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素敵な姉
しおりを挟むずっと姉が欲しかった。
幼い頃は貧しい農村で母と二人暮らしをしていて、父親がいないから近所の子に苛められることもあった。母はとても不安定で、夜な夜などこかへ出かけては、急に高価な服を着て戻ってきて、私にもどこかのお嬢さんみたいな素敵な服を持ってきてくれることもあった。
数年経って、ある日突然私の父だという男性がやってきた。とても綺麗な人で、最初は母が騙されているのではないかと思ったけれど、母と二人で大きなお屋敷に引っ越すことになり、少しだけ彼を信じてみようと思った。
父は田舎の貴族だった。私は貧しい村娘から伯爵令嬢になったのだ。突然使用人に囲まれる生活になった。そして、母はとても贅沢をするようになった。
大きなお屋敷での生活は、少し寂しい。村では近所の子供達が少し意地悪だったけれど、それでも時々は一緒に遊んでくれた。けれども新しいお屋敷では友達が一人もいない。それに、使用人達は私と母を嫌っているようだった。
せめてきょうだいがいればいいのに。そう思った。
一番は姉が欲しかった。優しくて穏やかな人がいい。私の話をゆっくり聞いて、時々優しく笑んでくれるような人がいい。もしくは弟でもいい。弟だったら大人しくて、ちゃんとお姉さんの言うこと聞いてくれる子がいい。そんな風に考えていた。
そうしたら、ある日突然本当に姉が出来た。
伯爵家の古いけれどお大きいと思っていたお屋敷よりもずっと大きくて、それにしっかり手入れの行き届いた立派なお屋敷に引っ越した。父は侯爵だったらしい。引っ越したその日から、私は侯爵令嬢になった。父はなんでも買ってくれるしもっとねだりなさいと言うようになった。けれどもそんなことはどうでもいい。それよりも大事なのは姉の存在だ。
初めて会った時、姉はとても驚いた様子でたった一言の声も発することがなかった。それどころか長い髪を適当にくくり、男性のような簡素な服を着て、少し汚れたエプロンに、更に手まで少し汚れていた。なにか汚れるような作業をしていたのかもしれない。それでも、私が今まで出会った誰よりも美しいものに見えてしまった。
ヴィオラ。あの可憐な花の名前かと思った。少し浮世離れした空気を纏っていて、もしも天使が地上に迷い込んでしまったならきっと彼女のような存在なのだろうなどと考えてしまうほど、彼女は自分にも周囲にもあまり関心がないように見えた。
けれどもずっと欲しかった姉だ。血は半分だけ繋がっている。だから仲良くなりたいと思った。
最初の数日は、私にどう接したらいいのかわからないと、少し怯えているようにも見えた。けれども、楽器の話をするときはとても幸せそうに見えて、本当は興味がなかったけれど、ヴァイオリンを始めたいと言えばとても丁寧に楽器を選んでくれた。
一つわかったのは、姉は私を嫌ってはいないということだ。ただ、接し方がわからないから傷つけないようにと怯えているような様子こそ見せることはあっても拒まないでくれる。今はそれだけで十分だった。
けれども一つ邪魔な存在。あのクレメントとかいう王子様だ。彼は確かにお人形のように整った容姿で、無駄にきらきらとした瞳が多くの人を魅了するのだろうと思う。けれども子供っぽい性格で、しかもとっても頭が悪い。私より二つも年上なのに、ずっと年下の男の子みたいだし、王子様なのに留年している変な人だ。その王子様は姉の婚約者でいつも姉を困らせている。はっきり言ってとても邪魔な存在だ。
折角手に入った念願の姉を手放したくない。独占したいと思ってしまうのは、彼女を困らせてしまうことだろうか。
試験初日を終え、家に帰ると母が男性と揉めているようだった。
「入院? 必要ありません」
「しかし、このままでは学業にも支障が出ますので」
「あの子はサボり癖があるだけです。母親が相当甘やかしてきたのでしょう。こちらで厳しく躾け直しますので今日のところはお引き取りください」
母と揉めていたのは校医だった。正直なところ彼がここまで母と言い争うとは思えなかった。むしろ、生徒のサボりにも比較的協力的だという噂の彼は真面目に仕事をしそうには見えない。
「しかし、ヴィオラは」
「家庭内のことです。あなたに口出しをする権利はありません」
なにかを言いかけた校医に母がきっぱりと言い切る。こんな言われ方をすれば本当にあの校医はなにも言えなくなってしまうだろう。
「お姉様、どこか悪いのですか?」
話に割って入ったとなると後で叱られてしまうかもしれない。それでも、気になってしまった。
「相当疲れが溜まっているみたいでね、何日も眠れていないようなんだ」
それは大変。お姉様を疲れさせるなんてきっとあの王子がまたなにかしたに違いないわ。
「お母様、きっとあの王子様のせいよ。彼はいつもお姉様を困らせているもの。きっとあの頭の悪い彼がまたお姉様を困らせてしまったんだわ」
