泪橋~須賀川二階堂氏の覇権争い

篠川翠

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 図書亮が明沢に依頼したのは、かつて鎌倉にいたはずの一色家の家人を探し出してもらうことだった。佐野彦之助げんのすけがそれである。佐野は図書亮の傅役だったが、鎌倉の屋敷が焼き討ちに遭った際に、離れ離れになっていたのだ。明沢に払う銭を用意するのは一苦労だったが、幸いにしてこの年は、豊作だった。領民らも素直に税の徴収に応じてくれたこともあり、それらの中から少しだけ、明沢に支払ったのだった。
 再び曇天に風花が舞う頃、明沢は佐野を連れて一色家の門前に現れた。
「図書亮様。奥方までお迎えになっているとは……。ご立派になられましたな」
 かつて一色家の郎党であった佐野は、そう言って涙を浮かべた。永享の乱以降は、互いに行方が分からなくなっていたこともあり、図書亮も感慨深いものがあった。
 佐野によると、風の便りに、図書亮が鎌倉の近所に住んでいた安藤の伝手を頼り、二階堂氏の須賀川下向の一団に加わったと聞いた。そこから図書亮の行方を追うのがまた大変で、二階堂氏を追うにも地方に下向してしまっている。もしやと思い、都の一色本家の伝手を頼り、ようやく図書亮の無事を確認したというのだ。だがその頃には、岩瀬の二階堂家は和田勢と須賀川勢が一触即発の事態にあった。主が戦乱に巻き込まれたのではないかと、佐野はずっと気を揉み続けていた。そこへ現れたのが、明沢である。
 ただ須賀川の図書亮を訪れただけではなく、彼は一通の書状を手にしていた。
 佐野によると、上杉憲実からは一刻も早く図書亮に鎌倉に戻ってきてほしいと言われているという。憲実自身は幕府に近い立場であり、かつては仇敵として一色家と対立したこともあった。だが、関東や奥州の安定のためには、どうしても成氏を中心とした鎌倉府という組織が欠かせない。また、各所の豪族の権力争いが繰り広げられており、その調整役を担う人間が必要だということだった。
「心配をかけたな」
 やはり、家の子の郎党の情は深い。りくの前で見せる「主君」としての図書亮の姿は、りくの目にも新鮮に映ったらしかった。
 佐野から奥方様、と呼びかけられたりくは、気恥ずかしそうに顔を俯かせた。今まで箭部の娘として扱われることはあっても、貴人扱いを受ける日が来るとは思ってもみなかったのだろう。
 佐野が持ってきた書状を広げると、冒頭には「一色図書亮に引付衆ひきつけしゅうを命じる」とあった。さらに続く文面には、一色家の旧領である富田郷の所領安堵の文言、そして末尾には、足利成氏の署名もある。紛れもなく、鎌倉府からの正式な復帰要請だった。
「上杉殿は何と?」
「図書亮様には、期待しておられるとのこと。二階堂一族の争いで、和議を持ち込まれたことや武勇を振るわれたことも、評価されている由」
「引付衆か……」
 武勇を頼み、それで身を立てようと考えてきた図書亮には、意外な人事だった。引付衆は、現代でいうのならば訴訟を扱う役職である。だが、決して図書亮を軽く見ている風ではない。この数年鎌倉と縁遠かったことを考慮すれば、大抜擢と言っても良いだろう。
 図書亮の心は、鎌倉へ戻る方向へ傾いていた。だが、それをりくに告げて良いものかどうか。
 三の丸近くにある千用寺に泊まっているという佐野を送っていくと、図書亮は物思いに沈んだ。悩んでいる図書亮の気配を察したか、りくが岩魚の焼き物を運んできた。その膳には、酒器も載せられている。
「図書亮さま。鎌倉にお戻りになりたいのでしょう?」
 盃に熱い酒を注ぎながら、りくは静かに微笑んだ。その傍らでは、さとが軽い寝息を立てて眠っている。娘の寝顔は、図書亮にそっくりだった。
「いつぞや私が申したことを、覚えていらっしゃいます?」
 図書亮は、首を傾げた。
