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第二章 尊攘の波濤
西の変事(2)
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「まだ、何かあるのか」
次第に横柄さを隠しきれなくなってきた丹波にお構いなしに、三郎右衛門は一つ肯いた。
「むしろ、次の話の方が我が藩にとって重要でござる」
三郎右衛門が何を言い出すのかと、大書院にぴりぴりとした空気が流れる。
先に二本松藩では、朝廷の親兵として十一人を京へ派遣していた。だが、昨年以来京都では尊攘派の志士が朝廷の尊攘派公家らと結びつき、それを取り締まろうとする幕府の人間や京都守護職を任された会津藩との対立を深めている。暗殺や暗殺未遂も珍しくなく、また、西国の雄藩らが政局に加わろうと、虎視眈々と謀略をめぐらしている。そのため現在の京は非常に危険極まりない。そこで、十万石以上の大名に対し、百日を期限として京都警衛を命じることになったというのだ。この命令が江戸藩邸に伝えられたのが、四月二十四日。既に、近隣の藩では米沢藩や仙台藩が在京警備の任に当たっているとのことだった。
三郎右衛門の説明に、鳴海は隣の席に座っていた志摩と顔を見合わせた。少し前の本家の夕餉の席で、戯言として出た話である。だが、結果的に鳴海の読みが当たった形となった。
「――その命令は、何処から出たものであろうな」
丹波の独言に、和左衛門がじろりと視線を投げつけた。丹波の頭の中には、先に出された「場合によっては朝廷が直接諸侯に命令を下す」という勅命があるに違いなかった。
「わが藩は、十月から十二月までの警護を命じられた。その前に、江戸で幕閣と打ち合わせることになり申そう」
淡々と三郎右衛門は説明しているが、江戸滞在だけでも別途費用がかかる。江戸警衛に際しても既に莫大な費用がかかったのに、江戸よりも遠い京となれば、藩の資金繰りもどうなることか。
丹波は苛々と扇を叩き続けていたが、やがて顔を上げた。
「まずは費用の見積もりを出さねばなるまい。安部井殿、明後日までに頼む」
「畏まりまして、候」
末席に座っていた安部井又之丞が、低い声で応じた。勘定奉行の一人ではあるが、あの安部井清助の父でもある。息子があれだけ熱心な尊攘派であるのだから、父である又之丞も尊攘派の一人である可能性が高そうなものだが、仕事は仕事であった。
「京の藩邸は、些か手狭でござったな。御所の護衛となれば、それなりに人数を揃えねばならぬであろうから、親兵として先に入京されている方々に、何処ぞやの寺を借受けられるよう、交渉をお頼みせねばなりますまい」
掃部助が、思案顔で丹波に述べた。京はおろか、江戸への出府経験すらない鳴海は、それを黙って聞いていた。
そういえば、安部井清助は脱藩した芳之助が上洛しているらしいと述べていたのではなかったか。尊攘派にとって、帝は絶対的な権威者である。一種の信仰といってもいい。逆に言えば、幕命とはいえ警護の人員の中に尊攘派を加えれば、いつ帝を奉戴して上方で反旗を翻すか、わかったものではなかった。
尊攘派を抑え込みたい丹波が苛立つのも無理はない。丹波に対しては好意を持てないが、尊攘派の過激な行動が藩を割りかねないという見立てに対しては、鳴海も同感である。
京の情報が知りたい。鳴海は、切実にそう思った。
そして、鳴海はもう一つ気にかかることがあった。彦十郎家の縫殿助が昨年八月に急死したため、老体に鞭打って番頭の職務を引き受けていた和田弥一右衛門の姿が、この場にない。「不快の故」とあらかじめ届けがあったそうなのだが、いよいよ病状が思わしくないのではないか。
継嗣である和田弓人は一応詰番扱いとなっているものの、若干十四歳の若者である。年齢からしても彼が番頭の座に就くというのはさすがにあり得ず、鳴海に番頭の座が回ってくるのは必然とも言えた。昨年に一介の兵卒扱いだった鳴海が急遽詰番に出世したのも異例だったが、元々は彦十郎家の縫殿助の急死を受けて、引退していたはずの弥一右衛門が番頭を引き受けてくれた経緯がある。これ以上弥一右衛門に無理はさせられないのであった。
その流れを踏まえると、彦十郎家としても政の表舞台に出ざるを得ない。だが、いかんせん政治の流れが複雑怪奇すぎて、読み切れない。三郎右衛門とは違う立場でありながら、鳴海もため息が出る思いだった。
