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1巻
1-2
不思議に思って尋ねると、小島さんが興奮した様子で首を縦に振った。
「いや、それが……そのお客様が、すっごい迫力イケメンだったから、緊張しちゃって」
「……えっ?」
――迫力イケメン……そんな人、知り合いにいたっけ?
内心で首を傾げながら、小島さんと一緒に店に戻る。彼女が「あの方です」と手で示した先に見えたのは、まさかの真家さんだった。
――え? なんで、あの人が……
真家さんは窓側の席で書類に目を通しつつ、ショートサイズのドリンクを飲んでいた。
その姿を呆然と見つめていると、私の異変を感じ取った小島さんに背中を叩かれる。
「薫さん大丈夫ですか? もしかして、取り次がない方がよかった……?」
神妙な顔でこちらを窺ってくる小島さんにハッとして、私は首を横に振った。
「ううん! 大丈夫! 家族のことでお世話になっている人なの。ご挨拶してきます」
カウンターからフロアに移動した私は、少し緊張しながら真家さんのもとへ行く。すると、すぐに私の姿に気がついた彼が、書類をテーブルに置いて立ち上がった。
「薫さん。すみません、お仕事中にお呼び立てしてしまって」
にっこりと微笑む真家さんにつられ、私も無理矢理笑みを作る。
「いえ、でも……びっくりしました。私、真家さんに勤務先は教えていなかったと思うのですが……」
――だよね。私、あの時、職場は聞かれてないよね?
怪訝な顔をする私に、真家さんがフッと笑った。
「先日、あなた方がいらしたうちのオフィスは、ここから五分とかかりません。この辺りでは、この店は美味しいコーヒーが飲めると有名ですからね。私も一度、来たことがありまして」
「えっ……でも私、真家さんにお会いした記憶がなくて」
こんなに目立つ人、一度でも接客すれば絶対忘れない。なのに、私には接客した覚えがまるでない。これは一体どういうことだ。
「ああ、すみません。直接あなたに応対していただいたわけではないんです。その時は事務所の者と来て。コーヒーを十杯テイクアウトでお願いした時も、あなたは連れの接客をしていました」
「コーヒーを十杯テイクアウトで……」
そういえば少し前、ビジネスマン風のスーツを着た男性が二人来店して、コーヒーを十杯全てテイクアウトでという注文を受けた。
私がコーヒーを淹れて、もう一人のスタッフが袋にセットしてお客様に手渡していたが、一杯だけは手で持って行くと言われて、私が男性にコーヒーを手渡した。
それはちゃんと覚えている。
だけど、一緒に来たという真家さんのことは、まったく記憶にない。
「すみません、確かにそうしたお客様が来たのは覚えているのですが、それが真家さんだとは……」
申し訳ない気持ちで頭を下げると、真家さんが慌てて手を振った。
「いえ、あなたは忙しくしてらしたので、覚えていないのも無理はありません。私は、なんというか、一度見た人の顔は忘れないタイプでして。なので、エレベーターで会った時に、すぐ分かりました。この店の方だと」
あの日、やたらと真家さんが私を見ていると思ったのは、そういうことだったのか、とようやく納得がいった。帰り際の「また」も、この店で会うことを想定して言ったのだろう。
気になっていたことがすっきりして、やっと心の底から笑顔になれた。
「なんだ……あの場で言ってくださればよかったのに。ご来店ありがとうございます」
私が一礼すると、真家さんの表情がふっと緩み、私を見つめて目を細める。
「その笑顔が見たかったんです」
――ん? 今のは、どういう意味だ?
気になったけど、真家さんはそれ以上何か言うことはなかったので、敢えて尋ねるのはやめた。
「あっ、と……あの……今日は……どなたかと待ち合わせですか……?」
喉から言葉をひねり出すと、真家さんは「いえ」と言ってテーブルの上のコーヒーに視線を落とした。
「今日は、薫さんにご挨拶に伺いました。お姉様の件もありますし」
姉の件だと言われ、慌てて姿勢を正す。
「わざわざすみません。姉のこと……どうかよろしくお願いします」
「はい。あれからお姉様の様子はいかがですか?」
姉のことを心配して来てくれたんだ。そう思ったら、胸の辺りがじんわりと温かくなる。
仕事だからだとは思うけど、家族を気に掛けてもらえるのはやっぱり嬉しい。
「そうですね……真家さんに相談してから、いつもの姉に戻ったような気がします。きっと、離婚に関する不安がなくなって、前向きになれたんじゃないかと……」
「そうですか、それならよかった。相手方とはすでに連絡を取り合っていますので、近日中にお姉様にも状況をご連絡いたします」
「はい、姉に伝えておきます」
落ち着いた口調で話す真家さんに安心しきっていると、テーブルの上のスマートフォンから着信音が聞こえてきた。
素早くそれを手に取りチェックした彼は、机の上の書類を鞄にしまい始める。
「戻れと連絡がありましたので、これで失礼します」
「はい。あ、じゃあ出口までお見送りします」
鞄とコーヒーカップを手に歩き出した真家さんは、ふと立ち止まり私を振り返った。
「この前と立場が逆ですね」
そう言って微笑む真家さんの整った顔に、ついドキッとしてしまった。
――うっ……イケメンなのは知ってたけど、至近距離で微笑まれるとすごい威力……!
