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起請文
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夫婦となってから夏が過ぎ、田の刈入れも終わった頃、図書亮とりくは今泉にある安房守の館に招かれた。図書亮らが居を構えているのは和田荘にある根岸村だが、安房守の住む今泉までは二里半ほどあり、一日がかりの遠出となる。それにも関わらず訪問を決めたのは、義父である下野守定清が、「岩瀬の國造である青雲白方神社へも、夫婦になったことを報告して参れ」と勧めたからである。
幸いりくも馬が御せるので、二人はかぽかぽと蹄の音を立てる馬を、のんびりと今泉の方へ歩かせた。
和田から一旦下宿を目指し、そこから釈迦堂の渡しを左手に折れて山寺を通過する。ここは、遠藤雅楽守の領地だった。途中、休憩を兼ねて高館に顔を出すと、雅楽守は孫の相手をしながら二人をもてなしてくれた。
「りく殿も、とうとう人の妻となられましたか。前にこの館に遊びにいらっしゃったときには、まだ童女だったというのに」
孫娘と遊ぶ雅楽守は、どう見ても一介の好々爺であり、とても武人には見えなかった。
「雅楽守さま、何を仰います。これでも次の春で十九になります」
ころころと、りくが笑い声を立てた。女にも関わらず、りくは案外顔が広い。それも、箭部の娘だからだろう。
「うちの孫娘も、この分だとすぐに嫁に出すことになるのだろうな」
ぼやいてみせる雅楽守だが、その膝下で遊ぶ女童は、どう見ても四つか五つの幼子だった。
「御屋形の元へ輿入れした御台は、十二で嫁がれたからな。うちの孫娘が嫁に行くのもあっという間だろう」
そう言うと、雅楽守はちらりと図書亮に視線を投げかけた。どうやらりくに聞かせたくない話をするらしい。
その雰囲気を察して、りくは雅楽守の孫娘と庭先に下りた。
「これから、今泉の箭部安房守のところへ参られるのだろう?」
「はい」
「安房守殿にお会いしたら、御屋形に白方の社に起請文を納めてもらう件で、雅楽守が話し合いたがっていたと伝えてほしい」
「はて。白方の社……」
図書亮は、先日舅から受けた説明を思い出した。須田の一族が和田を中心に活動しているのに対し、箭部の一族は岩瀬の今泉や梅田周辺に土地を持つ者も多い。それは、そもそも古に建弥依米命が石背国造に叙された際に、箭部氏の拠点である今泉の磐座山に祠を設け、河内の牧岡大神宮の第四殿を勧殿したという故事に、基づくものだった。
かの坂上田村麻呂が征東の途中で立ち寄って一時は荒廃していた社を建て直し、その際に社を管理してた梅田の庄司が、現在の箭部氏の祖と縁を結んでいた。そのため代々箭部氏が社の守護も兼ねているというのである。
その故事は後からこの地にやってきた二階堂一族も承知しているところであり、慣例として、西衆の出であろうと東衆の出であろうと、代々の二階堂家当主は、青雲白方神社に参詣するのが習わしとなっていた。
そこまで思い出して、雅楽守が言わんとすることに気付いた。
「治部殿のことですか」
図書亮が須賀川にやってきて早々と合戦になったのだが、今はまずまず平穏だ。とは言え、そもそも発端は治部の悪行を諫めるために為氏が下向したということになっているから、治部の動きは気になると言えば気になる。
「治部はまだ何かをやっているのですか?」
「近頃、中宿の釈迦堂の渡しのところで、見慣れぬ女や放下の者らがうろついているそうだ」
「つまり遊び女ですか」
結婚前に、鎌倉で遊び女から男女の手ほどきを受けたことは都合よく忘れることにして、図書亮は雅楽守に尋ねた。もっとも遊び女など、どこにいても自然と湧いてくるものなのだが。
雅楽守は首を横に振った。
「遊び女かもしれぬ。だが、うちの配下の西牧が見てきた分には、どうも熊野比丘尼のようだと」
熊野比丘尼とは、全国を遍歴しながら地獄や極楽についての解説を行ったり、巫女として神託を伝える女性である。対して、放下の者はやはり熊野比丘尼のように各地を放浪しながら、手毬や投げ刀などの遊興の芸を見せる遊芸民だ。
謹厳な美濃守が治める和田では、そのような怪しげな者を見かけたことはない。
「やはり、治部が怪しげな者の出入りに目を瞑っているということでしょうか」
「それは疑う余地があるまい。だが、余所者が数多入り込んでいるということは、治部は自ら上方にもつながりを築こうとしているのではないか」
雅楽守の言葉に、図書亮は考えこんだ。図書亮は鎌倉生まれだが、そもそも日の本で政権を司っているのは、京の都にいる足利将軍である。岩瀬の支配権を確立したい治部大輔は、秘かに自分の正当性を主張するべく、鎌倉府を飛ばして都の幕府に働きかけているのではないかと、雅楽守は言うのだった。
「だとすれば、御屋形の正当性を、誰しもが分かる形で広く知らしめる必要があるだろう」
「なるほど。それで治部追討の祈願の起請文ですか」
「一応、須賀川から御台を貰い受けたから大仰にはできぬが、東衆の者を中心に起請文を回すことになろう」
