キヨノさん

Kyrie

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第50話 意味を知る

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和室の縁側に面した障子を開けていると、新緑が濃くなっていく香りのする風が入ってくる。
俺はとこでうとうとしていた。




「キヨノさん、起きていらっしゃいますか」

優しいお声がする。
夢うつつで返事をすると「入りますよ」と今度ははっきり聞こえ、俺はぱっちりと目を覚ました。

「なりあきさま!」

俺を覗き込むのは、久しぶりにお会いするなりあきさまだった。

「夢?」

「違いますよ、本物です。
出張から戻ってまいりました。
少し汗臭かったので、湯浴みをしていたら遅くなってしまいました。
ただいま、キヨノさん」

俺はえいっと起き上がった。

「おかえりなさいませ、なりあきさま!
お出迎えにも行かず、すみません」

「いいえ、ご無理をなさってはいけません。
横になってください」

俺が首を横に振ると、なりあきさまは肩をすくめ、それ以上はなにもおっしゃらなかった。

「ご心配をおかけして、すみません」

「無茶なことばかり。
あの時も肝が冷えました」

「……すみません」

「でも、今日は顔色もよさそうだ。
食欲も少し戻ってきた、と川崎から聞いていますよ。
いいことです」

なりあきさまは正座をしたまま、俺を見てにっこりと笑った。
俺もなんとなくいずまいを正したくなって、床の上で正座をする。
背骨がしゃんとして、丹田に力を込めることができた。

「おや?
キヨノさん、香を焚かれましたか?」

「いいえ」

「そうですか。白檀の香りがかすかにする気がしたのですが」

それを聞いて俺は身を硬くした。
その匂いの主はナメカワさまだ、多分。

勝手に子どもの姿でお風呂に入りにきて中川さんに見つかり、ひどく怒られてこと以外、俺はなりあきさまにも屋敷の人たちにもナメカワさまのことは一切話していない。
「今度は白いねずみになっておみえになりました」なんて、言えそうにない。
そのねずみが餡子玉や干菓子を運んできたことも、今考えても現実のことかどうか、自分でもはっきりしないのだ。

あの箱入りの干菓子は一日に一つ、そっと食べている。
これまで食べていたものより、甘いこっくりとした香りが強い。
それを食べたあとは、少しだけ体力が戻るようで起き上がっていても、あまり疲れない。
なので、俺は少しずつみんなに内緒で文字の稽古をしていた。



「キヨノさん?」

「は、はい」

「ぼんやりして、またお加減が」

「いいえ、大丈夫です!もう少し、このままでいさせてください」

「そうですか」

なりあきさまは柔らかく微笑むと、白檀のことはもうなにもおっしゃらなかった。



「そうだ。内々ですが、スメラギ様にお会いする機会がありました」

う。

「私のために、伏見と津和野に使いを出してくれたそうです。
伏見と津和野と言えば、狐と縁深い土地です。
私の暴走についてなにか有益な情報が得られるといいのですが」

ナメカワさまがおっしゃっていたのは、本当だったんだ。

「あとはキヨノさんに心から信頼していただけるように、努めるばかりです」

真剣なまなざしのなりあきさま。
俺はこんなにもあなたを信じているのに。
拒む自分の身体が嫌になる。

「でもどうすればいいのかわからない、というのが正直なところです。
これまで貴方以外に恋心をいだいたことがなかった」

「ふぇ」

驚いて情けない声が出てしまったが、なりあきさまはしごく真面目だった。

「お恥ずかしながら、キヨノさんにお会いするまで私はどなたも好きになったことがないし、つきあいもしたことがありません」

「あんなに人気があるのに?」

特に女性に、というのは藤代さんから聞いたことだ。

「おやおや、誰からお聞きになったのですか。
私の容姿や地位、資産などの理由で近づく人も少なくないので、『もてていることを知らない』と言うと白々しいですからね。
おっしゃる通りです。
しかし、実際は初めて人を好きになりました」