「そう……ですね」
思わず目を瞬かせる私をじっと見ていた真家さんが、出入り口に向かって歩き出したので、それについて行った。
外に出て、私は改めて真家さんに深々と頭を下げる。
「今日はお越しいただき、ありがとうございました。姉の件も、引き続きよろしくお願いします」
「こちらこそ、美味しいコーヒーをご馳走様です。お姉様の件も承知いたしました――それで、薫さん。この前お伺いした件ですけど」
うちの店のショートサイズのコーヒーを手にしながら、真家さんが微笑む。
「この前の件? なんでしょう……」
なんか言われたっけ? とこの前のやり取りを思い出していると、私が思い出すより先に真家さんが口を開いた。
「今、お付き合いしている人はいないと仰ってましたが、今も変わりないですか?」
「……変わり、ないですけど……」
たった数日で、そうそう状況など変わらないと思うのだが。
不思議に思いながら答えると、真家さんがじっと私を見つめてくる。
「では、私と付き合っていただけませんか」
――……うん?
「あの……気のせいかな、付き合ってくれみたいなこと言われたような……」
「言いました」
真家さんが表情を変えずに、サラリと頷く。それにものすごい衝撃を受けた。
たぶん今の私は、幽霊でも見たんじゃないかっていうような、すごい顔をしていると思う。
「……じょ、冗談、ですよね」
「いえ、本気です」
きっぱりと言い切る真家さんを見つめたまま、私の頭は激しく混乱した。
なんで自分がこんなことを言われているのか、状況がさっぱり理解できない。
――な、何を言っているの、この人は……?
いくら店に来たことがあるからって、ちょっと言葉を交わしただけの私と付き合おうなんて……弁護士さんだけどアホなの?
それとも頭のいい人は、一般人とは考え方や価値観がズレてるってこと?
「ま……すます意味が分からないのですが」
「私と交際しませんか、ということです」
真面目に返されるが、もちろん私はボケたわけじゃない。だから、冗談か本気か分からない真家さんの言動に苛ついた。
「言葉の意味は理解しています、意味は。でも、そうじゃなくて! ……な、なんで、私なのかっていう……」
「私があなたに、女性としての魅力を感じているからです。もっと分かりやすく言うと、惚れました」
「惚れ……っ⁉ 真家さんが、私に⁉」
ますます信じられなくて言葉を失っていると、ずっと私を見つめていた真家さんが、腕時計に目を遣った。
「ああ、すみません。もう行かなくてはならないので、今日のところはこれで失礼します。返事は次に会った時で構いませんので、考えておいてください。では」
真家さんは軽く頭を下げると、私に向かってにこっと笑う。咄嗟にリアクションができずにいる私に背を向け、彼は颯爽と歩いて行ってしまった。
「へっ……ちょ、か、考えておいてくれって……」
――本気⁉
だんだんと小さくなる真家さんの背中を、私はただ呆然と見送ることしかできなかった。
真家さんからの告白という衝撃に動揺しつつ、なんとか仕事を終えた私。自宅に戻ったら、ダイニングテーブルでビールを飲みながら姉が管を巻いていた。
「くっそー、あの野郎。早く判子押せっつーんだよ‼」
帰宅したばかりなのか、きっちりした格好のままの姉がビールの缶を握りしめて吠えている。
そんな姉を横目で見ながら、そっとテーブルに着いた。
「どうしたの、昨日まで落ち着いてたのに。何かあった?」
真家さんも、すでに義兄と連絡を取り合っていて、近日中に連絡するって言ってたのに……
「それがねえ、孝治さんったら離婚したくないって弁護士さんから逃げ回ってるんだって。電話に出ないって、さっき弁護士さんから連絡が来てねー」
――なるほど。それでこの有様か……
祖母が、姉を見てため息をつきつつ、私にお味噌汁を手渡してくれる。
我が家は母が現役の看護師で病院に勤務しているため、食事などは基本的に祖母が作っていた。もちろん、母が休みの時は母が作るし、私も休みの時はなるべく作るようにしている。
そうして一杉家は、これまで家族で協力し合って生活してきたのだ。
だけど、そんな家族にすら言えない。その弁護士さんに今日、告られたなんて。
「そっ、そうなんだ……お義兄さん、なんでそんなに離婚したくないんだろうね?」
弁護士さん、という言葉に動揺してしまい、若干声が上擦る。だけど祖母も姉も、私の異変には気づいていないようだった。
「あいつのことだから絶対世間体が悪いとか、そんな理由で離婚したくないだけよ。まだ結婚して二年も経ってないのに、親や親戚になんて言えばいいんだって、私が離婚だって言ったらそればっかりだったもの」
「浮気したのは自分なのにねぇ……」
なんとも自分勝手なお義兄さんには、がっかりである。
「でも、そんなクソ野郎が相手でも、真家さんがどうにかしますって言ってくれたの。それだけが救いよ。ほんと、あの人にお願いできてよかったわー」
祖母が漬けたお漬物をポリポリと囓りながら、姉がフー、と息をついた。
「そっか……真家さんなら、きっとなんとかしてくれるよ……」
姉にはそう声をかけたけれど、私が内心で思っていたのは違うこと。
――離婚問題はなんとかしてくれるだろうけど、私の方の問題はどうなるんだろう。
そのことが気になってしまい、せっかく祖母が作ってくれた食事も、あまり食べた気がしなかった。
そして、その翌日。
朝一番で、かの人がカフェに現れた。
私が勤務する店は、朝七時からオープンし、モーニングメニューでコーヒーと軽食を提供している。社員の私は、週に何日か朝から勤務することがあるのだが……
「薫さん、おはようございます」
オープンしてすぐ、店の出入り口に本日のオススメのボードを置いていたら、いきなり声をかけられて、一瞬息が止まった。
「し、真家さん‼ お……はようございます……」
接客業にあるまじきことながら、私はすごく驚いた顔を彼に向けてしまう。
「モーニングをいただきに来ました。入ってもよろしいでしょうか」
「はいっ、もちろんです。どうぞ」
彼と一緒に店の中に移動し、カウンターで注文を伺う。うちは基本的に全てカウンターで注文してもらい、イートインのお食事はスタッフがお客様の席まで運ぶ方式となっている。
