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1964.9.5 八丁堀 3
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「お金のことで、社長に無理を言ってしまったのを怒って来たんですか?」
振り返らずに菅野が言った。真理亜が迷った道を難なく早足に通り抜け、入り口の門を通り抜ける。先ほど真理亜を通してくれた警備員が驚いた顔をしていた。確かに菅野が父親じゃあ驚くだろう。歳が近すぎる。
そのまま足をすすめて、小さな公園でようやく菅野が足を止めた。先ほど真理亜とメグが打ち合わせをした公園だ。ならばどこかに彼女はいるはずだったが、どうやらうまく隠れたのか、それとも他の場所で時間をつぶしているのか、姿を見つけることはできなかった。
「そうじゃないんです、父から、もう菅野さんは私とは会いたくないと聞かされて。私のことが嫌いになってしまったのかもって思って。もしそうじゃないなら、菅野さんが困っていらっしゃるようなら、私もお力になれればって……」
返す言葉はどんどんと小さくなってしまった。もう、菅野さんの前から消えて無くなってしまいたい。かといってここで急に走って逃げていくわけにもいかず、真理亜は弁当の包みを両手でつかみ、ベンチに腰掛け身を縮こまらせた。
「そういうわけではないんです」
今にも泣きそうな真理亜を、あやすような声で菅野が早口に言った。
「真理亜さん、貴女はとても素晴らしい方だと思います。貴女には本当に良くしてもらいましたし、嫌いになるなんてことはありません。僕の力だって、気味悪がらずに接してくれた。社長に寄付を依頼して断られてしまったからと言って、貴女を嫌いになるはずがありません。むしろ、変なことを言ってしまって、僕は嫌われても仕方がないと」
「そんなこと!」
そう言われて、真理亜は思わずベンチから飛び上がった。「私が菅野さんのことを嫌いになるだなんてことはありませんわ。……ただ、何のためにそんなにお金が必要なのかくらいは教えてくださってもとは思いましたけれど」
「それは……」
「でも、菅野さんがそのお金をなにか悪いことに使うだなんて思えませんわ。お友だちが困ってらっしゃるのなら、本当は私が寄付出来れば良かったのだけれど……」
「いえ、自分でも無理を言ってしまって申し訳なかったと思うんです。寄付の話は聞かなかったことにしてください」
「でもお困りなんでしょう?本当に必要なら、私も働くわ、働いてお金を稼げば」
「今まで働いたことのないお嬢様が、急に稼げるわけもないでしょう。それに真理亜さんくらいの女性の給料をご存知ですか?」
真理亜が知るわけもなかった。
「都内のビジネスガールで、稼げて月に二万円程度ですよ」
「二万円?」
それじゃあ、菅野が必要だという一千万円を稼ぐには何年かかるのだろうか。真理亜は肩を落としてしまった。
「大丈夫です、お金のことはこちらで何とかしますから。変なことを言ってすみません。社長にも申し訳ないことをしてしまいました。お詫びの旨を伝えていただけるとありがたいのですが」
そういう声はひどく低くて、ぜんぜん大丈夫そうには真理亜には見えなかった。
「でも、困ってるんでしょう?なにか私でも役に立てれば――」
「いえ、大丈夫です」
心配して真理亜はたたみかけるが、菅野はもう金の話はなかったことにしてほしい、の一点張りだった。
「……それに僕が真理亜さんと距離を置こうと思ったのは、もしかしたらあなたを、危険な目に巻き込んでしまう可能性があるからなんです」
「危険な目?」
うつむき、菅野がそう呟いた時だった。風が吹いて、公園内の樹木が揺れた。ざわざわという葉と枝がすれ合う音が聞こえたと思ったら、今度はパチパチと、何かが爆ぜるような音が聞こえてきた。
「……何の音かしら?」
怪訝そうに真理亜が辺りを見渡すが特に変わった様子もない。一つ挙げるならば、先の強風でか、鳩たちが一斉に羽ばたいてしまったくらいか。確かに風に身を任せた方が飛びやすかろう、などと呑気に真理亜が思っていると、なんだか頭の方が暑いような気がした。
