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須賀川城攻撃

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 翌日早暁、図書亮たちは峯ヶ城を出発して、和田から通町とおりまちに向かった。通町は治部大輔が整備させた街であり、鍋を扱う商人が住む辺りは「鍋師町なべしまち」と呼ばれている。
 須賀川城は南に大手門、北に搦手からめて門が設けられている。通町は柳が植えられていて風情のある町なのだが、和田から通町に抜けるまでには、やはり急な坂を登っていかなければならないのだった。
 時として、須賀川は「馬の背の町」とも称される。それほど狭い地域の中に町家などが立ち並び、また、須賀川郊外から中心部へ向かうには、坂を避けては通れないのだった。
「通町から古町ふるまちに向かうと、新町のところに黒門がある。そこが須賀川城内への入口だ」
 りくの従兄弟である紀伊守は、図書亮の側に駒を寄せながら説明してくれた。彼は通町からさらに南に下った高久田近辺の管理を任されている。普段は鹿嶋館に住んでいるが、鹿嶋館は鍋師町との境近くにある。そのため、紀伊守はこの近辺の地理にも精通していた。そのような事情もあり、安房守はこの方面の戦闘を紀伊守に任せたのだろう。
「黒門のところには、須賀川方の番所が設けられているだろう。そこを破り、安房守さまが率いる荒町組と合流し、南側から二の丸を目指す」
 奇しくも、図書亮が初めてこの地を訪れて早々に合戦に放り込まれたときと、重なる道筋だった。
 須田一族ほどではないにせよ、箭部一族の者らの兵もそこそこの人数がいる。まずは須賀川勢の気勢を削ごうと、一同は高々と凱歌を上げながら前進した。通町から古町や新町を押さえていこうという作戦だ。
 やがて図書亮の眼の前に、目指す黒門が見えてきた。言われてみれば見覚えのある門だった。町の関門であれば番所に兵が詰めているかと思われたが、思いの外少ない。
「二の丸や三の丸に籠もって守りを固めるつもりか」
 紀伊守も、首を傾げている。だが、攻める手を緩めるわけにはいかない。
「かかれ!」
 紀伊守が、檄を飛ばした。
 番所の上から、須賀川方の弓隊が弓を射掛けてくる。だが、案に相違してその数は少ない。図書亮も楯で矢を防ぎながら、隙を見て背の箙から矢を抜き、番所を目掛けて弓を射掛ける。
 すると、なぜか須賀川方の弓兵は番台から撤退する素振りを見せた。こちらから見れば、須賀川方が防ぎあぐねているようにも見える。地上にいる兵も馬を乗り捨てて、二の丸の方を目指して逃げていく。
 図書亮らはそれに乗じて古町の木戸を押し破り、水堀に架かる橋を渡って町内に侵入した。
 勝ち戦の勢いに乗じている和田勢は、何の躊躇もなく大手門を目指して進んでいく。見ると、そこかしこに須賀川勢が置き捨てていったと思しき武具や器材、雑具が打ち捨ててあった。それらを拾い集めながらさらに前方に進んでいき、大手門の手前、横町通りの入口の辺りで安房守の軍勢と合流した。
「伯父上。いささか手応えがなさすぎると思いませぬか」
 紀伊守が、安房守に尋ねている。
「あの治部殿のことだ。何か仕掛けているかもしれぬ」
 安房守が、厳しい顔つきで肯いたときである。
 不意に背後と右手から、熱気が上がった。同時に、パチパチと何か爆ぜる音がする。図書亮が慌てて振り返ると、たった今くぐり抜けてきたばかりの木戸が燃え始めていた。
「馬鹿な!」
 紀伊守が顔を真っ赤にした。恐らく、和田勢の中に須賀川方の忍びが紛れ込んでいたのだろう。和田方の退路を絶ち、須賀川の街諸共に和田勢を焼き殺すつもりなのだ。このままでは、和田勢は逃げ場を失ってしまう。
「壁を壊せ」
 誰からともなく、怒号が上がる。須賀川城下の境界線とも言うべき塗壁を壊して、ここから脱出しようというのだ。だが、壁は頑丈で簡単には壊せない。ぐずぐずとしている内に火の勢いは増し、街道の両脇の町家からも、火の手が上がり始めた。門扉の火の粉が燃え移ったのか、須賀川方の忍びが火をつけて回っているのか。辺りは煙が充ちて、方角を見定めることすらできない有様である。
