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第13話
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土曜日の朝だ。
昨日、中川さんに聞かれて俺は着慣れた和装がいいと言うと、いつもより上等の着物と帯が乱れ箱に入れてあった。
それに着替えて食堂に行くとすでに伯爵様が洋装で笑って俺を待っていた。
「おはようございます、キヨノさん」
「おはようございます、なりあきさま」
「早いですね。眠れましたか」
「はい」
そういう伯爵様も穏やかな顔をしていらっしゃる。
よかった。
疲れていないようだ。
「温泉宿は和食だろうからと、川崎がパンを用意してくれましたよ。
いただきましょう」
「はい」
今朝はゆっくりと始まった。
今日、温泉に行くからしなくてもいいと言われ、朝の掃除もしなかったのでのんびりとさせてもらった。
朝食後、伯爵様は留守中のことで中川さんとお話があるというので、俺は厨房へ行った。
なにか手伝おうとしたが、着物が汚れてはいけないとなにもさせてもらえなかった。
「話し相手になってくださいよ」と川崎さんが言い、朝の南瓜の洋風汁について話していたら他の人たちも集まってきた。
「あそこの温泉、とてもいいお湯だと聞きますよ」
「お肌がすべすべになるとか」
シノさんとハナさんはうっとりしている。
「栗も有名ですからね。
栗羊羹もあるかもしれませんよ」と川崎さん。
「旅館も格式あってなかなか予約が取れないと聞いていますし、きっと料理もうまいと思います。
しかし、いいですか、キヨノさん」
藤代さんがぐいぐいと俺に迫ってくる。
「はい」
「大切なのはそんなものじゃないんです。
いいですか!
旦那様としっかりお話をしてくる!
これですよ!」
お話、って言われても。
「何をお話すればいいのかわからなくて」
「キヨノさんはうちの旦那様がお嫌いですか」
うー?
「好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではないと思うけど」
「嫌いじゃないんですねっ!」
「は、はい」
どうしたんだ。
藤代さんだけじゃなくて、シノさんもハナさんも川崎さんまですごい顔で俺を見ている。
どうしよう。
「こんなところにいらしたんですね、キヨノさん」
あ、中川さん。
「こんなところで油を売っていないで、お二人のお支度をしてください」
中川さんは静かに他の人たちに言うと、それぞれが俺に軽く礼をして去っていった。
「お待たせいたしました、キヨノさん。
お支度はよろしいですか」
「なにをしたらいいのかわからなくて」
「着替えなどはシノが用意した鞄に入っていますから、ご心配なく」
「はい」
「他の者が何か言ったかもしれませんが、温泉をお楽しみください。
これまで行かれたことはありますか」
「いいえ、初めてです」
「それは是非とも!」
俺は中川さんに言われ玄関に向かうと、外出の支度をした伯爵様が待っていた。
シノさんから旅行鞄を受け取ると「ありがとう」と言った。
そして俺を見る。
「では行きましょうか」
「はい」
外に出ると黒い車のそばには佐伯さんが立っていた。
「点検と準備は終わりました」
「ありがとう」
佐伯さんが前の扉を開けて俺に乗るように促す。
俺は初めて運転席の隣に座った。
それを確認すると佐伯さんが扉を閉める。
と、運転席には伯爵様が乗り込んでこられた。
俺が驚いていると伯爵様が扉の内側にある取っ手を回すように言った。
そうすると車の窓が開いた。
「キヨノさん、旦那様は安全運転をされますよ。
佐伯がお約束しますのでご安心ください」
「ははははは、大切な人を乗せているからね。
いつもより安全運転をしますよ」
はぁ。
「いいですか、キヨノさん」
「はい」
伯爵様は運転席にある奇妙な取っ手や棒を動かすと、車はぶるんと震え始めた。
「いってらっしゃいませ」
いつの間にか、お屋敷の人全員が見送ってくれていた。
初めてここに来た時みたいだ。
