Accarezzevole

秋村

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Ⅳ奸悪の根に涙雨

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「いけませんッ、カナトさん!」

「大丈夫だよ、フォニック。俺が行けば、これ以上ソロが律王に睨まれずに済む。相手は王様なんだ。いくらアイツでも、このままじゃマズイ」

「カナト、我が君はお前のためなら」

 引き留めようとしてくれるコードに、奏人は静かに首を横に振る。奏人とて馬鹿ではない。ソロの顔をほとんど毎日見てきた。

 ここのところ、やけに疲れている。とても、無理をしている。ふとした瞬間に垣間見せる、苛立ちと疲れ。屋敷にいる時は片時も奏人を離そうとせず、それが焦りに思えて辛かった。負担になっていることが、やるせなかった。

 急にソロの遠征が増えたのも、王都以外での仕事も多くなったのも、おそらくは奏人のことが原因だ。これまで夜に帰ってこないことなんて滅多になかったのに、急に増えた。政務も律王がソロから取り上げ、自分で行っているそうだ。だが律界情勢を何も知らず分からない律王が、いきなり出てきても現場は迷惑なだけ。混乱は困惑を、困惑は不満を、不満は怒りを生み、蓄積し、そのすべてが律王へ向いている。

 まさかの政務の返還。これには屋敷の侍従たちも大変心配しているようで、フォニックたちの話をこっそり盗み聞いた時は胸が痛かった。

 高齢の律王が自分を何に使うのかは不明だが、彼のもとへ行けば何もかもが丸く収まる。人間を飼っていたらしい律王が、ただ物珍しさで奏人を招集しているわけではないことくらいは奏人とて承知の上だ。ソロから引き離される可能性は高い。

「そんな顔しないで。大丈夫だって言ったろ? オモチャってね、その時は大切にしてても、失くしたり手元を離れると、案外アッサリ忘れるんだ」

「貴方はオモチャなどではありません!」

 涙目になって否定するシンに、奏人は少しだけ驚いたような顔をして、嬉しそうに微笑んだ。そう言ってくれただけで、本当にもう十分だった。

 ゼローザを見る。小さく頷けば、腕を引き寄せるようにして掴まれた。マルシェで繋いだ手の感触とは全く違う。力強く、それは痛みさえ伴った。本当に自分はソロに優しくしてもらっていたのだなと、こういう時に痛感する。

 痛みに顔を顰めていると、ゼローザが何故か手を離した。

「……すまん」

 そう言って改めて手を繋いでくるゼローザに、奏人は微苦笑する。軽く首を横に振り、ゼローザの手を握り返した。

「さっきは、すみませんでした。ゼロさん、やっぱり優しいですね」

 これから王城に連れて行かれる恐怖を笑顔で塗りつぶして、奏人は努めて明るく振舞う。

 ゼローザは何か言いたそうにしたが、口を噤んでそのままテラスから中庭に出た。

 侍従三人が蒼白した顔で追って来ようとするが、それを止めたのは奏人だ。やはり笑顔で大きく手を振り、さようなら、と、ありがとう、を三人に伝える。

 気を抜けば今にも震え出しそうだったが、笑った。必死に、笑った。

 フォニックの掠れた呼び声に振り返りそうになったけれど、奏人はもう振り返らなかった。それ以上は、笑顔を作っていることができなかったから。

 強がったところで無駄なのだ。怖い。死の恐怖はフエテの一件で、痛いほどに分かっている。ソロがあれだけ律王から奏人を隠そうとしたことからも、奏人はまず無事では済まされないだろう。何かの研究に使われるか、暇つぶしに加虐されるか、悪い想像は膨らむばかりだ。

(でも……、少しは役に立てた)

 例えそれが自己満足だとしても、あのままあそこにいてソロの重荷になるよりはずっといい。ここでゼローザを追い返せば、今度はソロに何をされるか分からない。遠征や巡察ごときでは済まないかもしれない。王の盾を向かわせたくらいだ。律王は本気だ。相当にしびれを切らしている。

(……怒る、かな)

 勝手なことをして、きっとソロのことだから腹を立てるだろう。それでも、これで軋轢が消えるのならソロも納得するはずだ。人間と律王を天秤にかけた時、どちらに傾くかなど想像するまでもない。

 ゼローザは奏人に術をかけ、風の抵抗を感じないようにしてくれた。礼を言うと、何も言葉はなかったが目をほんの少しだけ細めてくれた。

 夕闇が迫る。

 二度と見ることはないかもしれない、律界の空。

 奏人はどうしても落ち込んでしまう気分に、しかし自分が決めたことだろうと顔だけは下に向けなかった。

(オモチャが勝手に、ごめん)

 彼のプライドを傷つけるかもしれない己の行為に心の中で詫びて、奏人はそっと奥歯を噛み締めた。

 ソロを思えば胸が疼くこれを、なんと言うのか最近知ったばかりだったが、身の程は弁えて終えられた。ソロが望んだ、玩具でありペットである奏人の立場を死守できた。

 ありがたいことだ。

 決して通じない想いを胸の奥底に秘めて、奏人は煌々と輝く一番星に一つだけ我儘を願う。

 どうか。少しだけでいい。ほんの少しで構わないから、こういう人間がいたと、ソロに覚えていて欲しい。律界人の長い一生とは言わない。ほんの数カ月でいい。数週間でもいい。

(……無理、かな。こんな、大それた我儘)

 他人が聞けば呆れるくらいの、我儘。

 それを本気で願いながら、奏人は悲しそうに目を閉じた。

(さようなら、ソロ)





