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第1章 弟子入り
17 嘲笑
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翌日、一希は早速職員室の土橋を訪ね、事情を説明して意気揚々と退学届を出した。
さぞかし驚くだろうと思いきや、土橋はかさついた頬を撫で回し、短いため息を漏らして「そうか」と言っただけ。
一方、周りで聞いていた他の教官たちには、押し殺すような嘲笑が広がる。その奇妙な笑いの意味を最初に口にしたのは、最年長のヤギ髭だった。入学式で顔だけは見かけたのをおぼえている。
目を細めてニヤニヤしながら、
「君みたいな子がそういう思い切ったことするとは、意外だねえ」
と声をかけてきた。行動力を褒められているのかと思って一希が照れた瞬間、彼は続けた。
「なんだかんだ偉そうなこと言ったって、結局は女を武器にするんだなあ」
すると、でっぷり太ったごま塩も調子を合わせる。
「天下の新藤家の跡取りも所詮は人の子。しかもいよいよ男盛りですからな」
「え? ちょっと、何の話ですか?」
「新藤君って偏屈でさ。うちの生徒の実習もほとんど受け入れないって話でしょ。それをこうやってパーッと簡単に持ってっちゃうんだから、女の子は楽でいいよなあ」
「しかし、色仕掛けってタイプでもないような気がするけどねえ」
馬鹿にしたような視線を体に感じ、一希は顔が紅潮するのを感じた。
「いや、ああいういかにもむっつりスケベって男には案外受けるのかもしれませんぞ」
「賭けましょうや。いつまでもつか」
「一ヶ月」
「いやいや、一晩で御役御免でしょう」
中年男たちの無遠慮な笑い声がひとしきり響く。
新藤さんはそんな人じゃありません、と抗議しようと思ったが、一希は寸前でそれを飲み込んでしまった。
考えてみれば、彼らの解釈が的外れだという保証はどこにもない。資格のある助手を雇おうと思えばいくらでも選べる立場にいる新藤が、養成学校に入ったばかりの未熟者を引き受けることにしたのも、住み込みを提案してきたのも、それがたまたま女だったからだと考えれば頷けるではないか。
個人指導と引き換えに期待されているのが雑用や家事だけでなかったら? あるいは、そもそも指導をする気などなかったら? 夢見る小娘の前に餌をぶら下げ、お互い家族がないのをいいことに連れ込んでしまえば、いくらでも好きなようにできる。丘の上にぽつりと建つ一戸建て。見回して目に入る範囲に隣家はない。泣き叫んでも誰にも届かない。
新藤との間に一体何の契約を結んでしまったのだろうと、一希は今さらうろたえた。考えてみれば、両親に相談することなく大きな決断を下すのはこれが初めてだった。もし彼らが生きていて、一希がこの件を相談していたら、どんな答えが返ってきただろうか。
青ざめてとぼとぼと廊下に出た一希を、土橋が追ってきて呼び止めた。
「冴島君、この件は校長に通しておくから」
その言葉にはっと我に返った。土橋の手が掲げる封書を、取り下げるべきかどうか迷う。
「念のため聞きたいんだが、君は……実際そういうつもりだったのかね?」
「そういう……」
「色仕掛けで奴を落としたと思っとるのかい?」
「まさか! 私はただ、一日も早く現場の周辺事情を学びたくて……」
「なるほど、それならいい。もし男女間の楽しみが目当てなら、全くのお門違いだからな」
(……え?)
「ま、うちを辞めるからには、あっちでしっかりやりたまえ」
土橋はそう言ってスタスタと歩いていってしまった。
サンダル履きのガニ股をぼんやりと見送りながら、一希は思い出した。新藤が土橋と電話で話したと言っていたことを。
さぞかし驚くだろうと思いきや、土橋はかさついた頬を撫で回し、短いため息を漏らして「そうか」と言っただけ。
一方、周りで聞いていた他の教官たちには、押し殺すような嘲笑が広がる。その奇妙な笑いの意味を最初に口にしたのは、最年長のヤギ髭だった。入学式で顔だけは見かけたのをおぼえている。
目を細めてニヤニヤしながら、
「君みたいな子がそういう思い切ったことするとは、意外だねえ」
と声をかけてきた。行動力を褒められているのかと思って一希が照れた瞬間、彼は続けた。
「なんだかんだ偉そうなこと言ったって、結局は女を武器にするんだなあ」
すると、でっぷり太ったごま塩も調子を合わせる。
「天下の新藤家の跡取りも所詮は人の子。しかもいよいよ男盛りですからな」
「え? ちょっと、何の話ですか?」
「新藤君って偏屈でさ。うちの生徒の実習もほとんど受け入れないって話でしょ。それをこうやってパーッと簡単に持ってっちゃうんだから、女の子は楽でいいよなあ」
「しかし、色仕掛けってタイプでもないような気がするけどねえ」
馬鹿にしたような視線を体に感じ、一希は顔が紅潮するのを感じた。
「いや、ああいういかにもむっつりスケベって男には案外受けるのかもしれませんぞ」
「賭けましょうや。いつまでもつか」
「一ヶ月」
「いやいや、一晩で御役御免でしょう」
中年男たちの無遠慮な笑い声がひとしきり響く。
新藤さんはそんな人じゃありません、と抗議しようと思ったが、一希は寸前でそれを飲み込んでしまった。
考えてみれば、彼らの解釈が的外れだという保証はどこにもない。資格のある助手を雇おうと思えばいくらでも選べる立場にいる新藤が、養成学校に入ったばかりの未熟者を引き受けることにしたのも、住み込みを提案してきたのも、それがたまたま女だったからだと考えれば頷けるではないか。
個人指導と引き換えに期待されているのが雑用や家事だけでなかったら? あるいは、そもそも指導をする気などなかったら? 夢見る小娘の前に餌をぶら下げ、お互い家族がないのをいいことに連れ込んでしまえば、いくらでも好きなようにできる。丘の上にぽつりと建つ一戸建て。見回して目に入る範囲に隣家はない。泣き叫んでも誰にも届かない。
新藤との間に一体何の契約を結んでしまったのだろうと、一希は今さらうろたえた。考えてみれば、両親に相談することなく大きな決断を下すのはこれが初めてだった。もし彼らが生きていて、一希がこの件を相談していたら、どんな答えが返ってきただろうか。
青ざめてとぼとぼと廊下に出た一希を、土橋が追ってきて呼び止めた。
「冴島君、この件は校長に通しておくから」
その言葉にはっと我に返った。土橋の手が掲げる封書を、取り下げるべきかどうか迷う。
「念のため聞きたいんだが、君は……実際そういうつもりだったのかね?」
「そういう……」
「色仕掛けで奴を落としたと思っとるのかい?」
「まさか! 私はただ、一日も早く現場の周辺事情を学びたくて……」
「なるほど、それならいい。もし男女間の楽しみが目当てなら、全くのお門違いだからな」
(……え?)
「ま、うちを辞めるからには、あっちでしっかりやりたまえ」
土橋はそう言ってスタスタと歩いていってしまった。
サンダル履きのガニ股をぼんやりと見送りながら、一希は思い出した。新藤が土橋と電話で話したと言っていたことを。
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