かごの鳥と魔女の落とし子

ふじゆう

文字の大きさ
上 下
14 / 44
第一章 魔女の落とし子

1-13

しおりを挟む
「どうしたの? 急に。別にいじめられてなんかいないけど」
 どうしてフルートがそんな事を聞いてきたのか分からない。何の脈絡もない質問に、意図がまるで見えない。
「今日もそうだけど、いつもいつも傷だらけで帰ってくるじゃない? もしかしたら、いじめに合っているんじゃないかと心配しているのよ」
「・・・あっ!」
「あ! って何よ? 心当たりがあるんでしょ? 正直に話しなさい」
 フルートは身を乗り出して、口を隠すように押さえているホルンの手を掴んで下げた。ホルンは、悪戯がばれた時のような、気まずそうな顔をしている。
あれはいじめなのだろうか? 
複数対一人なら、完全にいじめの体をなしている。しかし、一対一の場合は、いじめになるのか分からない。嫌がらせは受けている。だからこそ、『いじめられているの?』という質問に疑問符が浮かんでいた。ベンとの喧嘩が、体中に痣ができる原因だ。いじめられていると言えば、悲しむだろう。喧嘩をしたと言えば、怒られてしまうだろう。さて、どうしたものかと、ホルンは少し考えた。が、諦めた。諦めるなと言われた尻から、負けを決断した。
「ベンが嫌がらせをしてくるから、喧嘩になるんだよ」
「ベン? ああ、ベントさんの息子さんね。嫌がらせって何よ?」
 しまった。ホルンは失敗を後悔しながら、チラリとドラムを見た。顔を赤めているドラムは、幸せそうに酒で喉を鳴らしている。
「ホルン? 教えなさい」
 フルートは、眉間に皺を寄せて、真っ直ぐにホルンを見つめる。ホルンは、もう一度ドラムを見て、溜息を吐いて肩を落とした。
「・・・父さんの仕事の事で・・・」
「お父さんの仕事が、どうしたのよ?」
「臭いとか、汚いとか・・・そんな事を言われて、腹が立ったんだよ」
 ホルンは目を伏せて、遠慮がちに呟いた。次に来るドラムの反応が怖かった。不愉快な想いをさせてしまうに違いない。しかし、一瞬の沈黙の後、空気が爆ぜたような笑い声が飛び出した。ビクリと体を震わせたホルンは、隣に顔を向けた。ドラムが腹を抱えて笑っている。
「そりゃそうだ! その通りだ! 臭いし汚いに決まっている! 目が眩むほどの絶世の美女でも、排泄物は汚いものだ! 汚れてなんぼの仕事だ! ぶわっはっはっ!」
 涙を流し爆笑するドラムを、ホルンは呆然と眺めている。
「ど、どうして笑っていられるんだよ!? 自分の仕事を馬鹿にされているんだよ!?」
 八つ当たりをするように、ホルンは立ち上がって叫んだ。ホルンの吊り上がった眉を見て、ドラムは目を丸くしている。
「別に馬鹿にされてないだろ? 事実を言われているだけだ。まあ、本当の事でも何でもかんでも口に出しているようじゃ、ベンの奴もまだケツが青いな」
「悔しくないの?」
 ホルンは萎れるように、椅子に座った。今度は、ドラムが呆然とホルンを見つめ、ゆっくりと頭を傾けた。
「悔しい? なぜだ? 俺は自分の仕事に誇りを持っているからな。他人の意見や評価には、まったく興味が沸かん。それに寧ろ嫌がってくれた方が燃えるぜ! 人がやりたくない事をやっているって、最高じゃないか!」
 ドラムは、勢いよく酒を流し込み、臭い息を吐き出した。ホルンは、鼻をつまんで顔をしかめる。
「そうよ、ホルン。人が嫌がる事を率先してやれる人は、素敵な人よ。下水処理は、大切なお仕事なの。なくてはならないのよ。お父さんは、人々の生活を支えているの」
「おう、まさに縁の下の力持ちだ! かっこいいだろ!」
 ドラムは、腕を持ち上げ力こぶを自慢気に見せつける。すると、フルートは、小さく溜息を吐いた。
「その力持ちさんを支えているのは、誰だと思っているの? 毎日のお洗濯も大変なのよ。なかなか匂いも落ちないんだから。少しくらいは、感謝をしてちょうだい」
「感謝ばかりをしているぞ! お前と結婚できた俺は、世界一の幸せ者だ!」
 ドラムはフルートの肩に野太い腕を回し、高らかに笑い声を上げる。器が大きく豪快な男だ。子供の前で惚気るのは止めて欲しいと思いつつも、ホルンは両親の様子を見て安心した。人の嫌がる事を率先して行っているどこかのデカブツは、ちっとも素敵ではない。
