人間寸劇

宮浦透

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7.シーナと世界の果て

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 「何なのさ」
 「さーね」
 今日も勿体ぶる。大事なところで勿体ぶる。
 「早く行こうよ、あの場所へ」
 「わかったよ」
 壁をよじのぼり屋根を滑り落ち時々水に足を濡らし、世界の果てへ身を運ぶ。
 世界が水没してから五十年経った。北は水没しない都市を開発し、数多の人間を募集した。そのビラは南の僕らの遭難地まで届き、その時初めて僕らは遭難地を出た。
 北の水上都市はどうやら街全体が浮いているらしい。しかし地面は揺れるどころか元の世界の地面より強度はある。しかも我々のような関係ない人間を集めようとするくらいだ。相当余裕があるのだろう。
 「僕らの街を出たときは半袖でも暑かったのにもう今は寒いくらいだ」
 「そうだね。どこか街の跡地とかに運良く服でも落ちてればいいけど」
 「そもそも街の跡地が沈んでないことなんかないけどね…」
 小さな二人乗りのカヤックに乗りここまで来た。あるときは背中に担いでマンションの壁をよじ登って世界を見渡した。どこまでも遠く続く水平線は、どこまでも残酷だった。
 「シーナ。水上都市なんて本当にあるのかな」
 「何自信失ってんのさ。絶対あるよ。ビラに書いてあったじゃん」
 「そうだけど…。ただの紙切れを信じてここまで来てるのが…よく考えたら馬鹿馬鹿しい気がしてきて」
 ビラを見た時の僕らは見切り発車だった。沈んだ街の上で漂うように暮らすこの日常を打開できるものがあるのでは。という期待に胸を躍らされた。
 「この世界はもうそんな馬鹿馬鹿しいことを考えてないと持たないくらい壊れてるのよ」
 「そっか…。なら歩くしかないね」
 「…ねえ。あれは?」
 シーナが指差した遥か向こうには今までの青々しい水平線を断ち切るほどの大きさをしているものが浮いている。いや、波に乗っていないところを見ると埋め立てられてるほどの強度を持っていると思ってもおかしくない。
 「あれが…水上都市」
 「やっと着いたんだ」
 速度を早めて街に近づく。ただひたすらに世界を縦断してきた甲斐があった。これでようやく、地上で生活が出来る。
 「…ねえ」
 「かなり静かな街だね」
 静かどころか人一人歩いている様子が見えない。危険に思った僕らは水上都市に足はつけず街の周りを旋回する。
 「ダメだ。多分街ごとなんらかで消失してる。建物はあるのに人がいないなんておかしい」
 状況を飲み込めたわけでも納得できたわけでもなかったが、もう僕らに希望がないことは互いに感じ取っていた。
 「ねえ」
 「ん?まだ街に上がらなきゃどうなってるかわからないよ」
 「そんなことはもういいの」
 「そんなことって…」
 少し怒りが湧いて後ろを向いた僕に、君はキスをした。
 「ありがとう。ここまで一緒にいてくれて」
 一切の望みがないことを知った君は泣くどころか笑っていた。
 それを見た僕にはもう泣くことしかできなかった。
 「これから死ぬまで、一緒に居ようよ。まだ時間はある」
 「そうだね」
 おそらくこの街は踏み入ると放射能のようなものが体を蝕む。
 それでも少しの安らぎが欲しかった僕らは足を踏み入れた。
 この誰もいない水上都市で、二人生きよう。
 死ぬことがわかっていても、僕らは生きていたい。
 いつまでも、ずっと─。
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