「私は、図書亮さまと一緒にいられるだけで十分幸せなのです。そう申したことがございましたでしょう?」
「そうだったな」
 まだ、三千代姫が生きていた頃の話だ。この地の地祇について話した折に、主夫婦についての四方山話をしたのだった。あの時、りくは「ただの武人の妻で十分だ」と言ってくれた。
 鎌倉では既に新しい公方が擁立され、図書亮の意志とは関係なく、宮内一色家はその府閣の一員となるよう取り計らわれている。都の幕府と鎌倉の因縁は既に根深く、此度の和解も、ひょっとしたら一時的に過ぎないかもしれない。鎌倉に戻るとなれば、その微妙な綱を日々渡っていくことになるだろう。己にそれが出来るだろうか。
 だが、二階堂家に身を置いたとしても、恐らくこれ以上の立身は望めない。箭部氏の娘であるりくを妻としているとはいえ、先の戦での功績は、取木村を分け与えられたに過ぎなかった。武功の割に恩賞が少なすぎるのは、図書亮が為氏に三千代姫との婚姻を勧め、そのために為氏に災いをもたらしたと考える者が、四天王らに対して讒言を行ったのかもしれなかった。
「りくは、須賀川の外に出ても構わないのか」
 思い切った図書亮の問い掛けに、りくはあっさりと頷いた。
「私は女ですもの。夫についていくのは当然のことです」
 それに、と言いかけてりくが飲み込んだその先の言葉を、図書亮は察した。
 図書亮の傍らには、りくと愛娘がいる。それは、為氏と三千代姫が叶えたくとも叶えられなかった、夢の姿だった。その夢の姿が保てるのならば、この地を離れることに未練などあろうか。りくは、そう言いたげだった。
「……鎌倉は、海の魚が豊かなところだ」
 図書亮は懐かしむように言い、りくを抱き寄せた。その仕草にりくが微笑む。
「では、図書亮さまのお好きな魚の団子汁も、今度は海の魚で作れますね」
 魚の団子汁は、りくと結婚してから、彼女が度々作ってくれる図書亮の好物だった。今までは川魚で作っていたその味も、鎌倉に移ったら変わるだろう。りくに釣られて、図書亮も笑顔を浮かべた。
「父上や伯父上には、まだ黙っておきましょう」
 りくの言葉に、図書亮は頷いた。どうやらりくも、内心では戦後の処遇に不満があったとみえる。
 また、あの姫宮神社建立から後、怨霊騒動は一旦落ち着いたかに見える。だが、ようやく起き出せるようになった為氏の顔には、まだ陰が残されていた。やはり、三千代姫の怨霊が現れたというのが心に引っかかっているのだろう。いつしか為氏に対しては、年の離れた弟を見守るような、そんな情を抱いていた。
 
 暮谷沢で須賀川の者らのための法要を営むと為氏が言い出したのは、ようやく水が温み始めた頃だった。怨霊騒動よりこの方、元々細面だったのだがさらに一回りけており痛ましい。
 為氏が暮谷沢で須賀川の者らのための法要を営むと述べると、山城守は顔を曇らせた。
「姫宮神社を建立したではございませぬか」
 場所が場所だけに、亡き妻への哀悼の意が込められているのは明らかである。また、山城守の娘である芳姫は、三千代姫の怨霊を恐れて現在保土原舘で静養中だ。そのすぐ近くで大規模な法要が営まれるというのは、父としてはあまり気持ちの良いものではないのだろう。
「勘違いするな」
 ぴしゃりと為氏が述べた。近頃の為氏は、家臣に対してはっきり物を言うことを恐れない。語気の強さに、山城守が視線を逸した。
「あの場所で命を落とした者は、三千代姫だけではない。それらの者の御霊も鎮める必要がある」
 そう言い切ると、少し言い過ぎたと感じたのだろう。為氏は口調をやや和らげた。
「姫に殉じた乳母や岩桐、その他我等の身内の分も含めて法要を営むということだ。御霊になったのならば、敵も味方もあるまい」
 四天王らも、為氏の言葉に耳を傾けている。為氏の言い分は、全く正当なものだった。美濃守が一つ咳払いをして、山城守をちらりと見た。
