キヨノさん

Kyrie

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第37話

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目が覚めるとすっかり明るくなっていた。
俺はベッドから飛び下り、ドアの取っ手に手をかける。カチリと音がしてドアが開いた。

よし。閉じ込められていない!

俺は隣の自分の部屋に行き、着物に着替える。
大きな窓から見える空は青く輝いている。長い雨が止んだんだ。

俺はなりあきさまの部屋から飛び出した。




まだ誰も起きていないようだ。
厨房に行ってみるがすぐに途方に暮れてしまった。
この大きな厨房の使い方はわからない。湯のひとつも沸かせそうにない。飯を炊くなんてますます無理そうだ。
みなさんのために何かしたかったが、できずにがっかりした。
しかし、お屋敷のお掃除ならできる。
きっと屋敷の周りは落ち葉が積もっているだろう。排水溝ものぞいてみなくては。




久しぶりの日の光は鋭い。
雨が降っている間に季節は夏に近づいていたようだ。むわんと暑いが、それでも真夏よりましだ。まだ朝のひんやりとした空気が残っている。涼しいうちにできるだけのことをしよう。
落ち葉は濡れていて扱いにくかったし、排水溝に溜まった落ち葉はたくさんあった。それでも夢中で集め、屋敷周りをきれいにしていった。

「朝早くからご精が出ますこと」

うつむいて首にかけた手ぬぐいで汗をぬぐっていると、上から声がした。
驚いて顔を上げると、眉の上で真一文字に髪を切りそろえた櫻子様が立っていらした。

「おはようございます、キヨノさん」

「お、はようございます、櫻子様」

「このたびは三条院様、大変でしたね」

「はぁ、まぁ」

俺自身はあまりよくわかっていなかったので、曖昧な返事をしてしまった。

「やっと落ち着かれたのでしょう。キヨノさんもこれでご安心ですね」

「はぁ」

俺は昨日のなりあきさまのお顔を思い出した。
血走った目で俺をぎゅうぎゅうと抑え込むように見つめられるのは恐ろしく、思わず身震いをしてしまった。

「わたくしもやっと来れましたのよ。落ち着いてよかった」

「はぁ」

「さ、キヨノさん、わたしたちを厨房に案内してください」

「あの」

「お食事をお持ちしましたの。川崎の料理がおいしいのは存じておりますが、うちのシェフも負けてはいませんのよ」

櫻子様が乗ってこられた自動車から、大きな鍋を持った男が二人下りてきて、俺に頭を下げた。

「石井と押井です。
さ、キヨノさん、参りましょう」

「は、はい」

俺は櫻子様の迫力に圧倒されて、掃除を中断し、手を洗うとお三人を連れて厨房へ向かった。




「勝手に厨房を使っては川崎は怒るでしょうが、今は非常事態ですので許していただきましょう。石井、押井、お願いします」

「かしこまりました」

厨房に入ると石井さんと押井さんは鍋を作業台の上に置くと、まるで毎日ここで料理をしているように火をつけ、湯を沸かし始めた。

「朝は味噌汁とおむすびです。卵焼きもありますよ」

にっこりと櫻子様が微笑むと、俺の腹がぐうっと鳴った。思わず腹を押さえる。櫻子様は鈴が鳴るように笑い、「たっぷりありますからしっかり召し上がってください」と言った。

そんなことを話していると廊下に人の気配がした。
見ると着流しの中川さんが走ってきたようで、軽く息が上がっている。

「お久しぶりね、中川」

「櫻子様、これは」

「お勤めご苦労様。食事の差し入れです。三条家の人たちはみんな飢えているはずでしょう」

「ですが」

「川崎の怒りはわたくしが受けます」

「そのようなことは」

「このたびは三条院様と佐伯も倒れたと聞いております。厳しい状況だったことも。中川、あなたもお疲れ様です。今日一日は石井と押井に食事のことはまかせてゆっくりなさい」