「……お、俺も。
全然わからなくて、なにがどうなっているのか、本当にわからなくて。
だからどうしたらいいのか、わからなくて。
気がついたら泣いていて、だけど、勝手に大人になっていて」

「貴方くらいの年齢の、特に男は制御しにくい時期ですよ。
その間に大人になる心構えをします。
もしあのまま田村さんのところにいたら、働きながら年上の男たちからいろいろ教わったのでしょうね。
お元気になったら、私も、屋敷中の男たちが貴方にいろいろ教えてあげましょう」

「い、いろいろ……?」

「この屋敷にいる者が経験してきたことは面白くもあり、自分が生きていく上で参考になることがたくさんあります。
話を聞くだけでも愉快だと思いますよ。
それに」

「それに?」

「どの男も通ってきた道です。
懐かしくもあり、その暴れぶりには辟易していると思います。
だからキヨノさんのような若い人にはあれこれ教えたくなるのです」

「はぁ」

「難しく考えないでください」

「はぁ」

「中川の初恋の話、聞いてみたくはありませんか」

中川さんの、はつ、こい……?

「あの、中川さん、の?」

「そうです。ほら、聞きたいでしょう?」

俺は思わず大きな音を立てて唾を飲みこんでしまった。
それを聞いてなりあきさまは声を立てて笑う。


「そういうことができるように、少しずつ身体を元に戻していきましょう」

「なりあきさま……」

「はい、キヨノさん。
愛してますよ」


最近、読んだ子ども向けの西洋のお話の中に、その言葉は出てきた。
王様や王子様が大切な人に対して「愛しています」と必ずといっていいほど言っていた。

これまでなりあきさまが俺に向かって言った言葉にも、これが入っていた。
それに気づいたのも本を読んでからで、それに気がついた俺はどうしようもなく恥ずかしかった。

今も、目の前で、あの声で言われると、照れる。
ほっぺたが熱い。
ずっと見ていたいのに、恥ずかしくてなりあきさまを見ていられなくなり、俺は俯いた。

「小指にさわっても?」

なりあきさまの問いに、小さくうなずく。

なりあきさまは小指を突き出した手で、俺の小指をつんと突いた。

「ひゃっ」

「ふふふふふ。随分とかわらいらしい声を上げるのですね」

「いや、その」

「ご気分は?いかがですか?気持ち悪くない?吐き気は?」

「だい…じょ……ぶ」

「ではもう一回?」

だめだ、首まで熱い。
でもふれてもらいたい。
俺はうなずく。
なりあきさまはまた小指で、俺の小指を突っついてきた。

「いかがですか」

「だ……いじょ…ぶ」

「人差し指はどうかな」

俺はうなずく。





こうしたやりとりを続けていると、気がついたらなりあきさまは随分と俺の近くにいらっしゃった。
嬉しい。
でも恥ずかしい。
どうしよう。

「キヨノさん、どうされましたか。お顔や首が真っ赤ですよ」

「なんでも…ない、です」

「本当ですか?ほら、顔を上げて私に見せてください」

いやいや。こんな顔、見せられない。恥ずかしい。

「おや、おいやですか?」

なりあきさまの声が低く沈んでいく。
がっかりしたほしくない。
でも恥ずかしい。

「無理は止めておきましょうね」

「いや、そんなこと、はっ」

なりあきさまが俺から離れようとする気配を感じて、俺は思わず顔を上げた。

そこには優しい優しいなりあきさまのお顔があり、胸がきゅっと締めつけられた。



「………っぁ」

掠めとるようになりあきさまの唇が俺の唇に瞬間、ふれた。

俺は苦しくて苦しくて胸を抱えた。
でも嬉しくて嬉しくて、気がついたらまた涙が目にいっぱいに溜まっていて。

「なり」

それ以上お名前を呼ぼうとすると、涙がこぼれてしまいそうになって。

「キヨノさん、私は貴方を愛しています。
おそばにいることをお許しください」

このままなりあきさまとキスしたりハグしたりしたいのに、俺はただただ自分を抱きしめているだけだった。











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