「これから、須賀川の者を召し抱える機会も出てこよう。その折に、須賀川の者らを弔わなかったと彼等が知れば、後々まで禍根を残すのではあるまいか」
 政治的な意味においても、美濃守は供養に賛成のようである。確かに美濃守の言う通りで、これから先は須賀川衆とも上手くやっていかねばならない。一連の出来事にまつわる禍根は、できるだけ少ない方が望ましかった。
 まだ不満そうな山城守に対し、筑後守が補足を重ねた。
「御屋形は、決して芳姫様を蔑ろにしているわけではない。芳姫様がご出産を迎えられるに当たり、無事に和子をお産みになられるよう、障りとなる事柄をできるだけ少なくしておきたいのだ」
「およしは、葵の上ではござりませぬぞ」 
 むっとした様子で、山城守が言い返した。山城守が持ち出したのは、紫式部が書いたと言われる源氏物語の一節である。光源氏に打ち捨てられた六条御息所は、怨霊となって源氏の正妻である葵の上を苦しめ、息子である夕霧の出産に伴い葵の上の命を奪ったのだった。
 山城守自身が気づいているかどうかはともかく、その言い分こそ亡き三千代姫を想起させるというものだと、図書亮は胸の内で突っ込んだ。やはり多かれ少なかれ、怨霊のことは誰もが気にしている。
「法会の導師も当代最高の方をお招きして、我等の誠心を示したい。何処ぞに良き導師はおるか」
 山城守の憤懣に構わず、為氏は会合の主導権を握っている。導師の推挙を申し出たのは、やはり美濃守だった。
 美濃守によると、鎌倉法界寺の知り合いを通じて当地に来てもらった、月窓明潭げっそうみょうたん和尚が相応しいのではないかという話だった。月窓は元々鎌倉近くの小田原にある最乗寺の住職だったが、二階堂家が鎌倉に居住してたころから美濃守と親交があった。一休和尚がまとめた教外別伝不立文字の教えを習得するなど、当代随一の知識人でもあり、美濃守が和田に開山させた金剛院の住職でもある。金剛院にはあの運慶が彫ったという仏像も祀られており、その名は遥か都まで聞こえているなど、当代随一の人物には違いなかった。人によっては、小釈迦と称する人もいるとのことである。
 図書亮も金剛院開山の折に遠目にその姿を見たが、確かに立派そうな人物だったと記憶していた。
「その月窓和尚に、導師をお頼み申し上げよう」
 美濃守の説明に、為氏は即決した。それだけでなく、ゆくゆくは須賀川城近くに二階堂家の菩提寺を建立し、その月窓和尚に開基となってもらいたいとも言う。この言葉は後に実現し、現在でも須賀川に残っている曹洞宗長禄寺がそれである。長禄元年に開山し、東北や関東・越後などに一三〇余りの寺の総録として、須賀川の長禄寺は殷賑を極めた。
 さらに為氏は、法要は身分の上下を問わず誰でも出席できるものとすると決めた。
 その言葉を聞いて、図書亮はりくも連れて行ってやろうと密かに思った。りくは三千代姫と縁が深かった。妻はきっと喜ぶだろう。法会当日は、さとは愛宕山の箭部屋敷に預ければ良い。

 為氏の意向を受けて、暮谷沢の東の丘には十三の塚が築かれた。密教にも通じている月窓和尚の助言に従って築かれたもので、これで死者の御霊が清められ、怨霊の三毒、即ち、貪欲とんよく、憎しみ、愚痴などが消え去るという。
「これで、御台様も心安らかにお眠りになられるのではないでしょうか」
 十三塚の法会にりくも出席させたいと告げると、りくはそのような感想を述べた。
 りくにとっての御台とは、為氏の現在の妻である芳姫ではなく、かつて仕えた三千代姫のことである。芳姫が何かしたわけではないが、図書亮もそれは同感だった。
 心優しかったあの三千代姫が、怨霊となって為氏を苦しめているというのは、図書亮にとっては今でも信じ難いものがある。だが、自分でも芳姫付きの女童が憑かれたのを目撃しており、りくの告白を聞いてからは、やはり三千代姫も苦しんでいたのだと感じていた。武家の習いとして為氏が新しい妻を迎えるのは、ある意味では仕方がない。とは言え、追い詰められて腹の子諸共自害したにも関わらず、それをなかったかのように扱われ、新しい御台と子の誕生を祝ぐ空気は、女人としては我慢できなかったのだろう。
