15 / 101
1964.8.15 東京駅 3
しおりを挟む
手を掴まれ、菅野の剣幕に圧倒されてしまった真理亜は、引っ張られるがままにざわめく人々の間を抜けていく。階段を駆け上がり、どこをどう走っていったのかわからないが、二人は改札を出て八重洲口の方へと出た。そうして息も絶え絶えに、菅野は駅舎の壁に身を持たれかけると、ずるずるとそのまま座り込んでしまった。
「ねえ、さっきのは……」
自分の身に何が起こったのかがさっぱりわからなかった。妙な浮遊感がまだ体に残っている。一体菅野は何をしたのだろう、それを知りたい一心で菅野に声を掛けようとすると、ひどく彼は苦しそうにしていた。
「菅野さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない、力を……なにか……食べるものをください……」
「食べ物?」
こんなところでランチ?しかもさっき不二家レストランで食べたばかりじゃない!そう真理亜は返そうとしたものの、あまりに菅野の様子が苦しそうだったので口をつぐむ。
「ねえ、大丈夫?どこか具合が悪いのなら、病院に――」
そりゃそうだ、あんなに炎の近くにいたんだもの。目に見えていなくても、例えば炎で肺の中を焼かれただとか、変なガスを吸いこんでしまった可能性もある。不安に駆られて真理亜が人を呼ぼうとすると、ぐいと手を引かれてしまった。
「大丈夫です、カロリー不足なだけだから、食べ物を……」
思っていたより強い力で腕を引かれ、真理亜は驚きに身体を強張らせてしまった。父親以外の男の人に触られるのはどうにも慣れない。それにしても、この人は今なんと言ったのかしら。
「カロリー不足?」
「エネルギーを使いすぎてしまって、人間がそれを補うには、食べ物から得るしかないんです」
とわけのわからないことを言い返される。だが、ひどく疲れている以外には、なにか怪我して苦しんでいたりするようでもない。それと、病院に連れて行く以外にどうしたらいいのかがわからなかったのもある。それを断られてしまったならば、真理亜は菅野の言うとおりに動くことぐらいしかできなかった。
「わ、わかったわ。食べ物を持って来ればいいのね?」
真理亜は八重洲口のキオスクへと向かった。駅弁やらお菓子やらを買ってきてみたものの、菅野はあっという間にそれらを平らげてしまい、まだ足りないと要求する。
あの細い身体のどこに、こんなに大量の食べ物が入るのだろう。真理亜は驚いて言葉もなかった。慌ててもう一度売店に行き、今度はさっきの倍の量を会計する。先ほどと同じ店員が、目を見開いているのが真理亜にもわかった。すごい大食いだとでも思われてたらどうしよう。
「あの、バスツアーのお客さん用なんです」
聞かれてもいないのに、言い訳じみたことを真理亜は言ってしまった。事実東京駅周辺には観光バスがたくさん停まっていたし、今着ている服も黄色いからそう見えるだろう。
何とか誤魔化して菅野の元に戻り、苦労して得た食料を菅野に与えると、どうにか彼の狂暴な腹の虫は収まってくれたらしい。はあ、と息を吐くと、「すみませんでした」と謝られた。「それに、たくさん走らせてしまって」
「走るのは得意だから大丈夫です。これでも高校は陸上部だったの」
得意げに答えて、真理亜は続けた。
「それより、助けていただいてありがとうございました。けれど、なんで火が弱まったんでしょう?それに、私、吹き飛ばされた気がしたんですけれど、なんともありませんでした」
「それは、その」
向けられる真理亜の視線から逃れるように、菅野は顔を伏せた。新品の白いポロシャツは、炎に舐められたのか黒く煤けている。
「それより、せっかく買っていただいたのに、汚してしまってすみません」
菅野がシャツの襟元をつまんで言った。
「そんなのはどうでもいいですわ、また買えばいいんですから。それより、何が起こったんですの?あの時」
誰も消火器を向けていなかった。だというのに、炎が収まった。彼が手を向けただけで。それと、一瞬だけどふわりと身体が浮いたあの感覚。あれは、真理亜の勘違いなどではなくて、本当に浮いたのではなかろうか。
「あれは……、なかったことにして下さい」
「なかったことに?」
「そうです。僕たちは、運よく助かったんです。それだけですよ」
「それだけって。そんな運だけで片付けられることじゃありませんわ。あの時、なにか菅野さんがしてくださったの?」
そうとしか思えなかった。じゃなきゃ普通、燃え盛る炎に向って行ったりなんてしないわ。あれは、助かる算段があったから、そうしたのではないか。あるいはそう、回転レストランのガラスが割れたときだって、いざとなれば何とかできる確信があったからこそ、身を挺して庇ってくれたのではないか。
「僕が何をしたって言うんですか」
「わからないわ……けど、例えば超能力とか、魔法とか……」
「何を馬鹿なことを。大学生にもなって、そんなものを信じてらっしゃるんですか?」
そう言う菅野の言葉にはなんだか棘があった。なにを子供じみたことを、そう言われている気がした。
「私だってそんなもの信じているわけではありません。あったら素敵だろうとは思うけれど……」
幼いころに読んだ、魔法物語。自由に不思議な力で炎や水を生み出す魔法使いに憧れた頃もある。けれど、そんな不思議な力を自分が持てると、今も信じるほど真理亜は子供ではない。
「これだけ科学技術が進歩しているんです。そんなもの、必要ないでしょう」
「でも……じゃあ、私たちが助かったのは、その化学技術のおかげなの?違うでしょう?何か不思議な力が働いたとしか」
「真理亜さん、もうやめましょう。恐らく説明したところで、あなたにはわからないと思います」
「わからないって、そんなの聞いて見なくちゃわからないじゃない」
