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Ⅵ誰何の先に知る真実
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約三百年前。叔父は、闇商人に捕まり競売にかけられたそうだ。
「言葉も分からない、ここがどこなのかも分からない。真っ先に足の骨を折られて、鎖に繋がれた。痛みに意識も朦朧としていたが、そこへアンキェが自ら軍を率いて突入してきたんだ。僕はアンキェに解放され、そのまま奴のものになった。言葉が理解できるよう術をかけられて、ようやくここが律界であることや人間の立場を知った。……この僕が、っ、この……僕が! 望んでもいない男のものにならざるを得なかったんだ!」
忌々しそうに吐き捨てる叔父の怒りと屈辱が、奏人には手に取るように分かる。叔父はとてもプライドの高い人だ。プライドの為に生きていると言っても過言ではない。何より、それを傷つけられることを嫌っていた。
人間界での世間の評判は、血の繋がらない甥をまだ若いのに引き取った優しい好青年。表裏が激しく、奏人とそれ以外の人物の前ではまるで別人だった。そんな叔父にとって、律界はまさに地獄そのものだったはずだ。あらゆる人間にとっても厳しい世界だが、叔父の場合はプライドの高さ故にレベルが違う気がする。
奴隷を飼うならまだしも、飼われるなど言語道断であっただろう。
「人のことを好き勝手しやがるアンキェを心底憎んだし、僕は僕を守る必要があった。だから二つに分けたんだ。丁度お前のことを思い出して、可哀想なお前が作り出した志木拓斗を利用することにした」
設定の完了している拓斗を使うのは都合が良かったと言う叔父は、あえて二人の人物を使い分けてきたそうだ。アンキェに心を開いて従順に振舞うのが、シキ。そのシキを苦しめる、横暴でずる賢いタクト。叔父はシキの顔でアンキェを手のひらで転がし、タクトの顔でストレスを発散させていた。アンキェは叔父のことを疑わなかったという。むしろタクトが表に出ている時間が長いとシキを心配し、政務にも手をつけず見張っていたらしい。
「馬鹿な男だよ。どっちも僕なのに。笑えるくらい必死にシキを守ろうとしてさ。僕の体が年を取らないように律界人たちを使って細工してた。お陰で、死ぬまで僕は若々しいままだったよ。滑稽だろう? 奴隷でオモチャの人間を生かすために、最下層から律界人を連れてきて寿命を奪うんだ。……だけど、それにも限界があった」
器にヒビが入り始めると、もう止められない。せっかく呪詛をかけても、ヒビから生命エネルギーが漏れ出てしまう。表向きは死んだことにしてあったシキだが、本当に体が駄目になったのは二百年を過ぎた当たりらしい。
「アンキェの奴、体が動かなくなった途端泣き喚いて。僕は、それを拓斗として眺めながら笑ってやったんだ。心底清々した。アイツがさ、僕の体が動かなくなるまでに費やした律界人の数、分かる? 数千人レベルだよ。よく今まで暴動が起きなかったと思うよ」
せせら笑う叔父に、奏人は疑問を覚える。
律王の願い通りに、この世に留まり続けている叔父。奏人には、その意図が分からなかった。
「じゃあ、どうして今日まで生きてきたんですか……? 律王の寿命が近い今、やっと眠りにつけるのに」
答えは、悪意に満ちた暗い笑みで返された。ゾッとするような黒い笑み。悪寒にも似た感覚が肌を襲い、奏人は思わず身構える。
「決まってるだろう? 人のことを所有物扱いして、散々好き勝手やってくれたアイツに教えてやるためさ。死ぬ間際、本当は全部僕のお芝居でした~ってね! 僕の人生を狂わせたアイツに、復讐してやるんだよッ! そのために僕は三百年も待った!」
