キヨノさん

Kyrie

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第31話

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庭の桜は散り、黄緑の葉っぱがきらきらしている。庭の植物がぐんぐん育っていくので小林さんは忙しく、俺はその手伝いをすることが増えた。
一仕事終え、俺たちは水を飲んで一息ついていた。すると小林さんの「ちっ」という舌打ちが聞こえた。普段無口な小林さんがそんなふうにするのは珍しくて、俺は少し怯え、驚いた。
俺が身体をびくっとさせたのがわかったのか、小林さんはそばに生えていた柔らかい草を摘んで俺の手の上に置いた。

「匂ってみてください」

こわごわとがった葉っぱの草をつまみ、鼻に近づけてみる。

「ミントですよ」

すーっとする刺激に驚いて、小林さんを見る。

薄荷はっか、と言ったほうがキヨノさんにはわかりがいいでしょうか」

「薄荷」

それならわかる。俺はうなずく。

「匂いはいいんですが、これが生えると繁殖力が強くて、植えている植物がだめになるんです。厄介なものが生えてきたな。少しでも根が残るとすぐにまた生えてくるし」

お庭がだめになってしまうから、小林さんは舌打ちしたのか。俺は納得して、また薄荷の匂いをかいだ。

「キヨノさん、その匂いお好きですか」

「すーすーします。ひんやりする気がします」

「使いようによっては夏の暑さを和らげることができますよ。シノが詳しいから聞いてみるといいです」

シノ?
なにかひっかかったが、小林さんが休憩を切り上げて立ち上がったので、俺も同じように立ち上がる。次はなにをするんだろう。首にかけていた手ぬぐいで汗をぬぐい、軍手をはめた。





昼になり、藤代さんに呼ばれて俺は厨房そばの部屋に行った。小林さんは他の作業をもう少しすると言っていたのであとから来るだろう。
俺は味噌汁を運んでくれたシノさんに薄荷のことを聞いた。シノさんは笑ってうなずいた。

「そうですね。いくつか方法がございますよ。寝具のシーツなどに使うのもさっぱり眠れるかもしれませんね」

それだ。
俺は顔を上げた。


なりあきさまと夜一緒に寝ているのは続いている。だけどもう冬でも春先でもない。暑い。和室で寝ようとしたらなりあきさまは悲しそうな顔をするし、なりあきさまの隣の「俺の部屋」はアノヨルノコトを思い出してしまって、俺が眠れない。
仕方ないので、「暑いなぁ」と思いながらなりあきさまと寝てる。
それもなりあきさまは抱きついてくる。俺が嫌がる素振りを見せると寂しそうな顔をされる。

お花見をしたあと、「年度替わりだから」となりあきさまは忙殺された。早朝からお出かけになりお帰りも遅かった。おまけにそういう時期はお接待やお食事会が多く催されるそうだ。疲れ切ったなりあきさまを見ると「暑いから離れてください」とは到底言えなかった。
それに………妻になってしまったし。

なりあきさまはいつでも「キヨノさんはキヨノさんでいてくださいね」とおっしゃる。中川さんも藤代さんも「奥様、ということは今考えなくてもいいと思いますよ。それより大事なのはこのお屋敷にもっともっと慣れていただくことです」と言うし。
だけど、俺もなにかして差し上げたい。ない知恵を絞ってもどうにもできなくて、とりあえずなりあきさまのご希望に応えるくらいだけど。



昼飯のあと、シノさんにもっと詳しく薄荷と敷布のことについて聞いてみた。シノさんは笑って、「こちらへどうぞ」と小部屋に案内してくれた。
ここは「りねんこ」という部屋だそうだ。ふかふかしたてぬぐいやふかふかした大判のてぬぐいや布団用の敷布などが仕舞われている部屋だそうだ。