 図書亮も辛うじて壁の屋根に登り、辺りの様子を伺おうとした。煙に噎せて咳き込み、目が痛む。それらの痛みを堪えながら北の様子を伺う。煙幕の向こうに、通称「釈迦堂の渡し」と呼ばれる方面から回ってきた左馬允の軍勢が、搦手門近くで須賀川勢とぶつかり合っているのが見えた。
 あの須賀川の軍勢は、三の丸から繰り出してきた者らに違いない。だが、坂の上にいる須賀川勢と、坂の下から押し寄せる和田勢では、自ずと進む勢いが違った。須賀川勢は搦手門のところはもちろんのこと、道場町の狭い小路まで繰り出し、和田勢を押し返している。
 とうに紀伊守とははぐれ、せめて安房守の本隊と合流しようと壁の屋根伝いに北へ進んでいく。既に搦手門側でも火の手が上がっており、人馬の区別なく互いに重なり合って倒れている光景が、目に飛び込んできた。
 二の丸や三の丸のある西の方に視線を向ければ、水堀へ飛び込む者も少なくない。その水堀もただ水を湛えているだけではなく、無数の竹が植えられているのだった。竹の先は、刀のように鋭く研がれている。そこへ飛び込めば竹槍に身を貫かれて命を失う。それを分かっていても尚、迫りくる業火を避けたいという本能に抗うことができず、堀の中へ飛び込む者は後を絶たなかった。
 これでは、とても武功を挙げるどころではない。図書亮は、下からよじ登ってきた須賀川方の兵の一人を斬り下げると、思い切って壁の外側へ飛び降りた。
「婿殿。このままでは箭部の者らも全滅する。我々は一旦鹿嶋館まで退いて、軍を立て直す」
 偶然行き合わせた下野守が、息を切らせながら図書亮に安房守からの言葉を伝えた。どうやら舅は、安房守の側にいて補助に回っていたらしい。
「承知」
 須賀川の者が捨てていったのだろうか。一頭の馬の轡を取り、図書亮はひらりとその背に跨った。須賀川の街の中央部を貫く鎌倉街道を避けて、裏手を走る中町通りを駆け抜け、上野口に抜ける。そこから田の中を突っ切って通町に出たところで馬首を南東へ向け、一路、鍋師町口から鹿嶋館を目指した。
 激しい戦闘の中で、和田方は多くの者が父や子を失った。親類や知人がどうなったか、その安否を確かめる術もなく、ひたすら涙を流す者も多かった。夜遅くになってようやく鹿嶋館で落ち合った安房守ですら、愛宕山本陣にいる美濃守に対して、伝令を飛ばしている余裕がないという。
 この日、須賀川方との戦闘が終了したのは戍亥(午後九~十時)だった。既に鹿嶋舘に到着した図書亮のところからも、須賀川城下の火事ははっきりと見えた。紅蓮の炎は濃紺の冬の夜空を赫々と染め上げ、冷たい北風が炎の勢いに手を貸した。その一方で、須賀川の街は森閑としていたという――。

 慣れぬ鹿嶋舘で、図書亮は前日の疲労でぼんやりとした頭を振った。体中のあちこちが、ひりひりする。前日の須賀川城下の火災で、気が付かないうちに火傷を負ったようだ。だが、今日も戦はある。気を緩めるのは、禁物だった。
「婿殿。遠慮されることはない。これを使われよ」
 金創膏きんそうこうの匂いのする布を盥に入れて持ってきてくれたのは、箭部家の家老である安田隼人だった。どうやら主である安房守に命じられて、負傷者の手当に回っているようだ。
「かたじけない」
 素直に礼を述べて小袖を脱ぎ、火傷したと思しき箇所に、差し出された布を巻き付けていく。傷口に巻いた布切れから、薬がすうっと染み渡るのを感じた。布を巻き終わると、煤けた小袖を再び身につけ、その上から具足を纏っていく。幸い、まだ具足はさほど綻びていない。
「安房守様は」
 図書亮の質問に、安田はあちらに、と顔を向けた。見ると、広間で紀伊守や伊予守、そして図書亮の舅である下野守と共に湯漬けを掻き込みながら、須賀川城下の絵図を睨んでいる。
「昨日の戦では、どれくらいの者が死んだのです?」
 図書亮は、恐る恐る下座に座り、舅に尋ねた。
「百名は下りますまい」
 答える下野守の声は、怖かった。確か、愛宕山本陣の後詰を合わせて二八〇〇だったはずだ。その中の比率としては大きくないが、箭部一族として見れば、大損害を被ったに違いない。
「先鋒を引き受けたから仕方ないがな。損害が大きすぎる」