となれば、「領内の見回り」とでも称して為氏がこちらに足を運び、須賀川衆に見つからないように結束を固めようというのだった。
やはり、いつぞや伊藤左近が語っていたような夢物語の実現とは、行かないようだ。自分も為氏の婚姻の話には一枚噛んでいたため、何となく責任を感じる。
雅楽守に束の間の休息の礼を述べて今泉に到着すると、安房守は「婿殿」と歓待してくれた。正確に言えば安房守の婿ではないのだが、実質的に、箭部の一族として受け入れると周りの者にも示したかったらしい。
まだ当地では珍しい茶も出され、図書亮も久しぶりに一服頂戴した。もっとも、妻のりくは「苦い」と顔をしかめていたが。
現在の箭部の惣領である安房守義清及びりくの父である下野守定清が、須田美濃守と義理の兄弟であるというのも、箭部一族が揃った昼餉の席で初めて知った。その席には、安房守と領地が隣り合う守屋筑後守も遊びに来ていた。
守屋筑後守と箭部の一族のつながりも、随分と古いらしい。
「ところで御屋形のご様子はどうかな、図書亮殿」
安房守がさり気ない様子で尋ねた。
「婚儀から半年以上経ちますが、御台とは仲睦まじいように感じます」
現在為氏と三千代姫は新しく出来た岩間館に移っている。もっとも、峯ヶ城と隣接しているので、為氏が政務を行うのは峯ヶ城、私的な生活の場は岩間館というのが、近頃の暗黙の了解になっていた。
「いや、儂が言いたいのはそういう事ではない」
安房守は、首を振った。
「下世話な言い方だが、御台に骨抜きにされていないかということだ」
よほど、あの民部大輔の失敗が忘れられないのだろう。確かに、事情に精通していない図書亮ですら、「ひどすぎる」と感じたくらいだった。
「峯ヶ城には美濃守様がおられますから。御屋形が骨抜きになるようなことは、美濃守様がお許しになりません」
図書亮がそう請け合うと、「確かに」と舅の下野守が肯いた。
そこで図書亮はここへ来る途中で聞いた遠藤雅楽守の話を思い出し、伝えた。
「熊野比丘尼に放下の者共か……」
聞くのも穢らわしいという体で、筑後守が頭を振った。
「それが鎌倉に知られたら、また面倒なことになろうな」
そこへ、やや身分が低そうな者が割って入った。身なりからすると、この土地の国人らしい。
「儂は須賀川に出入りしている阿弥から、治部が酒屋や商いをする者等にも、新たな賦役を課していると聞いたぞ。何でも、須賀川で銭の生業を立てようとしている者から、一律税を取ることにしたらしい」
割って入った男は、そう零した。名を聞くと、「渡辺重軌」という大桑原の国人だという。二階堂家臣団には入っていないが、やはり箭部の遠縁とのことだった。
「文字通り酒池肉林の生活を送りながらその費用を下々の者に出させ、民に迷惑をかけているということか」
図書亮も、聞くだに苦々しい気分で酒を煽った。
そう言えば、須賀川にやってきたばかりの頃の労いの宴席で、同じ西衆の出である左馬允ですら、治部大輔を罵っていたのではなかったか。
束の間、安房守は何か考え込んでいたが、意を決したように、口を開いた。
「渡辺殿。西衆の者たちも、治部を快く思わない者が多いか」
「そりゃもう。俺等国人でも、御屋形が立ち上がるというのならば、味方になる者の方がよほど多いでしょう。西の二階堂の者も、大方は御屋形につくのではありますまいか」
渡辺は眦をきっと上げて、苦々しげに吐き捨てた。
「何せ治部の胃袋を満たしているのは、俺等西衆の民が作った物ですからな」
少し考えると、図書亮にも分かった。三千代姫が輿入れした和田衆に対しては、治部も無理難題を押し付けにくい。その分自らの酒池肉林の生活の糧を、西衆に負担させているのだった。
目を外に向けると、西の山々はそのまま長い影を投げかけている。同じ岩瀬の地だというのに、東よりも何となく貧しい印象を受けた。その向こうには、恐らく雪雲であろう。ぼんやりとした鼠色の雲が、重く垂れ込めていた。
「次の春で、御屋形が岩瀬の地に来られてから丁度一年になる。それを口実に、一度こちらへご足労願おう」
考えがまとまったのか、安房守がきっぱりと述べた。
「御屋形には白方の社で、二階堂氏伝来の祭礼を催すと伝える。その席で、心ある者の連判を募ろう。まさか神仏の前で誓いながら、裏切る肚の者はおるまい」
日頃はにこにこと穏やかな印象の安房守だが、一皮剥けばなかなかの策略家である。この箭部一族の長には、美濃守とは違う底の知れなさを感じる。絶対に敵には回すまいと、図書亮は秘かに決意した。
「治部は、その祭礼のことは知っているのか?」
疑問を投げかけた渡辺に対し、安房守はにこりと笑いかけた。
「我らのみに伝わる七年に一度の秘儀、とでもしておこう」
つまり、でっち上げだ。七年前であれば、まだ治部大輔も鎌倉にいたはずである。
「二階堂一族の取りまとめは保土原殿にお頼み申そう。俺等は、譜代の者や旗本をまとめる。そして、図書亮殿。お主にも働いてもらおう」
「私も、ですか?」
