1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.8.15 東京駅 3

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 手を掴まれ、菅野の剣幕に圧倒されてしまった真理亜は、引っ張られるがままにざわめく人々の間を抜けていく。階段を駆け上がり、どこをどう走っていったのかわからないが、二人は改札を出て八重洲口の方へと出た。そうして息も絶え絶えに、菅野は駅舎の壁に身を持たれかけると、ずるずるとそのまま座り込んでしまった。
「ねえ、さっきのは……」
 自分の身に何が起こったのかがさっぱりわからなかった。妙な浮遊感がまだ体に残っている。一体菅野は何をしたのだろう、それを知りたい一心で菅野に声を掛けようとすると、ひどく彼は苦しそうにしていた。
「菅野さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない、力を……なにか……食べるものをください……」
「食べ物?」
 こんなところでランチ?しかもさっき不二家レストランで食べたばかりじゃない!そう真理亜は返そうとしたものの、あまりに菅野の様子が苦しそうだったので口をつぐむ。
「ねえ、大丈夫?どこか具合が悪いのなら、病院に――」
 そりゃそうだ、あんなに炎の近くにいたんだもの。目に見えていなくても、例えば炎で肺の中を焼かれただとか、変なガスを吸いこんでしまった可能性もある。不安に駆られて真理亜が人を呼ぼうとすると、ぐいと手を引かれてしまった。
「大丈夫です、カロリー不足なだけだから、食べ物を……」
 思っていたより強い力で腕を引かれ、真理亜は驚きに身体を強張らせてしまった。父親以外の男の人に触られるのはどうにも慣れない。それにしても、この人は今なんと言ったのかしら。
「カロリー不足?」
「エネルギーを使いすぎてしまって、人間がそれを補うには、食べ物から得るしかないんです」
 とわけのわからないことを言い返される。だが、ひどく疲れている以外には、なにか怪我して苦しんでいたりするようでもない。それと、病院に連れて行く以外にどうしたらいいのかがわからなかったのもある。それを断られてしまったならば、真理亜は菅野の言うとおりに動くことぐらいしかできなかった。
「わ、わかったわ。食べ物を持って来ればいいのね?」
 真理亜は八重洲口のキオスクへと向かった。駅弁やらお菓子やらを買ってきてみたものの、菅野はあっという間にそれらを平らげてしまい、まだ足りないと要求する。
 あの細い身体のどこに、こんなに大量の食べ物が入るのだろう。真理亜は驚いて言葉もなかった。慌ててもう一度売店に行き、今度はさっきの倍の量を会計する。先ほどと同じ店員が、目を見開いているのが真理亜にもわかった。すごい大食いだとでも思われてたらどうしよう。
「あの、バスツアーのお客さん用なんです」
    聞かれてもいないのに、言い訳じみたことを真理亜は言ってしまった。事実東京駅周辺には観光バスがたくさん停まっていたし、今着ている服も黄色いからそう見えるだろう。
    何とか誤魔化して菅野の元に戻り、苦労して得た食料を菅野に与えると、どうにか彼の狂暴な腹の虫は収まってくれたらしい。はあ、と息を吐くと、「すみませんでした」と謝られた。「それに、たくさん走らせてしまって」
「走るのは得意だから大丈夫です。これでも高校は陸上部だったの」
 得意げに答えて、真理亜は続けた。
「それより、助けていただいてありがとうございました。けれど、なんで火が弱まったんでしょう?それに、私、吹き飛ばされた気がしたんですけれど、なんともありませんでした」
「それは、その」
 向けられる真理亜の視線から逃れるように、菅野は顔を伏せた。新品の白いポロシャツは、炎に舐められたのか黒く煤けている。
「それより、せっかく買っていただいたのに、汚してしまってすみません」
 菅野がシャツの襟元をつまんで言った。
「そんなのはどうでもいいですわ、また買えばいいんですから。それより、何が起こったんですの?あの時」
 誰も消火器を向けていなかった。だというのに、炎が収まった。彼が手を向けただけで。それと、一瞬だけどふわりと身体が浮いたあの感覚。あれは、真理亜の勘違いなどではなくて、本当に浮いたのではなかろうか。
「あれは……、なかったことにして下さい」
「なかったことに?」
「そうです。僕たちは、運よく助かったんです。それだけですよ」
「それだけって。そんな運だけで片付けられることじゃありませんわ。あの時、なにか菅野さんがしてくださったの?」
 そうとしか思えなかった。じゃなきゃ普通、燃え盛る炎に向って行ったりなんてしないわ。あれは、助かる算段があったから、そうしたのではないか。あるいはそう、回転レストランのガラスが割れたときだって、いざとなれば何とかできる確信があったからこそ、身を挺して庇ってくれたのではないか。
「僕が何をしたって言うんですか」
「わからないわ……けど、例えば超能力とか、魔法とか……」
「何を馬鹿なことを。大学生にもなって、そんなものを信じてらっしゃるんですか?」
 そう言う菅野の言葉にはなんだか棘があった。なにを子供じみたことを、そう言われている気がした。
「私だってそんなもの信じているわけではありません。あったら素敵だろうとは思うけれど……」
 幼いころに読んだ、魔法物語。自由に不思議な力で炎や水を生み出す魔法使いに憧れた頃もある。けれど、そんな不思議な力を自分が持てると、今も信じるほど真理亜は子供ではない。
「これだけ科学技術が進歩しているんです。そんなもの、必要ないでしょう」
「でも……じゃあ、私たちが助かったのは、その化学技術のおかげなの?違うでしょう?何か不思議な力が働いたとしか」
「真理亜さん、もうやめましょう。恐らく説明したところで、あなたにはわからないと思います」
「わからないって、そんなの聞いて見なくちゃわからないじゃない」
「いえ、聞いてもわかりませんよ。だって僕だってわからないんですから」
 ため息とともに言葉を吐き出し、菅野が立ち上がった。
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