 ◆ ◆ ◆




 ほとんど光の差さない、暗い室内。

 男が一人、長いローブを引きずるようにして奥へと進む。奥の部屋には、ポツンと巨大な石のようなものが置かれていた。男よりも巨大な石だ。大きな黒布が被せてある。

 長身の男はやせ細った手を伸ばして黒布を剥ぎ取り、皺の刻まれた目元を細くして笑った。嬉しそうに。愛おしそうに。

 水晶のような、透明な石。その中で光る、青い球体。それを胸に抱くようにして、裸体の若い男が目を閉じていた。眠っているようにも見える。金色の髪と白い肌。今にも目を覚まして、動き出しそうな雰囲気だ。

「シキ、やっと見つけた。待った甲斐があった」

 感極まった声が、喜びを隠せないでいる。

 震える指先で石越しに青年の顔を撫で、何度も何度も巨石にキスをした。

 物音がしたのは、その時だった。美しい青年の左腕が、唐突もなく肩から崩れ落ちたのだ。巨石の中はまるで水中のような軽さで、腕はゆっくりと下へ沈む。

 男の顔色が変わった。嚙り付くようにして石へ顔を寄せ、悲痛な叫び声が室内に広がる。

「そんなっ、まだ数日しか経っていないだろう……ッッ」

 —リィィン

 悲しげな鈴の音。ひどく辛そうで、沈痛だがとても深みのある音。

 その音を耳にして、狂気じみていた男の目に冷静さが戻る。しかし、すぐに涼やかな鈴の音をかき消す声が聞こえた。石の中の、青年のものだ。その左目は美しいエメラルドグリーンをしていたが、右の目には既に眼球がなかった。

「急いで。これ、もう駄目だ」

「分かっている、分かっている……っ」

「本当に分かってるの? 本気で急がないと、君の愛しい愛しいシキは死んじゃうんだよ」

「やめてくれッ!」

 男は震える体を抱き締めるように丸め、聞きたくないとばかりに嗚咽を漏らす。

「八重の吐息、だったっけ。あの男がコレを探し出すために、奏人に繋げた鎖。同じ人間同士、波長が合ったんだろうね。だからコレが奏人には見えた。僕を通して。……でも、そのせいでシキを保つ力が急速に失せた。あの男、奏人をよほど気に入ったみたいだ。探す方に力を使うんじゃなくて、今じゃ奏人に寿命を分けてる。奏人の体に負担がかからないよう、繊細に調節してね」

「……」

「アンタは、しなかったよね。あんなにシキを愛していたのに」

「ち、違う。シキが……、彼が拒んだのだ!」

 俯いたまま首を横に振る男へ、金の髪の青年が笑った。大きく頷きながら。

「うん、そうだね。シキが拒んだ。シキは利口な男だったから。アンタにそんな微細な調整ができないことを、ちゃんと分かってた。もちろん、自分の寿命を分け与えるなんて度量がないこともね」

「わ、私は……っ」

「いいんだよ、最終往生は怖いもんね。無理もない。それに分かってると思うけど、いくら同じ人間同士だからっていっても、完全に適合できるわけじゃない。早く、奏人の【意思】を消すことだ」

「……、分かっている」

「そう? 良かった。ぁ、あーあ……また落ちた」

 痛みは感じないのだろう。青年は自身の左足が腿の付け根から崩れ落ちたというのに、平気な顔をしている。むしろ、何故か愉しげな笑みを浮かべていた。 

 男の顔色が益々悪くなる。左だけでなく、右も落ちたからだ。息を呑む暇もなく、更に首が千切れ、胴体と離れてしまった。驚愕する男に、生首だけとなった青年は微笑むだけ。

 異様な光景だった。焦る男に、ふと、別の物音が届く。人払いをしていたはずの離宮。最奥の間。そこに震えながら立つ、薄いオレンジ色の髪をした侍従が一人。

 男と目が合った侍従は、数歩後ろに体を逃がしながらも、ここへ来た目的を伝えた。

「ぜ、ゼローザ様が……、謁見の間に……れ、例の人間を、……っ」

 大粒の涙を流して、侍従が石の中で微笑む青年を見上げる。首を横に振りながら後退し、嗚咽を漏らす口を両手で塞いだ。

 男は青年の登場にゆっくりと立ち上がると、静かに歩を向けた。震える青年をジッと見下ろし、それから金の髪の青年を振り返る。

「そうか。アレはお前の友人であったな」

「ッ」

「丁度よい。お前も友と同じ道を歩ませてやろう」

 腰が抜けたのか、蒼白した侍従がどうにか逃げようと床を這う。しかし男は長いオレンジ色の髪を掴んで侍従の体を引きずり、許しを請う侍従の悲鳴など耳に入らぬ様子で巨石に彼の体を押し付けた。

「い、嫌だ! いぁぁぁぁぁああああ!!!」

「シキ、さぁ……新しい体だよ」

 うっとりと、微笑む先。金の髪の青年。巨石に吸い込まれた侍従はもがき苦しみ、そしてすぐに動かなくなった。虚ろな草色の目と、だらしなく開いた口。男は微笑んだまま利き手を巨石にかざし、目の眩むような閃光が室内を走る。

「……いつまで持つかな? 今度は」

 金の髪の青年。では、もうない。薄いオレンジ色の長い髪。日に焼けた健康的な肌。草色の双眸。代わりに巨石の外に出でた、白い肢体と生首。それを男が指を鳴らして焼失させ、室内にはまた静寂が戻る。

 男は何事もなかったかのように部屋を後にすると、離宮を出て庭に出た。そこでは年配の侍従と若い侍従が男を呼びに来ており、年配の侍従が男へ深紅の長外套を恭しく差し出す。それを若い侍従の手を借りて羽織り、王城内へと入って行った。

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