まさか、自分にも役割が振られると思わなかった図書亮は戸惑った。
「箭部と縁を結んだからには、当然であろう。お主は、二階堂に縁の薄い者たちを纏めてもらう。数は多くないが、いるだろう」
安房守に言われてみて気付いた。名前を思い出すだけでも、忍藤兵衛や倭文半内、宍草与一郎、臼杵新左衛門、荒木田清右衛門などが考えられる。後は、図書亮と同じように没落した名門に系譜を連ねる、土岐右近大大夫がいたか。
「お主が手本となり、御屋形に奉ろうことが道理であると説き伏せよ」
なるほど。かつての図書亮もそうだったが、あの永享の乱の余波を受け、どうにかしてもう一花咲かせようという者も、鎌倉からの下向組には混じっているのだった。四天王を始めとする譜代家臣や地元の出の旗本とは、自ずと微妙な感情の温度差がある。彼らの「武士」としての矜持を満たしてやり、和田衆の戦力として本格的に軍団に組み入れてこいというのが、安房守の言わんとしているところだった。
起請文への連署の計略は、須賀川衆に悟られないように慎重に進められた。四天王の筆頭である美濃守は、この箭部安房守の案に全面的に賛同し、弟たちを始めとする須田一族の根回しにかかった。そこから、さらにそれぞれの譜代の家臣に仕えている旗本にも話は伝わり、発案者である箭部安房守も、二階堂山城守や矢田野左馬允の説得にかかっていた。
当然、須賀川衆に話が漏れては困る。この件についての話し合いは、須賀川衆や為氏夫妻が近づかない和田館を中心に集い、何度も密談が重ねられた。
「図書亮。お前、いつから謀略の達人になった」
幼少の頃から図書亮を知っている忍藤兵衛は、呆れたように言ったものだった。
藤兵衛がまさか裏切るとは思っていないが、その物言いは気に入らない。
「お前、こちらで一花咲かせたいと言っていなかったか」
むっとした図書亮は、思わず刀の束に手を掛けた。
「いや。それはそうなんだが……」
脅す真似をした図書亮をなだめるように、藤兵衛は落ち着いて答えた。
「確かに、我々は和田の者と近づいた。だが、治部殿は三年待ってほしいと述べ、こちらもそれを納得した上で姫を貰い受けただろう。それを裏切るような形で、起請文を起こすのが、果たして天はどう見るのか。それが気になるだけだ」
それを言われると、図書亮も弱い。だが、箭部の娘と結ばれた図書亮に、中立が許されるはずはなかった。
「心配するな。ちゃんと俺も岩瀬白方の祭神に誓うさ」
藤兵衛は、微かに笑った。
藤兵衛との小さな諍いは、心の棘となってしばらく図書亮の胸にも残った。だが、よほど皆が治部大輔の悪行の噂に耐えかねていたのだろう。聞けば、鎌倉ですら課していない「地子」(現代の不動産税に相当)の賦課を、治部は都の幕府に約束したというのだ。それが幕府に納められるのならばともかく、須賀川城から聞こえてくる昼夜を問わない嬌声などを聞けば、誰の懐に流れているのか明白である。
それぞれの庄司らも手をこまねているわけではなかった。だが、庄司の者たちよりも一足先に、治部の配下の者らに領内の年貢をさっさとさらわれてしまう。さらに取り立てようとすれば、当然土民の恨みを買った。そのため東西を問わず、須賀川の庄司たちは台所事情が苦しくなっている。
図書亮の説得はその後は順調に進み、起請文奉納の日取りも、三月二十日の大安と決められた。図書亮に負けず劣らず「名門の出」であることを秘かに誇っている土岐右近大夫も、「みちのくで土岐の名を上げる絶好の機会だ」とばかりに、あっさり承知した。美濃に源流を持つ土岐氏は、近頃流行りの太平記の冒頭の方で「裏切り者」の扱われ方をされている。それが右近大夫は気に入らなかったらしい。「あの印象を覆してやる」と張り切っていた。
「図書亮さま。随分とお疲れのご様子ですね」
今日も和田館での密談に加わってきた図書亮を、りくは優しく慰めてくれた。
「お顔の目の下が、黒くなっております」
どうやら、精神的にも随分疲れているようだった。外はさらさらと、微かに雪の降り積もる音がしている。鎌倉でも稀に雪は降ったが、やはりここは陸奥だ。温暖な鎌倉とは異なり、どうやら本格的に積もるらしかった。
「冷えるな」
意味もなく呟いた図書亮に対し、りくはそっと寝床へ誘った。薄い布団だが、二人で温め合えばちょうどいい塩梅になる。
すべすべとした足を絡ませて、図書亮の胸や腹に自分の体を押し付けてくる妻の肌の温もりは、近頃慣れぬ謀略に追われて荒みがちな図書亮の心を、なだめてくれた。
「夫婦というのも、悪くないですね」
どうやら、りくも彼女なりに図書亮に甘えているらしい。
「藤兵衛や半内はまだ身を固めていないから、独寝の身には、この寒さは堪えるだろう」
やや優越感を感じながら、図書亮はりくの背中に手を回した。
「御屋形様たちも、きっと今頃、岩間の館で睦まじく過ごされているのではないかしら」
御台の世話係として図書亮よりも岩間館に伺候することの多いりくは、二人の仲睦まじい様子を目にすることもあるらしかった。
「だが、お二方ともまだ清い体のままなのではないか」
