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過去篇

ぼくらは恋を自覚する(仮)6-2

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「里崎さんは、昴のことをどう思っているんですか?」
 いぶかな視線の中に切実な感情を込めて、昴の父は慶太を見た。
 思っていたよりもずっと直球な質問に思わずたじろぐ。遠慮がちな態度を取りながらも急に本心をぶつけてくるところがそっくりで、やっぱり二人は親子なのだと実感させられた。

「昴があなたのことを慕っているのはすぐにわかりました。あんなふうに素直に甘える昴を見たのは久しぶりです。
 いつの間にか、あの子は家族にさえ遠慮するようになっていたんですね。僕は昴から笑顔を奪っていたのだと痛感しました」
「そんなことは……」

 肩を落とした昴の父に対し、慶太は掛ける言葉を見つけられなかった。
 事実ではある。けれど、誰が悪い訳でもない。現に、昴は誰も責めることはせずに、自分自身を責めてしまっている。

「お気遣いなく。事実は事実です。
 あの子は、里崎さんの前だとよく笑うのでしょう?」
「ええ。泣いたり、笑ったり、拗ねたり。はじめは警戒心が強く、内面を表さない子だと思いましたが、今は色々な表情を見せてくれます。
 だからオレは、昴の……昴くんの居場所になりたいと思っています」

「この家には、あの子の居場所はないと思いますか……」
 己の失言に、慶太は顔をしかめた。
 昴の父の自嘲を含んだ嘆息たんそくが、二人の間にある空気をいっそう重くした。

 ふと、シューズボックスの上に飾られた色とりどりの折り紙が目に入る。
 輪郭がふわふわしたつたないクワガタと、つのが尖ったクワガタ。前者の作者は蓮人として、後者の作者は昴か、それとも両親のどちらかなのだろう。

「オレは、あまり立ち入ったことは聞いていません。
 ただ、昴はご家族に対する不満をこぼしたことはありません。先ほどお渡ししたアイスを買う時だって、昴は誰がどの味を好むのかきちんと把握していました。蓮人くんはチョコレート、お父さんはラムレーズン、お母さんはストロベリーだと」

 慶太は、アイスクリームショップで真剣に商品を選ぶ昴の横顔を思い浮かべた。思わず口元が綻ぶ。
 上手に気持ちを整理できていなくても、昴は家族を大切に思っている。だからこそ、この家族には幸せでいてほしい。壊れてほしくない。

 一番抜本的な解決方法はわかりきっている。けれど、それを望む人間がどこにもいない以上、対症療法的なやり方しかできない。
 慶太は真摯な眼差しを昴の父に向けた。

「若輩者のオレに言われるのは気分がいいことではないと思いますが、あまりご自分を責めないでください」
 昴と父親、二人が何より似ているのは自罰的なところだ。理由を自分に求めてばかりいては行き詰まる。

「オレは昴のことが好きです。
 繊細で思慮深くて甘えることが下手で、見ているとつい手を差し出してしまいたくなります。大人として知っている、一番楽な道筋を教えてやりたくなる。
 ですが、オレはそれが昴にとって良いことだとは思いません。だから、昴の意志を尊重しつつ成長を見守りたいと思っています」
「昴の意志を……」

 慶太が言った「好き」には恋愛感情も含まれる。別の表現を用いることも考えたが、嘘偽りない言葉で伝えなければならないと思った。
 どちらの意味で取られても構わない。顔を合わせた瞬間に、昴に対する愛情の重さを見抜かれていたような気がする。昴の父が一瞬見せた驚きの表情はおそらく、慶太の見た目に対するものではなかった。

「それは、」

 慶太の決意を前に、昴の父は顎に手を添え目を伏せた。
 沈黙が慶太の不安を煽る。
 リビングからも外からも切り離された玄関が、酷く異様な空間に感じた。背中を汗が伝う。クーラーの冷気はここまで届かない。玄関ドアのすりガラスから差し込む陽の光が慶太の足元をじりじりと焦がした。

「あなたのやさしさを、利用する形になっても?」
 残酷な言葉とは裏腹に、その声はかすかに震えていた。数分にも感じた空白は、きっと一分にも満たなかっただろう。無音のように感じていた世界に音が戻る。ドア一枚隔てた向こう側から、蓮人の笑い声が聞こえた。
 
 試されているとは思わない。昴の父が口にしたのは痛切な願いだ。慶太はゆっくりと、子供に言い聞かせるように頷いた。

「昴の幸せに繋がるなら」
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