次第に横柄さを隠しきれなくなってきた丹波にお構いなしに、三郎右衛門は一つ肯いた。
「むしろ、次の話の方が我が藩にとって重要でござる」
三郎右衛門が何を言い出すのかと、大書院にぴりぴりとした空気が流れる。
先に二本松藩では、朝廷の親兵として十一人を京へ派遣していた。だが、昨年以来京都では尊攘派の志士が朝廷の尊攘派公家らと結びつき、それを取り締まろうとする幕府の人間や京都守護職を任された会津藩との対立を深めている。暗殺や暗殺未遂も珍しくなく、また、西国の雄藩らが政局に加わろうと、虎視眈々と謀略をめぐらしている。そのため現在の京は非常に危険極まりない。そこで、十万石以上の大名に対し、百日を期限として京都警衛を命じることになったというのだ。この命令が江戸藩邸に伝えられたのが、四月二十四日。既に、近隣の藩では米沢藩や仙台藩が在京警備の任に当たっているとのことだった。
三郎右衛門の説明に、鳴海は隣の席に座っていた志摩と顔を見合わせた。少し前の本家の夕餉の席で、戯言として出た話である。だが、結果的に鳴海の読みが当たった形となった。
「――その命令は、何処から出たものであろうな」
丹波の独言に、和左衛門がじろりと視線を投げつけた。丹波の頭の中には、先に出された「場合によっては朝廷が直接諸侯に命令を下す」という勅命があるに違いなかった。
「わが藩は、十月から十二月までの警護を命じられた。その前に、江戸で幕閣と打ち合わせることになり申そう」
淡々と三郎右衛門は説明しているが、江戸滞在だけでも別途費用がかかる。江戸警衛に際しても既に莫大な費用がかかったのに、江戸よりも遠い京となれば、藩の資金繰りもどうなることか。
丹波は苛々と扇を叩き続けていたが、やがて顔を上げた。
「まずは費用の見積もりを出さねばなるまい。安部井殿、明後日までに頼む」
「畏まりまして、候」
末席に座っていた安部井又之丞が、低い声で応じた。勘定奉行の一人ではあるが、あの安部井清助の父でもある。息子があれだけ熱心な尊攘派であるのだから、父である又之丞も尊攘派の一人である可能性が高そうなものだが、仕事は仕事であった。
「京の藩邸は、些か手狭でござったな。御所の護衛となれば、それなりに人数を揃えねばならぬであろうから、親兵として先に入京されている方々に、何処ぞやの寺を借受けられるよう、交渉をお頼みせねばなりますまい」
掃部助が、思案顔で丹波に述べた。京はおろか、江戸への出府経験すらない鳴海は、それを黙って聞いていた。
そういえば、安部井清助は脱藩した芳之助が上洛しているらしいと述べていたのではなかったか。尊攘派にとって、帝は絶対的な権威者である。一種の信仰といってもいい。逆に言えば、幕命とはいえ警護の人員の中に尊攘派を加えれば、いつ帝を奉戴して上方で反旗を翻すか、わかったものではなかった。
尊攘派を抑え込みたい丹波が苛立つのも無理はない。丹波に対しては好意を持てないが、尊攘派の過激な行動が藩を割りかねないという見立てに対しては、鳴海も同感である。
京の情報が知りたい。鳴海は、切実にそう思った。
そして、鳴海はもう一つ気にかかることがあった。彦十郎家の縫殿助が昨年八月に急死したため、老体に鞭打って番頭の職務を引き受けていた和田弥一右衛門の姿が、この場にない。「不快の故」とあらかじめ届けがあったそうなのだが、いよいよ病状が思わしくないのではないか。
継嗣である和田弓人は一応詰番扱いとなっているものの、若干十四歳の若者である。年齢からしても彼が番頭の座に就くというのはさすがにあり得ず、鳴海に番頭の座が回ってくるのは必然とも言えた。昨年に一介の兵卒扱いだった鳴海が急遽詰番に出世したのも異例だったが、元々は彦十郎家の縫殿助の急死を受けて、引退していたはずの弥一右衛門が番頭を引き受けてくれた経緯がある。これ以上弥一右衛門に無理はさせられないのであった。
その流れを踏まえると、彦十郎家としても政の表舞台に出ざるを得ない。だが、いかんせん政治の流れが複雑怪奇すぎて、読み切れない。三郎右衛門とは違う立場でありながら、鳴海もため息が出る思いだった。
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