あの婚礼の席で見たときの印象は、まるで雛人形のようだったのを思い出す。とりわけ三千代姫は、愛らしいが、既に大人のりくが醸すような色気は、まだ感じられない。
「図書亮さま。御屋形様たちに失礼でございましょう」
苦笑するりくの腰を、図書亮は抱き寄せてさらに密着した。そのまま何となくいい雰囲気になり、指を絡ませ合う。
「藤兵衛に、いつから謀略の達人になったと嫌味を言われた」
一通り睦み合った後にそう述べると、りくの眉根が微かに曇った。
「ですが、そもそもは御台様のお父上が、速やかに須賀川の御城を引き渡してくだされば、皆が苦しまずに済んだのでしょう?」
りくの言う通りだった。事の発端の責任は、治部大輔の横逆ぶりにある。
「伯父上も、最近は怖いお顔をされていることが多くて……。以前は、あのような事はなかったのに」
りくは、小さくため息をついた。その吐息の温もりが心地よく耳朶を駆け抜け、図書亮は再び妻を抱き寄せた。
和田館の裏手の池に張った氷もようやく姿を消した頃、起請文に連署する者が定まった。
二階堂一族からは、保土原館の山城守、矢田野左馬允、桙衝館の宮内大夫。泉田館の左近将監、大久保館の弾正之進、横田館の左近之進など九名。その中に、兵部大輔の名前がないのに、図書亮は気付いた。
「山城守さま。民部大輔さまにはお声を掛けなかったのですか?」
今や民部大輔に代わって二階堂一族の古老の座に就いた山城守は、首を振った。
「民部大輔殿には、まだ年端の行かぬ息子が二人おる。それもあって千歳姫を北の方に迎えられたからな。御屋形に積極的に味方することはあるまい」
その説明を聞いて、図書亮は得心した。
また、図書亮らが声を掛けて治部討伐に同意した者らは、計五十一名。鎌倉から為氏と共に下向してきた者らは悉く署名した。約束通り、藤兵衛や半内の名前も含まれていた。
三月二十日。美濃守を始めとする四天王らに付き従い、図書亮は白方神社へ参じた。だが為氏の顔には、わずかばかりの陰りがあるのを、図書亮は見逃さなかった。
「御屋形。いかがなされました」
安房守も、主の様子が気になるのだろう。
「いや。御台も二階堂の姫なのだから、連れてくるのが筋なのではないかと思ってな」
さすがに、三千代姫を「治部討伐」の誓いを立てる場に連れてこられるわけがない。図書亮が困惑していると、安房守が取りなすように手を振った。
「女性をお連れすれば、比売命が妬心を露わに致します」
なるほど、上手いことを言うものだ。
だが、神前で起請文が広げられ、それを見た為氏の眉根は、ますます曇った。事前に回文に目を通していた図書亮は驚かなかったが、誓文の文言が、なかなか過激なのである。
白方大明神の宝前で謹んで曰く。
逆賊治部大輔は欲心に染まり、一城を囲って防ぎ、主命に逆らい、次のような罪を犯したり。
一.地祇の恩を忘れ神社を滅ぼした罪。
二. 理由なく民を殺害した罪。
三. 己は飲酒に耽り、驕り高ぶり民の飢えたるを知らざる罪
四. 先例のない賦役を掛け、民を困窮させたる罪
五. 治部大輔の梟悪は長年に渡るものである。
逆賊の独り善がりな振る舞いは、遂にはこの国家を滅ぼすであろう。しばらくの間、あの者を押さえてほしい。
大神の守護神に何卒愁いを取り除いてはいただけまいか。広大な慈悲無く速やかに逆賊を罰していただけたのならば、長くその冥加を祈願奉り、万代にわたって神恩を奉ることを、藤原為氏を始め一文家臣は神前に於いて各々謹んで誓うものである。
二階堂遠江守藤原為氏朝臣
以下二階堂山城守、同安房守、同宮内大夫、同弾正進、同左京進、同兵部少輔、同内膳太夫、同左衛門尉、須田美濃之介、箭部主税之介、守屋筑後之介等六十五名連署
「御屋形」
美濃守が為氏に血印を促した。だが、為氏はじっと起請文を見つめている。
「御屋形。この岩瀬の主は御屋形でございます。それをゆめゆめお忘れなきよう」
側に控えていた守屋筑後守も、促す。
確かに、その通りなのだ。三千代姫のことはともかく、治部大輔の振る舞いは鎌倉にもその悪評が伝わっている。ここで、鎌倉から叱責を受けたり、治部大輔が須賀川の主となるようなことがあったりしてはならないのだ。
しばらく黙り込んでいた為氏は、やがて、一つ条件を出した。
「もしも、治部大輔殿が約束通り須賀川の城を明渡してくれたのなら、その命は保証しよう」
四天王を始め、二階堂の一門衆は顔を見合わせた。
「田村の者などに、二階堂の者同士で血を流したなど思わせてはならぬ。他国の者につけ入れられる隙を与えるな」
「ふむ……」
為氏の言葉に、山城守が考え込んでいる。
「治部殿には出家してもらい、行若殿に跡目を譲っていただくのが良策か」
どうだ、というように山城守が美濃守に視線を投げかけた。行若は、三千代姫の兄である。父の治部大輔よりはよほど穏やかな気性らしく、三千代姫との関係も良好らしい。
「よろしいでしょう」
当主である為氏が反対しては、意味がない。渋々といった体で、美濃守は肯いた。
そのまま、朗々と為氏は起請文を読み上げると、恭しく神前に家臣一同が署名した起請文を捧げた。