「では、オススメにあったブレンドコーヒーとBLTサンドを」
「かしこまりました」
「それと、昨日の返事を」
「かしこ……はっ⁉」
追加で注文をするみたいに言われて、私のお仕事モードが音を立てて崩れていく。
「ちょっ、変なこと注文しないでくださいよ!」
恥ずかしさと動揺から、つい声が大きくなってしまう。
そんな私を見て、真家さんは楽しそうに微笑んでいる。
「今は、近くに人もいないので、いいかと思いまして」
確かに今は、厨房にスタッフがいるだけで、カウンター内には私しかいない。オープン直後ということもあり、お客様も真家さんだけだ。
だからといって、返事などできるわけがない。
「ひ、人がいないからって、そんな……ああいったことは、すぐにお返事なんてできません!」
「それは残念」
ドギマギしながらお会計を済ませ、真家さんには席で待っていてもらう。
気持ちを落ち着けてコーヒーを淹れ、厨房スタッフが作ってくれたサンドイッチと一緒に、彼のもとへ運ぶ。
「お待たせしました、ブレンドコーヒーとBLTサンドです」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
テーブルにコーヒーとサンドイッチを置くと、真家さんが頬を緩ませた。これには私も、素直にお礼を言う。
「ありがとうございます。どうぞごゆっくり」
では、と席を離れようとしたら、「薫さん」と呼び止められた。
「お姉様の様子はいかがですか」
昨夜の姉を頭に思い浮かべ、チラッと真家さんを見る。
「昨夜は……ちょっと荒れてました」
事実を伝えると、真家さんはコーヒーを一口飲んでから、ふうっと息を吐いた。
「そうですか。ご心配をおかけして申し訳ありません。私としても、一日も早く事態を収拾するよう動いておりますので、お姉様には、もう少々お待ちくださいとお伝えください」
「はい。よろしくお願いします」
「あなたのお姉様のことですから、私もなんとか力になりたいのです」
「え、それは……」
どういう意味ですか?
と聞こうとしたら、お客様が入ってくるのが見えたので、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
「……では、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
真家さんに一礼して、私は急いでカウンターに戻った。
それからお客様がひっきりなしに来店し、真家さんを気にする間もなく接客に追われる。
時間差で出勤してきた社員がカウンターに入り、接客に余裕が出てきた頃には、真家さんの姿はもうなかった。
――返事……って、あれって本当に本気で言ってるの?
彼は、本気で私と付き合いたいって思っているということだろうか?
トイレ休憩の際、鏡に映った自分をまじまじと見る。
店のユニフォームである白いシャツと黒いパンツに、赤いエプロンを身に付けた私。長い髪は邪魔にならないよう、いつも一つに結んでお団子にしている。
姉の葵は、子供の頃から整った顔をしていて、妹の私から見ても美人だと思う。周囲の大人達も、決まり文句のように『葵ちゃんは、将来美人になるわよ』なんて言っていた。
対して妹の私はといえば、姉と顔の造りは似ているものの、美人なんて言われたことはほとんどない。子供の頃からモテていた姉と違い、初めて彼氏ができたのは大学の時だったし、そうした相手にだって、美人とか可愛いなんて言われたことはほぼなかった。
だから余計に、真家さんが私にあんなことを言ってくる理由が思い当たらない。
――真家さん、目が悪いのかな……
真剣に眼鏡のレンズ交換をオススメしたい……などと考えながらトイレを出た。
本来なら、告白に対する返事を考えるべきだろう。だけど、どうしても告白自体が間違っているような気がしてしまい、返事まで気持ちが辿り着けないでいる。
――それに真家さんなら、いくらでも素敵な女性とお付き合いできそうだし……
何より今の私は、恋愛をしたいとは露ほども思っていない。
もし私が絶賛彼氏募集中の身だったら、彼の告白を受け入れていた可能性もあった。
だけど、つい先日、ずっと定職に就かずふらふらしていた彼氏と、ようやく別れられたところなのだ。
なかなか別れてくれない相手への苛立ちと、別れられないことに対する焦り。そんな日々からやっと解放されたのである。
さすがに、しばらくは一人でいいと思っていたところなのに、なんで今、こんなことに……
なんともタイミングが悪すぎる。
真家さんの気持ちはとても嬉しいけど、今はとてもじゃないがそんな気になれなかった。
――申し訳ないけど、お断りするしかないよね。
真家さんが何故それほど面識のない私に交際を申し込んできたのか。それに関しては謎ばかりだけど、とりあえず私の答えは決まっている。
この時の私は、真家さんの本気を甘く見ていた。
私と交際したい、という彼の気持ちはそれほど大きなものではなく、一言ごめんなさいと言えば、終わる程度のものだと勝手に思い込んでいたのだ。
だが事態は、私の思っていた通りには運ばなかったのである……
翌日、開店して間もない店に、再び真家さんがやってきた。
「おはようございます、薫さん」
いつもと変わらぬ三つ揃いのスーツ姿の真家さんが入ってきた瞬間、カウンターにいた私は思わず緊張する。
――やっぱり、付き合う気がないのなら、きちんと断るべきだ。
私は真家さんを見つめながら、決意を固めた。
「お、はようございます……真家さん、毎日こんなに早いんですか?」
「いえ、今週は仕事が立て込んでいましてね。早出して、仕事を片付けないと間に合わないんです」
「お忙しいんですね。あ、今日もモーニングですか?」
「ええ。今日のコーヒーと……何か、薫さんのオススメはありますか?」
微笑みながら尋ねてくる真家さんのイケメンぶりに、ちょっと動揺する。
「店の近くにある美味しいべーカリーのカンパーニュと、自家製ハムのお店から仕入れたハムで作るハムチーズサンドはいかがですか?」
「ではそれを。あと、この前の返事を、そろそろ」
――きた!
