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二章
音楽
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そういえばうちにもピアノがあったっけ。ピアノの音を聴いているうちに順はぼんやりと思い出した。
真っ白なカーテンのかかった広い部屋の真ん中に黒い大きなグランドピアノが置いてあった。幼い都子がピアノの前に座ると、その小柄さからまるで人形のように見えた。ほこり一つない鍵盤を細く小さな指がたどたどしく叩く。
おにいさま、おにいさま。いっしょにひいて。
都子があどけない笑みでねだるたび、順は一緒に椅子に腰を下ろしてピアノを弾いた。都子が弾く曲はどれも簡単で順にもすぐになぞることが出来た。チューリップ、ちょうちょ、あかとんぼ。順が童謡を弾くと都子は嬉しそうに笑い、ピアノを弾くのをやめていつも歌い出した。
透き通った声で奏でられる歌を聴くのが好きだった。不思議なことに都子も順もピアノを誰かに習ったことはない。歌もそうだ。が、二人は幼い頃から楽譜は自然と読めたし、誰に教えられるでもなくピアノの弾き方も知っていた。あの頃、順は誰もがそうなのだと信じていた。
驚いたのは中学に上がった時だ。音楽の時間に懸命にリコーダーの練習をしているクラスメイトたちの姿に仰天した。何故なら順は練習などしなくてもあっさりとリコーダーを吹けたからだ。
こんなこともあった。音楽の成績に目をつけたブラスバンドの部員たちが、ある時、順を無理に音楽室に連れ込んだ。最初は恐らく面白半分だったのだろう。ブラスバンドの部員が楽器を演奏してみろ、と順に色々な楽器を差し出した。
順は渡された楽器を受け取り、何も教わることなく全ての楽器を奏でてみせた。最初は部員達も面白がっていたのだが、次第に気味が悪くなったのか、もういいからと順を止めた。それ以降は誰も順に楽器を奏でてくれとは言わなくなった。
何故、こと音楽においてのみ自然と技術が身についていたのかは判らない。順は音楽の成績は勉強をせずともいつも良かった。都子も恐らくそうなのだろう。今ごろ、都子は音楽の授業中に周囲を驚かせているのだろうか。それとも当然とすましているだろうか。
都子に会いたいな。そう思いながら順はぼんやりとした目を何となく和也に向けた。そこで焦る。どうやら和也はずっと順を見ていたらしい。視線が合ってしまってから順は慌てて目を逸らした。
「ふぅん。そっち方面は全然ってとこか。ま、純粋培養っぽいしな、木村って」
「じゅ」
純粋培養という表現にちらりと嫌なものを覚えたが、順ははっきりとは言い返さなかった。その表現はある意味では正しい。人ならざるモノの遺骸から作られ、何も知らない状態で育てられ、順がそのことに気付いた途端に両親は手のひらを返したのだ。
異性に興味を持ち始めた頃、順は初めて麻酔なしのテストを受けた。知識としてそれが射精という行為なのだとはわかっても、とても気持ちいいとは思えなかった。だから順は同じクラスの男子生徒たちがそういった話をしていても、頷けたことが一度もない。それ以前に順には女性に目を向ける余裕がなくなっていたのだ。
触れると壊れそうなほどに柔らかなもの。順の一番身近にいたのは都子だった。クラスの女子生徒より、通りすがる女性より、母親より、都子は傍にいた。だが順が性的な知識を得始めた頃の都子はまだ幼く、とても性の対象として見るべき存在ではなかった。
だがその都子ももう中学生になったようだ。写真に写された都子の姿を思い出して順は慌てて首を振った。違う。都子はそんな目で見るべき存在じゃない。そう自分に言い聞かせる。
「へぇ……」
感心したような声に順ははっと我に返った。和也がいつの間にか間近から顔を覗き込んでいる。そのことに気付いた順は焦って和也から離れようとした。だが慌て過ぎて足がもつれ、そのまま後ろに倒れてしまう。運良く、順の真後ろにはベッドがあった。仰向けに倒れた順を面白そうに和也が眺め下ろす。