幸いりくも馬が御せるので、二人はかぽかぽと蹄の音を立てる馬を、のんびりと今泉の方へ歩かせた。
和田から一旦下宿を目指し、そこから釈迦堂の渡しを左手に折れて山寺を通過する。ここは、遠藤雅楽守の領地だった。途中、休憩を兼ねて高館に顔を出すと、雅楽守は孫の相手をしながら二人をもてなしてくれた。
「りく殿も、とうとう人の妻となられましたか。前にこの館に遊びにいらっしゃったときには、まだ童女だったというのに」
孫娘と遊ぶ雅楽守は、どう見ても一介の好々爺であり、とても武人には見えなかった。
「雅楽守さま、何を仰います。これでも次の春で十九になります」
ころころと、りくが笑い声を立てた。女にも関わらず、りくは案外顔が広い。それも、箭部の娘だからだろう。
「うちの孫娘も、この分だとすぐに嫁に出すことになるのだろうな」
ぼやいてみせる雅楽守だが、その膝下で遊ぶ女童は、どう見ても四つか五つの幼子だった。
「御屋形の元へ輿入れした御台は、十二で嫁がれたからな。うちの孫娘が嫁に行くのもあっという間だろう」
そう言うと、雅楽守はちらりと図書亮に視線を投げかけた。どうやらりくに聞かせたくない話をするらしい。
その雰囲気を察して、りくは雅楽守の孫娘と庭先に下りた。
「これから、今泉の箭部安房守のところへ参られるのだろう?」
「はい」
「安房守殿にお会いしたら、御屋形に白方の社に起請文を納めてもらう件で、雅楽守が話し合いたがっていたと伝えてほしい」
「はて。白方の社……」
図書亮は、先日舅から受けた説明を思い出した。須田の一族が和田を中心に活動しているのに対し、箭部の一族は岩瀬の今泉や梅田周辺に土地を持つ者も多い。それは、そもそも古に建弥依米命が石背国造に叙された際に、箭部氏の拠点である今泉の磐座山に祠を設け、河内の牧岡大神宮の第四殿を勧殿したという故事に、基づくものだった。
かの坂上田村麻呂が征東の途中で立ち寄って一時は荒廃していた社を建て直し、その際に社を管理してた梅田の庄司が、現在の箭部氏の祖と縁を結んでいた。そのため代々箭部氏が社の守護も兼ねているというのである。
その故事は後からこの地にやってきた二階堂一族も承知しているところであり、慣例として、西衆の出であろうと東衆の出であろうと、代々の二階堂家当主は、青雲白方神社に参詣するのが習わしとなっていた。
そこまで思い出して、雅楽守が言わんとすることに気付いた。
「治部殿のことですか」
図書亮が須賀川にやってきて早々と合戦になったのだが、今はまずまず平穏だ。とは言え、そもそも発端は治部の悪行を諫めるために為氏が下向したということになっているから、治部の動きは気になると言えば気になる。
「治部はまだ何かをやっているのですか?」
「近頃、中宿の釈迦堂の渡しのところで、見慣れぬ女や放下の者らがうろついているそうだ」
「つまり遊び女ですか」
結婚前に、鎌倉で遊び女から男女の手ほどきを受けたことは都合よく忘れることにして、図書亮は雅楽守に尋ねた。もっとも遊び女など、どこにいても自然と湧いてくるものなのだが。
雅楽守は首を横に振った。
「遊び女かもしれぬ。だが、うちの配下の西牧が見てきた分には、どうも熊野比丘尼のようだと」
熊野比丘尼とは、全国を遍歴しながら地獄や極楽についての解説を行ったり、巫女として神託を伝える女性である。対して、放下の者はやはり熊野比丘尼のように各地を放浪しながら、手毬や投げ刀などの遊興の芸を見せる遊芸民だ。
謹厳な美濃守が治める和田では、そのような怪しげな者を見かけたことはない。
「やはり、治部が怪しげな者の出入りに目を瞑っているということでしょうか」
「それは疑う余地があるまい。だが、余所者が数多入り込んでいるということは、治部は自ら上方にもつながりを築こうとしているのではないか」
雅楽守の言葉に、図書亮は考えこんだ。図書亮は鎌倉生まれだが、そもそも日の本で政権を司っているのは、京の都にいる足利将軍である。岩瀬の支配権を確立したい治部大輔は、秘かに自分の正当性を主張するべく、鎌倉府を飛ばして都の幕府に働きかけているのではないかと、雅楽守は言うのだった。
「だとすれば、御屋形の正当性を、誰しもが分かる形で広く知らしめる必要があるだろう」
「なるほど。それで治部追討の祈願の起請文ですか」
「一応、須賀川から御台を貰い受けたから大仰にはできぬが、東衆の者を中心に起請文を回すことになろう」
となれば、「領内の見回り」とでも称して為氏がこちらに足を運び、須賀川衆に見つからないように結束を固めようというのだった。
やはり、いつぞや伊藤左近が語っていたような夢物語の実現とは、行かないようだ。自分も為氏の婚姻の話には一枚噛んでいたため、何となく責任を感じる。
雅楽守に束の間の休息の礼を述べて今泉に到着すると、安房守は「婿殿」と歓待してくれた。正確に言えば安房守の婿ではないのだが、実質的に、箭部の一族として受け入れると周りの者にも示したかったらしい。