涼しい顔をして、返事の催促をしてくる真家さんに腹を決める。
「申し訳ないのですが……私、真家さんとはお付き合いできません」
表情を変えない真家さんにレシートを手渡し、私はごめんなさい、と頭を下げる。
「理由を聞いても?」
「それは、私が今、男性とお付き合いする気がないからです」
「なるほど」
すぐに納得してくれた真家さんに、ちょっと拍子抜けした。
――あっさり。……よかった。やっぱり、そこまで本気じゃなかったんだ。
ホッとした私は、ほぼ指定席になっている窓側の席に真家さんを促すと、すぐにコーヒーを淹れて彼のところへ持って行く。
「本日のブレンドです。ハムチーズサンドはもう少しお待ちくださいね」
「薫さん。お付き合いできないというのは、私のことが嫌いだから、というわけではないのですね?」
いきなり尋ねられ、返事に困ってしまった。
「え? ええ。嫌いも何も、私、真家さんのことよく知りませんし」
真家さんはそれを聞いて小さく頷くと、じっと私を見る。
「では、私のことをよく知れば、可能性はあるということですか」
――あれ……?
何かおかしい。どうも話がすれ違っているような気がする。
「あの、真家さん。さっき私、今は男性とお付き合いする気がないって言いましたよね?」
「そうですね。でも、私のことが嫌いというわけではないのでしょう? それなら今後、薫さんの気が変わる可能性は大いにあるわけだ。その時のために、あなたには、私のことをもっとよく知っていただきたい」
なんとも勝手な彼の解釈に、顔が能面みたいになってしまうのを必死で抑えた。
「……あのー……ちょっと待ってください。話がズレてます。そもそも真家さんは、どうして私と付き合いたいなんて思ったんですか? まだ数回しか会ってない私のどこに、惚れる要素があったのか、まったく分からないんですけど……」
「薫さんは、理屈で人を好きになりますか」
「は?」
真家さんは私の返事を待たずコーヒーを一口飲んで、その涼しげな目で私を見つめる。
「この人を好きになろう、と決めて相手を好きになるわけじゃないでしょう。どちらかというと、私は直感を信じるタイプでしてね。この店であなたを見た時に、ピンときたんです。タイプの女性だと」
「ええ⁉」
驚く私を見て、真家さんがクスッと笑う。
「かといって、さすがにそれだけで、あなたを運命の相手だとは思いません。ですが、エレベーターで薫さんと再会した時、また直感が働いたんです。それで確信しました。あなたはきっと、私の恋人になる、と」
――つまり、勘ってこと? 勘で私と付き合いたいっていうの⁉
なんだか頭が痛くなってきて、私は無意識のうちにこめかみを指で押さえていた。
「あのですね、真家さん」
「はい」
「……ハムチーズサンド、お持ちします」
「お願いします」
イラッとしてきた私は、一旦彼から離れてクールダウンを図る。
カウンターに戻り、厨房から上がってきたハムチーズサンドをトレイに載せながら、どうやって彼に納得してもらうか必死に考えた。だけど、回りくどい表現では絶対に通じなそうな気がして、ここははっきり言うべきだと腹を括った。
「お待たせいたしました、ハムチーズサンドです」
再び彼のもとへ赴き、テーブルにパンの載った皿を置いた。
「ありがとうございます。昨日のサンドイッチも旨かったが、これも美味しそうですね」
「美味しいですよ。お口に合うといいのですが。……で、真家さん」
「はい」
「やっぱり、ごめんなさい」
頭を下げたら、真家さんは一度手にしたコーヒーを再びテーブルに戻した。
「一日に二回振られたのは、初めてです」
そう言う彼の顔には笑みが浮かんでおり、あまり落ち込んでいるようには見えなかった。
「すみません。でも、勘とか、そんな理由でお付き合いしたいと言われても、無理です」
「どうしても?」
「どうしてもです!」
苛ついて、つい口調が荒くなってしまった。言ってから、ハッとする。
相手は姉の離婚を担当してくれている弁護士さんだ。ここで彼の気分を害するようなことがあれば、姉が相談しにくくなってしまうかもしれない。
咄嗟にそう思って謝罪を口にしようとする私に、何故か真家さんが満面の笑みを浮かべた。
「いいですね。ムッとした顔も非常に私好みです」
「は?」
その時、店のドアが開いてお客様が店内に入ってきた。
もっと言いたいことはあるけれど、それをグッと呑み込んで私はカウンターに戻る。
「いらっしゃいませ」
接客をしながら、窓側の席でハムチーズサンドを食べている真家さんをチラリと窺う。
――きちんと断ったのに、全然通じてないっぽい。
「いや、それが……そのお客様が、すっごい迫力イケメンだったから、緊張しちゃって」
「……えっ?」
――迫力イケメン……そんな人、知り合いにいたっけ?
