キヨノさん

Kyrie

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第18話 三条院(1)

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真夜中、不意に目が覚める。
ここはどこだ。
嗅ぎ慣れないイ草の匂いに、匣乃屋に温泉旅行にやってきていることを思い出す。
あの人はっ。
暗闇の中、キヨノさんの気配を探る。
すうすうと安定した寝息が聞こえ、安堵する。
よかった、キヨノさんはここにいる。



あの寒い朝、車の中から掃き掃除をしているキヨノさんを一目見たときから、私は普通でいられなくなっている。
こんなことは初めてだ。
薄い着物に防寒具もなく、白い息を吐きながらあの人は掃除をしていた。
すぐに田村さんの使用人だとわかった。
「後で」ということは一切考えられなかった。
とにかく、この方を温かくして差し上げたい。
とにかく、私の元へ迎えたい。
こんなにもものが考えられなくなるものなのか、と随分経ってから思い返せるようになった。

常軌を逸していた。
それにも気がつかないほど、私は屋敷に迎えたキヨノさんに夢中だった。
ねえ、キヨノさん。
私が一度、恋愛というものを諦めた男だと信じられますか。

年頃になって周りがそういったものを意識し始めても、私は浮かれた感情を持つことはなかった。
大学に入ると悪友に誘われて女も男も抱いてみたけれど、ときめいたりそういった意味で心を動かされることもなかった。
一時は真剣に悩んだが、あるときから自分は人を愛せない人間なのだと考えるようになった。
妙にすっきりはしたが、寂しくもあった。

それが「人さらい」とまで言われるほどの電光石火で貴方を連れてきてしまったのです。
恋とは不思議なものですね。



愛おしい人と暮らすことがこんなにも心を高ぶらせ、また安らぎをもたらすものなのか。
そう思いながら過ごしてきたので、まさか自分が離縁の危機にさらされているとは全く気がつかなかった。

スメラギ様に言われ、キヨノさんに泣かれ、屋敷の者に聞かれ、黒須と白洲に問い詰められ、ようやく気がつくだなんて。
私よりも中川や藤代のほうに心を寄せるキヨノさんを見て、冷水を頭から浴びたような心地になった。




「視察を兼ねて、温泉にでも行ってきたらどうだ」

一週間をかけて白洲と共に緊急事態の収拾に当たった黒須が温泉宿を譲ってやると言い出した。
生まれる前から決まっている許嫁殿との旅行のために取った宿だと知り、私は断った。

「あれからろくに話せていないんだろう。
タイミングが悪かったな。
このままじゃ本当に私が書生としていただいていきますよ」

「黒須の婚約者殿には俺も頭を下げて、流行りの舶来の菓子と紅茶を贈っておくから、甘えて温泉に行ってこい。
なんなら金曜日も休めるように手配をしてやろう」

「しかし」

「そんな余裕があるのか、三条院。
おまえは細君の機嫌を損ねているどころか、信用さえも失っている状態なのだぞ」

「健気な奥方だったではないか。
きちんと一か月は猶予をくれて、我慢もしてくれたんだろう。
本当におまえは見てくれはいいのに、中身が伴っていない奴だな。
キヨノさんが好きなものを買って帰ったりもしていなさそうだ」

「え、まさか」

白洲と黒須がこちらをじっと見る。

えっと、なにかあったかな。

私が黙って固まっているのを見て、大袈裟に両肩を落とし、大きな溜息をついた。

「本当にだめな男だな」

「白洲でも贈り物をするくらいの知恵はあるのに、三条院ときたら」

三人とも激務で疲れ切っているはずなのに、二人は温泉宿の手配と三日間の休みをもぎ取る算段をしてくれた。




こうして温泉にやってきた。
キヨノさんとこんなに長い時間二人きりになるのは初めてだった。
お互いに行きの車の中では緊張していたが、やがてキヨノさんは窓の外の風景に目をくるくるさせ、蕎麦屋で天婦羅を分けてあげれば「おいしい」とほほ笑むようになった。

キヨノさんの目は不思議な灰色で、上目遣いになると鋭い三白眼となり鈍色にびいろに変わる。
素直で真っすぐな視線を好ましく思っている。




しかし、私は大切なことを落としていた。
ここは温泉だ。
初めてだというキヨノさんを連れて、一力の自慢の温泉に入りにいった。
着ているものを脱ぐ、という行為があったのだ。
私はキヨノさんと二人で旅行に行ける、ということだけで舞い上がっていた。
いかにあの人を楽しませようか、ということばかり考えていた。

私が内心おどおどとしている間に「ただ、風呂に入るだけだろう」と言わんばかりにキヨノさんは思い切りよく匣乃屋の浴衣を脱いでいく。
目のやり場に困りながらも、横目で、あるいはちらちらとキヨノさんの裸体を目で追ってしまうのは当然だろう。

キヨノさんはまだ未熟な身体をしていた。
数えで十四と言っていたが、幼さも残る少年の身体だった。
田村さんのところにいたので、そこまでは酷い目には遭っていないと信じたいが、細かった。
しかししなやかで滑らかだった。

邪気もなく、私が教えるとかけ湯をし湯に入った。
そのとき、思わず股間を見てしまう。
そこも未成熟で小ぶりで皮を被っていた。
露わになった小さな尻も、温まったあとはほんのりと桃色に染まっていて、私のほうが反応しそうで平静を装いながら、内心はどうにかなりそうだった。

貴方はそんなに無邪気に寝ていますが、いいのですか。
もう少し周りに気を遣ってください。
あまりにあっけらかんと、ある意味潔くて。
背中を流してもらうとき、背中に貴方が触れるたび私がどんな思いを抱いていたか、ご存知か。
私が今、貴方に襲いかかってしまったらどうするおつもりなのですか、キヨノさん。



下のほうに鈍い熱が集まってきた。

そばでは暗闇の中でまだすうすうと安らかな寝息が聞こえている。

ねえ、キヨノさん。
もし、貴方が私の正体を知ってしまったとき、貴方は私をまだ「成明様」と呼んでくれるのでしょうか。
それともそんな日が来る前に、明日、私の元から去る、と告げて行ってしまわれるのでしょうか。

キヨノさん。

どんな縁があるのかわかりませんが、私は貴方と共にいたい。
理性や感情というものだけでは片づけられない、強大で抗えないなにかで貴方を欲している。
運命でもなんでもいい。

ここにいてください、キヨノさん。

中川にするように私に話しかけ。
藤代にするように私に笑いかけてください。




「………ぅ」

寝返りを打ったキヨノさんが微かにうめいた。
私はまたヒュイと透笛とうぶえを吹くと、黒い影は消えた。

私が貴方を守ります。


「………ん」

今度は鼻から抜けるようなうめき声が、私にはとても色を含んで聞こえた。


本当はこのまま貴方を抱きしめて眠りたい。
が、二度の入浴は刺激が強すぎた。
私がどうにかなってしまう前に離れたほうがいい。

私は本当に残念だと思いながらキヨノさんの布団から出てキヨノさんに布団をしっかりと被せると、ひんやりと冷え切っている自分の布団に入った。
火照った身体にはよかったのかもしれないが、寒い。


そういえば、キヨノさんは「同衾する」ことの意味さえご存知ないかもしれない。

そう思うと、ますます困った状況になってしまった。

本当に、貴方がおっしゃるように私も困っていますよ、キヨノさん。

今宵はこれで寝ます。

また明日、たくさん笑ってくださいね。
たくさんお話しましょうね。




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