まだ当地では珍しい茶も出され、図書亮も久しぶりに一服頂戴した。もっとも、妻のりくは「苦い」と顔をしかめていたが。
現在の箭部の惣領である安房守義清及びりくの父である下野守定清が、須田美濃守と義理の兄弟であるというのも、箭部一族が揃った昼餉の席で初めて知った。その席には、安房守と領地が隣り合う守屋筑後守も遊びに来ていた。
守屋筑後守と箭部の一族のつながりも、随分と古いらしい。
「ところで御屋形のご様子はどうかな、図書亮殿」
安房守がさり気ない様子で尋ねた。
「婚儀から半年以上経ちますが、御台とは仲睦まじいように感じます」
現在為氏と三千代姫は新しく出来た岩間館に移っている。もっとも、峯ヶ城と隣接しているので、為氏が政務を行うのは峯ヶ城、私的な生活の場は岩間館というのが、近頃の暗黙の了解になっていた。
「いや、儂が言いたいのはそういう事ではない」
安房守は、首を振った。
「下世話な言い方だが、御台に骨抜きにされていないかということだ」
よほど、あの民部大輔の失敗が忘れられないのだろう。確かに、事情に精通していない図書亮ですら、「ひどすぎる」と感じたくらいだった。
「峯ヶ城には美濃守様がおられますから。御屋形が骨抜きになるようなことは、美濃守様がお許しになりません」
図書亮がそう請け合うと、「確かに」と舅の下野守が肯いた。
そこで図書亮はここへ来る途中で聞いた遠藤雅楽守の話を思い出し、伝えた。
「熊野比丘尼に放下の者共か……」
聞くのも穢らわしいという体で、筑後守が頭を振った。
「それが鎌倉に知られたら、また面倒なことになろうな」
そこへ、やや身分が低そうな者が割って入った。身なりからすると、この土地の国人らしい。
「儂は須賀川に出入りしている阿弥から、治部が酒屋や商いをする者等にも、新たな賦役を課していると聞いたぞ。何でも、須賀川で銭の生業を立てようとしている者から、一律税を取ることにしたらしい」
割って入った男は、そう零した。名を聞くと、「渡辺重軌」という大桑原の国人だという。二階堂家臣団には入っていないが、やはり箭部の遠縁とのことだった。
「文字通り酒池肉林の生活を送りながらその費用を下々の者に出させ、民に迷惑をかけているということか」
図書亮も、聞くだに苦々しい気分で酒を煽った。
そう言えば、須賀川にやってきたばかりの頃の労いの宴席で、同じ西衆の出である左馬允ですら、治部大輔を罵っていたのではなかったか。
束の間、安房守は何か考え込んでいたが、意を決したように、口を開いた。
「渡辺殿。西衆の者たちも、治部を快く思わない者が多いか」
「そりゃもう。俺等国人でも、御屋形が立ち上がるというのならば、味方になる者の方がよほど多いでしょう。西の二階堂の者も、大方は御屋形につくのではありますまいか」
渡辺は眦をきっと上げて、苦々しげに吐き捨てた。
「何せ治部の胃袋を満たしているのは、俺等西衆の民が作った物ですからな」
少し考えると、図書亮にも分かった。三千代姫が輿入れした和田衆に対しては、治部も無理難題を押し付けにくい。その分自らの酒池肉林の生活の糧を、西衆に負担させているのだった。
目を外に向けると、西の山々はそのまま長い影を投げかけている。同じ岩瀬の地だというのに、東よりも何となく貧しい印象を受けた。その向こうには、恐らく雪雲であろう。ぼんやりとした鼠色の雲が、重く垂れ込めていた。
「次の春で、御屋形が岩瀬の地に来られてから丁度一年になる。それを口実に、一度こちらへご足労願おう」
考えがまとまったのか、安房守がきっぱりと述べた。
「御屋形には白方の社で、二階堂氏伝来の祭礼を催すと伝える。その席で、心ある者の連判を募ろう。まさか神仏の前で誓いながら、裏切る肚の者はおるまい」
日頃はにこにこと穏やかな印象の安房守だが、一皮剥けばなかなかの策略家である。この箭部一族の長には、美濃守とは違う底の知れなさを感じる。絶対に敵には回すまいと、図書亮は秘かに決意した。
「治部は、その祭礼のことは知っているのか?」
疑問を投げかけた渡辺に対し、安房守はにこりと笑いかけた。
「我らのみに伝わる七年に一度の秘儀、とでもしておこう」
つまり、でっち上げだ。七年前であれば、まだ治部大輔も鎌倉にいたはずである。
「二階堂一族の取りまとめは保土原殿にお頼み申そう。俺等は、譜代の者や旗本をまとめる。そして、図書亮殿。お主にも働いてもらおう」
「私も、ですか?」
まさか、自分にも役割が振られると思わなかった図書亮は戸惑った。
「箭部と縁を結んだからには、当然であろう。お主は、二階堂に縁の薄い者たちを纏めてもらう。数は多くないが、いるだろう」
安房守に言われてみて気付いた。名前を思い出すだけでも、忍藤兵衛や倭文半内、宍草与一郎、臼杵新左衛門、荒木田清右衛門などが考えられる。後は、図書亮と同じように没落した名門に系譜を連ねる、土岐右近大大夫がいたか。
「お主が手本となり、御屋形に奉ろうことが道理であると説き伏せよ」
