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第六章 大海の王者と魔導白書(グリモワール)

第十四話「ウミカゼ」

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大型船団で構成されるこの街は、移動できる特性を活かして季節ごとに場所を移動する。

それは寒さや飢えをしのぐ為の、生き物としての本能であるかのようだった。


歓楽街エゴイストの中央に位置するEsの塔。
来客用の部屋を準備されたアリスはひと時の安らぎを得ていた。

そう多くはない手荷物を無造作に置き、部屋の明かりもつけず開かれた窓から外を眺めている。

今日も月が大きい。
月明りはアリスの透き通る肌を一層白く照らし、少し憂いた表情が神秘さをより強調している。

これまでずっと側にいた黒猫はいない。

部屋の隅を凝視すれば、闇の中からスッと出てきてまた口うるさいことを言うのではないか。
そしてまた軽口を叩き、疲れて眠る……そんな気もした。

そんな毎日だった。
それが日常だった。

どんな事件に、戦乱に巻き込まれようとも、いつも一緒だった。

一緒に行動しなくなってまだ日も浅いが、もうずっと無くしたままの様な気がする。

「タロ様……」

アリスは昼間と異なり、1人になった今では自然と出る溜息を隠すこともなかった。

少女はこの街に足を踏み入れ、一筋縄ではいかない人物ばかりの中で、いかに自分の力が非力なのか思い知らされた。

力任せに技や魔法で消し去る事は容易い。
でも、根回しや駆け引き……知識や経験はやはり黒猫の主人に依存することが多かった。

それでも何とかこれたのは運と……出会いにも恵まれた。

女王が主催するゲームで何としてでもグリモワールを手に入れ、そしてこの力を主へ返したい……・

あの光輝く神の姿を、もう一度見れるなら、結果……私が朽ちて無くなろうとも……。

望みが満たせる本に手が届く一歩手前にある今、アリスの気持ちは一層大きくなった。

それが当の本人が望んだものでなくても……。



「タロ様ってのは……嬢ちゃんの想い人かい?」

部屋に吹き込む潮風がアリスの銀髪を揺らし、先ほどまで少し潤んでいた瞳が不埒な来訪者へ冷たく向けられる。

「ノックもせず淑女の部屋に押し入るとは、相変わらず品性の欠片もございませんね」

「月明りに照らされた嬢ちゃんが美しすぎてね。ついつい礼儀作法とやらを忘れちまったよ」

稀少な小動物の皮で作られたガウンに身を包み、グラスと酒瓶を持ってツェッペリンは部屋に入ってくる。
おもむろにグラスへ酒を注ぎ、窓際のアリスへ渡すと微かに表情が分かる距離まで下がり床に腰かける。

「なあ、嬢ちゃん。今回はあんたなりに危ない橋だったはずだ。そこまでして欲しい物なのか?そのグリモワールってのは?」

「……」

暖かな地域の海とは言え、しばらく潮風に晒された体に注がれた酒があたたかい。
スモークされた洋酒は口に入れる瞬間に香り、流し込む喉に適度な刺激を与える。

ツェッペリンはアリスに問いかけはするものの、返答を急かしはしなかった。
それは決して遠慮があっての事ではない。

女性の扱いを心得ている。

部屋への入り方も、手土産も、そのタイミングも。
手慣れているということなのだろう。

アリスはそんな主が絶対に行わない事を難なくこなす男に、不思議と不愉快な気持ちにはならなかった。

しばらく行動を共にして分かる人間もいる。
そんなキャラクターも含めて、この男の手なのだと理解している。

男はアリスの少なくなったグラスに追加の酒を注ぎ、その後は元の場所へは離れずに隣に立った。

アリスも不思議と距離は取らず、月明りに照らされた海をただずっと眺めていた。
そして少しの時間が経ち、少女は口を開く。

「想い人……そんな甘酸っぱいものではありません……。ただ御恩があるのです……私の命と引き換えにしても返さないといけない御恩が」

男は一言も発せず、ただ淡々と話す少女を横目に見ていた。

「ツェッペリン様こそ、ご家庭……とか」

途中まで言いかけて、アリスは初めてこの男に出会った時のことを思い出した。
あらゆる人種の美女をはべらせ、古今東西の珍品貴品で飾り立てる。

伴侶や家庭というキーワードが、あまりに似合わない。

「ククク……」

口ごもったアリスを見てツェッペリンは自嘲気味に笑う。
少女が何に気付き、何に気を遣ったのか手に取る様だったからだ。

アリスは慌てて話題を変えた。

「それにしても驚きました。あなたがあの様な提案をするとは……」

「提案って……ああ、俺様もゲームに参加するって事か?」


数刻前。


アリスが女王との交渉に成功した後、ツェッペリンは追加で自分のゲーム参加も申し出た。
もちろん最初は拒否した女王であったが、大富豪から出された条件を聞き何故か承諾した。

何かの切れ端に殴り書きしたものを女王へ投げてよこしたがその内容までは分からず、何を提案したのかは教えてもらえなかったが、明らかに二つの条件を提示していた様だった。

始めはここまで来て自分の邪魔をするつもりかと警戒したが、“悪いようにはしない”という言葉を、今は信用するしかなかった。


「私の目的を手伝うため……ではないでしょう?」

次はアリスが問いかける。

男は相変わらず何も語らず酒を飲み干した。

「商売だよ」

そう一言だけ告げると瓶に酒が残っているのを確認してツェッペリンは部屋を後にした。

相変わらず掴めない男だと、返答を諦めアリスは男の背に言葉を投げかけた。

「では……明日」

そのまま振り返らずツェッペリンも背中で返す。

「ああ……明日」


また一人になったアリスは両手でグラスを掴み、飲み干さず惜しむようにチビチビとお酒の味を楽しむ。

そういえば、これほど長い時間、他の男といたことなかったな……と。

少し強くなった潮風に身をゆだねていた。
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