 法会当日は、春の陽気にふさわしく天気は穏やかだった。そういえば初めて当地を踏んだ時も、このような穏やかな天気だったと図書亮は思い出した。
 塚の前には、既に高々とした卒塔婆そとばが立てられている。
 さらに卒塔婆の前には、七段の飾り棚があった。飾り棚には赤飯、強飯こわいい、取り取りのあつものや餅、饅頭、団子、饂飩うどん素麺そうめん水団すいとんといった仏供ぶっくや霊膳が供えられている。その中に伏兎ふくと水蟾すいせん霰鎕あられとうなど女人が好みそうな菓子類も飾られているのを見ると、ふっと心が和んだ。その他にも、百味の珍味や六合の立花が飾られ、金銀があちこちに散りばめられている。
「伏兎は御台様がお好きで、よく召し上がられていました」
 法会が始まる前に、隣にいるりくがひっそりと笑みを浮かべた。図書亮の知らない三千代姫の逸話に、図書亮も思わず微笑む。男たちの目の前では凛とした姫君の顔しか見せなかったが、ちゃんと年相応の愛らしさも持っていたらしい。
 位牌の前の左右には赤銅の花瓶に黄金で作られた花が立てられており、金銀を散りばめた茶器を置かれ、天龍寺から賜ったという香炉や、沈金の香合こうあわせに名香が入れて焚かれている。香りからすると、どうやら羅国らこくのようだ。上品で愛らしかった三千代姫に相応しい香である。
 法会の時刻になり、法燈が灯された。導師である月窓禅師は香染の衣に合わせて錦の十二条の袈裟を纏い、緞子どんすの帽子を被っている。金襴で彩られた座具を前に輿を止めさせ、唐綾の靸鞋くつを履いて竟頭の柱杖を衝き、朱傘の長柄を差し掛けられて歩み出られる様子は、あたかも獅子王のように大層立派だった。月窓禅師の後ろに侍る者らが、紫檀したんの香台や赤銅の香炉、金糸の香合箸こうあわせばしを持ってやはり歩み出る。付き人の中には、払子ほっす竹篦しっぺいを持っている侍者もいた。さらに、数百人の転衣てんえや黒衣を纏った僧侶らが付き従っている。
 月窓導師が焼香し、大音声で拈香文ねんこうもんを唱える。続けて諷経ふぎんして供養が成し遂げられると、僧侶らが天花てんげを散らす。天花は風に舞い散り、僧侶らの唱える梵音は雲に溶けゆくかのようだった。極楽浄土とは、このような世界を言うのではないだろうかと図書亮が思ったほどに、それは優美で幻想的な光景だった。
 りくは瞑目したまま、図書亮の傍らで数珠を手繰っている。図書亮も同じ様に数珠を手繰りながら、三千代姫の在りし日の姿を懐かしく思い出していた。
 婚礼の時の、為氏と並んだ雛人形のような姿。花の宴の折の、山桜を背にして家臣に披露してみせた見事な謡と舞。金剛院開山のときには為氏と一緒に下々の民に化けて、粗末な身なりで現れて図書亮らを慌てさせた。その時でさえ、姫の愛らしさは失われていなかった。
 そして何よりも鮮明に思い出されるのは、為氏の伴侶として、伊勢物語や歌について生き生きと語り合う姿だった。
 それらの日々に思いを馳せていると、桜東風さくらごちがふっと頬を撫でていった。何処からともなく風に乗ってきた無数の桜の花びらが、塚の下を流れる暮谷沢に舞い落ち、花筏を形作っている。
「姫を始め、由比さまや岩桐さまの御霊も、これで浄められたでしょう」
 りくが、図書亮に微笑んでみせた。
「そうだな」
 妻の言葉に、図書亮も頷いた。霊膳には、姫の好物も供えられ、花々に負けないくらい芳しい沈香は、二階堂家臣団の端の方の席にいた図書亮らのところにも届いてきていた。りくを余計な噂に晒させたくなくて、敢えて目立たない端の席を選んでいたのである。
 一時は怨霊となったかもしれないが、三千代姫は気高く優しい姫君だった。あれが本来の三千代姫の姿だったと図書亮は信じていたし、今日の法会は、その姫に相応しい法会だったと思う。
