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過去篇

ぼくらは恋を自覚する(仮)6-1

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 昴の案内で辿り着いた家は住宅地の中の一戸建てで、傍から見る分には何の問題もなかった。
 大人用の自転車が二台、小さな子供用の自転車が一台。駐車場には赤いファミリーカー、玄関横には小さな家庭菜園のコーナーが作られていて、鈴なりのミニトマトが昼下がりの日差しを反射している。
 その光景は、明るくて健康的な家族が住んでいるさまを想像させた。

 実際、大きな問題がある訳ではないのだろう。ほんの些細な傷やすれ違いが、積もり積もって人間関係に大きな影響を及ぼすことはよくある話だ。
 そう思いながら慶太はインターホンに手を伸ばした。

「待って。ぼくが鳴らします」
 声と手で制止され、慶太は昴を見た。その表情はこわばっていて、初訪問の慶太よりもずっと緊張している。
「オレはそんなに信用がないのか? 変なことは言わないぞ」
 わざと思ってもいないことを言葉にして、笑って見せる。軽く頬をつねると、昴は顔を赤くして俯いた。
「そういうんじゃなくて……」
 昴の声はどんどん小さくなっていき、聴き取ることができなかった。
 慶太は膝を曲げ耳を傾けたが、昴はえいと勢いよくインターホンを鳴らした。

「はいはーい」
 間延びした声と、バタバタと駆け寄ってくる子供の足音が聞こえる。
 開かれたドアの向こうには、電話で話した印象と変わらない穏やかそうな男性と、勝気そうな小さな子供が立っていた。

「ただいま、父さん。蓮人。あの、この人が昨日話した……」
「あ、ああ」
 四十二歳。聞いていた年齢よりも若く見える昴の父は、少し驚いたようすで慶太と昴を見つめた。
 ぱちりと開いた大きな目がよく似ている。身長は昴よりも高く、慶太より低い。昴をそのまま大人にしたような姿だが、眼鏡を掛けているところと真っ黒な髪色が違っている。

「ご挨拶が遅くなってしまい、すみませんでした。昴くんと親しくさせて貰っています、里崎 慶太と言います」
「ご丁寧にどうも。僕は昴の父で、空木うつぎ 尚史なおふみといいます。この子は弟の蓮人れんと
 お世話になっているのはこちらなのに、わざわざご足労いただいてすみません」
「送るついでですから。これ、大したものではありませんが、蓮人くんとどうぞ」

 慶太が左手に持っていた紙袋を掲げると、話を聞いていた蓮人が「ん!」と手を差し出した。
 昴から、蓮人の話す言葉はまだ少ないと聞いている。見た目は確かに五歳だが、言動はどうしてももう少し幼く感じた。

「こら、蓮人」
 昴のたしなめる声を無視し、蓮人は慶太の手から袋をさらい父親の背後に座り込んだ。紙製の箱を破っている音がしたかと思うと、中に入っていたアイスを小さな両手で持ち上げる。斜め後ろからでもわかるくらい、蓮人はアイスに夢中になっていた。

「ごめんなさい」
 隣に立つ昴からシャツの裾を引かれ、慶太はそちらに視線を向けた。
 お前が謝る必要はないよと頭を撫でようかとも思ったが、言いようによっては他の人間を責めるニュアンスになるためやめておく。
「昴の言う通り、ケーキにしなくて正解だったな」と笑うと、昴は「はい……」と少し寂しそうに目を伏せた。

 言葉はなくとも撫でた方が良かっただろうか。
 慶太の心にはちくりと痛みが走ったが、父親の手前ということもあり、今さらそうすることはできなかった。

「すみません。少し落ち着きのない子で」
「いえ、蓮人くんのために持ってきたようなものなので、お気になさらずに。気に入って貰えたようでよかったです」
 昴の父に視線を戻すと、チョコアイスの蓋を開けようとしている蓮人の姿が同時に目に入った。

「蓮人。お礼は?」
「ありがと!」
「どういたしまして」

 父親は多少戸惑っているように見えたが、息子である蓮人は慶太の容姿が気にならないらしい。逆に興味を持っているような素振りもなく、慶太にはその態度が新鮮に感じた。初めて会った時の昴でさえ、表情にこそ出してはいなかったが戸惑いは感じられたものだ。

「向こうに行って、お母さんと食べなさい。残りはちゃんと冷凍庫に仕舞って」
「はい!」

 元気よく返事をし駆け出した蓮人を目で追うと、その先には心配そうにこちらを窺う女性が待っていた。昴の父から妻だと紹介され、会釈する。
 慶太のことが気になっているようだが、義理の母という立場上、どこまで踏み込んでいいものか図りかねているのだろう。

「あの、騒々しくて申し訳ないのですが、どうぞあがって下さい」
「あ、いいえ。大丈夫です。今日まで家を空けてらっしゃったことは聞いていますから、ゆっくりされてください。
 得体の知れない人間がご子息と親しくしているのは不安かと思い、ご挨拶に伺っただけですから」

「いえ、そんなことは。きちんとした方でほっとしています。色々とお気遣いまでいただいて、申し訳ない限りです」
「それでね、父さん。
 ぼくはこれからも、慶太さんのところに遊びに行ったり、泊まらせてもらいたいんだ。いいよね? ただ遊びたいだけじゃなくて、慶太さんのお家は静かで勉強もしやすいし、落ち着くんだ……」

 慎重に言葉を選んではいるが、自分の家は居心地が悪いと告げることが心苦しいのだろう。慶太のシャツを握ったままになっていた、昴の指先に力が入る。
 昴の父はぽつりと息子の名前を呼び、押し黙った。落とした視線は昴の手元に向けられている。
「ちゃんと連絡するし、心配かけるようなことはしないから。慶太さんにも迷惑はかけない」
 畳み掛けるような昴の言葉は、どこまで響いているだろうか。

「昴。慶太さんと二人で話をしたいから、少し奥に行っててくれないか?」
「え……」
 顔を上げた父親の言葉に、昴は身構えた。
 昴とよく似た黒目がちな瞳がかげる。

「追い返そうとしてるわけじゃない。里崎さんに聞きたいことがあるだけだよ」
 慶太は、不安そうに見上げてきた昴に対し頷いた。
「父さん、話が終わったらちゃんと呼んでね。絶対に見送るからね」
「わかったから、早く行きなさい」

 父親の足元に残っていたお土産の残骸を拾い、昴はリビングに繋がっているらしい出入口の向こうに立ち去った。
 静かになった玄関とは対照的に、ドアの向こうで蓮人の叫ぶ声が聞こえる。機嫌がいいのか、悪いのか。慶太にはわからない。
 ただ、これがこの家の日常なのだろう。

「わがままを言ってすみません。息子の前では話しにくいことだったので。お時間は大丈夫ですか?」
「問題ありません。どうぞ、ご遠慮なく」
 慶太が促すと、昴の父は大きく息を吸った。
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