「いってきます」
「いってまいります」
そろりと車が発進した。
俺はきょろきょろしていた。
運転席はすごい機械でいっぱいだった。
それを伯爵様は器用に操る。
操りながら、俺に話しかける。
「珍しいですか」
「はい、初めてここに乗りました」
「キヨノさんが座っているのは助手席と言うのですよ。
なにかあったら私を助けてくださいね」
「は、はい!」
助手席は外もよく見えた。
出発後、閉めた窓ガラス越しに街の景色も見る。
「いろんなお店があるんですね」
「そうですね。
キヨノさんをお連れしたかったです。
キヨノさんは甘いものもお好きでしょう。
甘味処のいいのも黒須や白洲から聞いていたんですよ。
白洲が詳しくて、ぜんざいのうまい店を教えてもらっていたのに」
「はぁ」
「でも、向こうでも甘味処があるので試してみましょう」
「はい」
車は町を抜け、次第に田畑が広がり、そして山の近くにやってきた。
俺は時々伯爵様と話しながら、ずっと景色を見ていた。
小一時間くらい走った頃だった。
「キヨノさん、少し早いけどお昼にしませんか。
もうすぐうまい蕎麦屋があるんです」
「はい」
集落の中に蕎麦屋はあった。
中に入るとまだ昼には少し早いせいか、すぐに席に案内された。
伯爵様にお品書きを読んでもらい、悩んだ。
そんな俺を見て、伯爵様が鴨南蛮はどうかと勧めてくれた。
食べたことがなかったのでそれにした。
運ばれてきた丼には熱々の汁に鴨肉と葱ののった蕎麦が入っていた。
伯爵様は天婦羅蕎麦で、冷たい蕎麦と揚げたての天婦羅の盛り合わせだった。
初めて食べる鴨南蛮はちょっと甘めの出汁と蕎麦がとてもうまかった。
伯爵様がごぼうの天婦羅をくれた。
細く切ったごぼうのかき揚げでぱりぱりと香ばしく、これもうまかった。
「キヨノさん、さつま芋も食べますか」
「いいえ、なりあきさまのがなくなってしまいます」
「お芋、お好きでしょう」
俺は首を振った。
すると伯爵様は「半分ずつにしましょう。ね」と箸で割ったさつま芋の天婦羅もくれた。
ほっこりとした甘さと衣のぱりぱりしたのとで、これもうまかった。
「おいしいです」
「よかった。
ここのものはどれもうまいんですよ。
キヨノさんも気に入ってくれてよかった」
「連れてきてくださって、ありがとうございます」
「私も嬉しい」
伯爵様はにっこりと笑った。
俺もつられて笑った。
昨日、中川さんに聞かれて俺は着慣れた和装がいいと言うと、いつもより上等の着物と帯が乱れ箱に入れてあった。
それに着替えて食堂に行くとすでに伯爵様が洋装で笑って俺を待っていた。
「おはようございます、キヨノさん」
「おはようございます、なりあきさま」
「早いですね。眠れましたか」
「はい」
そういう伯爵様も穏やかな顔をしていらっしゃる。
よかった。
疲れていないようだ。
「温泉宿は和食だろうからと、川崎がパンを用意してくれましたよ。
いただきましょう」
「はい」
今朝はゆっくりと始まった。
今日、温泉に行くからしなくてもいいと言われ、朝の掃除もしなかったのでのんびりとさせてもらった。
朝食後、伯爵様は留守中のことで中川さんとお話があるというので、俺は厨房へ行った。
なにか手伝おうとしたが、着物が汚れてはいけないとなにもさせてもらえなかった。
「話し相手になってくださいよ」と川崎さんが言い、朝の南瓜の洋風汁について話していたら他の人たちも集まってきた。
「あそこの温泉、とてもいいお湯だと聞きますよ」
「お肌がすべすべになるとか」
シノさんとハナさんはうっとりしている。
「栗も有名ですからね。
栗羊羹もあるかもしれませんよ」と川崎さん。
「旅館も格式あってなかなか予約が取れないと聞いていますし、きっと料理もうまいと思います。
しかし、いいですか、キヨノさん」
藤代さんがぐいぐいと俺に迫ってくる。
「はい」
「大切なのはそんなものじゃないんです。
いいですか!
旦那様としっかりお話をしてくる!
これですよ!」
お話、って言われても。
「何をお話すればいいのかわからなくて」
「キヨノさんはうちの旦那様がお嫌いですか」
うー?