 昨日図書亮の指揮官だった紀伊守の声も、厳しい。
「だが、須賀川はあくまでも籠城の構えだ。長い目で見れば、利はこちらにある」
 そう言いながらも、安房守はじっと絵図を睨みつけていた。やがて一つ肯くと、兵杖で一箇所を指した。
「やはり、大手門を破らねばどうにもならぬ。愛宕山におわす美濃守殿から、筑後守殿が二の丸のうしとら(北東)の方角から討ち入るとの知らせが来ている。当方と筑後守殿とで、二の丸を挟み撃ちにする」
 やはり、大手門から攻めるというのは昨日と同じだった。どう足掻いても、死を覚悟で城へ突撃するしか、為す術がないようだった。
大槻与次郎おおつきよじろうが知らせてきたところによると、大手門に架かる橋は、まだ新しいようだとのことだった。須賀川勢が何か企んでいるのではないか」
 下野守が、硬い声で述べた。大槻与次郎は、下野守の郎党の一人だった。現場の指揮官としても、突入の判断が難しいところだろう。この決戦に向けて、須賀川勢は何を企んでいるのか。
「直に見てみねば、何とも言えまい」
 安房守は、渋い顔を弟に向けた。突入の決意は揺るがないようである。
「先に、源五郎の手勢を向かわせる。源五郎の手の鏡沼大膳かがみぬまだいぜん濱尾藤一郎はまおとういちろうは、戦の経験が豊富だ。何か掴んでくるだろう」
 安房守が、決断を下した。本隊は余力として温存するが、斥候を出し、その動き次第で全軍突入の機微を測るつもりだろう。源五郎という者も、やはり箭部一族の者であり、図書亮も何度か峯ヶ城で顔を合わせたことがあった。
 さて、図書亮はどう動くべきか。首を巡らせると、安房守と視線が合った。
「婿殿は、後詰に」
 あっさりと安房守にそう決められてしまうと、図書亮は臍を噛んだ。後詰では、武功を挙げようがないではないか。本来の勝ち気な性格が、つい頭をもたげる。
 そんな図書亮を、下野守が目で制した。
「須賀川城下の地理に通じている者でなければ、先触れは無理ですな」
 図書亮とさして年の変わらない紀伊守にまで、そう断じられると、諦めるしかない。すぐに討って出ることになるかもしれないのだからと、気を取り直す。
 もっとも、このときの安房守の配慮について、後に図書亮は、大いに感謝することになる――。

 再び古町までたどり着くと、前日の余燼がまだ燻っていた。眼の前には、須賀川城をぐるりと囲んだ土塀、そして深緑色の不気味な堀がある。堀には無数の塵芥が浮かんでいた。その水面には、昨日城壁の上からも確認した、竹を尖らせたものが見える。それを遠目に見て、昨日の光景が脳裏を過り、図書亮はぞっとした。
 城下と城中をつなぐ大手門のところには、確かに、報告にあったように橋が架けられている。奥に見える橋桁が白木であるところを見ると、まだ新しいようだ。須賀川方も、籠城に備えたものだろう。堀に沿うように巡らされた柵の前には掻楯が立てられ、その陰に人影らしき姿が袖を連ねて並んでいるのが見える。掻楯かきたての隙間から見える限りでは甲冑も纏っており、弓や槍、太刀、薙刀なぎなたなどを手にしていた。さらに大手門の右手の方には物見櫓が組まれており、柵の奥や櫓の上から、時折弓矢が飛んできた。ただし、眼の前に見えている人数の割に、鬨の声すら聞こえてこないのが、不気味である。
「安房守様。どのように見られます」
 偵察がてら、大手門に向かって弓を射掛けさせていた源五郎が、陣中へ戻ってきた。須賀川方の兵を目の前にして、気が逸っている。
 安房守が、一つ肯き指揮杖を手にした。
「城中の兵は尽きかけておるのだろう。鬨の声すら聞こえてこないのは、そのために違いない。この時を逃すな。掛かれ!」
 源五郎らが率いる尖兵が、突撃を開始した。源五郎の率いる兵らは楯で弓矢を防ぎながら、橋を目指して前進していく。須賀川方の兵はそれを恐れたか、弓矢を射掛けてきていた兵らが門から退くのが見えた。
 狭い橋の両側には、六、七尺ほどもある蘆や萱が、侵入者の視界を遮るかの如く垣根を成していた。源五郎らの部隊が、橋の半ばを渡り終えた頃だろうか。
 突如、須賀川方から数多の火矢が飛来した。四、五〇本も一度に射掛けられたのだから、たまったものではない。火矢はたちまち橋の両脇に巡らされた蘆や萱に燃え移る。