内心で首を傾げながら、小島さんと一緒に店に戻る。彼女が「あの方です」と手で示した先に見えたのは、まさかの真家さんだった。
――え? なんで、あの人が……
真家さんは窓側の席で書類に目を通しつつ、ショートサイズのドリンクを飲んでいた。
その姿を呆然と見つめていると、私の異変を感じ取った小島さんに背中を叩かれる。
「薫さん大丈夫ですか? もしかして、取り次がない方がよかった……?」
神妙な顔でこちらを窺ってくる小島さんにハッとして、私は首を横に振った。
「ううん! 大丈夫! 家族のことでお世話になっている人なの。ご挨拶してきます」
カウンターからフロアに移動した私は、少し緊張しながら真家さんのもとへ行く。すると、すぐに私の姿に気がついた彼が、書類をテーブルに置いて立ち上がった。
「薫さん。すみません、お仕事中にお呼び立てしてしまって」
にっこりと微笑む真家さんにつられ、私も無理矢理笑みを作る。
「いえ、でも……びっくりしました。私、真家さんに勤務先は教えていなかったと思うのですが……」
――だよね。私、あの時、職場は聞かれてないよね?
怪訝な顔をする私に、真家さんがフッと笑った。
「先日、あなた方がいらしたうちのオフィスは、ここから五分とかかりません。この辺りでは、この店は美味しいコーヒーが飲めると有名ですからね。私も一度、来たことがありまして」
「えっ……でも私、真家さんにお会いした記憶がなくて」
こんなに目立つ人、一度でも接客すれば絶対忘れない。なのに、私には接客した覚えがまるでない。これは一体どういうことだ。
「ああ、すみません。直接あなたに応対していただいたわけではないんです。その時は事務所の者と来て。コーヒーを十杯テイクアウトでお願いした時も、あなたは連れの接客をしていました」
「コーヒーを十杯テイクアウトで……」
そういえば少し前、ビジネスマン風のスーツを着た男性が二人来店して、コーヒーを十杯全てテイクアウトでという注文を受けた。
私がコーヒーを淹れて、もう一人のスタッフが袋にセットしてお客様に手渡していたが、一杯だけは手で持って行くと言われて、私が男性にコーヒーを手渡した。
それはちゃんと覚えている。
だけど、一緒に来たという真家さんのことは、まったく記憶にない。
「すみません、確かにそうしたお客様が来たのは覚えているのですが、それが真家さんだとは……」
申し訳ない気持ちで頭を下げると、真家さんが慌てて手を振った。
「いえ、あなたは忙しくしてらしたので、覚えていないのも無理はありません。私は、なんというか、一度見た人の顔は忘れないタイプでして。なので、エレベーターで会った時に、すぐ分かりました。この店の方だと」
あの日、やたらと真家さんが私を見ていると思ったのは、そういうことだったのか、とようやく納得がいった。帰り際の「また」も、この店で会うことを想定して言ったのだろう。
気になっていたことがすっきりして、やっと心の底から笑顔になれた。
「なんだ……あの場で言ってくださればよかったのに。ご来店ありがとうございます」
私が一礼すると、真家さんの表情がふっと緩み、私を見つめて目を細める。
「その笑顔が見たかったんです」
――ん? 今のは、どういう意味だ?
気になったけど、真家さんはそれ以上何か言うことはなかったので、敢えて尋ねるのはやめた。
「あっ、と……あの……今日は……どなたかと待ち合わせですか……?」
喉から言葉をひねり出すと、真家さんは「いえ」と言ってテーブルの上のコーヒーに視線を落とした。
「今日は、薫さんにご挨拶に伺いました。お姉様の件もありますし」
姉の件だと言われ、慌てて姿勢を正す。
「わざわざすみません。姉のこと……どうかよろしくお願いします」
「はい。あれからお姉様の様子はいかがですか?」
姉のことを心配して来てくれたんだ。そう思ったら、胸の辺りがじんわりと温かくなる。
仕事だからだとは思うけど、家族を気に掛けてもらえるのはやっぱり嬉しい。
「そうですね……真家さんに相談してから、いつもの姉に戻ったような気がします。きっと、離婚に関する不安がなくなって、前向きになれたんじゃないかと……」
「そうですか、それならよかった。相手方とはすでに連絡を取り合っていますので、近日中にお姉様にも状況をご連絡いたします」
「はい、姉に伝えておきます」
落ち着いた口調で話す真家さんに安心しきっていると、テーブルの上のスマートフォンから着信音が聞こえてきた。
素早くそれを手に取りチェックした彼は、机の上の書類を鞄にしまい始める。
「戻れと連絡がありましたので、これで失礼します」
「はい。あ、じゃあ出口までお見送りします」
鞄とコーヒーカップを手に歩き出した真家さんは、ふと立ち止まり私を振り返った。
「この前と立場が逆ですね」
そう言って微笑む真家さんの整った顔に、ついドキッとしてしまった。
――うっ……イケメンなのは知ってたけど、至近距離で微笑まれるとすごい威力……!
