悪い冗談

鷲野ユキ

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指名手配

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「ごめんなさい、ありがとう。おかげで助かっちゃった」

 そう笑顔で言われれば、悪い気はしない。たとえ急に仕事を振られて、しかも一時間で完成させろ、と無理難題を振られても、だ。

「やっぱりここで一番頼りになるのは、スパロウホーク先輩ですよね」

 不快なあだ名で呼ばれ、顔をしかめる私。

「でも一番いざって時にすごいのは黒川さんですよね、やっぱり本職の刑事さんが来たって、皆さん喜んでくれてたし」

 その隣では、黒川刑事がデレデレと鼻の下を伸ばしている。

 つい先日のことだった。年の瀬が近づく十二月の中旬。なんでも歳末防犯キャンペーンだかなんだかで、各家庭をまわって、防犯案内をする役を小野嬢が請け負うこととなっていたらしい。
 のだが、何がそんなに忙しいのか、前日になって配るビラはできていないだの、やっぱり一人じゃ不安だのと泣きつかれたのが、ちょうど休憩所に居合わせた私と黒川刑事だったのだ。

「でも、ひどいよなあ。担当を回されたのが一週間前だろ?しかも一人でやれだなんて」

 黒川刑事の方はすっかり信じ切っているようだが、はたしてどうだか。小野嬢曰く、仕事を割り振られたのが一週間前だった、とのことらしい。

「そうなんですよぉ。主事が忘れてたらしくて……」

 そう返す小野さんの声はいつもと変わらない、かわいらしい声だ。だが私は見逃さなかった。そのかわいらしい顔がひどく歪んでいるのを。

 案外、彼女も私や安藤のような被害に合っているのかもしれない。この世の中、いい意味でも悪い意味でも、他より目立っているとなにかと標的にされやすい。そう思うと、彼女のしたたかさも生き残るための手段のように思えてきた。

「スパロウホーク先輩が作ってくれたビラも、わかりやすいってとっても好評だったんですよ」

 私が担当したのは、各家庭に配布する防犯啓蒙ビラだ。で、それを持って、小野さんと非番の黒川刑事がこのあたりの家々を歩き回って配ったらしい。
 貴重な休みを費やすのも相手がブス姫だったらさぞかし不満だったろうに、黒川刑事はデート気分で楽しめた、とのことだった。悪目立ちするとしても、やはり美人は得だ。そう思わざるを得ない。

「まあ、役に立てたようなら何よりです」

 缶コーヒーに口を付け、私は気のないそぶりで返した。

「あ、そういえばスパロウホーク先輩、結局木村馨の幽霊は見つかったんですか?」

 意味ありげな笑みを浮かべて、小野嬢が私に問う。

「幽霊じゃない。ちゃんと署内の防犯カメラにも映っていたんだ。小野さんだって見たでしょう?安藤から聞いたんだ」
「へえ、ブス姫から」

 一瞬、私に向ける小野の目つきが冷たくなった。だがそれも一瞬のことだった。

「でも、誰だかわからないんですよね」

 冷ややかな彼女の目つきに動揺しつつも、私は返す。

「それは、まだ。とりあえず被害者の木村馨とは別人だ。雰囲気は似ているようだけど」

 下手くそな安藤の絵だったが、特徴はよく捉えられていた、ように思う。

「私のところに来た木村馨は、目元に大きなほくろがあったんだ」
「ああ、ブス姫もそう言ってましたね」

 さらり、と安藤の悪口を言って、小野が腕を組んだ。

「それにしても、なんでこんなことしたんでしょうね、その偽物は。もしかして、署内で被害者の木村馨のことを知る誰かが、関係のない第三者に依頼してこさせたんじゃ」

 似たような目つきで、黒川刑事も私の方を見てくる。あれだけ協力してやったというのに、二人の中の私への疑いはまだ晴れていないらしい。

「私がそんなことしたって言いたいみたいですけど、そんなことするほど私も暇じゃありません」

 空になった缶を持て余しながら私は返した。

「十一月に樹海で見つかった、遺体の身元を調べなきゃいけないんです」
「ああ、それがいなくなった恋人かもって、木村馨の偽物が来たんでしたっけ」

 黒川の吐き出す煙に露骨に顔をしかめながら、小野さんが言った。「その樹海の死体が、木村馨の恋人かもしれないって」
「まあ、可能性はなくはない。だが、残念ながらその遺骨は、もう合同葬儀に出されちまったんだよなぁ」
 悔しそうに口を挟んだのは黒川刑事だ。「笹塚さん、いつも間が悪いんだよなぁ」

 あの遺骨の処理をしたのは私だが、裁量は課長にある。あの遺骨に固執していた私が諦めたものだから、彼はさっさと骨を焼却することに同意した。
 それが、刑事課が樹海の死体について重い腰をようやくあげた頃合いだった。ゆえに彼らは、蜂蜜男については、相談室がホームページに上げた以上の情報を知らないのだ。

 それもこれも、樹海で見つかったからと言って、検死も何もしなかった彼らの落ち度が招いた敗因だ。

 私はまだ、先生から教えてもらったあの遺骨に関するデータを誰にも教えていない。

 秘かに優越感を覚えながら、私は言った。

「だから、樹海で見つかったからってすぐ自殺と決めつけるのがいけないんですよ」
「そんなこと言ってもなぁ」

 頭を掻きながら、苦々しく黒川が口を開く。

「まさか元恋人が失踪してるだなんて、遺体発見時には思いもしなかったんだから仕方がないだろ」

 言い訳じみた響きを持って、黒川が口を尖らせた。

「でも、焼死体が見つかったのは八月でしょう。その後樹海の捜索が入ったのは十月。この時点で行動が遅いと思いませんか?殺人犯が、樹海に逃げ込んだ、とは考えなかったんですか?」

 自然と、私の口調は問い詰めたようになる。けれどその攻撃にも関わらず、黒川は余裕の表情で答えた。

「考えなかったさ。なにせ国道139号富士吉田昭和大入口と、富士吉田市内の交通ライブカメラに、いかにも怪しい車が走っていたのが記録されている」

 防犯目的と言うわけではないが、道路の混雑状況や違反者、事故等の監視のために、主要道路にはライブカメラと言うものが設置されている。ちなみにネットからも閲覧可能で、道路の混雑状況をリアルタイムで調べられるサービスとして国土交通省や市町村が行っているものだ。

「怪しい車?」
「ああ。トヨタのヴィッツだ」
「じゃあ、ナンバーも分かっている?」

 ならば話は早い。照合して持ち主を特定して、話を聞けばいい。

「だがあいにく不鮮明でな」黒川は盛大に煙を吐いた。「どうやら、ものすごいスピードで走っていたようなんだ、そいつ」
「ほんと嫌になっちゃう。スピード違反ですよ」

 ため息まじりに悪態をついたのは小野だった。

「今、画像解析でナンバーを洗っているんだが」

黒川が歯切れ悪く口を開く。

「まだわからない?」
「ああ」

 彼は、苦々しい煙を口から吐いた。とりあえず車種は特定できたから、ビラ配りの時もそれとなく探してはみたのだという。だが、手がかりはなかった。

「せめて被害者がストーカー相談に来た時に、もっと相手の特徴を聞いておけばよかった」

 悔しそうに小野が呟く。

「それなんですけど」

 私は、すぐには解決しなさそうな車の話を脇に追いやり口を挟んだ。

「なんでアヒージョ状態で見つかった木村馨は、せっかくストーカー相談に来たのに、それを取り下げたんでしょう」

 被害者の木村馨は、恋人から一方的に別れを切り出されたのだという。初めこそ落ち込んでいたものの、その後気丈さを取り戻し職場では明るく振る舞っていた、らしい。

 そんな彼女に追い打ちを掛けるように、たちの悪い男が一方的な行為を寄せてきただなんて、不憫でならない。
 ただでさえ落ち込んだ気分の時に、見知らぬ人間に付きまとわれるのはさぞかし怖かっただろう。だからこそ、わざわざここ山梨県警まで赴いたのだろうに、しかしその被害届をすぐに取り下げてしまっている。

「そういえばなんですけど」

 小野が思い出したかのように言った。

「被害者の木村馨さん、他にもこういう女性は多いんですかって、しきりに気にしてた気がします」
「こういう女性って?」
「ストーカー被害に遭ってる女性。まあ、世の中的には多いんだろうけど、なかなか警察まで相談に来る人も多くはないし。相談に来たところで、何かが起こらないと動けないのが警察だから、初期段階だと警備会社とかにお願いする方も多いかもしれませんって返しておいたけど」
「おいおい、それを警察官が言っていいのかよ」

 呆れた様子で黒川がぼやいた。その気持ちは、わからなくもない。よりによって現行警察官が、思っていても口にしてはならないセリフだろうに。

「でも、事実じゃないですか。それを誤魔化して守るふりして結局何もしなくって、その人に何かあったらどうするんですか。だったら出来ないことは出来ないって言って、他の手立てを案内するしかないじゃないですか」

 とぼけた表情で返す小野だったが、その瞳にかすかな怒りが含まれていたのは気のせいだろうか。
 もしかしたら、彼女も昔、何か大変な目に遭ったのかもしれない。なんにせよ警察官だなんて、なにかきっかけがなければなろうと思わないはずだ。

 美人は美人で大変なんだな。それを安藤は、知っているのだろうか。
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