そう訴えると、母はなにかに閃いたような表情を見せる。
私はなにかおかしなことを言ってしまっただろうか。
けれども母は満足そうに、校医に微笑みかける。
「そうですね。殿下がお相手となるとあの子では断ることができませんから、ヴィオラはしばらく自宅で療養させます。休学届を出しますので、書類を持ってきてください」
突然、にこやかになった母を訝しむように見る校医。
やってしまったと思う。母は時々、こうやってなにかを企む。それがなにをしようとしているかまではわからないけれど、大体、誰かにとって悪いことだ。その先にお金があることは知っている。現にこのお屋敷に引っ越してから母はものすごく贅沢になった。今だってとても重そうな宝石をいくつも身につけている。
醜い。母を見て思う。母はあんなに高価なドレスを着て沢山の宝石で飾って化粧だってしているのに、そのどれもない姉の方が何万倍も美しいと思ってしまう。確かに、今朝も顔色が悪かった。近頃の彼女は今にも消えてしまいそうな程に弱って見える。けれども美しい。
そう思い、気付く。母はきっと姉のあの美しさを損なわせようとしているのだ。姉からあの工房を奪いたがっていることも知っている。家令のあのミハエルとか言う男に、工房と土地の権利書を渡せと何度も言っている姿を見ている。けれどもミハエルは紛失しただとか捜索中だとかいい加減なことを言って母を怒らせている。
ミハエルだ。そう、閃く。母から姉を護るには彼の力が必要なはずだ。あのミハエルは従順な使用人のふりをして父を馬鹿にするような目で見ている。きっと両親を止められるのは彼だけだろう。
校医はまだ母になにかを言いたそうだったが、保護者から休学届を出すと言われてしまえば最早なにも言えない。だって相手は保護者で、しかも侯爵夫人だ。
渋々と言う様子で出て行くその背を見送り、姉の部屋へ向かう。
今朝は相当顔色が悪かった。今日はあの王子様に置いて行かれてしまい、父の馬車で帰宅することになったから、姉の状況はわからない。
ノックをしても返事がない。眠っているのだろうか。
「ヴィオラ様はお休みです」
背後から静かな声が響く。振り向けばあの執事が居た。
「お姉様の様態はどうなの?」
「……かなりお疲れの様です。しばらくこの部屋には近づかないように」
どう見ても主に対する態度じゃない。私だって侯爵令嬢なのに、このミハエルは全く私に敬意を持っていないことがわかる態度だ。
「あなた、うちの使用人でしょう?」
「誤解されているようですが、私の主はヴィオラ様ただお一人です」
きっぱりと答えられてしまい目眩がする。つまりこの執事から見れば突然現れた私も母も敵でしかないと言うことだろう。
「クレメント殿下以外はお通ししないようにメイド達にも伝えます」
彼は静かな声で言う。
「待って。あのわがまま王子をお姉様に近づけては余計に疲れさせてしまうわ。あいつこそお姉様に近づけるべきではないわ」
あの男はお姉様に有害よ。お姉様に害があるものなら排除してくれるでしょうと見上げれば、溜息を吐かれた。
「クレメント殿下はヴィオラ様に必要な存在です。むしろ、あの方の支えなしではヴィオラ様は壊れてしまうでしょう」
言われた意味がわからない。
なぜ。あんなわがままだけの頭の悪い王子がお姉様の支えになるなどと言い切れるのか。
「どうしてあの人が」
更に訊ねようとしたけれど、ミハエルは背を向けて歩き出してしまう。答える気がないようだ。
もし、ミハエルの言葉が事実だとしたら、私は余計なことを言ってしまったことになる。
お姉様を傷つけてしまう結果になる。
そう思うとどうしようもないほど悲しくなる。
ずっと欲しかった姉だ。彼女は怯えながらも、それでも優しく接してくれる。時々苦しそうに、けれども私を拒まない。
ヴァイオリンなんてちっとも興味がないけれど、彼女が喜んでくれるなら頑張って練習する。実技試験で合格したら褒めてくれるだろう。そう考えただけで頑張れる。
たぶん、ヴィオラという女性というよりは、私の姉という肩書きの方がずっと大きな力を持っている。彼女個人ではなく、姉という存在に執着していることくらい理解はしている。それでも、きっとこの感情は彼女個人へも向いていく。
だから。お姉様は私が護るの。困った両親と、あの忌々しい王子から。
そう、誓ったはいいけれど、出来ることは少ない。
せめて。あのお姉様が思い詰めすぎないように和ませてあげたい。
そう願えばすることは一つ。ヴァイオリンの練習だ。
きっとちゃんと一曲弾けるようになれば、彼女はたくさん褒めてくれる。柔らかい笑みを浮かべて「すごいわ、アマンダ」と頭を撫でてくれるかもしれない。
そんな期待を抱いて部屋に戻る。
私のお姉様はどんな曲が好きだろうか。
楽譜をめくりながらそんなことを考えた。
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