではハナさんが年が一番近いが、話をすることはほとんどない。
あっても必ず誰かがいる。
別に二人で話したいわけじゃなくて、大人がいると気楽に話がしづらいというだけで。
藤代さんはわりと気楽に話ができる。
中川さんがいると叱られそうなことも、この買い物の道中では話せるので嬉しい。
今日も掃除をして気がついたことなどを話していた。
「塀のへこみは大丈夫だと思いますが、一度、小林さんに見てもらっておきましょうかね。
中川さんに相談してみます」
「はい、お願いします」
「でもなぁ、あのへこみ、ネコが足がかりにしているんだよなぁ」
「ネコ?」
「そうなんです。
野良なんですが、ちょっとどんくさいのがいましてね。
他のネコはひょいひょい塀をのぼるのに、そいつだけはのぼれなくて。
それがあるとき、あのへこみを見つけてそこを足かかりにするとうまくのぼれるのがわかったみたいで」
「あ、だから藤代さんは気がついていたのに黙っていたのか」
「お屋敷に野良猫が入るのはあまりよくないし、キヨノさんが気づいたのなら他の誰かも気がつくでしょう。
潮時ですよ」
「悪いこと、したかな」
「お屋敷を守る身としては、黙ってやりすごしていたのがいけないのです。
本来ならお咎めを受けな……
っ!」
藤代さんが言葉を止めた。
俺は足を止めて藤代さんを見た。
あ。
二人でそっと後ろを振り向く。
そこには中川さんの作業をするときの上着を窮屈そうに着た伯爵様が立っていた。
頭にはこれまた中川さんのだというはんちんぐ帽を目深にかぶっている。
そうだった。
今日はずっと伯爵様がいらしたのだ。
しかし、俺は困っていた。
伯爵様の扱いに困っていたんだ。
これがもし、俺が仕事を教える立場ならもっと違っていたと思う。
仕事がしたい、と言う。
だけど、どこまで教えたらいいのかわからない。
それに時間も取られてしまう。
伯爵様の遊びのようなことにどこまで付き合っていけばいいのか、わからない。
俺は隠すことなく、困ったままの目で伯爵様を見上げてしまった。
あと二日でお暇しますから。
「あー、もう、二人とも。
先に駄菓子屋に行きますよ」
「え、もう?」
「そうですよ。
今日は餡子玉を二個ずつ買いましょう。
餡子と抹茶!」
「でも」
「これで最後かもしれないんですよ。
本当なら、五個ずつ買って食べたいくらいです」
「そんな」
藤代さんはどこか怒ったふうだった。
そして先にどんどん行ってしまう。
俺は仕方なく伯爵様の隣に並んで歩く。
「咎めたりはしませんよ。
今日は私の我儘でキヨノさんについて回っているのだから。
それにいつもの通りにしてほしいとお願いしたのだから」
「本当ですか」
「ええ、昨日約束したでしょう」
「そうですか」
俺はちょっとほっとした。
買い出しから帰ると、シノさんが熱々の甘酒を出してくれた。
外は寒かったから、沁みた。
それから裏庭に出て、薪割りを始めた。
伯爵様はじっと俺を見ている。
やりにくかったが、そのまま続けた。
何度か伯爵様がやってみたいと言うので斧を渡した。
武術の心得もあるので悪くはなかったが、なんというのだろう、たどたどしくて危なっかしかった。
途中、藤代さんも薪割りをした。
藤代さんはだいぶ上手くなっていた。
そして風呂の湯を沸かす。
驚いたことに火の扱いは伯爵様は上手かった。
火起こしが落ち着いたところで、太めの薪を数本、炉に入れると蓋をした。
三人が並んで腰を下ろすと藤代さんがおもむろに上着のぽけっとから竹の皮で包んだ餡子玉を取り出した。
「いただきます」
俺は合掌をしてまずは黒い餡子玉をつまみ、口に入れた。
伯爵様も同じようにし、最後に藤代さんが餡子玉を口に入れた。
「うまいですね」
「うん」