「好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではないと思うけど」
「嫌いじゃないんですねっ!」
「は、はい」
どうしたんだ。
藤代さんだけじゃなくて、シノさんもハナさんも川崎さんまですごい顔で俺を見ている。
どうしよう。
「こんなところにいらしたんですね、キヨノさん」
あ、中川さん。
「こんなところで油を売っていないで、お二人のお支度をしてください」
中川さんは静かに他の人たちに言うと、それぞれが俺に軽く礼をして去っていった。
「お待たせいたしました、キヨノさん。
お支度はよろしいですか」
「なにをしたらいいのかわからなくて」
「着替えなどはシノが用意した鞄に入っていますから、ご心配なく」
「はい」
「他の者が何か言ったかもしれませんが、温泉をお楽しみください。
これまで行かれたことはありますか」
「いいえ、初めてです」
「それは是非とも!」
俺は中川さんに言われ玄関に向かうと、外出の支度をした伯爵様が待っていた。
シノさんから旅行鞄を受け取ると「ありがとう」と言った。
そして俺を見る。
「では行きましょうか」
「はい」
外に出ると黒い車のそばには佐伯さんが立っていた。
「点検と準備は終わりました」
「ありがとう」
佐伯さんが前の扉を開けて俺に乗るように促す。
俺は初めて運転席の隣に座った。
それを確認すると佐伯さんが扉を閉める。
と、運転席には伯爵様が乗り込んでこられた。
俺が驚いていると伯爵様が扉の内側にある取っ手を回すように言った。
そうすると車の窓が開いた。
「キヨノさん、旦那様は安全運転をされますよ。
佐伯がお約束しますのでご安心ください」
「ははははは、大切な人を乗せているからね。
いつもより安全運転をしますよ」
はぁ。
「いいですか、キヨノさん」
「はい」
伯爵様は運転席にある奇妙な取っ手や棒を動かすと、車はぶるんと震え始めた。
「いってらっしゃいませ」
いつの間にか、お屋敷の人全員が見送ってくれていた。
初めてここに来た時みたいだ。
「いってきます」
「いってまいります」
そろりと車が発進した。
俺はきょろきょろしていた。
運転席はすごい機械でいっぱいだった。
それを伯爵様は器用に操る。
操りながら、俺に話しかける。
「珍しいですか」
「はい、初めてここに乗りました」
「キヨノさんが座っているのは助手席と言うのですよ。
なにかあったら私を助けてくださいね」
「は、はい!」
助手席は外もよく見えた。
出発後、閉めた窓ガラス越しに街の景色も見る。
「いろんなお店があるんですね」
「そうですね。
キヨノさんをお連れしたかったです。
キヨノさんは甘いものもお好きでしょう。
甘味処のいいのも黒須や白洲から聞いていたんですよ。
白洲が詳しくて、ぜんざいのうまい店を教えてもらっていたのに」
「はぁ」
「でも、向こうでも甘味処があるので試してみましょう」
「はい」
車は町を抜け、次第に田畑が広がり、そして山の近くにやってきた。
俺は時々伯爵様と話しながら、ずっと景色を見ていた。
小一時間くらい走った頃だった。
「キヨノさん、少し早いけどお昼にしませんか。
もうすぐうまい蕎麦屋があるんです」
「はい」
集落の中に蕎麦屋はあった。
中に入るとまだ昼には少し早いせいか、すぐに席に案内された。
伯爵様にお品書きを読んでもらい、悩んだ。
そんな俺を見て、伯爵様が鴨南蛮はどうかと勧めてくれた。
食べたことがなかったのでそれにした。
運ばれてきた丼には熱々の汁に鴨肉と葱ののった蕎麦が入っていた。
伯爵様は天婦羅蕎麦で、冷たい蕎麦と揚げたての天婦羅の盛り合わせだった。
初めて食べる鴨南蛮はちょっと甘めの出汁と蕎麦がとてもうまかった。
伯爵様がごぼうの天婦羅をくれた。
細く切ったごぼうのかき揚げでぱりぱりと香ばしく、これもうまかった。
「キヨノさん、さつま芋も食べますか」
「いいえ、なりあきさまのがなくなってしまいます」
「お芋、お好きでしょう」
俺は首を振った。
すると伯爵様は「半分ずつにしましょう。ね」と箸で割ったさつま芋の天婦羅もくれた。
ほっこりとした甘さと衣のぱりぱりしたのとで、これもうまかった。
「おいしいです」
「よかった。
ここのものはどれもうまいんですよ。
キヨノさんも気に入ってくれてよかった」
「連れてきてくださって、ありがとうございます」
「私も嬉しい」
伯爵様はにっこりと笑った。
俺もつられて笑った。
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