 りくと視線を合わすと、どちらからともなく席を立った。本来であればこの後家臣団の宴席があるのだが、三千代姫にまつわる無責任な噂話は聞きたくない。他の家臣らに気づかれないようにそっと抜け出そうと、予め打ち合わせてあったのだった。
「図書亮」
 袖を引いて、図書亮を引き止める者がいた。思わず、溜息が出る。
「藤兵衛か」
 図書亮を引き止めたのは、幼馴染の藤兵衛だった。彼もあの惨状を目にした一人であり、図書亮と同じ様に妻のはなを連れてきていた。はなも、三千代姫付きの女衆の一人だったからだろう。
「黙って帰ろうとするとは、水臭いではないか」
 図書亮は、りくと顔を見合わせた。りくも困惑している。図書亮に対する心無い噂をはなが持ち込んできて以来、図書亮らの方から意図的に距離を置いていたのだった。幼馴染の図書亮らへの気遣いも、理解できたからである。
「箭部屋敷に、娘を預けてきていますから」
 りくはそう告げて、逃げようとした。
「りく様。お辛かったでしょう」
 はなの言葉に、踵を返そうとしたりくが立ち止まる。
「済まぬ」
 傍らで藤兵衛も、頭を下げている。どうやら、図書亮夫妻が苦境に立たされているにも関わらず、自分たちは何もできなかったことを苦にしているらしかった。それに気付くと、さすがに責める気にはならない。
「何がだ。お主らが私に対して何かしたわけでもなかろう」
 図書亮は、素知らぬ体で惚けてみせた。首を伸ばして祭壇の方へ視線を向けると、祭壇のすぐ前では、月窓導師と為氏、そして美濃守が何やら話し込んでいるのが見えた。為氏の顔はというと、久しぶりに穏やかな表情をしている。
「でも……」
 はなが何か言い淀んでいる。思い切ったように、藤兵衛が顔を上げた。
「少し前から、お主のところに鎌倉からの使者が出入りしていたろう。あれは、佐野殿だよな?」
 幼馴染である藤兵衛は、佐野のことも知っている。佐野は目立たないように気を使ってくれていたが、たまたま藤兵衛に見つかったらしい。
「それは、他の者には言わないでほしい。口の端に上らせれば、御屋形にご迷惑が及びかねん」
 図書亮のやや強い口調に、藤兵衛が押し黙る。この男とは長い付き合いだ。図書亮の身の上に起ころうとしていることを、察しているのかもしれない。そこへ、もう一人の男が近づいてきた。
「一色殿。伯父上らのあの沙汰は、私も不公平だと思う。梶原の首級を挙げたのに、その見返りが取木村だけではおかしい。もう一度、領地の差配について掛け合われたらどうだ?私もお主の武功を証言する」
 歩み寄ってきたのは、箭部紀伊守だった。りくの従兄弟であり、須賀川城攻防戦では共に戦った仲でもある。箭部一族の彼がそのようなことを言い出すのは、意外でもあった。
「好かれておりますね、図書亮さま」
 側で、りくが笑い声を立てた。この数ヶ月、育児に専念していたとは言え、夫にまつわる悪評に密かに胸を痛めていたのだろう。
「当たり前だ。図書亮殿は、源五郎の命の恩人だぞ」
 思わず図書亮の名前を口にしたところを見ると、紀伊守は少し怒っている様子である。今までそのような親しみを見せたことのない紀伊守だったが、図書亮は、紀伊守が自分のために怒ってくれたことが嬉しかった。そういえば、無我夢中で忘れていたが、図書亮は箭部一族の者を助けていた。紀伊守はあのときの図書亮の行動に、余程恩義を感じているのだろう。
「いいのです、紀伊守殿。戦場で同族を助けるのは、当然ですから」
 図書亮は、明るい笑みを浮かべた。あまり余計な事を言うと、この善意の二人をまた新たな騒動に巻き込みかねない。
「だがなあ……。御屋形と三千代姫様の婚儀は、皆で賛成したことだろう。三千代姫様の怨霊が御屋形を悩ませ奉っていたのは確かだが、それを図書亮のせいにするのは筋違いだろう」