「そう……ですね」
思わず目を瞬かせる私をじっと見ていた真家さんが、出入り口に向かって歩き出したので、それについて行った。
外に出て、私は改めて真家さんに深々と頭を下げる。
「今日はお越しいただき、ありがとうございました。姉の件も、引き続きよろしくお願いします」
「こちらこそ、美味しいコーヒーをご馳走様です。お姉様の件も承知いたしました――それで、薫さん。この前お伺いした件ですけど」
うちの店のショートサイズのコーヒーを手にしながら、真家さんが微笑む。
「この前の件? なんでしょう……」
なんか言われたっけ? とこの前のやり取りを思い出していると、私が思い出すより先に真家さんが口を開いた。
「今、お付き合いしている人はいないと仰ってましたが、今も変わりないですか?」
「……変わり、ないですけど……」
たった数日で、そうそう状況など変わらないと思うのだが。
不思議に思いながら答えると、真家さんがじっと私を見つめてくる。
「では、私と付き合っていただけませんか」
――……うん?
「あの……気のせいかな、付き合ってくれみたいなこと言われたような……」
「言いました」
真家さんが表情を変えずに、サラリと頷く。それにものすごい衝撃を受けた。
たぶん今の私は、幽霊でも見たんじゃないかっていうような、すごい顔をしていると思う。
「……じょ、冗談、ですよね」
「いえ、本気です」
きっぱりと言い切る真家さんを見つめたまま、私の頭は激しく混乱した。
なんで自分がこんなことを言われているのか、状況がさっぱり理解できない。
――な、何を言っているの、この人は……?
いくら店に来たことがあるからって、ちょっと言葉を交わしただけの私と付き合おうなんて……弁護士さんだけどアホなの?
それとも頭のいい人は、一般人とは考え方や価値観がズレてるってこと?
「ま……すます意味が分からないのですが」
「私と交際しませんか、ということです」
真面目に返されるが、もちろん私はボケたわけじゃない。だから、冗談か本気か分からない真家さんの言動に苛ついた。
「言葉の意味は理解しています、意味は。でも、そうじゃなくて! ……な、なんで、私なのかっていう……」
「私があなたに、女性としての魅力を感じているからです。もっと分かりやすく言うと、惚れました」
「惚れ……っ⁉ 真家さんが、私に⁉」
ますます信じられなくて言葉を失っていると、ずっと私を見つめていた真家さんが、腕時計に目を遣った。
「ああ、すみません。もう行かなくてはならないので、今日のところはこれで失礼します。返事は次に会った時で構いませんので、考えておいてください。では」
真家さんは軽く頭を下げると、私に向かってにこっと笑う。咄嗟にリアクションができずにいる私に背を向け、彼は颯爽と歩いて行ってしまった。
「へっ……ちょ、か、考えておいてくれって……」
――本気⁉
だんだんと小さくなる真家さんの背中を、私はただ呆然と見送ることしかできなかった。
真家さんからの告白という衝撃に動揺しつつ、なんとか仕事を終えた私。自宅に戻ったら、ダイニングテーブルでビールを飲みながら姉が管を巻いていた。
「くっそー、あの野郎。早く判子押せっつーんだよ‼」
帰宅したばかりなのか、きっちりした格好のままの姉がビールの缶を握りしめて吠えている。
そんな姉を横目で見ながら、そっとテーブルに着いた。
「どうしたの、昨日まで落ち着いてたのに。何かあった?」
真家さんも、すでに義兄と連絡を取り合っていて、近日中に連絡するって言ってたのに……
「それがねえ、孝治さんったら離婚したくないって弁護士さんから逃げ回ってるんだって。電話に出ないって、さっき弁護士さんから連絡が来てねー」
――なるほど。それでこの有様か……
祖母が、姉を見てため息をつきつつ、私にお味噌汁を手渡してくれる。
我が家は母が現役の看護師で病院に勤務しているため、食事などは基本的に祖母が作っていた。もちろん、母が休みの時は母が作るし、私も休みの時はなるべく作るようにしている。
そうして一杉家は、これまで家族で協力し合って生活してきたのだ。
だけど、そんな家族にすら言えない。その弁護士さんに今日、告られたなんて。
「そっ、そうなんだ……お義兄さん、なんでそんなに離婚したくないんだろうね?」
弁護士さん、という言葉に動揺してしまい、若干声が上擦る。だけど祖母も姉も、私の異変には気づいていないようだった。
「あいつのことだから絶対世間体が悪いとか、そんな理由で離婚したくないだけよ。まだ結婚して二年も経ってないのに、親や親戚になんて言えばいいんだって、私が離婚だって言ったらそればっかりだったもの」
「浮気したのは自分なのにねぇ……」
なんとも自分勝手なお義兄さんには、がっかりである。
「でも、そんなクソ野郎が相手でも、真家さんがどうにかしますって言ってくれたの。それだけが救いよ。ほんと、あの人にお願いできてよかったわー」
祖母が漬けたお漬物をポリポリと囓りながら、姉がフー、と息をついた。
「そっか……真家さんなら、きっとなんとかしてくれるよ……」
姉にはそう声をかけたけれど、私が内心で思っていたのは違うこと。
――離婚問題はなんとかしてくれるだろうけど、私の方の問題はどうなるんだろう。
そのことが気になってしまい、せっかく祖母が作ってくれた食事も、あまり食べた気がしなかった。
そして、その翌日。
朝一番で、かの人がカフェに現れた。
私が勤務する店は、朝七時からオープンし、モーニングメニューでコーヒーと軽食を提供している。社員の私は、週に何日か朝から勤務することがあるのだが……
「薫さん、おはようございます」
オープンしてすぐ、店の出入り口に本日のオススメのボードを置いていたら、いきなり声をかけられて、一瞬息が止まった。
「し、真家さん‼ お……はようございます……」
接客業にあるまじきことながら、私はすごく驚いた顔を彼に向けてしまう。
「モーニングをいただきに来ました。入ってもよろしいでしょうか」
「はいっ、もちろんです。どうぞ」
彼と一緒に店の中に移動し、カウンターで注文を伺う。うちは基本的に全てカウンターで注文してもらい、イートインのお食事はスタッフがお客様の席まで運ぶ方式となっている。