なるほど。かつての図書亮もそうだったが、あの永享の乱の余波を受け、どうにかしてもう一花咲かせようという者も、鎌倉からの下向組には混じっているのだった。四天王を始めとする譜代家臣や地元の出の旗本とは、自ずと微妙な感情の温度差がある。彼らの「武士」としての矜持を満たしてやり、和田衆の戦力として本格的に軍団に組み入れてこいというのが、安房守の言わんとしているところだった。
起請文への連署の計略は、須賀川衆に悟られないように慎重に進められた。四天王の筆頭である美濃守は、この箭部安房守の案に全面的に賛同し、弟たちを始めとする須田一族の根回しにかかった。そこから、さらにそれぞれの譜代の家臣に仕えている旗本にも話は伝わり、発案者である箭部安房守も、二階堂山城守や矢田野左馬允の説得にかかっていた。
当然、須賀川衆に話が漏れては困る。この件についての話し合いは、須賀川衆や為氏夫妻が近づかない和田館を中心に集い、何度も密談が重ねられた。
「図書亮。お前、いつから謀略の達人になった」
幼少の頃から図書亮を知っている忍藤兵衛は、呆れたように言ったものだった。
藤兵衛がまさか裏切るとは思っていないが、その物言いは気に入らない。
「お前、こちらで一花咲かせたいと言っていなかったか」
むっとした図書亮は、思わず刀の束に手を掛けた。
「いや。それはそうなんだが……」
脅す真似をした図書亮をなだめるように、藤兵衛は落ち着いて答えた。
「確かに、我々は和田の者と近づいた。だが、治部殿は三年待ってほしいと述べ、こちらもそれを納得した上で姫を貰い受けただろう。それを裏切るような形で、起請文を起こすのが、果たして天はどう見るのか。それが気になるだけだ」
それを言われると、図書亮も弱い。だが、箭部の娘と結ばれた図書亮に、中立が許されるはずはなかった。
「心配するな。ちゃんと俺も岩瀬白方の祭神に誓うさ」
藤兵衛は、微かに笑った。
藤兵衛との小さな諍いは、心の棘となってしばらく図書亮の胸にも残った。だが、よほど皆が治部大輔の悪行の噂に耐えかねていたのだろう。聞けば、鎌倉ですら課していない「地子」(現代の不動産税に相当)の賦課を、治部は都の幕府に約束したというのだ。それが幕府に納められるのならばともかく、須賀川城から聞こえてくる昼夜を問わない嬌声などを聞けば、誰の懐に流れているのか明白である。
それぞれの庄司らも手をこまねているわけではなかった。だが、庄司の者たちよりも一足先に、治部の配下の者らに領内の年貢をさっさとさらわれてしまう。さらに取り立てようとすれば、当然土民の恨みを買った。そのため東西を問わず、須賀川の庄司たちは台所事情が苦しくなっている。
図書亮の説得はその後は順調に進み、起請文奉納の日取りも、三月二十日の大安と決められた。図書亮に負けず劣らず「名門の出」であることを秘かに誇っている土岐右近大夫も、「みちのくで土岐の名を上げる絶好の機会だ」とばかりに、あっさり承知した。美濃に源流を持つ土岐氏は、近頃流行りの太平記の冒頭の方で「裏切り者」の扱われ方をされている。それが右近大夫は気に入らなかったらしい。「あの印象を覆してやる」と張り切っていた。
「図書亮さま。随分とお疲れのご様子ですね」
今日も和田館での密談に加わってきた図書亮を、りくは優しく慰めてくれた。
「お顔の目の下が、黒くなっております」
どうやら、精神的にも随分疲れているようだった。外はさらさらと、微かに雪の降り積もる音がしている。鎌倉でも稀に雪は降ったが、やはりここは陸奥だ。温暖な鎌倉とは異なり、どうやら本格的に積もるらしかった。
「冷えるな」
意味もなく呟いた図書亮に対し、りくはそっと寝床へ誘った。薄い布団だが、二人で温め合えばちょうどいい塩梅になる。
すべすべとした足を絡ませて、図書亮の胸や腹に自分の体を押し付けてくる妻の肌の温もりは、近頃慣れぬ謀略に追われて荒みがちな図書亮の心を、なだめてくれた。
「夫婦というのも、悪くないですね」
どうやら、りくも彼女なりに図書亮に甘えているらしい。
「藤兵衛や半内はまだ身を固めていないから、独寝の身には、この寒さは堪えるだろう」
やや優越感を感じながら、図書亮はりくの背中に手を回した。
「御屋形様たちも、きっと今頃、岩間の館で睦まじく過ごされているのではないかしら」
御台の世話係として図書亮よりも岩間館に伺候することの多いりくは、二人の仲睦まじい様子を目にすることもあるらしかった。
「だが、お二方ともまだ清い体のままなのではないか」
あの婚礼の席で見たときの印象は、まるで雛人形のようだったのを思い出す。とりわけ三千代姫は、愛らしいが、既に大人のりくが醸すような色気は、まだ感じられない。
「図書亮さま。御屋形様たちに失礼でございましょう」
苦笑するりくの腰を、図書亮は抱き寄せてさらに密着した。そのまま何となくいい雰囲気になり、指を絡ませ合う。
「藤兵衛に、いつから謀略の達人になったと嫌味を言われた」
一通り睦み合った後にそう述べると、りくの眉根が微かに曇った。
「ですが、そもそもは御台様のお父上が、速やかに須賀川の御城を引き渡してくだされば、皆が苦しまずに済んだのでしょう?」