頭上の暑い空気が気になって、真理亜は空を仰いだ。木々の隙間から青空が見えるはずだったそこには、メラメラと炎を纏った、桜の木の姿があった。
いったいどういうこと?なんで木が燃えているの?しかも上の方から――。
振り返らずに菅野が言った。真理亜が迷った道を難なく早足に通り抜け、入り口の門を通り抜ける。先ほど真理亜を通してくれた警備員が驚いた顔をしていた。確かに菅野が父親じゃあ驚くだろう。歳が近すぎる。
そのまま足をすすめて、小さな公園でようやく菅野が足を止めた。先ほど真理亜とメグが打ち合わせをした公園だ。ならばどこかに彼女はいるはずだったが、どうやらうまく隠れたのか、それとも他の場所で時間をつぶしているのか、姿を見つけることはできなかった。
「そうじゃないんです、父から、もう菅野さんは私とは会いたくないと聞かされて。私のことが嫌いになってしまったのかもって思って。もしそうじゃないなら、菅野さんが困っていらっしゃるようなら、私もお力になれればって……」
返す言葉はどんどんと小さくなってしまった。もう、菅野さんの前から消えて無くなってしまいたい。かといってここで急に走って逃げていくわけにもいかず、真理亜は弁当の包みを両手でつかみ、ベンチに腰掛け身を縮こまらせた。
「そういうわけではないんです」
今にも泣きそうな真理亜を、あやすような声で菅野が早口に言った。
「真理亜さん、貴女はとても素晴らしい方だと思います。貴女には本当に良くしてもらいましたし、嫌いになるなんてことはありません。僕の力だって、気味悪がらずに接してくれた。社長に寄付を依頼して断られてしまったからと言って、貴女を嫌いになるはずがありません。むしろ、変なことを言ってしまって、僕は嫌われても仕方がないと」
「そんなこと!」
そう言われて、真理亜は思わずベンチから飛び上がった。「私が菅野さんのことを嫌いになるだなんてことはありませんわ。……ただ、何のためにそんなにお金が必要なのかくらいは教えてくださってもとは思いましたけれど」
「それは……」
「でも、菅野さんがそのお金をなにか悪いことに使うだなんて思えませんわ。お友だちが困ってらっしゃるのなら、本当は私が寄付出来れば良かったのだけれど……」
「いえ、自分でも無理を言ってしまって申し訳なかったと思うんです。寄付の話は聞かなかったことにしてください」
「でもお困りなんでしょう?本当に必要なら、私も働くわ、働いてお金を稼げば」
「今まで働いたことのないお嬢様が、急に稼げるわけもないでしょう。それに真理亜さんくらいの女性の給料をご存知ですか?」
真理亜が知るわけもなかった。
「都内のビジネスガールで、稼げて月に二万円程度ですよ」
「二万円?」
それじゃあ、菅野が必要だという一千万円を稼ぐには何年かかるのだろうか。真理亜は肩を落としてしまった。
「大丈夫です、お金のことはこちらで何とかしますから。変なことを言ってすみません。社長にも申し訳ないことをしてしまいました。お詫びの旨を伝えていただけるとありがたいのですが」
そういう声はひどく低くて、ぜんぜん大丈夫そうには真理亜には見えなかった。
「でも、困ってるんでしょう?なにか私でも役に立てれば――」
「いえ、大丈夫です」
心配して真理亜はたたみかけるが、菅野はもう金の話はなかったことにしてほしい、の一点張りだった。
「……それに僕が真理亜さんと距離を置こうと思ったのは、もしかしたらあなたを、危険な目に巻き込んでしまう可能性があるからなんです」
「危険な目?」
うつむき、菅野がそう呟いた時だった。風が吹いて、公園内の樹木が揺れた。ざわざわという葉と枝がすれ合う音が聞こえたと思ったら、今度はパチパチと、何かが爆ぜるような音が聞こえてきた。
「……何の音かしら?」
怪訝そうに真理亜が辺りを見渡すが特に変わった様子もない。一つ挙げるならば、先の強風でか、鳩たちが一斉に羽ばたいてしまったくらいか。確かに風に身を任せた方が飛びやすかろう、などと呑気に真理亜が思っていると、なんだか頭の方が暑いような気がした。
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