「あれは天津児屋根命あめのこやねのみことから一子相伝として継いできた千金莫傳せんきんばくでんの火矢ではないか。どうして治部殿の兵が秘法を我が物にしている」
 紀伊守が、舌打ちした。彼の言葉からすると、二階堂家の秘術中の秘術なのだろう。さらに火矢は、なぜか自陣方の掻楯やそれに隠れている人影を目掛けても放たれている。射手の手腕からすると、外しているわけではなさそうだ。
 図書亮の眼の前で、掻楯の陰にいた人影に火が燃え移った。すると、人影は炎を纏いながら踊り狂い始めた。いや、人影ではない。ただの藁人形だった。その藁人形が指していた色とりどりの旗指し物にも、火が燃え移る。昨日と同じ様に辺りは煙が天地に満ち、今日も風が激しく唸っていた。その風に煽られて猛火は盛んに天を嘗め、藁人形が焼けて踊り回っている様子は、さながら不動明王像のようだ。
 やがて、炎を纏った藁人形は風に乗って、その身を舞い踊らせながら橋の上にいる和田方の方へ飛来し始めた。
 このままでは、箭部一族は再び大損害を蒙る――。
「紀伊守殿。馬を拝借する」
 とうとう居ても立ってもいられず、図書亮は側にいた紀伊守に一声残し、馬に跨った。
「婿殿!」
 止める紀伊守を振り切り、図書亮は橋を目指して砂埃を撒き上げながら、馬を駆けさせた。背後では、下野守が何か怒鳴っている気もするが、一刻の猶予もならない。
 既に、先触れとして大手門に取り付こうとしていた源五郎の兵らは、大混乱に陥っていた。
「火から逃れるには、この門を破るしかない。進め!」
 橋の中程で、目を血走らせた源五郎が怒鳴っているのが、目に入った。
「源五郎殿、急ぎ兵を退かれよ!あの兵らしき者の多くは、須賀川方の謀略だ」
 図書亮の声に、源五郎がきっとこちらを睨んだ。
「馬鹿な。これだけの人数を、どうやって退かせるというのだ」
 上手く連携が取れていないのだろうか。背後から、新たな和田兵がこちらへ回ってきている。旗印を見ると、援軍に駆けつける約束を交わしていた、守屋筑後守の兵かもしれない。
 そこへ、本物の須賀川兵らしき男が、物見櫓の上から松明を投げようとしている光景が、目に入った。図書亮は躊躇せずに源五郎の手を握りしめ、馬上へ引き上げた。
 二人分の大男の体重が乗せられ、それに抗議するかのように馬が嘶きを上げる。
「退け。これは罠だ!」
 怒鳴りながら、元来た道を引き返そうと馬の向きを変えた、その刹那、背後からガラガラと橋の崩れる音がした。思わず首を巡らせると、城と橋を繋いでいた拘綱が、橋の左右両側から焼き切られていた。須賀川兵が、松明を投げつけて綱を焼き切ったのだ。土橋と見えた部分はどうやら木製の橋だったらしく、半ばから崩れ落ちていく。その橋の上に乗っていた一〇〇名ほどの和田兵は、次々に堀の中へと落下していった。いや、ただ落下していくのではない。落ちた者たちは、あの禍々しい竹槍に串刺しにされる者も多かった。酷い屍の中には、本物の刀槍の餌食になっている者らも、多かった。
「彦左!弥助!」
 部下の名前を叫ぶ源五郎を痛ましく思いながら、図書亮は馬を陣中へ駆けさせた。物頭を死なせるわけには行かない。
 息を切らせつつ和田方の陣に戻ると、図書亮は再び大手門の方へ目をやった。既に大手門の堀に架かる橋は、残された部分がむき出しになっていた。どうやら治部大輔は、橋の半ばまでを石垣式の土橋にし、残りを木橋にして城下と城中をつないでいたらしい。先ほど焼け落ちた橋の手前からは、既に両端にあった蘆萱が燃え尽き、石肌がむき出しになっていた。
 堀に落ちた者たちは、我先にと土橋を支えている石垣の留木や横木に、我先にと取り付こうとしている。だが、それも須賀川の計略のうちの一つだった。兵が横木に取り付いて留木を踏み抜いたところで、橋を支えていた石垣は一度に崩れ、取り付いていた兵を残らず撃ち殺した。さらに、堀の中に立てられていた竹槍からも火の手が上がり始めている。どうやら竹槍には油が塗られていたらしく、その竹槍の油に火が燃え移ったのだった。辛うじて生き残っている者も、恐らく半死半生の有様だろう。図書亮が先触れの組に組み込まれていたら、間違いなく命を落としていたに違いなかった。