「ちょっと試してみるか」
そう告げた和也を順は無言で睨んだ。
真っ白なカーテンのかかった広い部屋の真ん中に黒い大きなグランドピアノが置いてあった。幼い都子がピアノの前に座ると、その小柄さからまるで人形のように見えた。ほこり一つない鍵盤を細く小さな指がたどたどしく叩く。
おにいさま、おにいさま。いっしょにひいて。
都子があどけない笑みでねだるたび、順は一緒に椅子に腰を下ろしてピアノを弾いた。都子が弾く曲はどれも簡単で順にもすぐになぞることが出来た。チューリップ、ちょうちょ、あかとんぼ。順が童謡を弾くと都子は嬉しそうに笑い、ピアノを弾くのをやめていつも歌い出した。
透き通った声で奏でられる歌を聴くのが好きだった。不思議なことに都子も順もピアノを誰かに習ったことはない。歌もそうだ。が、二人は幼い頃から楽譜は自然と読めたし、誰に教えられるでもなくピアノの弾き方も知っていた。あの頃、順は誰もがそうなのだと信じていた。
驚いたのは中学に上がった時だ。音楽の時間に懸命にリコーダーの練習をしているクラスメイトたちの姿に仰天した。何故なら順は練習などしなくてもあっさりとリコーダーを吹けたからだ。
こんなこともあった。音楽の成績に目をつけたブラスバンドの部員たちが、ある時、順を無理に音楽室に連れ込んだ。最初は恐らく面白半分だったのだろう。ブラスバンドの部員が楽器を演奏してみろ、と順に色々な楽器を差し出した。
順は渡された楽器を受け取り、何も教わることなく全ての楽器を奏でてみせた。最初は部員達も面白がっていたのだが、次第に気味が悪くなったのか、もういいからと順を止めた。それ以降は誰も順に楽器を奏でてくれとは言わなくなった。
何故、こと音楽においてのみ自然と技術が身についていたのかは判らない。順は音楽の成績は勉強をせずともいつも良かった。都子も恐らくそうなのだろう。今ごろ、都子は音楽の授業中に周囲を驚かせているのだろうか。それとも当然とすましているだろうか。
都子に会いたいな。そう思いながら順はぼんやりとした目を何となく和也に向けた。そこで焦る。どうやら和也はずっと順を見ていたらしい。視線が合ってしまってから順は慌てて目を逸らした。
「ふぅん。そっち方面は全然ってとこか。ま、純粋培養っぽいしな、木村って」
「じゅ」
純粋培養という表現にちらりと嫌なものを覚えたが、順ははっきりとは言い返さなかった。その表現はある意味では正しい。人ならざるモノの遺骸から作られ、何も知らない状態で育てられ、順がそのことに気付いた途端に両親は手のひらを返したのだ。
異性に興味を持ち始めた頃、順は初めて麻酔なしのテストを受けた。知識としてそれが射精という行為なのだとはわかっても、とても気持ちいいとは思えなかった。だから順は同じクラスの男子生徒たちがそういった話をしていても、頷けたことが一度もない。それ以前に順には女性に目を向ける余裕がなくなっていたのだ。
触れると壊れそうなほどに柔らかなもの。順の一番身近にいたのは都子だった。クラスの女子生徒より、通りすがる女性より、母親より、都子は傍にいた。だが順が性的な知識を得始めた頃の都子はまだ幼く、とても性の対象として見るべき存在ではなかった。
だがその都子ももう中学生になったようだ。写真に写された都子の姿を思い出して順は慌てて首を振った。違う。都子はそんな目で見るべき存在じゃない。そう自分に言い聞かせる。
「へぇ……」
感心したような声に順ははっと我に返った。和也がいつの間にか間近から顔を覗き込んでいる。そのことに気付いた順は焦って和也から離れようとした。だが慌て過ぎて足がもつれ、そのまま後ろに倒れてしまう。運良く、順の真後ろにはベッドがあった。仰向けに倒れた順を面白そうに和也が眺め下ろす。
「ちょっと試してみるか」
そう告げた和也を順は無言で睨んだ。
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