キヨノさん

Kyrie

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第47話 桜ゆびきり

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あれから、俺は少し、おかしい。



花見のあとから、俺はまた自分がおかしいことに気がついた。

とにかくなりあきさまを感じていたい、と思う。

ずっと見ていたい。
おそばにいたい。
ふれたい。

そんなだからお仕事にお出かけのときは、仕方なく代わりにビー玉をずっと握りしめている。




花見が終わった夜、俺はなりあきさまにお揚げさんを召し上がっていただいたことだけで舞い上がっていると思っていた。
心がほくほくして、今夜はぐっすり眠れると思っていたのに。


なりあきさまが俺のベッドまで送ってくださり、これまでのように瞬きするかしないかの短い間にぎゅっと抱きしめ、頬にそっとキスをしてくれた。
いつもならそれで「おやすみなさい」と言葉を交わして終わりなのに。

なりあきさまの身体が俺から離れていくのが、ひどくゆっくりと感じられた。
離れていくのと同じ速さで身体がぐんぐんと冷えていった。

「キヨノさんっ!」

なりあきさまが目を見開いて、大声を上げている。
その声に驚いて、身体をびくんと震わせたとき、やっと気づいた。

俺は泣いていた。
背の高いなりあきさまを見上げて、止めようにも止まらないくらいの涙を流していた。

「どうされたのです、キヨノさん!」

なりあきさまは腰をかがめて俺を見る。

どう…って。

「どこか痛いのですか。お具合が悪いとか」

違う違う。

心ではたくさんのことが渦巻いているのに、言葉にできない。ただ泣くだけ。
どうしたんだろう。こんなの知らない。


「キヨノさん?
誰かを呼んでこなくては」

なりあきさまが青い顔をされて俺の部屋から出ていかれようとする。

いやだ。

「……かない……」

「え」

なりあきさまが振り向き、俺のそばに戻ってきてくださった。

「なんておっしゃったんですか」

「……行かないで……」

「ああ……」

なりあきさまが切なそうな声を上げた。


「私はどうしたらいいんでしょう、キヨノさん。
貴方がこんなにも泣いているのに、抱きしめることも涙を拭うこともできないだなんて」

俺も。どうすればいいんでしょう、なりあきさま。


なりあきさまはしばらくそのままでいらしたが、そっと手を動かした。
俺は不安で、びくりと身体をこわばらせた。

なりあきさまは、そっとご自分の小指を俺の小指に絡めた。

「ゆびきりげんまん」

それだけ言って、すぐに小指を離してしまわれた。

「いつでも貴方のおそばにいますよ」

「な…りあきさま」

「はい」

「なりあきさまあああ」

「はい」



そのあとは大声で泣き始めてしまった。
自分が自分でないようで、わんわんと大声を上げて泣いてしまった。
なりあきさまは優しく「はい」と時々お返事をなさいながら、俺の小指とゆびきりをしてくれた。


あまりの大泣きに中川さんや藤代さんがやってきてしまった。

「旦那様、これは」

二人とも、なりあきさまを見る目が冷たい。
そうじゃないそうじゃない。
なりあきさまが悪いんじゃない。
俺が俺が俺が。

「キヨノさん、旦那様がなにか」

「うわああああああああんっ
あああああああんっ
ああああああああっ
ぢがうううううううううううう
な、わあああああああん。
りあぎざま、わるぐなあああああああぃ」

「ああ、ああ。こんなに濡れてしまって」

藤代さんが上着のポケットからハンケチを出して俺の顔と顎の下を拭う。

「どうしました、キヨノさん」

中川さんが俺の背中をぽんぽんと叩きながら、静かに聞いてくれる。

「おれぇっ
おれぇっ」

「はい」

「なりあぎざま、いだいぃぃぃぃ。
もっと
もっと
いだいぃぃぃぃぃ。
いっしょ、いだいぃぃぃぃぃぃ」

「そうですか」

中川さんは「失礼しますよ」と言うと、片膝をつきぐっと俺を抱きしめた。

「うわあああああああんっああああああああんっ」

違う違う。なりあきさまじゃない。

でも、ぎゅっと抱きしめられたのは嬉しくて、だけどそれがなりあきさまじゃないのが苦しくて。

「キヨノさんが旦那様のこと、こんなにお好きでいてくださるのがよくわかりましたよ。
中川は嬉しいです」

うん。

うん。


「今、旦那様はキヨノさんのふれることができません。
お二人ともおつらいでしょうが、なんとか道を探りましょう。
なにかあると思います。
さ、旦那様、キヨノさんになにかお声がけなさってください」