「いえ、聞いてもわかりませんよ。だって僕だってわからないんですから」
ため息とともに言葉を吐き出し、菅野が立ち上がった。
「ねえ、さっきのは……」
自分の身に何が起こったのかがさっぱりわからなかった。妙な浮遊感がまだ体に残っている。一体菅野は何をしたのだろう、それを知りたい一心で菅野に声を掛けようとすると、ひどく彼は苦しそうにしていた。
「菅野さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない、力を……なにか……食べるものをください……」
「食べ物?」
こんなところでランチ?しかもさっき不二家レストランで食べたばかりじゃない!そう真理亜は返そうとしたものの、あまりに菅野の様子が苦しそうだったので口をつぐむ。
「ねえ、大丈夫?どこか具合が悪いのなら、病院に――」
そりゃそうだ、あんなに炎の近くにいたんだもの。目に見えていなくても、例えば炎で肺の中を焼かれただとか、変なガスを吸いこんでしまった可能性もある。不安に駆られて真理亜が人を呼ぼうとすると、ぐいと手を引かれてしまった。
「大丈夫です、カロリー不足なだけだから、食べ物を……」
思っていたより強い力で腕を引かれ、真理亜は驚きに身体を強張らせてしまった。父親以外の男の人に触られるのはどうにも慣れない。それにしても、この人は今なんと言ったのかしら。
「カロリー不足?」
「エネルギーを使いすぎてしまって、人間がそれを補うには、食べ物から得るしかないんです」
とわけのわからないことを言い返される。だが、ひどく疲れている以外には、なにか怪我して苦しんでいたりするようでもない。それと、病院に連れて行く以外にどうしたらいいのかがわからなかったのもある。それを断られてしまったならば、真理亜は菅野の言うとおりに動くことぐらいしかできなかった。
「わ、わかったわ。食べ物を持って来ればいいのね?」
真理亜は八重洲口のキオスクへと向かった。駅弁やらお菓子やらを買ってきてみたものの、菅野はあっという間にそれらを平らげてしまい、まだ足りないと要求する。
あの細い身体のどこに、こんなに大量の食べ物が入るのだろう。真理亜は驚いて言葉もなかった。慌ててもう一度売店に行き、今度はさっきの倍の量を会計する。先ほどと同じ店員が、目を見開いているのが真理亜にもわかった。すごい大食いだとでも思われてたらどうしよう。
「あの、バスツアーのお客さん用なんです」
聞かれてもいないのに、言い訳じみたことを真理亜は言ってしまった。事実東京駅周辺には観光バスがたくさん停まっていたし、今着ている服も黄色いからそう見えるだろう。
何とか誤魔化して菅野の元に戻り、苦労して得た食料を菅野に与えると、どうにか彼の狂暴な腹の虫は収まってくれたらしい。はあ、と息を吐くと、「すみませんでした」と謝られた。「それに、たくさん走らせてしまって」
「走るのは得意だから大丈夫です。これでも高校は陸上部だったの」
得意げに答えて、真理亜は続けた。
「それより、助けていただいてありがとうございました。けれど、なんで火が弱まったんでしょう?それに、私、吹き飛ばされた気がしたんですけれど、なんともありませんでした」
「それは、その」
向けられる真理亜の視線から逃れるように、菅野は顔を伏せた。新品の白いポロシャツは、炎に舐められたのか黒く煤けている。
「それより、せっかく買っていただいたのに、汚してしまってすみません」
菅野がシャツの襟元をつまんで言った。
「そんなのはどうでもいいですわ、また買えばいいんですから。それより、何が起こったんですの?あの時」
誰も消火器を向けていなかった。だというのに、炎が収まった。彼が手を向けただけで。それと、一瞬だけどふわりと身体が浮いたあの感覚。あれは、真理亜の勘違いなどではなくて、本当に浮いたのではなかろうか。
「あれは……、なかったことにして下さい」
「なかったことに?」
「そうです。僕たちは、運よく助かったんです。それだけですよ」
「それだけって。そんな運だけで片付けられることじゃありませんわ。あの時、なにか菅野さんがしてくださったの?」
そうとしか思えなかった。じゃなきゃ普通、燃え盛る炎に向って行ったりなんてしないわ。あれは、助かる算段があったから、そうしたのではないか。あるいはそう、回転レストランのガラスが割れたときだって、いざとなれば何とかできる確信があったからこそ、身を挺して庇ってくれたのではないか。
「僕が何をしたって言うんですか」
「わからないわ……けど、例えば超能力とか、魔法とか……」
「何を馬鹿なことを。大学生にもなって、そんなものを信じてらっしゃるんですか?」
そう言う菅野の言葉にはなんだか棘があった。なにを子供じみたことを、そう言われている気がした。
「私だってそんなもの信じているわけではありません。あったら素敵だろうとは思うけれど……」
幼いころに読んだ、魔法物語。自由に不思議な力で炎や水を生み出す魔法使いに憧れた頃もある。けれど、そんな不思議な力を自分が持てると、今も信じるほど真理亜は子供ではない。
「これだけ科学技術が進歩しているんです。そんなもの、必要ないでしょう」
「でも……じゃあ、私たちが助かったのは、その化学技術のおかげなの?違うでしょう?何か不思議な力が働いたとしか」
「真理亜さん、もうやめましょう。恐らく説明したところで、あなたにはわからないと思います」
「わからないって、そんなの聞いて見なくちゃわからないじゃない」
「いえ、聞いてもわかりませんよ。だって僕だってわからないんですから」
ため息とともに言葉を吐き出し、菅野が立ち上がった。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる