1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 東京タワー 223メートル 2

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 悔しい、という気持ちと共に、真理亜は悲しみが胸に広がるのを感じた。母の祖国がしたことは、確かに許されることではないのだろう。歴史の授業で軽く触れた程度の第二次世界大戦。けれどそれは自分とは関係ないとどこかで思っていた。すでに終わったことだ、そんな恐ろしい過去のことなど見る余裕があるなら、これからの輝かしい未来に目を向けたほうがずっと有意義だ、そうとすら思っていた。
 だが、この目の前の男の中では、それは過去のことではないのだ。未だに過去に足を囚われて、未来を呪っている。孤児院がオリンピックを理由に閉鎖されたのは、あんまりだと真理亜だって思う。菅野さんが何としてでもお金が欲しかった理由が今ならわかる。
 けれど、それとこれとは話が別だ。この男は、それを理由に、過去の恨みをただ晴らしたいだけじゃない。
だがそれほどに、あの戦争は彼を闇に取り込んでしまったのだ。
「お前みたいなのがいるから、この国はすっかりダメになっちまったんだ。戦争なんて知りません、関係ありません。たった二十年前の出来事だ。焼野原で必死に生き抜いた人間たちがようやく生み出したものを、我が物顔で奪っていく。そして、何の苦労もせずに、すべてを手にしたような気になっている」
 そう言って、男が再び黒い塊のようなものを空に投げた。こつん、とアンテナに当たったそれが爆破して、ドンと大きな音が鳴り響いた。
「よし、これなら大丈夫そうだ」
 胸ポケットから取り出した図面を広げ、男が空を見上げて言った。
「あとは、衛星放送だ」
 男が、肩から掛けた水筒に手を伸ばした。まさか優雅にお茶でも飲むつもりかしら。訝しげに真理亜がその様子をうかがっていると、男はやおらライターに火を灯し、水筒へと近づけるではないか。
「何をするつもりなの?」
「見てのとおりだ、ダイナマイトに火を点けて、あれを壊す」
 男の視線の先には、一際大きいパラボランテナがあった。今までのアンテナがシメジなら、あれはシイタケだ。笠を大きく広げたそれは、国立競技場からのデータを受け取って、宇宙に浮かんでいる衛星に画像データを送る役割をしているはずだった。
「そんなこと……」させないわ、そう言いたかったけれど、真理亜には男を止める手立てはない。あの水筒をどうにかして奪い取る?幸い手足は自由だ。不意を突いて、あの忌まわしい爆弾を男から奪えば。
 だが、しっかりと肩に掛けられたそれを取るのは容易ではなく、万一失敗でもしようものなら、いったいどうなってしまうか真理亜は想像したくなかった。力でかなうはずもない。腕を掴まれて、そのままここから突き落とされでもしたら。
 真理亜がじりじりと、男の挙動を見守るしか出来ないでいると、
「矢野、やめるんだ!」
 と息も絶え絶えに、体力をふりしぼってここまで来たのだろう、必死の形相を浮かべた菅野が現れた。
よくもまあ、こんなところまで追いかけてきてくれたわ。真理亜は感動した。確か菅野さんは、高いところが苦手だと言っていた。
「菅野さん!」
 へたり込んでいた腰を上げて、真理亜は声のする方へと向おうとした。だが男に制され、近づくこともままならない。
「俺の邪魔をするなと何度も言っただろう?せっかく白百合の家の為に、俺がこうして金を手に入れてやったんだ。感謝こそすれ、なぜ邪魔をする?」
「白百合の家の為なら、何をしたっていいと思っているのか?」
 ごう、と強く吹く風にあおられながらも、菅野が必死に叫んだ。だがその声は、矢野には届かない。
「同じことを聞いてやろう。オリンピックの為なら、何をしたっていいと思っているのか?そう言っていたのはお前だろう、菅野」
「それは……」
 矢野の言葉に、菅野がうつむいた。
「オリンピックも戦争も変わらないと、小百合さんに言ってたじゃないか。忘れただなんて言わせないぜ。だがお前の発言は確かに的を射ている。オリンピックの為に、何人の人間が犠牲になった?白百合の家だけじゃない、開催に間に合わせろと無茶な注文を付けられて、何人工夫が死んだと思っている?」
 知らなかった。だって、ニュースでもやっていなかった。
まるで魔法のように現れた競技場や武道館、モノレールや東海新幹線。それらが多くの犠牲の上に成り立っていただなんて。真理亜はこぶしを握った。それを呑気に、私は確かに浮かれていたわ。この新しい日本は自分のものなんだと。
「そうさ、結局きれいごとを抜かしたって、誰かを犠牲にしなければ成り立たないのがこの国だ。腐った屍をきれいに覆い隠して、その上でのうのうと胡坐をかいているのがお前たちさ」
 返す言葉を失った二人を見て、矢野が口の端を上げてにやりと笑った。それは友人であったはずの菅野さえ、知らない表情だった。
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