「キヨノさん」

俺は泣きながら、なりあきさまを見た。

「私はとても嬉しいです。
今日のお稲荷さんのことから、こうやって私のことを求めてくださって、好いていてくださっていることまで。
木曜日に弁当を持たせてくれたのも、ご飯を炊く練習をしていたからなんですね」


うん。

うん。

俺が炊いた飯で握ったにぎりめしに川崎さんがおかずを詰めてくれた弁当だ。
お稲荷さんのために、飯を炊いていた。



「こんなに貴方に愛されていて、私は嬉しいです。
キヨノさん、私も愛してますよ、心から」

嬉しい。

嬉しいよ。




「さ、キヨノさん、そろそろお水を飲みましょうね」

藤代さんがなりあきさまのお部屋から水差しを持ってきて、グラスに注ぎ、なりあきさまに手渡した。
なりあきさまが受け取ると、こちらに近づき、しゃがむ。
中川さんの腕が緩み、俺は解放された。
なりあきさまのお顔はちょっと赤くて、照れ臭そうで、そしてお優しかった。

「さ、キヨノさん。飲めますか」

コップを俺の唇にあてがい、そろそろと傾ける。
ちょっと口を開くと水がちょろちょろと入ってきた。ほどよいところでコップが離れていったので俺はごくんと水を飲んだ。

ふぅ

小さな息を吐いた。

「もう少し飲みますか」

俺がうなずくと、なりあきさまはまた同じようにして水を飲ませてくれた。




「眠れそうですか」

ようやく落ち着いた俺に、なりあきさまが静かに聞いた。
俺はうなずいた。

「ゆびきりしましょう。
明日また、会えるように」

なりあきさまが右手の小指を突き出してきた。俺はそっとそれに自分の小指を絡めた。
できるだけ長く。

できるだけ。


その夜は泥のように眠ってしまった。







騒動続きだが、俺にとってはこれまた妙な騒動だ。

なりあきさまが見えないと不安だ。
だからなりあきさまがお帰りになったら、できるだけそばにいるようにしている。
さわれはしないので、目に入るだけで満足することにしている。

こんなこと、これまで一度もなかったのに。








***

夕食の準備のため、俺は川崎さんとシノさんと一緒に厨房に入っていた。
今日は肉団子のすーぷで、大陸風の味付けになっている。ごま油のいい匂いがしている。
俺はそれに入れる葱を刻んでいた。

なんだか玄関が騒がしい。

「キヨノさん、旦那様がお帰りですよ!」

藤代さんがシノさんに怒られながら走って厨房に入ってきた。


嬉しい。

そんな思いがこみ上げてきた。
しかし、次に大いに困ってしまった。
まだ自分の仕事は終わっていない。しかしなりあきさまにはすぐにお会いしたい。お出迎えにいきたい。

俺は包丁を持ったままおろおろとしてしまった。

「キヨノさん、早く旦那様のお出迎えに行ってさしあげてください。
それにキヨノさんは厨房では俺の手伝いだが、旦那様の奥様でもあるんですから。
ほら、行った行った」

川崎さんがそっと包丁を俺の手から外してくれた。

「はいっ」

俺は手を洗い、小走りで玄関に向かった。




なりあきさまはまだお屋敷に入っていらっしゃらなかったので、玄関のドアを開けた。
黒い自動車が敷地に入ってきて屋敷の前に止まった。
後ろの席から薄手のコートを着て背の高い帽子をかぶったなりあきさまがご自分で出てこられた。
いつもなら佐伯さんか中川さんがドアを開けるのを待っていらっしゃるのに。

「キヨノさん!」

「はいっ。おかえりなさいませ」

なりあきさまはいそいそと俺のほうに向かって歩いていらした。
腕を伸ばし、広げ、ああ、今日は俺、なりあきさまに思い切り抱きしめられるんだ、と思った。

しかし、なりあきさまは途中で腕を下ろしてしまわれた。
寂しくて心がぎゅっとなった。

「ただいまかえりました」

「はい」

しょんぼりしてしまったが、元気のない声で心配をかけてはならない。
俺はなるたけ平気な声で返事をした。


「おかえりなさいませ、旦那様。
今日は随分とお早いお帰りで」

「ただいま、中川。
会合があったのだが、思いのほか早く終わってね。
年度が替わればしばらくは夜も遅くなることも増えるから、帰れるときは早く帰ってもよいとスメラギ様がおっしゃったのでそうさせていただいた」