心底嬉しそうに復讐するのだと笑う叔父に、奏人はなんと言えばいいのか分からなかった。奏人はソロに復讐したいと思ったことはない。ただの一度も。逃げたいと思ったことなら多々あるが、復讐とは違う。
今、奏人はソロを愛している。ようやく自信を持って口にできるようになった。好きと言う感情を、前向きに捉えることもできている。それはソロやフォニックたちのお陰だ。彼らが奏人を必要とし、大切にしてくれているからこそだ。その分、奏人も彼らを大切に思っている。人間界にいた頃にはなかった居場所を、得たような気がしていた。
「もちろん、お前にも復讐するよ」
「っ?」
「僕がこんな目に遭ったのは、全部お前のせいだ。お前が悪いのに……。なぁ、どうしてだ……? どうして、お前なんかが大事にされてる? なんでそんなに幸せそうなんだよ……ッ」
ゴゥゥッ、と強い風の音がして体が後ろに転がる。強く頭を打ち付けて脳震盪を起こしかけたが、ペザンテが前に出て多少庇ってくれた。そのお陰で気絶せずに済む。
体の持ち主の律力なのか、奏人単体で戦っても勝ち目はゼロだ。魂は同じ人間であるのに、器が変わると律力が使えるようになるのか。それとも、違う何かなのか。何にせよ凄いなと感心する一方で、なんの力も持たない自分の無力さが恨めしい。
しかし、だからといって無力を恨んでも何も解決しない。焦るだけだ。ないものは、ない。こればかりは覆せない。だったら、他の方法で戦うしかない。
あれだけ日々言われるがまま、命令される通りに生きてきた奏人が、自然と抵抗する意思を持てたのは奇跡に近い。それだけ一度死んだことは、奏人にとって教訓になっていた。また、律界に落ちてきてソロや侍従たちに多少なりとも肯定感を育ててもらったことも大きい。
「だーかーらー! なんだよ、その目! 腹立つな……。抵抗するなよ。さっさと僕に体を差し出せッ」
「……、……」
それでも面と向かって命令されると、心臓が鷲掴みにされたような気分になる。怖い。勝手に足が震えて立ち上がろうとする意志さえ、呑み込もうとする。
「それで、兄さんのことは赦してやるよ」
「え……」
「お前が殺した兄さん。僕にとっての肉親を奪った罪。その体一つで赦してやる」
赦す。そんなことを言われたのは初めてだった。一生赦さないと言っていたのに。
幼い頃、自分の我儘のせいで死んでしまった両親。ほとんど記憶にはないけれど、見送った日の笑顔だけは今でも鮮明に覚えている。その笑顔に罪悪感を覚えて久しい。
あの日の罪が、赦されるのか。この体を差し出せば。それだけで、ずっと背負ってきたものから解放されるのか――。
それは、とても魅力的に聞こえた。ずっとずっと、望んできたことだったからだ。赦して欲しくて、もういいと誰かに言って欲しくて。だがそんなことが起こらないことは、自分が一番分かっていた。罪はどこまでいっても罪であり、両親が生き返って赦すと言ってくれない限りは永遠に続く。
けれど。身内の叔父が赦してくれるのなら、もしかしたら……。
「ガァルルァァァッッ!」
飛んだ。目の前で。金色の物体が。ふさふさの尻尾が顔面に迫り、思いっきり頬を打たれる。まさかの尻尾ビンタ。かなりの力があり、また床に転がった。
「い、痛いよっ?」
「グァルル」
「俺っ? 殴ったのペザンテだろっ? って……なんで喋ってるんだよっ?」
時は少々遡る。
警戒して近寄ってはこない、屈強な体躯を持つ異界の住人。その肌は真っ赤であったり、真っ青であったりと実に様々だ。圧倒的な強靭さを持つ、巨体。しかし彼らは動かない。一同顔を強張らせ、進む銀色の髪を持つ青年を遠目に見ている。誰一人、動かない。動けない。
その少し後ろを行く薄桃色の髪をなびかせる青年は、やれやれといった様子で銀髪の青年について行っていた。
真っ直ぐな長い廊下。深紅の石畳。夜をそこに埋め込んだような深い色の天井。禍々しくも神々しいその廊下を、ソロとフエテフォルツァは誰に案内されることもなく進んでいた。