 藤兵衛は、まだ怒りが収まらないらしい。
「そうですわ。それに、芳姫さまもそのような形で持ち上げられても、嬉しくないでしょうに」
 忍夫妻の言葉に、傍らにいる紀伊守も強く頷いている。確かにそうだ。例の噂もあり、図書亮が芳姫と語り合う機会には恵まれていない。だが、三千代姫についてのあれこれを面白可笑しく聞かされる芳姫も、このままでは困惑するばかりだろう。
 再び、図書亮はりくと顔を見合わせた。はなの言葉で、決心がついた気がする。
「今まで、世話になった」
 図書亮の言葉に、忍夫妻や紀伊守が瞠目した。
「お主……」
 言葉を続けようとする藤兵衛を、図書亮は押し留めた。
「見送りは不要だからな」
 噂の渦中の人物と話しているのが、気になるのだろう。周りから、ちらちらと視線が投げかけられているのを肌で感じる。
 あまり引き止めておくと、彼らの為にならない。軽く手を上げて挨拶すると、図書亮はりくをいざなって彼らに背を向けた。
 
 箭部屋敷にさとを預けていた礼を述べて帰宅すると、家の前には僧侶が待ち構えていた。例の明沢である。
「またお主か」
 図書亮は、軽く睨みつけた。図書亮の傍らにいたりくも、もうそれほど明沢に驚かない。りくには、鎌倉との関係を説明する兼ね合いもあり、明沢が忍びの者であることや、この男が美濃守の配下らしいことを明かしてあった。
「またはないだろう、または」
 図書亮の嫌味に応じる明沢も、慣れたものである。だが、これからはこの男とも縁を深めていくことになる。人目についてはまずいこともあり、図書亮は明沢を家の中へ招き入れた。
「お主のことだ。あの月窓導師も、お主と同じような者なのだろう?」
 明沢は笑みを浮かべただけだったが、おおよその見当はついた。法号にはどちらも「明」の文字が使われており、子弟関係であると推察された。この明沢という男は月窓の弟子の一人でありながら美濃守の間諜を務めているが、それは月窓和尚の意向でもあるのかもしれない。
「お主を悪く言う者がいる中で、お主を信じる朋輩もいたではないか。それでも後悔しないな?」
 明沢が、念を押した。人の話を盗み聞くとは、つくづく悪趣味だと思う。だが、この明沢とはある種の絆が生まれ始めていた。
「このまま私がこの地に留まっていれば、御屋形のお悩みを増やすだけだ」
 図書亮の言葉に、腕の中にさとを抱いてあやしていたりくも頷く。昼間の法会で図書亮がわざわざ端の席を選んだことから、改めて図書亮に対する風当たりの強さを感じたようだった。
「よくぞ、ご決心された」
 明沢が、笑顔を開いた。
 明沢によると、鎌倉では、既に佐野が屋敷や人員を手配済みだとのことだ。相模さがみの富田郷では、一色家の若様が生きていたと知り、馳せ参じたいと希望する者が続々と集まっているという。須賀川では今一つ立身には至らなかったが、鎌倉ではどうやら人員の懸念は少なさそうである。
「いつになる」
「御屋形らのご同意が得られればすぐに鎌倉に向かうと、成氏公にお伝え願いたい」
「わかった」
 既にりくの同意も得ている。もっとも、箭部一族の長である安房守は、りくやさとを須賀川から出すことに難色を示すかもしれないが……。
 残された時間は、そう多くはない。明沢はその日も当たり前のように、一色家の夕餉の相伴に預かりながら、細々とした打ち合わせを重ねたのだった――。
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蔵屋
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 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

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