「そうですか。それはようございました」

「ああ」

なりあきさまはいつもは俺に渡す革の鞄を中川さんに手渡した。
そして春物のくびまきをご自分の首から外すとそっと俺の首に巻きつけた。
何事かと、わからずになりあきさまを見上げる。

「キヨノさん、庭の桜を見に行きませんか」

花見をした桜は満開になり、そして花芯が赤く腫れ、散り始めたものもある。
もう一度散る前に、なりあきさまと桜が見られたらいいのに、と思っていた。

俺は嬉しくなって「はい」とお返事した。




なりあきさまのあとを追うように庭に向かった。
春になり日は長くはなっているが、それでも少し薄暗くなっている。
桜は白っぽく見え、風が吹くとちらりほらりと花びらを落とす。

「桜、綺麗ですね」

「はい」

突然、隣に立つなりあきさまが言った。

「一年前、貴方と私はここで祝言を挙げました」

「はい」

「キヨノさん」

「はい?」

俺はなりあきさまを見上げる。なりあきさまは優しい目で俺を見下ろす。

「この一年、おつらい目に遭わせてしまったこともありましたが、私と一緒にいてくださり、ありがとうございました」

お、俺も。嬉しいから。

うまく言えなくて、俺はぴょこんと頭を下げた。
頭を上げると、なりあきさまが小さな箱を手のひらに載せて俺に差し出してきた。
なにかわからず、そのまま見ている。
なりあきさまが綺麗な手で箱のふたをぱかりと開ける。
覗き込むと、小さく光るものが二つ入っていた。

「指輪です。
西洋では結婚した二人は揃いの指輪をするそうです」

「はぁ」

「貴方のお仕事のことや、貴方がまだまだ成長することを考えると指輪はどうかと思いましたが、それでも指輪を贈りたかった」

綺麗な指が中の指輪をそっと取り出し、俺の手のひらに置いてくれた。
途端、ぶわああああっと何かが俺の中で羽ばたき、広がった。

「私が留守のときにビー玉を握りしめているとお聞きして。ビー玉より少しましかもしれません。
私と揃いの指輪です。受け取っていただけませんか」

嬉しい嬉しい嬉しい!

なりあきさまがもう一つの指輪をご自分の手のひらにも載せる。

「あ」

「どうされました?」

「つながってる」

「ん?」

「なりあきさまと俺、つながってる!」

はっきりと見える。
赤い炎をまとった尾の長い鳥が俺から生まれて飛び立ち、なりあきさまのほうへ飛び、なりあきさまの中に飛び込んでいった。まるで輪を描くように。

なりあきさまは箱を上着のポケットに入れ、それからそっと俺の手の上の指輪をつまんだ。

「キヨノさん、私にふれないようにゆっくり左の薬指を指輪に通してみてください」

俺はうなずき、そして言われたとおりに薬指を通した。
今度は俺がなりあきさまの指輪をつまみ上げた。

「ありがとう」

なりあきさまもゆっくりと左の薬指を指輪に通していく。



「キヨノさん?!」

なりあきさまの指の根元に指輪がはまったのを見ていたら、なりあきさまが大きな声で俺の名前を呼んだ。

「え」

「泣かないで」

「あ。なんで。
こんなに嬉しいのに。
なりあきさまとつながって、こんなに嬉しいのに」

なんで。

「ごめんなさい。
俺、なんだか泣き虫になっていて。
ごめんなさい」

「キヨノさん」

「はい」

「私も嬉しいです。貴方と繋がれて嬉しいです。
指輪を受け取っていただき、ありがとうございます」

「なりあきさま」


なりあきさまがしゃがんで、小指を出した。
俺は泣きながら自分の小指を絡めた。

「ゆびきりげんまん」

あ。すぐになりあきさまの指が離れていってしまう。
行かないで。

「ずっと貴方を愛します」





今、やっと。

これまでなりあきさまが俺に言っていた言葉の意味がわかった気がした。

この人はずっと、俺に「愛」というものを伝えていたんだ。
あの炎の赤い鳥のような。
きらきらするビー玉のような。
甘いキャラメルのような。
しっとりと指にはまっている指輪のような。


だあああと滝のような涙が出た。
困ってなりあきさまを見たら、なりあきさまも泣いていた。


俺だけじゃなかった。










桜ゆびきり 了



***
ブログ更新 うっかり一周年 / キヨノさん 第47話
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