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必死に同じ行為を繰り返す社の元に、華ちゃんと社長がやってきた。その後ろにはホテルの宿泊客らが不安げな様子で覗いている。どうやら、犬尾さんが人を呼んできてくれたらしい。サングラスで表情が読み取れなかったが、そこには立ち尽くす修の姿もあった。
「社くん、もう……」
だらりと力のない誠一さんの手首をしばらく持ったのち、華ちゃんが顔を伏せた。
「もう、大丈夫だから」
「そんな……」
濡れて身体に張り付いた衣類が冷えていく。寒さと、救えなかった脱力感から身体がぶるりと震えた。それは茉緒さんも同じだろう、身体の芯まで冷えているはずだ。けれどもはや寒さなど感じないほど混乱しているのか。すでに体温を失い、ただ冷えていくばかりの夫の身体にすがりながら、茉緒さんが悲しみの声を上げていた。
「なんで、この人は何もしていないのに、だって犯人は……」
なぜ誠一さんが、あろうことか女湯で溺死していたのか。果たしてこれは事故なのか、事件なのか。考えなければならないことはたくさんあるが、とりあえずは濡れた身体をどうにかしなければ、社も茉緒さんも風邪をひいてしまう。
「とりあえず、着替えて身体を暖めたほうがいいと思うわ」
同じく騒ぎを聞きつけて集まった佐倉さんの発言で、社は隣の男湯へ、茉緒さんは呆然とした状態の修や鶴野さんに支えられて、すぐ隣の真珠の間へと移動する。これでとりあえず茉緒さんは大丈夫だろう。
社は横たえられた誠一さんの身体にタオルを掛け、脱衣所へと向かう。濡れた礼服を脱ぎ捨て、脱衣所に置いてあるタオルで身体を拭いてやる。全身冷え切っていて寒かったけれど、いくら温かくても湯に浸かる気分にはならなかった。浸かったとたん、誠一さんのようになってしまうのではないか、という不安があったのもある。例えば、湯の底から手がニョキニョキと生えてきて、僕の足首を掴んで水中に引きずり込もうとするかもしれない。そうだ、誠一さんはそんな、恐ろしい何かによって命を奪われたのではないだろうか……。
「宮守君!」
ぼんやりと脳内でいらない想像をしていたら、いきなり声をかけられて思わず心臓が飛び出そうなほど驚いた。今日これで何度目か。おそらく寿命が相当縮んだに違いない。
「社長、急に声を掛けないでくださいよ!」
落ち着かない心臓をなだめながら振り返ると、そこには寿社長の姿があった。手になにやら白い布を持っている。
「急にじゃないぞ、ちっとも宮守君が気づかんから、ちと大きな声を出してみただけじゃ」
「それは、すみません。ちょっと考え事をしていて」
「ああ、誠一君がなぜ亡くなったか」
「え、ええ」
およそ社が想像していたのは現実的とは言い難いことばかりだったが、一方現場を確認していた華ちゃんと社長は何か手がかりを見つけたらしい。
「とにかく宮守君も早く着替えて隣に来てくれ」
「でも社長、僕着替え持ってきてないんですけど……」
「そうじゃと思っての、これを使ってくれ。君のお父上から預かっていたのをすっかり忘れておっての」
「父から?」
社の父親と寿社長、ついでに華ちゃんのお父さんの結城刑事は古くからの知人らしく、いい歳の今でも交流があるらしい。ゆえに社が寿不動産に就職できたといっても過言ではないのだが、けれど父がいったい社長に何を渡したというのだ。
半信半疑ながらそれを受け取り広げると、そこに現れたのは神職用の装束。
「なんでこんなもんを……」
水色の袴をしかめっ面で睨めば、
「こないだの酒の席で、うちの職場は副業オーケーじゃぞと言ったらの、じゃあ副業でいい、給料も出すから神職の仕事もするように言ってくれと泣きつかれてしまっての。なにしろ長男夫婦にお子さんができたそうじゃないか。それで、いつも頑張ってくれている二人には産休と育児休暇を与えてやりたいんじゃと、君のお父上は」
「育児休暇って」
一族経営の神社にそんなもんあるか、と思いつつ、家のことを一切兄夫婦に押し付けてる手前、社も強く出られない。さっさと家を出ればよいものの、一人暮らし出来るほど家事のスキルが高くないのは自覚しており(なぜだか米を研ぐと全部米粒が流れて行ってしまうのだ)、未だに実家に依存しているのでなおさらだ。確かに普段良くしてくれている兄嫁には、感謝してもしきれない。
けれど、それとこれとは話が別だ。
「社長、父に何を言われたか知りませんが、僕はやりませんからね」
「少し手伝うぐらいしたらいいじゃないか」
「嫌ですよ!」
「ふむ、頑なじゃのう。親孝行だと思ってやれば良いじゃろう」
「掃除とか準備とか経理とか、そういう裏方仕事なら僕だって手伝ってますよ。でもこんな格好までして表舞台に出るのは嫌なんです!」
「まあ、そこは宮守家で話し合ってくれたまえ。とりあえずは着替えはそれくらいしかないからの、さっさと着替えて隣に来るんじゃぞ」
そう言い残し社長がさっさと出て行ってしまったので、社もまさかタオル一枚で外に出るわけにもいかず渋々渡されたそれに袖を通す。着慣れぬ袴は足もとがスースーして、なんだか心許ない。よく女の子はスカートなんて履いてられるよな。感心しながら隣の女湯に向かえば、華ちゃんが警察犬よろしく何かを見つけたようだった。