廊下を抜けた先。広い空間に出る。そこはまさに玉座。最奥に座したままこちらを睨み据える男へ、ソロは気安く声をかけた。
「久しいな。閻王」
「……。貴様、よく我の前に顔を出せたものだな」
床に付くほどの長い黒髪。透けるような白い肌。両目は静かに閉じられており、額に第三の目が赤く輝いている。周囲を鬼たちに囲まれた男は、忌々しそうに口を開いた。周囲に控えていた鬼たちがソロへ敵意を剥き出しにする中、当のソロは気にした様子もなくこの世界を統べる男を見る。
その昔。奏人が律界へ落ちてくる、かなり前のこと。ソロは律王の命令により、霊界が支配している空間へ攻め入ったことがあった。魔界の人間界侵攻を防ぐため、霊界の陣地がどうしても必要だった。
霊界は先代の閻王から代替わりをしたばかりで、魔界との闘いには圧倒的不利な立場にあった。霊界が押されると、人間界に魔族が今以上に流れ込むことになる。それだけはどうしても防ぎたかった律王は、ソロに霊界の陣地を奪うように命じた。
ソロが単身で乗り込み、目的範囲だった陣地を軽々と奪い取った。これが魔王の耳に入り、魔界は一旦引き下がる。結果的にソロのお陰で三界の均衡が保たれたわけだが、陣地を奪われた霊界側としては安易に喜ぶことはできない。再三、律界側に陣地の返還を求めてきたが、律王は魔界侵攻を理由に取り合わなかった。
「頼みがあって来た」
「世迷言を……」
「そうか? 賢い貴様のことだ。既に何故私がここに来たのか、把握していると思ったがな」
勘違いか、と鼻を鳴らすソロに閻王が表情を歪める。ここで否と言ってしまえば、己の力不足を認めることになる。とはいえ応と言うのも癪だ。それが分かるのか、後ろで会話を聞いていたフエテフォルツァが同情の視線を閻王に送っていた。
「……対価は、どうするつもりだ? それ相応のものを貰うぞ」
「私が奪った陣地を返してやろう」
「ぇ、ソロッ?」
何を言い出すのかと、傍観の姿勢だったフエテフォルツァが目を瞠った。ちょっと待ってくれと、ソロの前に出る。
フエテフォルツァの反応も、無理はなかった。今、三界の均衡が取れているのは陣地のバランスが絶妙な具合で取れているからだ。陣地を手放すということは、魔界の侵攻を許すことと同意。それは霊界や律界のみならず、人間界にも影響を及ぼすことに繋がる。
「その代わり、魔界が攻めて来た時はこちら側も動く」
「霊界の力が、魔界に劣るとでも言うのか」
「そうは言わん。だが貴様たちの本質は冥界と幽界の監視と、人間界に存在する魂の循環だ。戦うことではないだろう。他界の征服を魂に刻み生まれている魔界の奴らとでは、分が悪いのは当然だ」
「……」
「それとは違い、我ら律界人の存在意義は調律だ。何かが狂えば正し、元の形に戻すのが使命。だからこそ、魔界に匹敵する力を与えられている。均衡が崩れないようにな」
沈黙が流れる。鬼たちの視線が閻王に注がれる中、それを破ったのもまた閻王であった。
長い長い、嘆息。赤い目が音もなく閉じ、代わりに優しい色をした双眸が開く。明るい菫色をした瞳は真っ直ぐにソロを捉えたまま、すぐ傍に控える赤鬼に指先一つで合図を送った。
左奥の扉が重々しく開き、薄暗い室内に眩い光が注ぎこむ。それを真っ直ぐに見つめたまま、ソロは閻王へ「交渉成立だ」と呟いた。
「噂には聞いていたが、本当に人の子に熱を上げているのだな」
「ああ。そうだ」
否定することなく、キッパリと首肯したソロに閻王が目を剥く。だがすぐに冷たい笑みを浮かべ、死後が楽しみだと告げた。
「それは無理だな」
「なんだと?」
「あれは、生前であろうと死後であろうと私だけのものだ」
「貴様、まさか……あの術を?」
「魂の欠片一つ、他に触れさせる気はない」
堂々と言い放つソロに、閻王が瞠若したまま言葉を失っている。信じられないと首を振るが、ソロの意識は既に彼ではなく正面の光に向けられていた。