「真夏にさっぱりするのはミントオイルを少量混ぜた水で霧吹きして、アイロンを当てたシーツに寝るのがいいかもしれません」

「はぁ」

「アイロンとはこれです」

「ああ、ひのし」

「火熨斗、そうですね」

これは炭火ではなくデンキを使うのだとシノさんは教えてくれた。

「重くて熱いので扱いが難しいですよ。それにシーツは大物なので大変です」

「シノさんはその大変なことをしてくださっているんですよね」

「私の仕事ですから。ぱりっとしたシーツは気持ちいいでしょう。糊付けするのもいいんですがアイロンを当てたシーツに寝るのは私が好きなんです」

シノさんがにっこりと笑った。

「俺が敷布にあいろんを当てるのは難しいですか」

「火傷をしてはいけませんからね。今はあまりおすすめしたくありませんね。どうしたんです、寝苦しいんですか」

俺は俯きながらぽそりと「寝る時に暑いんです」とだけ言った。

「旦那様のせいですか」

え……っと。どう言えばいい?「なりあきさまに抱っこされて寝てるから暑いんです」?いや、そんな恥ずかしいこと、言えない。俺は子どもじゃないし。それにそれに、えっと……

「旦那様のせいですね!」

「あ、いや。なりあきさまはなんでもありません」

うっ、シノさんはにやにやしている。

「旦那様にはなにも言いませんよ」

よかった。

「小さなものから練習されてはいかがですか」

シノさんは枕用の布袋を棚から取り出した。そして棚から瓶も取り出す。

「この香りはいかがですか」

茶色の瓶のふたの裏を遠くからそっとかがせてくれる。ふわりとした花のにおいがした。

「いいにおい」

「お好きですか」

「はい」

「ラベンダーという花のオイルですよ」

らべんだー

シノさんはオイルを1滴たらした水を作り、霧吹きの容器に入れてしゅっと空中に吹き出した。いいにおいの小さな霧が舞う。

「これを枕カバーに吹き付けてアイロンを当ててみましょう」

「はい」

シノさんがあいろんを温めてくれ、俺はまず真ん中の容易いところからあいろんを当ててみることにした。シノさんが言ったとおり、あいろんは重くて熱かった。火傷のことも聞き、シノさんが「今でもアイロンの火傷の痕が残っているんですよ」と話してくれた。
難しくて、ほとんどシノさんがアイロンを当ててくれた。





「それで枕がこんなにいい香りなんですね」

寝室で寝間着に着替えたなりあきさまがそう言った。
俺は暑くて寝苦しいことは黙っておいて、らべんだーとあいろんのことだけをなりあきさまにお話して、なりあきさまの問いに「はい」と答えた。

明かりを消して、なりあきさまと俺はべっどに横になった。枕からはほのかに花の香りがした。いいにおい。

「いいですね。私もラベンダーのにおいは好きなので嬉しいです。ありがとうございます、キヨノさん」

「はい」

一旦はおとなしく横になったなりあきさまがごそりごそりと動き、俺を抱きしめてきた。
暑い。

「キヨノさんもいいにおいがします」

「それは枕がいいにおいだから」

「キヨノさんも私の好きなにおいがします」



なんだか恥ずかしくなって、身体に力が入る。
そんな俺にお構いなしになりあきさまは俺のほっぺにきすをする。

「あの」

「はい、なんですかキヨノさん」

「小林さんとシノさんは仲良しなんですか」

「突然どうしたんです?」

俺は小林さんがシノさんを「シノ」と呼んでいたことをなりあきさまにお話した。

「ああ、そういうことですか」

なりあきさまは驚かなかった。

「シノと小林は夫婦同然なんですよ」

「はぁ」

「だから仲がいいんです」

「はぁ」

知らなかった!
でも、夫婦「同然」って?

「私たちも末長く仲良しでいましょうね、キヨノさん」

「え」

ちょっと待ってください。小林さんとシノさんのことは…?
もっと聞きたかったのに、なりあきさまがくちびるにきすをした。びっくりしていたら、べろが俺の口の中に入ってきた。

「ん」

もうこれ以上はなにも聞けないじゃないか。
なりあきさまはぎゅうぎゅうと俺を抱きしめながら、きすをしてくる。

暑い。




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