「では、オススメにあったブレンドコーヒーとBLTサンドを」
「かしこまりました」
「それと、昨日の返事を」
「かしこ……はっ⁉」
追加で注文をするみたいに言われて、私のお仕事モードが音を立てて崩れていく。
「ちょっ、変なこと注文しないでくださいよ!」
恥ずかしさと動揺から、つい声が大きくなってしまう。
そんな私を見て、真家さんは楽しそうに微笑んでいる。
「今は、近くに人もいないので、いいかと思いまして」
確かに今は、厨房にスタッフがいるだけで、カウンター内には私しかいない。オープン直後ということもあり、お客様も真家さんだけだ。
だからといって、返事などできるわけがない。
「ひ、人がいないからって、そんな……ああいったことは、すぐにお返事なんてできません!」
「それは残念」
ドギマギしながらお会計を済ませ、真家さんには席で待っていてもらう。
気持ちを落ち着けてコーヒーを淹れ、厨房スタッフが作ってくれたサンドイッチと一緒に、彼のもとへ運ぶ。
「お待たせしました、ブレンドコーヒーとBLTサンドです」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
テーブルにコーヒーとサンドイッチを置くと、真家さんが頬を緩ませた。これには私も、素直にお礼を言う。
「ありがとうございます。どうぞごゆっくり」
では、と席を離れようとしたら、「薫さん」と呼び止められた。
「お姉様の様子はいかがですか」
昨夜の姉を頭に思い浮かべ、チラッと真家さんを見る。
「昨夜は……ちょっと荒れてました」
事実を伝えると、真家さんはコーヒーを一口飲んでから、ふうっと息を吐いた。
「そうですか。ご心配をおかけして申し訳ありません。私としても、一日も早く事態を収拾するよう動いておりますので、お姉様には、もう少々お待ちくださいとお伝えください」
「はい。よろしくお願いします」
「あなたのお姉様のことですから、私もなんとか力になりたいのです」
「え、それは……」
どういう意味ですか?
と聞こうとしたら、お客様が入ってくるのが見えたので、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
「……では、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
真家さんに一礼して、私は急いでカウンターに戻った。
それからお客様がひっきりなしに来店し、真家さんを気にする間もなく接客に追われる。
時間差で出勤してきた社員がカウンターに入り、接客に余裕が出てきた頃には、真家さんの姿はもうなかった。
――返事……って、あれって本当に本気で言ってるの?
彼は、本気で私と付き合いたいって思っているということだろうか?
トイレ休憩の際、鏡に映った自分をまじまじと見る。
店のユニフォームである白いシャツと黒いパンツに、赤いエプロンを身に付けた私。長い髪は邪魔にならないよう、いつも一つに結んでお団子にしている。
姉の葵は、子供の頃から整った顔をしていて、妹の私から見ても美人だと思う。周囲の大人達も、決まり文句のように『葵ちゃんは、将来美人になるわよ』なんて言っていた。
対して妹の私はといえば、姉と顔の造りは似ているものの、美人なんて言われたことはほとんどない。子供の頃からモテていた姉と違い、初めて彼氏ができたのは大学の時だったし、そうした相手にだって、美人とか可愛いなんて言われたことはほぼなかった。
だから余計に、真家さんが私にあんなことを言ってくる理由が思い当たらない。
――真家さん、目が悪いのかな……
真剣に眼鏡のレンズ交換をオススメしたい……などと考えながらトイレを出た。
本来なら、告白に対する返事を考えるべきだろう。だけど、どうしても告白自体が間違っているような気がしてしまい、返事まで気持ちが辿り着けないでいる。
――それに真家さんなら、いくらでも素敵な女性とお付き合いできそうだし……
何より今の私は、恋愛をしたいとは露ほども思っていない。
もし私が絶賛彼氏募集中の身だったら、彼の告白を受け入れていた可能性もあった。
だけど、つい先日、ずっと定職に就かずふらふらしていた彼氏と、ようやく別れられたところなのだ。
なかなか別れてくれない相手への苛立ちと、別れられないことに対する焦り。そんな日々からやっと解放されたのである。
さすがに、しばらくは一人でいいと思っていたところなのに、なんで今、こんなことに……
なんともタイミングが悪すぎる。
真家さんの気持ちはとても嬉しいけど、今はとてもじゃないがそんな気になれなかった。
――申し訳ないけど、お断りするしかないよね。
真家さんが何故それほど面識のない私に交際を申し込んできたのか。それに関しては謎ばかりだけど、とりあえず私の答えは決まっている。
この時の私は、真家さんの本気を甘く見ていた。
私と交際したい、という彼の気持ちはそれほど大きなものではなく、一言ごめんなさいと言えば、終わる程度のものだと勝手に思い込んでいたのだ。
だが事態は、私の思っていた通りには運ばなかったのである……
翌日、開店して間もない店に、再び真家さんがやってきた。
「おはようございます、薫さん」
いつもと変わらぬ三つ揃いのスーツ姿の真家さんが入ってきた瞬間、カウンターにいた私は思わず緊張する。
――やっぱり、付き合う気がないのなら、きちんと断るべきだ。
私は真家さんを見つめながら、決意を固めた。
「お、はようございます……真家さん、毎日こんなに早いんですか?」
「いえ、今週は仕事が立て込んでいましてね。早出して、仕事を片付けないと間に合わないんです」
「お忙しいんですね。あ、今日もモーニングですか?」
「ええ。今日のコーヒーと……何か、薫さんのオススメはありますか?」
微笑みながら尋ねてくる真家さんのイケメンぶりに、ちょっと動揺する。
「店の近くにある美味しいべーカリーのカンパーニュと、自家製ハムのお店から仕入れたハムで作るハムチーズサンドはいかがですか?」
「ではそれを。あと、この前の返事を、そろそろ」
――きた!