りくの言う通りだった。事の発端の責任は、治部大輔の横逆ぶりにある。
「伯父上も、最近は怖いお顔をされていることが多くて……。以前は、あのような事はなかったのに」
りくは、小さくため息をついた。その吐息の温もりが心地よく耳朶を駆け抜け、図書亮は再び妻を抱き寄せた。
和田館の裏手の池に張った氷もようやく姿を消した頃、起請文に連署する者が定まった。
二階堂一族からは、保土原館の山城守、矢田野左馬允、桙衝館の宮内大夫。泉田館の左近将監、大久保館の弾正之進、横田館の左近之進など九名。その中に、兵部大輔の名前がないのに、図書亮は気付いた。
「山城守さま。民部大輔さまにはお声を掛けなかったのですか?」
今や民部大輔に代わって二階堂一族の古老の座に就いた山城守は、首を振った。
「民部大輔殿には、まだ年端の行かぬ息子が二人おる。それもあって千歳姫を北の方に迎えられたからな。御屋形に積極的に味方することはあるまい」
その説明を聞いて、図書亮は得心した。
また、図書亮らが声を掛けて治部討伐に同意した者らは、計五十一名。鎌倉から為氏と共に下向してきた者らは悉く署名した。約束通り、藤兵衛や半内の名前も含まれていた。
三月二十日。美濃守を始めとする四天王らに付き従い、図書亮は白方神社へ参じた。だが為氏の顔には、わずかばかりの陰りがあるのを、図書亮は見逃さなかった。
「御屋形。いかがなされました」
安房守も、主の様子が気になるのだろう。
「いや。御台も二階堂の姫なのだから、連れてくるのが筋なのではないかと思ってな」
さすがに、三千代姫を「治部討伐」の誓いを立てる場に連れてこられるわけがない。図書亮が困惑していると、安房守が取りなすように手を振った。
「女性をお連れすれば、比売命が妬心を露わに致します」
なるほど、上手いことを言うものだ。
だが、神前で起請文が広げられ、それを見た為氏の眉根は、ますます曇った。事前に回文に目を通していた図書亮は驚かなかったが、誓文の文言が、なかなか過激なのである。
白方大明神の宝前で謹んで曰く。
逆賊治部大輔は欲心に染まり、一城を囲って防ぎ、主命に逆らい、次のような罪を犯したり。
一.地祇の恩を忘れ神社を滅ぼした罪。
二. 理由なく民を殺害した罪。
三. 己は飲酒に耽り、驕り高ぶり民の飢えたるを知らざる罪
四. 先例のない賦役を掛け、民を困窮させたる罪
五. 治部大輔の梟悪は長年に渡るものである。
逆賊の独り善がりな振る舞いは、遂にはこの国家を滅ぼすであろう。しばらくの間、あの者を押さえてほしい。
大神の守護神に何卒愁いを取り除いてはいただけまいか。広大な慈悲無く速やかに逆賊を罰していただけたのならば、長くその冥加を祈願奉り、万代にわたって神恩を奉ることを、藤原為氏を始め一文家臣は神前に於いて各々謹んで誓うものである。
二階堂遠江守藤原為氏朝臣
以下二階堂山城守、同安房守、同宮内大夫、同弾正進、同左京進、同兵部少輔、同内膳太夫、同左衛門尉、須田美濃之介、箭部主税之介、守屋筑後之介等六十五名連署
「御屋形」
美濃守が為氏に血印を促した。だが、為氏はじっと起請文を見つめている。
「御屋形。この岩瀬の主は御屋形でございます。それをゆめゆめお忘れなきよう」
側に控えていた守屋筑後守も、促す。
確かに、その通りなのだ。三千代姫のことはともかく、治部大輔の振る舞いは鎌倉にもその悪評が伝わっている。ここで、鎌倉から叱責を受けたり、治部大輔が須賀川の主となるようなことがあったりしてはならないのだ。
しばらく黙り込んでいた為氏は、やがて、一つ条件を出した。
「もしも、治部大輔殿が約束通り須賀川の城を明渡してくれたのなら、その命は保証しよう」
四天王を始め、二階堂の一門衆は顔を見合わせた。
「田村の者などに、二階堂の者同士で血を流したなど思わせてはならぬ。他国の者につけ入れられる隙を与えるな」
「ふむ……」
為氏の言葉に、山城守が考え込んでいる。
「治部殿には出家してもらい、行若殿に跡目を譲っていただくのが良策か」
どうだ、というように山城守が美濃守に視線を投げかけた。行若は、三千代姫の兄である。父の治部大輔よりはよほど穏やかな気性らしく、三千代姫との関係も良好らしい。
「よろしいでしょう」
当主である為氏が反対しては、意味がない。渋々といった体で、美濃守は肯いた。
そのまま、朗々と為氏は起請文を読み上げると、恭しく神前に家臣一同が署名した起請文を捧げた。
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「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
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漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
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