それに火を焚いているから温かい。
「貴方たちはこんなことをしていたんですね」
…………
…………
「面白かったです。
キヨノさんがどんなふうにこの屋敷で過ごしているのか、わかりました」
「今日はしませんでしたが、読み書きそろばんも一生懸命お勉強されましたよ」
「キヨノさんは努力家なんですね」
………
なんて言ったらいいんだろう。
「キヨノさん」
困っていた俺をかわいそうに思ったのか、藤代さんが俺を呼んだ。
「はい」
「明日は旦那様としっかりお話してくださいね」
そうか。
明日から温泉に行くと言っていたな。
気が進まないな。
「最後かもしれませんから、しっかりとお話してきてくださいね」
そうか。
温泉から戻ってきたら、お暇するのか。
もう少しか。
それからは誰もしゃべらず、黙々と風呂を焚いた。
二個目の抹茶味の餡子玉を食べた。
「あとはもう大丈夫ですね、キヨノさん」
「はい」
「私は川崎さんの手伝いをしてきますよ」
「はい、藤代さん、ありがとうございました」
藤代さんが行ってしまい、俺は伯爵様と二人残された。
ずっと黙ったままだった。
そして起きる。
伯爵様と一緒に寝ないときは、他の使用人の人たちと同じくらいに起きていた。
伯爵様はきっとお疲れだ。
起こすのはもっと後でいいだろう。
そう思って身支度をし、使用人が使う裏口に行くと眠そうな伯爵様と妙ににこにこしている藤代さんがもういた。
「おはようございます、なりあきさま、藤代さん」
「おはようございます、キヨノさん」
「なりあきさま、まだ寝ていてもいいですよ」
「いえ、今日はキヨノさんの日常を見たいのでいいです」
と言いながら、伯爵様はあくびをかみ殺した。
無理しなくてもいいのに。
仕方なく、俺は藤代さんに声をかける。
「今日、俺は左回りですね」
「はい、私は右から回りましょう。
お願いします」
「お願いします」
「なんのお話ですか」
「お屋敷の外の掃除です。
交代で右回りと左回りをしています」
短く説明して、作業のために上着を羽織り外に行こうとした。
「キヨノさん、それだけですか」
「はい?」
「もっと温かい上着やマフラー、手袋は?」
「上着はこれです。
手袋はありません。
襟巻はありませんが、俺にはこれがあります」
俺は手ぬぐいを首に巻き結ぶと、端を襟の中に押し込んだ。
「しかし」
「作業をしてきます。
なりあきさまはお屋敷にいらっしゃるか、温かい格好をしてきてください」
そう言うと、俺は外に出た。
春が近づいている、といえどもまだ早朝は随分寒い。
しかしぼんやりしている暇はなかった。
塀の周りの掃除は一番に終わらせないと。
お屋敷のそばを通る人から、まだ掃除もしていないのかと言われてはいけない。
少し遅れたな。
手早くいこう。
俺は外の物置から箒を取り出し、掃除を始めた。
伯爵様は動きやすい汚れてもいい格好でいらしたが、さすがに上着はなかったらしく上等なものを着て、襟巻も手袋もしている。
藤代さんも俺につくことになり、最初は中川さんと同じように背広に上等の上着を着て「寒い寒い」と言いながら、俺がしていることをそばで見ていた。
このお屋敷は小さいとはいえ、庶民の家に比べれば大きかった。
使用人は多くない。
執事の中川さん。
中川さんの手伝いをする藤代さん。
女中頭のシノさん。
女中のハナさん。
シェフの川崎さん。
外回りや修理などの作業をする小林さん。
伯爵様の運転手兼秘書の佐伯さん。
そして俺。
手早く作業を進めないと間に合わない。
俺は黙々と箒を動かした。
向こうでは伯爵様が熊手を手にしている。
あー、そうやっても葉っぱは集まらないよ。
俺は何度か伯爵様に熊手の使い方を見せたが、結局うまくいかないまま掃除は終わってしまった。
