冥府への案内人

伊駒辰葉

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二章

昏い夢の中-1

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 ベッドの上で伸ばした四肢に自然と力がこもる。しばしそのままの体勢で和也を睨み続ける。だが緊張に身を強張らせる順を眺めるだけで、和也は一向に襲い掛かろうとはしない。身構えて息を殺していた順は動こうとしない和也に訝りを覚えて眉を寄せた。

「……何だ。何もしないのか?」

 真面目にそう問い掛けた順に和也が人の悪い笑みを向ける。

「試すっつったろ? オレがストレートにやったんじゃ意味ねえよ」

 そう言いながら和也は片手に握っていたグラスをテーブルに戻した。そのまま床に座り込んでもう片方のグラスを取る。順はベッドに寝転んだまま、じっとそんな和也を見守った。

「オナニーしたことあるか?」
「は!?」

 唐突に問われて順は慌てて身体を起こした。何故、和也がそんなことを訊くのか判らない。うろたえる順を余所に和也がのんびりとグラスを傾ける。コーヒーを飲んだついでに氷を噛み砕きながら和也は意味ありげに笑った。

「んだから、一人エッチだよ。そーゆー気分になった時とかにナニをてめえで扱いたりすんの。ま、人によっては色々と道具使ったりとかするっぽいけど」

 どうやら和也は言われた意味が判らずに順が問い返したのだと勘違いしたらしい。自慰について解説され、順の顔は無意識に赤くなった。自慰の知識はあるし、クラスの男子生徒がそういった会話をしていたのを耳にしたことも何度かある。

 だが順は知ってはいても、実際に自慰をしたことはなかった。その事を言っていいものかどうか少しだけ考えてから、恥ずかしいという気持ちを隠して順は返事をした。

「な、ない、かも」

 そもそもそういう気分になることはこれまでになかった。順は思い浮かんだ言葉を途中で飲み込んだ。もしかして自分は変わっているのだろうか。ふと、そんな不安が胸を過ぎる。順は和也の様子を恐る恐る伺った。

 和也が横目に順を見る。その顔には嫌な笑みが浮かんでいた。

「じゃ、やってみろ」
「……何で」

 和也は自分が気持ち良くなりたいから調教などと言い出したのではないのだろうか。そう思いながら順は素直に問い返した。ここで自慰をすることに深い意味があるとは思えない。

「やれっつったらやれよ。したことないんだろ?」

 要するに和也は自慰の経験がないことを面白がっているらしい。そのことに気付いて順は深いため息をついた。

「それは自分のを手で擦って射精しろと言っているのか?」
「だからそうだっつってるだろうが。まどろっこしいやつだな」

 順に負けないくらい渋い顔になって和也が手を伸ばす。和也は順のバスローブの裾を無造作にめくって股間を指差してみせた。指差されるままに自分の股間を見下ろす。だが順はそこでまたため息をついた。

「あのな、渡部」

 重く沈んだ声で和也を呼び、順は目を上げた。

「やれって言われてもな。はい判りましたってすぐに出来ると思うか?」

 おもむろに立ち上がって下着を脱ぎ捨てる。順は半ばやけくそになりながらバスローブの紐を解いた。バスローブの前を開いた順の股間には萎えきったペニスがぶら下がっていた。これで出来ると思うか? そう順が問うと和也が苦笑する。

「そりゃ、そのままじゃ無理だわな」
「大体、男のなんか見ても嬉しくないだろ」

 つい、そう言ってしまってから順はしまったと口を押さえた。和也が男に何も感じないならそもそも自分を犯したりはしないだろう。そのことに思い至った順はぎこちなくバスローブの前を合わせてベッドに座った。床に放り出したバスローブの紐を静かに取り上げる。

「ま、そう言われるとは思ったけどな。いや、別にオレだって女に何も感じない訳じゃないし? 他の男と同じように女とセックスはしますけど?」

 にやにやと嗤いながら和也が腰を上げる。順は和也の様子を伺いながら手早くバスローブの紐を腰に結わえた。ついでに床に投げた下着を拾おうと手を伸ばす。だが順の手をいち早く和也がつかむ。動きを遮られた順は俯いたまま顔を引きつらせた。そんな順を嘲るように笑った和也が言う。

「何だ。妬いてんのか?」
「ばかか、お前は! 誰が妬くか!」

 反射的に言い返して順は顔を上げた。そうだよなあ、と嗤いながら和也が順の手を強く握る。放せ、と振り払いかけて順は慌てて動きを止めた。逆らうなと和也は言っていた。それにさっきのあの顔は本気だった。もし、ここで逆らったりしたら和也は都子を本気で襲いかねない。そう考えて順は無言で全ての反応を殺した。

「さすがに何もナシで昂奮しろってのもアレだからな。いいもの貸してやる」

 順の手をつかんだまま、和也がテーブルの下を探る。順は黙って和也のすることを見つめていた。テーブルの下から引っ張り出されたのは和也がいつも使っている鞄だ。片手で器用に蓋を開いて中身を探る。取り出されたものを目にした順は思わず顔をしかめた。

「何だ、それ」

 和也が取り出したのは一本のクリームのチューブだった。ハンドクリームだろうか。そう思いながら順は和也とチューブを交互に見た。和也が握っていた順の手にそれを押し付ける。手渡されたそれを順はまじまじと見下ろした。市販のハンドクリームとはパッケージが違う。チューブの表面は真っ白で何も書かれてはいない。蓋も同じ白だ。だが蓋の頭部分にだけ数字とアルファベットが書かれている。明らかに手書きのそれを見つけて順は更に訳が判らなくなった。

「ほい、手出して」
「あ、ああ」

 言われるままに手を出す。順が握っていたチューブを取り上げ、和也は蓋を開けた。順の両の手のひらに透明なジェルのようなものが絞り出される。ピンポン球の大きさほど絞り出してから和也はチューブの蓋をした。

「それ、ナニに塗ってみな」

 もしかして興奮剤だろうか。そう思いながら順は手に盛られたジェル状のものと和也とを見比べた。和也は余程楽しいのか、流れるピアノの旋律に合わせて鼻歌を歌っている。頼みもしないのにバスローブをめくる和也を無言で見下ろしていた順は深々と息をついた。

「言っておくが、人間に使う薬品は殆ど俺には効かないぞ」

 どういう訳かは判らない。だが順の身体は風邪薬などの薬品がまるで効かないのだ。そうでなければ今回の風邪もさっさと薬で治している。だが疲れた口調で言った順を和也は人の悪い笑みを浮かべて見返した。顎で順の股間を指し示す。

「いいからやれよ」

 試しというのはこのことか。そう納得しながら順は仕方なく手の中のそれを股間に寄せた。萎えたペニスの先端を左手の指先ですくい、右手でそれを静かに塗る。意外な冷たさに身震いしつつ、順は右手の中に盛られていたそれをペニスに塗り終えた。
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