62 / 80
第5章 もう一つの卒業
62 告白
しおりを挟む
大輝とは結局、例の電話での誘いを断ったきりになっていた。定例会では会えるだろうと思っていたが、今月、大輝は来なかった。
「あいつ最近、ヤローとばっかつるんでねーか?」
と言ったのはシンゴだ。「大輝はどうした?」という話題になった時のことだ。今日は草野球仲間と久々に練習試合だから今頃はその打ち上げだろう、というのがアンナからの情報だった。
「久々に女断ちかな?」
「ビョーキでも移されたか?」
「それか、なんかモメて嫌になって一回全員リセット、みたいな」
「前にあったな、そういうの。ま、一瞬だったけど」
「ストーカーされたんだっけ」
「そうそう。あり余っちゃうんだか何だか知らないけど、あん時もやたら運動してたよな」
この一ヶ月、悦子はこれまでにないほど頻繁に大輝からの誘いを受けた。だから女断ちという彼らの推測には異議ありだったが、このところいろいろと様子がおかしかったのは事実だ。せめてその原因が自分でないことを祈るばかりだった。
最後の電話から三週間が経った。この間はごめんね、とメッセージを送ろうかとも思ったが、正直なところ何がごめんねなのかわからず、その度に文面を打ちかけた手が止まってしまう。単純に会おうと誘うことも考えたが、またヒロ君がどうのと言い出されたらかなわない。大輝がなぜそんなことを言うのか、思うのか、それだけでも理解できたらどんなに楽だろう。このまま会えなくなるのだろうかという気がし始めた時、ようやく電話が鳴った。
「もしもし」
大輝はやはり、いまひとつ元気のない声を出した。
「元気?」
と聞いてみると、大輝はうん、と短く答え、すぐに先を続けた。
「あのさ、明日、暇?」
明日は木曜日だ。少なくとも週末は避けてくれる気になったらしい。しかし、会って何をしたいのだろう。またこの前みたいなヤキモチトークを展開されてケンカ別れになってしまうのか。そんなことが悦子の頭をよぎったほんの五秒ほどの間に、大輝の不安が募るのが手に取るようにわかった。悦子は何となくかわいそうになり、とりあえず返事をした。
「うん。空いてる、けど」
大輝はそっと呼吸を整えるように間を取った末に言った。
「ちょっとさ、ドライブしない?」
努めて明るさを足したとでもいうような声だった。デートの名目は問題ではない。それより大輝の思惑が知りたかったが、それを今追究することは得策ではないだろう。悦子はOKし、楽しみにしていると告げて電話を切った。
翌日、会社の近くで軽く夕飯を済ませた悦子は、車で迎えに来た大輝に拾われた。快適な運転に揺られながら、時折他愛のない話題を投げかけて大輝のご機嫌を窺う。当たり障りなく答えながらも、その笑顔には影が差し、大輝の心はどこか別のところにあるように思えてならなかった。
夜の湾岸線は何年ぶりだろう。まばらに灯のともった港にほの白く浮かび上がるベイブリッジを駆け抜け、観覧車の歌うようなネオンを眺める。その全てを背後に残し、人気のない海沿いの道で車は停まった。
右手は工場のような平たい建物。左手は並木に縁取られた遊歩道の向こうに腰の高さまで堤防がせり上がり、その先は海。どう見てもいわゆる横浜のデートスポットではなく、地元民のみぞ知る裏道といった風情だ。人も車も見当たらない。相手が大輝でなければ大いに警戒すべき状況だった。大輝は運転席で前を向いたまま、
「ちょっとね。話したいことがあって」
と言うと、車を降り、助手席のドアを開けた。外に出ると、少し冷たいけれど心地よい初冬の潮風が頬を撫でた。
堤防の際まで行くと、決意を秘めた瞳が向けられた。いよいよ別れを切り出されるのではという気がした。別れといっても、そもそも付き合ってすらいないのだが……。要するに、もう会わない、と言われるのだろうと身構える。しかし大輝は全く違う角度から切り出した。
「君に……知ってもらいたくて。俺がなぜ、こんな生活をしてるのか」
「こんな……生活?」
「なぜ一人と付き合わないのか。前にもちらっとは言ったけど」
その会話はすぐに思い出すことができた。
「たしか……中途半端な気持ちで一人と付き合うのは無理だって……」
「そう。今日は、それがなぜなのかを話したい」
悦子は息を詰め、耳を澄ませた。話というのが別れ話ではなかったことに安心すればよさそうなものだが、想定していたのと全く別の方角から放たれたそのテーマは、踏み込むことが憚られるような危うさを帯びていた。大輝との関係の終焉以上の危うさを。
どれぐらい待っただろう。悦子の視界の隅で、大輝の髪が風に揺れた時だった。
「忘れられない人がいる」
胸の奥から絞り出したような、それでいて端的な告白だった。それを聞いた瞬間、チクリとした胸の痛みはいつしか鉛の塊に変わり、永遠の十字架のようなその重みが悦子を押し潰さんばかりにのしかかった。それが自分自身ではなく大輝が負っているものであることを、悦子は認めるのが怖かった。