前に出て、鋭く睨み据える。
「さぁ。存分に役に立ってもらうぞ」
「言葉も分からない、ここがどこなのかも分からない。真っ先に足の骨を折られて、鎖に繋がれた。痛みに意識も朦朧としていたが、そこへアンキェが自ら軍を率いて突入してきたんだ。僕はアンキェに解放され、そのまま奴のものになった。言葉が理解できるよう術をかけられて、ようやくここが律界であることや人間の立場を知った。……この僕が、っ、この……僕が! 望んでもいない男のものにならざるを得なかったんだ!」
忌々しそうに吐き捨てる叔父の怒りと屈辱が、奏人には手に取るように分かる。叔父はとてもプライドの高い人だ。プライドの為に生きていると言っても過言ではない。何より、それを傷つけられることを嫌っていた。
人間界での世間の評判は、血の繋がらない甥をまだ若いのに引き取った優しい好青年。表裏が激しく、奏人とそれ以外の人物の前ではまるで別人だった。そんな叔父にとって、律界はまさに地獄そのものだったはずだ。あらゆる人間にとっても厳しい世界だが、叔父の場合はプライドの高さ故にレベルが違う気がする。
奴隷を飼うならまだしも、飼われるなど言語道断であっただろう。
「人のことを好き勝手しやがるアンキェを心底憎んだし、僕は僕を守る必要があった。だから二つに分けたんだ。丁度お前のことを思い出して、可哀想なお前が作り出した志木拓斗を利用することにした」
設定の完了している拓斗を使うのは都合が良かったと言う叔父は、あえて二人の人物を使い分けてきたそうだ。アンキェに心を開いて従順に振舞うのが、シキ。そのシキを苦しめる、横暴でずる賢いタクト。叔父はシキの顔でアンキェを手のひらで転がし、タクトの顔でストレスを発散させていた。アンキェは叔父のことを疑わなかったという。むしろタクトが表に出ている時間が長いとシキを心配し、政務にも手をつけず見張っていたらしい。
「馬鹿な男だよ。どっちも僕なのに。笑えるくらい必死にシキを守ろうとしてさ。僕の体が年を取らないように律界人たちを使って細工してた。お陰で、死ぬまで僕は若々しいままだったよ。滑稽だろう? 奴隷でオモチャの人間を生かすために、最下層から律界人を連れてきて寿命を奪うんだ。……だけど、それにも限界があった」
器にヒビが入り始めると、もう止められない。せっかく呪詛をかけても、ヒビから生命エネルギーが漏れ出てしまう。表向きは死んだことにしてあったシキだが、本当に体が駄目になったのは二百年を過ぎた当たりらしい。
「アンキェの奴、体が動かなくなった途端泣き喚いて。僕は、それを拓斗として眺めながら笑ってやったんだ。心底清々した。アイツがさ、僕の体が動かなくなるまでに費やした律界人の数、分かる? 数千人レベルだよ。よく今まで暴動が起きなかったと思うよ」
せせら笑う叔父に、奏人は疑問を覚える。
律王の願い通りに、この世に留まり続けている叔父。奏人には、その意図が分からなかった。
「じゃあ、どうして今日まで生きてきたんですか……? 律王の寿命が近い今、やっと眠りにつけるのに」
答えは、悪意に満ちた暗い笑みで返された。ゾッとするような黒い笑み。悪寒にも似た感覚が肌を襲い、奏人は思わず身構える。
「決まってるだろう? 人のことを所有物扱いして、散々好き勝手やってくれたアイツに教えてやるためさ。死ぬ間際、本当は全部僕のお芝居でした~ってね! 僕の人生を狂わせたアイツに、復讐してやるんだよッ! そのために僕は三百年も待った!」
心底嬉しそうに復讐するのだと笑う叔父に、奏人はなんと言えばいいのか分からなかった。奏人はソロに復讐したいと思ったことはない。ただの一度も。逃げたいと思ったことなら多々あるが、復讐とは違う。