次は塀の中の玄関周りから掃除をしていく。
ドアを拭くのは中川さんか藤代さんだ。
俺はまた掃き掃除。
もともと外の掃除は小林さんがしていた。
だから藤代さんも今の伯爵様のように掃除は下手だった。
見ているだけだったのが、俺がやっているのを見ていて自分もやりたくなった、と上等な服から作業のしやすい服へと変わり、襟巻から首手ぬぐいへと変わった。
葉っぱが集められなかったのが、綺麗に掃き清めちりとりの使い方もどんどん上手くなっていった。
「もっとお話をしながら掃除をしているのかと思いました」
箒を片付けていると伯爵様がそう言った。
なに言ってるんだろ。
「伯爵様はお仕事のとき、おしゃべりをしながらなさるのですか」
「……そ、うですね。しませんね」
しょんぼりしている伯爵様を屋敷に連れて帰る。
俺は動いたけど、あまり動いていない伯爵様は寒いだろうに。
そして厨房の横の使用人の部屋で川崎さんが用意してくれた朝餉を食べた。
他の人たちは伯爵様がいるので緊張気味だったが、俺は構わず食べた。
今朝は卵焼きがうまかった。
そのあとは力仕事をした。
暖炉のある部屋には薪を運び、洗濯が終わった洋風手ぬぐいなどを運んで干し、炭を運び、水を運び。
昼前になると川崎さんを手伝う。
料理自体はできないが、洗い物や器の準備、ごみ捨てなどこまごましたことはできる。
昼餉のあとは小林さんと外回りのことをした。
朝掃けなかった庭の掃除や冬の間にも生えてくる雑草抜き、土運び。
庭は狭かったが、中川さんがばらという西洋の花をせっせと世話している。
ばらは気難しく手がかかるようだったが、冬なのでまだそれほど手間はいらないと話していた。
初夏になると開くばらと香りを俺にも披露したい、と話していたな。
見られそうにないけど。
それらが終わると藤代さんと外へ出た。
こまごまとしたものの買い物だ。
メインの食材は川崎さんが俺よりももっと早く起きて市場で買い付けるが、全部買って帰られなかったものや調味料や取り置きの食材などを買いに行く。
今日は砂糖とエノキ、小芋だった。
本来なら二人がかりで買いにいくものではないが、俺が金を扱うわけにもいかないし、一人での外出を禁じられているから仕方ない。
ここにきて、ようやく俺は少し気が抜ける。
「行きましょうか、キヨノさん」
「はい」
この時間、藤代さんとぽつぽつと話をするのが好きだ。
中川さんによく怒られているが、藤代さんは賢い人だと思う。
それに男の中では年が一番近い。
屋敷ではハナさんが年が一番近いが、話をすることはほとんどない。
あっても必ず誰かがいる。
別に二人で話したいわけじゃなくて、大人がいると気楽に話がしづらいというだけで。
藤代さんはわりと気楽に話ができる。
中川さんがいると叱られそうなことも、この買い物の道中では話せるので嬉しい。
今日も掃除をして気がついたことなどを話していた。
「塀のへこみは大丈夫だと思いますが、一度、小林さんに見てもらっておきましょうかね。
中川さんに相談してみます」
「はい、お願いします」
「でもなぁ、あのへこみ、ネコが足がかりにしているんだよなぁ」
「ネコ?」
「そうなんです。
野良なんですが、ちょっとどんくさいのがいましてね。
他のネコはひょいひょい塀をのぼるのに、そいつだけはのぼれなくて。
それがあるとき、あのへこみを見つけてそこを足かかりにするとうまくのぼれるのがわかったみたいで」
「あ、だから藤代さんは気がついていたのに黙っていたのか」
「お屋敷に野良猫が入るのはあまりよくないし、キヨノさんが気づいたのなら他の誰かも気がつくでしょう。
潮時ですよ」
「悪いこと、したかな」
「お屋敷を守る身としては、黙ってやりすごしていたのがいけないのです。