「婿殿。木っ端武者のような真似をなさるな」
 下野守の叱責に、図書亮は黙って頭を下げた。自分の働きの是非については、後で安房守が判断するだろう。
「だが、戦はまだ終わっていない。直ちに陣を立て直そう」
 紀伊守がそう述べたところへ、守屋筑後守がやって来た。こちらも、それなりの兵力を有していたはずだが、今は二、三〇〇人ほどまで人数が減っている。その筑後守の兵も半ば手負いであり、矢が尽きかけ、刀の嶺が折れている者も多かった。既に敗亡極まったかのような有様である。
「須賀川勢は、思いの外手強い」
 筑後守の顔つきも、厳しかった。
 筑後守の兵らも、多勢に無勢であろうとやはり須賀川勢を嘗めて掛かった。こちらは愛宕山あたごやまから庚申坂こうしんざかと呼ばれる急坂を通って、二の丸東からの侵入を試みたのだった。大黒石口からは再び二階堂左衛門、搦手からは須田源蔵の兵が繰り出したという。それらの兵が同時に須賀川城内に侵入し、三の丸・二の丸を同時に攻め落とすつもりだった。守屋勢は、兵をひとまとめにして左右を顧みずに、東門を攻撃し、陣太鼓を打ち鳴らして兵を進めたところ、敵は少数でこれを防ごうとした。
 だが、須賀川の街を囲んでいる城壁の塀元には、須賀川の兵士が潜んでいた。須賀川兵には、治部大輔から「城の塀を引き倒して、城中へ乱れ入った者は一人も漏らさず討ち取れ」という命令が下されていたのである。
 大手門側と同じ様に、いやに静かな須賀川方の動きに、守屋勢もすっかり騙された。守屋勢は凱歌を上げて木戸を打ち破ろうと押し寄せ、あるいは塀を押し倒そうと人を集めて熊手を塀にかけて引いた。だがその塀には罄縄けいなわが結び付けられていたのに、血気に逸る和田方は気づかなかったという。塀元に潜んでいた須賀川の兵士は言わば囮であり、多くの和田兵が塀に取り付いたところで、須賀川方は罄縄を引き、城壁を引き倒した。和田方の兵士は倒れてきた壁の下敷きになり、多くが圧死した。こちらも、治部大輔の知謀にしてやられた形である。それでも尚進んで門を攻め破って城内に侵入しようとすれば、須賀川の兵は弓矢、槍、薙刀、熊手、薙鎌など諸々の武器手にして待ち構えていた。
「数の上では、間違いなくこちらが上回っているのだがな……」
 筑後守が忌々しげに吐き捨てた。通常の戦法では、治部には勝てない。こちらも奇策に打って出る必要があった。
「安田」
 安房守が、家老を手招いた。
「愛宕山の美濃守殿に、例の者らを借り受けたいとお伝えしてこい」
「はっ!」
 安田は身を翻すとそのまま馬上の人となり、漆黒の須賀川の街中へ消えていった。
 安房守の口ぶりから察するに、どうやら安房守としては気の進まない部署を、美濃守の手勢から借り受けるようだった。
「紀伊守殿。例の者らとは?」
 安房守の耳に届かない距離にあるのを確認して、図書亮はそっと紀伊守に尋ねた。
「忍びだ」
 そう答える紀伊守の声も、やや苦みを帯びていた。
「私も、忍びを使うのは正道に反するようで好みではないが……。この際、悠長なことを言ってはおられまい」
 どうやら須田美濃守は、独自に忍びの伝手を持っているようである。正攻法で埒が明かないため、忍びの者らを使ってでも、須賀川勢に勝とうというのだろう。
 為氏や四天王を始め、図書亮を含む二階堂家臣団が陽の者であるならば、忍びの者らは陰の者である。雇い主とは忠義で結ばれているわけではなく、銭金で結ばれていることが多い。便利と言えば便利だが、危険な者らでもあった。
「箭部の者を、これ以上死なせるわけにもいかぬ」
 箭部一族の長である安房守の言葉には、千斤の重みがあった。その言葉で図書亮は初めて、自分の挙動が軽率だったと、思い知らされた。図書亮の突出を止めたのは、安房守なりの配慮だったのだ。
「りくの子を父無し子にするのは、しのびないからな」
 微かに、下野守も笑みを浮かべた。
「一色殿。明日がこの戦の山場となろう。今晩は、十分に休まれよ」
 紀伊守の言葉に、図書亮は深々と頭を下げた。
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