今、奏人はソロを愛している。ようやく自信を持って口にできるようになった。好きと言う感情を、前向きに捉えることもできている。それはソロやフォニックたちのお陰だ。彼らが奏人を必要とし、大切にしてくれているからこそだ。その分、奏人も彼らを大切に思っている。人間界にいた頃にはなかった居場所を、得たような気がしていた。
「もちろん、お前にも復讐するよ」
「っ?」
「僕がこんな目に遭ったのは、全部お前のせいだ。お前が悪いのに……。なぁ、どうしてだ……? どうして、お前なんかが大事にされてる? なんでそんなに幸せそうなんだよ……ッ」
ゴゥゥッ、と強い風の音がして体が後ろに転がる。強く頭を打ち付けて脳震盪を起こしかけたが、ペザンテが前に出て多少庇ってくれた。そのお陰で気絶せずに済む。
体の持ち主の律力なのか、奏人単体で戦っても勝ち目はゼロだ。魂は同じ人間であるのに、器が変わると律力が使えるようになるのか。それとも、違う何かなのか。何にせよ凄いなと感心する一方で、なんの力も持たない自分の無力さが恨めしい。
しかし、だからといって無力を恨んでも何も解決しない。焦るだけだ。ないものは、ない。こればかりは覆せない。だったら、他の方法で戦うしかない。
あれだけ日々言われるがまま、命令される通りに生きてきた奏人が、自然と抵抗する意思を持てたのは奇跡に近い。それだけ一度死んだことは、奏人にとって教訓になっていた。また、律界に落ちてきてソロや侍従たちに多少なりとも肯定感を育ててもらったことも大きい。
「だーかーらー! なんだよ、その目! 腹立つな……。抵抗するなよ。さっさと僕に体を差し出せッ」
「……、……」
それでも面と向かって命令されると、心臓が鷲掴みにされたような気分になる。怖い。勝手に足が震えて立ち上がろうとする意志さえ、呑み込もうとする。
「それで、兄さんのことは赦してやるよ」
「え……」
「お前が殺した兄さん。僕にとっての肉親を奪った罪。その体一つで赦してやる」
赦す。そんなことを言われたのは初めてだった。一生赦さないと言っていたのに。
幼い頃、自分の我儘のせいで死んでしまった両親。ほとんど記憶にはないけれど、見送った日の笑顔だけは今でも鮮明に覚えている。その笑顔に罪悪感を覚えて久しい。
あの日の罪が、赦されるのか。この体を差し出せば。それだけで、ずっと背負ってきたものから解放されるのか――。
それは、とても魅力的に聞こえた。ずっとずっと、望んできたことだったからだ。赦して欲しくて、もういいと誰かに言って欲しくて。だがそんなことが起こらないことは、自分が一番分かっていた。罪はどこまでいっても罪であり、両親が生き返って赦すと言ってくれない限りは永遠に続く。
けれど。身内の叔父が赦してくれるのなら、もしかしたら……。
「ガァルルァァァッッ!」
飛んだ。目の前で。金色の物体が。ふさふさの尻尾が顔面に迫り、思いっきり頬を打たれる。まさかの尻尾ビンタ。かなりの力があり、また床に転がった。
「い、痛いよっ?」
「グァルル」
「俺っ? 殴ったのペザンテだろっ? って……なんで喋ってるんだよっ?」
時は少々遡る。
警戒して近寄ってはこない、屈強な体躯を持つ異界の住人。その肌は真っ赤であったり、真っ青であったりと実に様々だ。圧倒的な強靭さを持つ、巨体。しかし彼らは動かない。一同顔を強張らせ、進む銀色の髪を持つ青年を遠目に見ている。誰一人、動かない。動けない。
その少し後ろを行く薄桃色の髪をなびかせる青年は、やれやれといった様子で銀髪の青年について行っていた。
真っ直ぐな長い廊下。深紅の石畳。夜をそこに埋め込んだような深い色の天井。禍々しくも神々しいその廊下を、ソロとフエテフォルツァは誰に案内されることもなく進んでいた。
廊下を抜けた先。広い空間に出る。そこはまさに玉座。最奥に座したままこちらを睨み据える男へ、ソロは気安く声をかけた。
「久しいな。閻王」