「あいつ最近、ヤローとばっかつるんでねーか?」
と言ったのはシンゴだ。「大輝はどうした?」という話題になった時のことだ。今日は草野球仲間と久々に練習試合だから今頃はその打ち上げだろう、というのがアンナからの情報だった。
「久々に女断ちかな?」
「ビョーキでも移されたか?」
「それか、なんかモメて嫌になって一回全員リセット、みたいな」
「前にあったな、そういうの。ま、一瞬だったけど」
「ストーカーされたんだっけ」
「そうそう。あり余っちゃうんだか何だか知らないけど、あん時もやたら運動してたよな」
この一ヶ月、悦子はこれまでにないほど頻繁に大輝からの誘いを受けた。だから女断ちという彼らの推測には異議ありだったが、このところいろいろと様子がおかしかったのは事実だ。せめてその原因が自分でないことを祈るばかりだった。
最後の電話から三週間が経った。この間はごめんね、とメッセージを送ろうかとも思ったが、正直なところ何がごめんねなのかわからず、その度に文面を打ちかけた手が止まってしまう。単純に会おうと誘うことも考えたが、またヒロ君がどうのと言い出されたらかなわない。大輝がなぜそんなことを言うのか、思うのか、それだけでも理解できたらどんなに楽だろう。このまま会えなくなるのだろうかという気がし始めた時、ようやく電話が鳴った。
「もしもし」
大輝はやはり、いまひとつ元気のない声を出した。
「元気?」
と聞いてみると、大輝はうん、と短く答え、すぐに先を続けた。
「あのさ、明日、暇?」
明日は木曜日だ。少なくとも週末は避けてくれる気になったらしい。しかし、会って何をしたいのだろう。またこの前みたいなヤキモチトークを展開されてケンカ別れになってしまうのか。そんなことが悦子の頭をよぎったほんの五秒ほどの間に、大輝の不安が募るのが手に取るようにわかった。悦子は何となくかわいそうになり、とりあえず返事をした。
「うん。空いてる、けど」
大輝はそっと呼吸を整えるように間を取った末に言った。
「ちょっとさ、ドライブしない?」
努めて明るさを足したとでもいうような声だった。デートの名目は問題ではない。それより大輝の思惑が知りたかったが、それを今追究することは得策ではないだろう。悦子はOKし、楽しみにしていると告げて電話を切った。
翌日、会社の近くで軽く夕飯を済ませた悦子は、車で迎えに来た大輝に拾われた。快適な運転に揺られながら、時折他愛のない話題を投げかけて大輝のご機嫌を窺う。当たり障りなく答えながらも、その笑顔には影が差し、大輝の心はどこか別のところにあるように思えてならなかった。
夜の湾岸線は何年ぶりだろう。まばらに灯のともった港にほの白く浮かび上がるベイブリッジを駆け抜け、観覧車の歌うようなネオンを眺める。その全てを背後に残し、人気のない海沿いの道で車は停まった。
右手は工場のような平たい建物。左手は並木に縁取られた遊歩道の向こうに腰の高さまで堤防がせり上がり、その先は海。どう見てもいわゆる横浜のデートスポットではなく、地元民のみぞ知る裏道といった風情だ。人も車も見当たらない。相手が大輝でなければ大いに警戒すべき状況だった。大輝は運転席で前を向いたまま、
「ちょっとね。話したいことがあって」
と言うと、車を降り、助手席のドアを開けた。外に出ると、少し冷たいけれど心地よい初冬の潮風が頬を撫でた。
堤防の際まで行くと、決意を秘めた瞳が向けられた。いよいよ別れを切り出されるのではという気がした。別れといっても、そもそも付き合ってすらいないのだが……。要するに、もう会わない、と言われるのだろうと身構える。しかし大輝は全く違う角度から切り出した。
「君に……知ってもらいたくて。俺がなぜ、こんな生活をしてるのか」
「こんな……生活?」
「なぜ一人と付き合わないのか。前にもちらっとは言ったけど」
その会話はすぐに思い出すことができた。
「たしか……中途半端な気持ちで一人と付き合うのは無理だって……」
「そう。今日は、それがなぜなのかを話したい」
悦子は息を詰め、耳を澄ませた。話というのが別れ話ではなかったことに安心すればよさそうなものだが、想定していたのと全く別の方角から放たれたそのテーマは、踏み込むことが憚られるような危うさを帯びていた。大輝との関係の終焉以上の危うさを。
どれぐらい待っただろう。悦子の視界の隅で、大輝の髪が風に揺れた時だった。
「忘れられない人がいる」
胸の奥から絞り出したような、それでいて端的な告白だった。それを聞いた瞬間、チクリとした胸の痛みはいつしか鉛の塊に変わり、永遠の十字架のようなその重みが悦子を押し潰さんばかりにのしかかった。それが自分自身ではなく大輝が負っているものであることを、悦子は認めるのが怖かった。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる