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1964.10.8 小石川 2
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そのセリフに、キョトンとしたのは真理亜の方だった。「やっぱり、先生ではいらっしゃらなかったのね?けれどなぜあの時……」
「あれはね、多分栄二君が気を利かせたんだと思うわ」
思わず考え込んでしまった真理亜に、小百合が声を掛けた。
「英紀君、自分の素性をあなたに知られたくなかったみたいだから、それで。私も合わせてあげたの」
そう言って小百合が微笑んだ。
「昔の私も知らなかった過酷な世界を、彼らは生き抜いてきたのよ」
「過酷な世界?」
私の知らない、菅野さんの姿。それを知るのは怖いような気もした。
「本人が言いたくないのを、私が話しちゃうのはフェアじゃないけれど……」そう前置きして小百合は続けた。
「栄二君もそうなんだけど、彼らはもともと戦争孤児だったの。戦争で両親を亡くして、浮浪者のように生きてきた。それを保護したのが私たち」
「浮浪者……」
真理亜の脳裏に、二人で銀座を歩いた時のことが蘇った。あの時、汚らしい格好のおじいさんが道に座り込んでた。てっきりそれに気分を害して、菅野さんはあんな顔をしたのだと思ったけれど。
あれは違かったのだ。真理亜はようやく気が付いた。かつての自分に、あのおじいさんを重ねたんだわ。
それを私、こんなきれいな街にいることなんてないのに、余計みすぼらしいだけだなんて言ってしまった。
小百合さんは、僕にとっても母親のようなものなんです。そう話しかけた菅野の横顔が浮かんだ。隅田川のほとりで、それでも彼は自分の生い立ちを話そうとしてくれた。こんな、何も知らない、不躾な私に。
「きっと、あなたは知らないと思う。そういう世界とは無縁で、きれいな世界で生きてきたでしょう」
「……はい。私、ぜんぜん知らなかった。何も知らなかった」
「私もそうだったわ。でも、一度知ってしまった以上、見て見ぬふりをすることはできなかった。今私の力を役立てないで、何に使うのって思ったの」
「力……」
「たまたま財閥の娘として生を受けたんだもの。使えるものは使わないと」
そう笑って、けれど一変沈んだ顔をして小百合は唇を開いた。
「けれどそれもここまで。栄二君や英紀君の過ごしたあの家は、もうないの」
「孤児院が、閉鎖されたってことですか?」
「そう。私の力が及ばなかったばかりに」
もしかして。真理亜は気が付いた。菅野さんがお金が必要だったのは、閉鎖してしまった孤児院の為だったんだわ。
ああ、なんで素直に言ってくれなかったのかしら!
真理亜は内心憤ったが、けれど彼の口から自分はかつて孤児で、浮浪者のように生きていたと言われて、どんな反応をしただろうか。あの時と同じように思ってやしまわなかっただろうか。
「……以前、菅野さんが私の父にお金が欲しいと、寄付をしてほしいとおっしゃったことがありました」
真理亜はゆっくりと言葉を発した。「けれどそれを何に使うのかは教えて下さらなかった。そして、今度は私の元に、『愛する人を守りたければ、金を用意して開会式に来い』という内容の脅迫状が届いたのです」
「脅迫状ですって?もしかして、貴女のお家を爆破して、貴女を狙っていた犯人から?」
「……わかりません。父は、すべては菅野さんの自作自演だって言うんです。犯人から私を守れば、犯人にやるはずだった金をそっくりそのままくれてやると父は菅野さんに言いました。けれどもし犯人が菅野さんだったら、自分で自分を捕まえるわけにもいかないだろう、だから矛先を私から、さも自分が犯人に捕まったように見せて、お金を手に入れようとしたのだと」
「あの真面目な英紀が、そんなこと思いつくとは思わないけどね。しかも開会式ってアレだろ、オリンピックの」
思わずツネが口を挟んだのに真理亜は大きくうなずくと、「ええ、そうです。私もそう思いました。だからきっと、菅野さんは本当の犯人に捕まったんだと。そして、今朝私のうちの周りをうろつく怪しい人物を見かけたんです」
「きっと、そいつが英紀をさらったんだね?」
「私もそう思いました。けれどその怪しい男が、大月さんだったんです」
「栄二君が?」
「何かの間違いじゃないかね」
「一度お会いしただけですし、遠目で見ただけなので絶対とは言えません。けれど、体格もそっくりでしたし、目が合って彼は慌てて逃げ出したんです。きっと、私と一度会ったことがあるから、ばれるとマズイって思ったんだわ。それに、彼からはピースという煙草の匂いがしたと聞きました。大月さんも、その煙草を吸っていらしたわ」
「けれど、それだけじゃねえ。栄二のやつはまあ、悪知恵の働くやつだけれど、そんなことするだなんて……」
「それで、きっと大月さんが菅野さんを連れ出して、それを餌にお金を要求したんだと思って……」
少し気まずそうに真理亜が言った。「だって、菅野さんがそんなことするだなんて私には思えなかったから」
「あれはね、多分栄二君が気を利かせたんだと思うわ」
思わず考え込んでしまった真理亜に、小百合が声を掛けた。
「英紀君、自分の素性をあなたに知られたくなかったみたいだから、それで。私も合わせてあげたの」
そう言って小百合が微笑んだ。
「昔の私も知らなかった過酷な世界を、彼らは生き抜いてきたのよ」
「過酷な世界?」
私の知らない、菅野さんの姿。それを知るのは怖いような気もした。
「本人が言いたくないのを、私が話しちゃうのはフェアじゃないけれど……」そう前置きして小百合は続けた。
「栄二君もそうなんだけど、彼らはもともと戦争孤児だったの。戦争で両親を亡くして、浮浪者のように生きてきた。それを保護したのが私たち」
「浮浪者……」
真理亜の脳裏に、二人で銀座を歩いた時のことが蘇った。あの時、汚らしい格好のおじいさんが道に座り込んでた。てっきりそれに気分を害して、菅野さんはあんな顔をしたのだと思ったけれど。
あれは違かったのだ。真理亜はようやく気が付いた。かつての自分に、あのおじいさんを重ねたんだわ。
それを私、こんなきれいな街にいることなんてないのに、余計みすぼらしいだけだなんて言ってしまった。
小百合さんは、僕にとっても母親のようなものなんです。そう話しかけた菅野の横顔が浮かんだ。隅田川のほとりで、それでも彼は自分の生い立ちを話そうとしてくれた。こんな、何も知らない、不躾な私に。
「きっと、あなたは知らないと思う。そういう世界とは無縁で、きれいな世界で生きてきたでしょう」
「……はい。私、ぜんぜん知らなかった。何も知らなかった」
「私もそうだったわ。でも、一度知ってしまった以上、見て見ぬふりをすることはできなかった。今私の力を役立てないで、何に使うのって思ったの」
「力……」
「たまたま財閥の娘として生を受けたんだもの。使えるものは使わないと」
そう笑って、けれど一変沈んだ顔をして小百合は唇を開いた。
「けれどそれもここまで。栄二君や英紀君の過ごしたあの家は、もうないの」
「孤児院が、閉鎖されたってことですか?」
「そう。私の力が及ばなかったばかりに」
もしかして。真理亜は気が付いた。菅野さんがお金が必要だったのは、閉鎖してしまった孤児院の為だったんだわ。
ああ、なんで素直に言ってくれなかったのかしら!
真理亜は内心憤ったが、けれど彼の口から自分はかつて孤児で、浮浪者のように生きていたと言われて、どんな反応をしただろうか。あの時と同じように思ってやしまわなかっただろうか。
「……以前、菅野さんが私の父にお金が欲しいと、寄付をしてほしいとおっしゃったことがありました」
真理亜はゆっくりと言葉を発した。「けれどそれを何に使うのかは教えて下さらなかった。そして、今度は私の元に、『愛する人を守りたければ、金を用意して開会式に来い』という内容の脅迫状が届いたのです」
「脅迫状ですって?もしかして、貴女のお家を爆破して、貴女を狙っていた犯人から?」
「……わかりません。父は、すべては菅野さんの自作自演だって言うんです。犯人から私を守れば、犯人にやるはずだった金をそっくりそのままくれてやると父は菅野さんに言いました。けれどもし犯人が菅野さんだったら、自分で自分を捕まえるわけにもいかないだろう、だから矛先を私から、さも自分が犯人に捕まったように見せて、お金を手に入れようとしたのだと」
「あの真面目な英紀が、そんなこと思いつくとは思わないけどね。しかも開会式ってアレだろ、オリンピックの」
思わずツネが口を挟んだのに真理亜は大きくうなずくと、「ええ、そうです。私もそう思いました。だからきっと、菅野さんは本当の犯人に捕まったんだと。そして、今朝私のうちの周りをうろつく怪しい人物を見かけたんです」
「きっと、そいつが英紀をさらったんだね?」
「私もそう思いました。けれどその怪しい男が、大月さんだったんです」
「栄二君が?」
「何かの間違いじゃないかね」
「一度お会いしただけですし、遠目で見ただけなので絶対とは言えません。けれど、体格もそっくりでしたし、目が合って彼は慌てて逃げ出したんです。きっと、私と一度会ったことがあるから、ばれるとマズイって思ったんだわ。それに、彼からはピースという煙草の匂いがしたと聞きました。大月さんも、その煙草を吸っていらしたわ」
「けれど、それだけじゃねえ。栄二のやつはまあ、悪知恵の働くやつだけれど、そんなことするだなんて……」
「それで、きっと大月さんが菅野さんを連れ出して、それを餌にお金を要求したんだと思って……」
少し気まずそうに真理亜が言った。「だって、菅野さんがそんなことするだなんて私には思えなかったから」
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