「社くん、もう……」
だらりと力のない誠一さんの手首をしばらく持ったのち、華ちゃんが顔を伏せた。
「もう、大丈夫だから」
「そんな……」
濡れて身体に張り付いた衣類が冷えていく。寒さと、救えなかった脱力感から身体がぶるりと震えた。それは茉緒さんも同じだろう、身体の芯まで冷えているはずだ。けれどもはや寒さなど感じないほど混乱しているのか。すでに体温を失い、ただ冷えていくばかりの夫の身体にすがりながら、茉緒さんが悲しみの声を上げていた。
「なんで、この人は何もしていないのに、だって犯人は……」
なぜ誠一さんが、あろうことか女湯で溺死していたのか。果たしてこれは事故なのか、事件なのか。考えなければならないことはたくさんあるが、とりあえずは濡れた身体をどうにかしなければ、社も茉緒さんも風邪をひいてしまう。
「とりあえず、着替えて身体を暖めたほうがいいと思うわ」
同じく騒ぎを聞きつけて集まった佐倉さんの発言で、社は隣の男湯へ、茉緒さんは呆然とした状態の修や鶴野さんに支えられて、すぐ隣の真珠の間へと移動する。これでとりあえず茉緒さんは大丈夫だろう。
社は横たえられた誠一さんの身体にタオルを掛け、脱衣所へと向かう。濡れた礼服を脱ぎ捨て、脱衣所に置いてあるタオルで身体を拭いてやる。全身冷え切っていて寒かったけれど、いくら温かくても湯に浸かる気分にはならなかった。浸かったとたん、誠一さんのようになってしまうのではないか、という不安があったのもある。例えば、湯の底から手がニョキニョキと生えてきて、僕の足首を掴んで水中に引きずり込もうとするかもしれない。そうだ、誠一さんはそんな、恐ろしい何かによって命を奪われたのではないだろうか……。
「宮守君!」
ぼんやりと脳内でいらない想像をしていたら、いきなり声をかけられて思わず心臓が飛び出そうなほど驚いた。今日これで何度目か。おそらく寿命が相当縮んだに違いない。
「社長、急に声を掛けないでくださいよ!」
落ち着かない心臓をなだめながら振り返ると、そこには寿社長の姿があった。手になにやら白い布を持っている。
「急にじゃないぞ、ちっとも宮守君が気づかんから、ちと大きな声を出してみただけじゃ」
「それは、すみません。ちょっと考え事をしていて」
「ああ、誠一君がなぜ亡くなったか」
「え、ええ」
およそ社が想像していたのは現実的とは言い難いことばかりだったが、一方現場を確認していた華ちゃんと社長は何か手がかりを見つけたらしい。
「とにかく宮守君も早く着替えて隣に来てくれ」
「でも社長、僕着替え持ってきてないんですけど……」
「そうじゃと思っての、これを使ってくれ。君のお父上から預かっていたのをすっかり忘れておっての」
「父から?」
社の父親と寿社長、ついでに華ちゃんのお父さんの結城刑事は古くからの知人らしく、いい歳の今でも交流があるらしい。ゆえに社が寿不動産に就職できたといっても過言ではないのだが、けれど父がいったい社長に何を渡したというのだ。
半信半疑ながらそれを受け取り広げると、そこに現れたのは神職用の装束。
「なんでこんなもんを……」
水色の袴をしかめっ面で睨めば、
「こないだの酒の席で、うちの職場は副業オーケーじゃぞと言ったらの、じゃあ副業でいい、給料も出すから神職の仕事もするように言ってくれと泣きつかれてしまっての。なにしろ長男夫婦にお子さんができたそうじゃないか。それで、いつも頑張ってくれている二人には産休と育児休暇を与えてやりたいんじゃと、君のお父上は」
「育児休暇って」
一族経営の神社にそんなもんあるか、と思いつつ、家のことを一切兄夫婦に押し付けてる手前、社も強く出られない。さっさと家を出ればよいものの、一人暮らし出来るほど家事のスキルが高くないのは自覚しており(なぜだか米を研ぐと全部米粒が流れて行ってしまうのだ)、未だに実家に依存しているのでなおさらだ。確かに普段良くしてくれている兄嫁には、感謝してもしきれない。
けれど、それとこれとは話が別だ。
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「嫌ですよ!」
「ふむ、頑なじゃのう。親孝行だと思ってやれば良いじゃろう」
「掃除とか準備とか経理とか、そういう裏方仕事なら僕だって手伝ってますよ。でもこんな格好までして表舞台に出るのは嫌なんです!」
「まあ、そこは宮守家で話し合ってくれたまえ。とりあえずは着替えはそれくらいしかないからの、さっさと着替えて隣に来るんじゃぞ」
そう言い残し社長がさっさと出て行ってしまったので、社もまさかタオル一枚で外に出るわけにもいかず渋々渡されたそれに袖を通す。着慣れぬ袴は足もとがスースーして、なんだか心許ない。よく女の子はスカートなんて履いてられるよな。感心しながら隣の女湯に向かえば、華ちゃんが警察犬よろしく何かを見つけたようだった。
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