キヨノさん

Kyrie

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第14話

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蕎麦を食べて、また車に乗り15分ほどすると温泉街に着いた。
山深いところで真ん中に川が流れている。
奥に行くほど傾斜がきつくなり、車は平地を走るときより大きな音を立てて上り始めた。
そして一番奥の温泉宿で伯爵様は車を停めた。
古い宿には大きな木の看板がかかっていて「匣乃屋はこのや」と書いてあった。




宿の女将が出てきて伯爵様に挨拶をすると仲居が部屋へ案内してくれた。
立派な床の間のある、畳の匂いがまだ残っている部屋だった。
手入れがされた庭も見ることができる。
俺がきょろきょろとしていると仲居はお茶を淹れてくれ、出ていった。

「キヨノさん、お茶をいただきましょう。
茶菓子もありますよ」

二人で座卓についてお茶を飲む。
ぬるいお茶は甘くまるい味がした。
一口饅頭の中は黒糖餡で珍しかった。

「温泉巡りができるから、どこかのお湯に入りましょうか」

「なりあきさまはお疲れではありませんか。
ずっと運転をされていたのに」

「大丈夫ですよ。
キヨノさんはいかがですか」

「私も大丈夫です。
じゃあ、出かけましょうか」


俺は伯爵様に教わって宿の浴衣に着替え、軽い綿入れ半纏はんてんを羽織った。
浴衣には「匣」という文字が模様のように入っている。
それに旅館の手ぬぐい、女将から渡された木製の温泉手形などを持ち手のついた小ぶりな竹籠に入れ、宿の下駄をはいて外に出た。
山の中腹にあるせいか、お屋敷より気温が低かった。

向かったのは女将が勧めてくれた旅館一力いちりきの湯だった。
露天風呂でこの寒いのに青々とした竹垣があった。
かけ湯をして伯爵様と並んで湯につかると、伯爵様は「ふーーー」と大きな息をついた。
やはりお疲れだったんだな。

「気持ちいいですね」

「はい。大きいし、気持ちのいいお湯です」

俺は湯の中で手足を伸ばしてみる。
湯は熱めだが、外が寒いせいかのぼせそうになかった。

隣は女湯で青竹垣の向こうからきゃあきゃあと高い女の声がした。
向こうで入っていた客の男が卑下た顔でにやにやと笑っているのが見えた。
裸の女がこの向こうにいる。
ちらりと伯爵様を見る。
伯爵様は女の声を気にせず、気持ちよさそうにしていらっしゃる。
あとで肩をもんであげるといいかな。

「やっと一心地ついた気がします」

「お忙しかったですから」

「キヨノさんともっとお話したかったのに、できずにすみませんでした。
お寂しい思いは……あまりされなかったかな。
昨日のキヨノさんの仕事ぶり、驚きました。
私はあんなにも掃除ができないんですね。
それに薪割りも」

そんなことない。
伯爵様は立派な方だ。

「俺には伯爵様の仕事ができません。
できることが違うのです」

伯爵様は俺を見て、そしてゆっくりと「ありがとう」と優しくおっしゃった。


湯から出ると身体を洗った。

「お背中を流します」

手ぬぐいで伯爵様の背中をこすっていく。
伯爵様は細身だが、やはり大人で大きな背中をしていらした。
ところどころ、傷跡がある。

「痛そう」

「ああ。子どもの頃はやんちゃでね」

思わずこぼれ出た俺の言葉に、伯爵様が答えた。
伯爵様がやんちゃ?
想像できない。

背中を一通りこすると、湯をかけて石鹸を流した。

「ありがとう、キヨノさん。
今度は私の番だ」

断る隙もなく、俺は伯爵様に背中をこすられる。
ぐいぐいと大人の力で背中を洗われるのは、いつくらいぶりだろう。

「かゆいところはありませんか。
力具合は?」

「はい、気持ちいいです」

「よかった。
キヨノさんの背中は綺麗ですね」

「はぁ」

自分の背中なんて、自分じゃ見られない。

「お湯をかけますよ」

「はい」


伯爵様に比べて小さい背中のせいか、あっと言う間に伯爵様は俺の背中を洗い終わった。

「他も洗いましょうか」

伯爵様はふざけて後ろから腕を回し、腹をこすり始めた。

「いいえ!」

俺は逃げるようにまた温泉に入った。
伯爵様は「ははははは」と笑って、また俺の隣に並んで湯につかった。

「気持ちいいですね」

「はい」

「匣乃屋の湯はこことは少し違うようですよ」

「どんなお湯なんでしょう。
楽しみです」

「また一緒に入りましょう」

「はい」





茹るほど湯につかり、ほこほこの身体の芯から温まっていた。
湯上りに冷たい水を飲んだ。
「甘露甘露」と伯爵様が言いながら飲むのが面白かった。
思わず笑ってしまうと、伯爵様が首を傾げた。
もっとおかしくなって、また笑ってしまった。





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