「お気遣いありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます」

「ええ。中川の珍しい姿も見られたことだし」

櫻子様は笑った。中川さんは少し恥ずかしそうに顔をひそめた。
俺も中川さんの着物姿は初めて見た。いつもは髪もきっちりと整えているのに今朝は少しぼさぼさしている。

「ねぇ、キヨノさん」

「はい」

「朝食後、わたくしと一緒に出掛けませんこと」

「え」

「さすがに香榮庵こうばえあんをこんなに早くから開けさせるわけにはいきませんからね。そこの葛がおいしいのです。葛湯にすれば三条院様も召し上がられるでしょう」

「はぁ」

「それに黒須様も白洲様にもお菓子をお届けしたいの。お二方とも三条院様ほどではありませんが、大変でしたからね。ご一緒してくださりませんか」

俺は思わず中川さんを見上げた。中川さんは目で「お好きなように」と言ってくれたので、俺はついていくことにした。

「では後ほど、お迎えに参ります」

櫻子様は綺麗にお辞儀をして、待たせてあった自動車に乗り込むと去っていかれた。





櫻子様を見送った中川さんと俺は、改めて「おはようございます」と挨拶をした。少し間抜けだった。

「旦那様にお会いになりますか」

「え、なりあきさまに会えるのですか」

「よく眠っていらっしゃるので、お顔を見るだけになると思いますが」

「はい、ぜひに」

「はい」

中川さんが笑った。久しぶりにあったかい笑顔だった。



和室の布団の上に横たわっているなりあきさまはやつれていらしたが、落ち着いた呼吸をしていらっしゃった。
安心した。
よかった。
本当によかった。
思わず涙ぐんでしまう。

中川さんに小声で「ありがとうございました」と告げると中川さんは「ようございました」と答えた。重く響く声にお命が危うかったことをじわりじわりと感じた。




朝食後、櫻子様と一緒に香榮庵に行き、初めて見る綺麗な和菓子に驚きながら葛粉を買おうとしたら「わたくしからのお見舞いです」と櫻子様に止められた。そして「屋敷の者思いのキヨノさんと尽力してくれた屋敷の者たちに」と葛饅頭を人数分も買ってくださった。
それから黒須様、白洲様、ご自宅用とたくさんの和菓子を買うと、それぞれに届けて回った。
甘いものが苦手な黒須様には甘夏の寒天、甘いものが大好きな黒須様には葛饅頭の他に水羊羹や水無月を屋敷の人に渡していた。
どこの屋敷の人もぐったりとお疲れのようだった。
櫻子様のお話では、朝食は黒須様と白洲様のところにもお届けになったらしい。

「お優しいんですね、櫻子様」

「さぁ。キヨノさんはそうお思い?」

帰りの車の中。思わず口をついて出た言葉に櫻子様は意外なことをおっしゃった。

「わたくしにできることはこれくらいしかないの」

「私はできることが何もありませんでした。湯も沸かせないし飯も炊けなかった」

「それはわたくしも同じ。ただ人の使い方を知っているだけですわ」

「……」

「黒須様のお力になりたいの」

ぽつりとこぼれた言葉がなぜかおつらそうだった。

「わたくしが使えるものすべてを用いて、できることをしたいの。それが黒須様と婚姻のお約束をしている意味だと思うの」

「妻、ということですか」

「……そうかもね。しかしわたくしは妻になったことがないからよくわからないわ」

「俺もよくわかりません」

「ふふふ、そうね。やってみるしかなさそうですね」

櫻子様が笑い、窓の外を見た。少し開いた窓の隙間から入る風が櫻子様の長い黒髪をなびかせた。







夕方、なりあきさまがお目覚めになったと知らせを受けて、俺は中川さんに連れられ和室に向かった。

「失礼いたします」

襖を開けてみると、なりあきさまは身を起こしていらした。

「なりあきさまっ」

広げられた腕の中に飛び込んでいた。

「待っていてくださったのですね、キヨノさん」

ああ、なりあきさま。

「……は…い」

涙がぼろぼろとこぼれる。

「ありがとうございます。遅くなりましたが、ただいま帰りました」

「おか…えりなさい、ませ」

うまく話せないが、なんとかそれだけを言う。
なりあきさまがぎゅうと俺を抱きしめる。俺もぎゅうと抱きしめる。

「貴方には寂しい思い、怖い思いをさせてしまいました」

「……いいえ……いいえ……」

「早く元気になりますね」

「……はい、そうして……くださ……」

最後まで言い切れず、俺は本格的に泣きだしてしまった。

「キヨノさん」

なりあきさまの優しい、温かい声で何度も何度も名前を呼ばれた。嬉しかった。本当に嬉しかった。


おかえりなさいませ、なりあきさま。







***
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