 飲み水を上水、川の水を中水、汚水排水を下水と表現する事もあり、分かりやすく上下が示されている。それ故、差別的な表現も生まれやすい。また表現の上下関係も存在するが、実在する場所の問題もある。山々から溢れ流れる上水、主に地上に面し目視できる中水、地下を配管で通る下水だ。地下には下水道が蜘蛛の巣のように張り巡らされており、踏みつけられている地面のさらに下だ。しかもより見下される要因として、地下の下水道には、囚人を収容する監獄が存在している。巨大な下水道の壁を、四角く切り取って、鉄格子が設置されている。当然ながら、捕らえられた『魔女の落とし子』もそこに収監されている。生活になくてはならないインフラ設備であるにも関わらず、一部の心無い人間は、下水関連事業従事者を蔑んでいる。それが、ベン=ベントであり、恩恵を受けている事実は失念している。
「まあ、言いたい奴には言わせとけ。ありがとなホルン。俺の為に怒ってくれたんだな。自分ではない誰かの為に怒れる奴は、心が生きている。俺は、そんなお前が誇らしいよ」
 ドラムがホルンの頭を乱暴に撫でた。少し痛かったけど、ホルンは頬を赤めてはにかんだ。そして、ビッシュの事が脳裏に過り、胸をチクリと刺した。ビッシュもホルンの為に怒り、ベンに仕返しをしてくれていた。そんなビッシュと初めて喧嘩をした。やはり、どう考えてもホルンは、腑に落ちなかった。十年近くの歳月を共に暮らしてきた。
 あの痛々しい表情で、ホルンを殴ったビッシュの顔が忘れられない。殴られたホルンよりも、苦しそうであった。きっと、話し合えば、分かり合えるはずだ。
「ねえ、ピアも! ピアもいい子でしょ?」
 突然、妹のピアニカが、ドラムに抱き着いた。ドラムは、ピアニカを抱きしめ頬ずりをしている。ピアニカは嬉しそうに、キャッキャと騒いでいた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! いいもの見せてあげるね!」
 ホルンに向かって目を輝かせたピアニカが、奥の部屋へと走っていった。ピアニカが消えた先を、ホルンが眺めていると、彼女が慎重な足取りで戻ってきた。ピアニカは、細い枝木を組み合わせて制作された、籠を持っていた。籠の中には、真っ白な羽毛の鳥がいた。
「ねえ、見て見て。綺麗でしょ?」
 ピアニカは、籠を持ち上げて、座っているホルンの顔の前に差し出した。ホルンは前かがみになって、籠の中を眺める。
「うん、ほんと綺麗だね。これ『マスイノトリ』でしょ? 実物を見たのは久しぶりだよ」
「ねえ、珍しいでしょ? この子はピアが大切に育てるの」
「え? でも、確か・・・」
 ホルンは、チラリとフルートを見た。フルートは、小さく頷き、ピアニカの前で腰を下ろした。
「ピア。この子はね、怪我が治ったら、お家に帰してあげないといけないのよ」
「いや! ピアが飼うの! ちゃんと面倒みるもん!」
 ピアニカは、鳥籠を抱きしめて、背を向けた。ホルンとフルートは顔を合わせ、二人とも困り顔を見せている。
「でもね、ピア。この子にも家族がいるのよ。お父さんやお母さん、それからお兄ちゃんもいるかもしれない。離れ離れじゃ可哀そうでしょ?」
「・・・でも」
 ピアニカは、鳥籠とフルートの顔を交互に見て、涙を瞳いっぱいに溜めている。ジッと籠の中の『マスイノトリ』を見つめながら、小さく顎を引いた。ドラムが大きな手を伸ばし、ピアニカの頭を優しく撫でた。
 アカデミーに入学したばかりのピアニカには、法律の事を説明しても理解できない。そう感じたフルートは、心に訴えかける説明をした。一回生の授業では習っていなかったっけ? と、ホルンは右斜め上を見ていた。しかし、ホルンは、思い出せなかった。フルートからの説明では、ピアニカを連れて買い物に行った帰りに、道端で倒れていた『マスイノトリ』を発見し保護したそうだ。
 特別天然記念物に指定されている『マスイノトリ』は、飼育や捕獲を禁じられている。歴代のシュガーホープが敬愛している鳥だ。シュガーホープの紋章や通貨にも刻印されている。神の鳥とも呼ばれ、大切に扱われているが、近代ではめっきり数が減少していた。
「ねえ、父さん。『マスイノトリ』って、どうして数が減っちゃったの?」
 ホルンがドラムを見上げると、父は腕組みして天井を見つめた。
「なんでだろうなあ? 天敵もいないし、民には手出しできないから、安心して暮らせるはずなんだがな。俺が子供の頃から、減少しているって言われ続けているぞ。でもな、冬山付近には、まだ結構生息していてな、あまり減少している実感はないんだけどな」
「前にビッシュと秋山に登った時も、全然見かけなかったよ」
「そうらしいな。今では王都やそれぞれの地区の住居地、それに春と秋の山でも見かけないらしい。夏山と冬山が、生息地になっているみたいだな。極端な気候が好みなのかもしれないな」
 うーんと、ホルンとドラムが唸っていると、純白な羽毛を羽ばたかせた『マスイノトリ』が、ピチチチとさえずった。
しおりを挟む

処理中です...