本来ならお咎めを受けな……
っ!」
藤代さんが言葉を止めた。
俺は足を止めて藤代さんを見た。
あ。
二人でそっと後ろを振り向く。
そこには中川さんの作業をするときの上着を窮屈そうに着た伯爵様が立っていた。
頭にはこれまた中川さんのだというはんちんぐ帽を目深にかぶっている。
そうだった。
今日はずっと伯爵様がいらしたのだ。
しかし、俺は困っていた。
伯爵様の扱いに困っていたんだ。
これがもし、俺が仕事を教える立場ならもっと違っていたと思う。
仕事がしたい、と言う。
だけど、どこまで教えたらいいのかわからない。
それに時間も取られてしまう。
伯爵様の遊びのようなことにどこまで付き合っていけばいいのか、わからない。
俺は隠すことなく、困ったままの目で伯爵様を見上げてしまった。
あと二日でお暇しますから。
「あー、もう、二人とも。
先に駄菓子屋に行きますよ」
「え、もう?」
「そうですよ。
今日は餡子玉を二個ずつ買いましょう。
餡子と抹茶!」
「でも」
「これで最後かもしれないんですよ。
本当なら、五個ずつ買って食べたいくらいです」
「そんな」
藤代さんはどこか怒ったふうだった。
そして先にどんどん行ってしまう。
俺は仕方なく伯爵様の隣に並んで歩く。
「咎めたりはしませんよ。
今日は私の我儘でキヨノさんについて回っているのだから。
それにいつもの通りにしてほしいとお願いしたのだから」
「本当ですか」
「ええ、昨日約束したでしょう」
「そうですか」
俺はちょっとほっとした。
買い出しから帰ると、シノさんが熱々の甘酒を出してくれた。
外は寒かったから、沁みた。
それから裏庭に出て、薪割りを始めた。
伯爵様はじっと俺を見ている。
やりにくかったが、そのまま続けた。
何度か伯爵様がやってみたいと言うので斧を渡した。
武術の心得もあるので悪くはなかったが、なんというのだろう、たどたどしくて危なっかしかった。
途中、藤代さんも薪割りをした。
藤代さんはだいぶ上手くなっていた。
そして風呂の湯を沸かす。
驚いたことに火の扱いは伯爵様は上手かった。
火起こしが落ち着いたところで、太めの薪を数本、炉に入れると蓋をした。
三人が並んで腰を下ろすと藤代さんがおもむろに上着のぽけっとから竹の皮で包んだ餡子玉を取り出した。
「いただきます」
俺は合掌をしてまずは黒い餡子玉をつまみ、口に入れた。
伯爵様も同じようにし、最後に藤代さんが餡子玉を口に入れた。
「うまいですね」
「うん」
それに火を焚いているから温かい。
「貴方たちはこんなことをしていたんですね」
…………
…………
「面白かったです。
キヨノさんがどんなふうにこの屋敷で過ごしているのか、わかりました」
「今日はしませんでしたが、読み書きそろばんも一生懸命お勉強されましたよ」
「キヨノさんは努力家なんですね」
………
なんて言ったらいいんだろう。
「キヨノさん」
困っていた俺をかわいそうに思ったのか、藤代さんが俺を呼んだ。
「はい」
「明日は旦那様としっかりお話してくださいね」
そうか。
明日から温泉に行くと言っていたな。
気が進まないな。
「最後かもしれませんから、しっかりとお話してきてくださいね」
そうか。
温泉から戻ってきたら、お暇するのか。
もう少しか。
それからは誰もしゃべらず、黙々と風呂を焚いた。
二個目の抹茶味の餡子玉を食べた。
「あとはもう大丈夫ですね、キヨノさん」
「はい」
「私は川崎さんの手伝いをしてきますよ」
「はい、藤代さん、ありがとうございました」
藤代さんが行ってしまい、俺は伯爵様と二人残された。
ずっと黙ったままだった。
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