「……。貴様、よく我の前に顔を出せたものだな」
床に付くほどの長い黒髪。透けるような白い肌。両目は静かに閉じられており、額に第三の目が赤く輝いている。周囲を鬼たちに囲まれた男は、忌々しそうに口を開いた。周囲に控えていた鬼たちがソロへ敵意を剥き出しにする中、当のソロは気にした様子もなくこの世界を統べる男を見る。
その昔。奏人が律界へ落ちてくる、かなり前のこと。ソロは律王の命令により、霊界が支配している空間へ攻め入ったことがあった。魔界の人間界侵攻を防ぐため、霊界の陣地がどうしても必要だった。
霊界は先代の閻王から代替わりをしたばかりで、魔界との闘いには圧倒的不利な立場にあった。霊界が押されると、人間界に魔族が今以上に流れ込むことになる。それだけはどうしても防ぎたかった律王は、ソロに霊界の陣地を奪うように命じた。
ソロが単身で乗り込み、目的範囲だった陣地を軽々と奪い取った。これが魔王の耳に入り、魔界は一旦引き下がる。結果的にソロのお陰で三界の均衡が保たれたわけだが、陣地を奪われた霊界側としては安易に喜ぶことはできない。再三、律界側に陣地の返還を求めてきたが、律王は魔界侵攻を理由に取り合わなかった。
「頼みがあって来た」
「世迷言を……」
「そうか? 賢い貴様のことだ。既に何故私がここに来たのか、把握していると思ったがな」
勘違いか、と鼻を鳴らすソロに閻王が表情を歪める。ここで否と言ってしまえば、己の力不足を認めることになる。とはいえ応と言うのも癪だ。それが分かるのか、後ろで会話を聞いていたフエテフォルツァが同情の視線を閻王に送っていた。
「……対価は、どうするつもりだ? それ相応のものを貰うぞ」
「私が奪った陣地を返してやろう」
「ぇ、ソロッ?」
何を言い出すのかと、傍観の姿勢だったフエテフォルツァが目を瞠った。ちょっと待ってくれと、ソロの前に出る。
フエテフォルツァの反応も、無理はなかった。今、三界の均衡が取れているのは陣地のバランスが絶妙な具合で取れているからだ。陣地を手放すということは、魔界の侵攻を許すことと同意。それは霊界や律界のみならず、人間界にも影響を及ぼすことに繋がる。
「その代わり、魔界が攻めて来た時はこちら側も動く」
「霊界の力が、魔界に劣るとでも言うのか」
「そうは言わん。だが貴様たちの本質は冥界と幽界の監視と、人間界に存在する魂の循環だ。戦うことではないだろう。他界の征服を魂に刻み生まれている魔界の奴らとでは、分が悪いのは当然だ」
「……」
「それとは違い、我ら律界人の存在意義は調律だ。何かが狂えば正し、元の形に戻すのが使命。だからこそ、魔界に匹敵する力を与えられている。均衡が崩れないようにな」
沈黙が流れる。鬼たちの視線が閻王に注がれる中、それを破ったのもまた閻王であった。
長い長い、嘆息。赤い目が音もなく閉じ、代わりに優しい色をした双眸が開く。明るい菫色をした瞳は真っ直ぐにソロを捉えたまま、すぐ傍に控える赤鬼に指先一つで合図を送った。
左奥の扉が重々しく開き、薄暗い室内に眩い光が注ぎこむ。それを真っ直ぐに見つめたまま、ソロは閻王へ「交渉成立だ」と呟いた。
「噂には聞いていたが、本当に人の子に熱を上げているのだな」
「ああ。そうだ」
否定することなく、キッパリと首肯したソロに閻王が目を剥く。だがすぐに冷たい笑みを浮かべ、死後が楽しみだと告げた。
「それは無理だな」
「なんだと?」
「あれは、生前であろうと死後であろうと私だけのものだ」
「貴様、まさか……あの術を?」
「魂の欠片一つ、他に触れさせる気はない」
堂々と言い放つソロに、閻王が瞠若したまま言葉を失っている。信じられないと首を振るが、ソロの意識は既に彼ではなく正面の光に向けられていた。
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