涼しい顔をして、返事の催促をしてくる真家さんに腹を決める。
「申し訳ないのですが……私、真家さんとはお付き合いできません」
表情を変えない真家さんにレシートを手渡し、私はごめんなさい、と頭を下げる。
「理由を聞いても?」
「それは、私が今、男性とお付き合いする気がないからです」
「なるほど」
すぐに納得してくれた真家さんに、ちょっと拍子抜けした。
――あっさり。……よかった。やっぱり、そこまで本気じゃなかったんだ。
ホッとした私は、ほぼ指定席になっている窓側の席に真家さんを促すと、すぐにコーヒーを淹れて彼のところへ持って行く。
「本日のブレンドです。ハムチーズサンドはもう少しお待ちくださいね」
「薫さん。お付き合いできないというのは、私のことが嫌いだから、というわけではないのですね?」
いきなり尋ねられ、返事に困ってしまった。
「え? ええ。嫌いも何も、私、真家さんのことよく知りませんし」
真家さんはそれを聞いて小さく頷くと、じっと私を見る。
「では、私のことをよく知れば、可能性はあるということですか」
――あれ……?
何かおかしい。どうも話がすれ違っているような気がする。
「あの、真家さん。さっき私、今は男性とお付き合いする気がないって言いましたよね?」
「そうですね。でも、私のことが嫌いというわけではないのでしょう? それなら今後、薫さんの気が変わる可能性は大いにあるわけだ。その時のために、あなたには、私のことをもっとよく知っていただきたい」
なんとも勝手な彼の解釈に、顔が能面みたいになってしまうのを必死で抑えた。
「……あのー……ちょっと待ってください。話がズレてます。そもそも真家さんは、どうして私と付き合いたいなんて思ったんですか? まだ数回しか会ってない私のどこに、惚れる要素があったのか、まったく分からないんですけど……」
「薫さんは、理屈で人を好きになりますか」
「は?」
真家さんは私の返事を待たずコーヒーを一口飲んで、その涼しげな目で私を見つめる。
「この人を好きになろう、と決めて相手を好きになるわけじゃないでしょう。どちらかというと、私は直感を信じるタイプでしてね。この店であなたを見た時に、ピンときたんです。タイプの女性だと」
「ええ⁉」
驚く私を見て、真家さんがクスッと笑う。
「かといって、さすがにそれだけで、あなたを運命の相手だとは思いません。ですが、エレベーターで薫さんと再会した時、また直感が働いたんです。それで確信しました。あなたはきっと、私の恋人になる、と」
――つまり、勘ってこと? 勘で私と付き合いたいっていうの⁉
なんだか頭が痛くなってきて、私は無意識のうちにこめかみを指で押さえていた。
「あのですね、真家さん」
「はい」
「……ハムチーズサンド、お持ちします」
「お願いします」
イラッとしてきた私は、一旦彼から離れてクールダウンを図る。
カウンターに戻り、厨房から上がってきたハムチーズサンドをトレイに載せながら、どうやって彼に納得してもらうか必死に考えた。だけど、回りくどい表現では絶対に通じなそうな気がして、ここははっきり言うべきだと腹を括った。
「お待たせいたしました、ハムチーズサンドです」
再び彼のもとへ赴き、テーブルにパンの載った皿を置いた。
「ありがとうございます。昨日のサンドイッチも旨かったが、これも美味しそうですね」
「美味しいですよ。お口に合うといいのですが。……で、真家さん」
「はい」
「やっぱり、ごめんなさい」
頭を下げたら、真家さんは一度手にしたコーヒーを再びテーブルに戻した。
「一日に二回振られたのは、初めてです」
そう言う彼の顔には笑みが浮かんでおり、あまり落ち込んでいるようには見えなかった。
「すみません。でも、勘とか、そんな理由でお付き合いしたいと言われても、無理です」
「どうしても?」
「どうしてもです!」
苛ついて、つい口調が荒くなってしまった。言ってから、ハッとする。
相手は姉の離婚を担当してくれている弁護士さんだ。ここで彼の気分を害するようなことがあれば、姉が相談しにくくなってしまうかもしれない。
咄嗟にそう思って謝罪を口にしようとする私に、何故か真家さんが満面の笑みを浮かべた。
「いいですね。ムッとした顔も非常に私好みです」
「は?」
その時、店のドアが開いてお客様が店内に入ってきた。
もっと言いたいことはあるけれど、それをグッと呑み込んで私はカウンターに戻る。
「いらっしゃいませ」
接客をしながら、窓側の席でハムチーズサンドを食べている真家さんをチラリと窺う。
――きちんと断ったのに、全然通じてないっぽい。
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