悪い冗談

鷲野ユキ

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蜂蜜男の正体

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「結城誠一?」

 ひどく驚いたようだった。手にした杯から酒がこぼれる。

「元恋人の名前だそうです。癌患者だったそうです。佐伯総合病院に入院していたらしんですが」
「それは、うちの病院じゃないか」

 どこかで聞いた名だとは思っていた。しかしこんな偶然あるものだろうか。

「そんなバカな、都内にいくつ病院があると思ってる!まさか、本当に」

 先から先生は驚いた様子で、仕切りにブツブツと呟いている。何に納得がいかないのか、杯に酒を注ぎ、一気に飲み干す。
 確かに偶然にしてはよくできているが、状況的にはあり得なくはない。都内の病院すべてが末期の癌患者の対応をしているわけではない。
 しかしそうだとしても、奇妙な合致だった。

「助かる見込みもなさそうだからと、彼は病院を後にした。これは私の推測ですが、絶望した彼は自ら命を絶とうとしたのでは」
「そのなれの果てが蜂蜜男だった、ということか?」
「ええ。突然恋人と別れたのも、それが理由なのかもしれません」
「ふむ」

 先生は先ほどの衝撃からまだ立ち直れていないのか、しばらく逡巡してからようやく口を開いた。

「とりあえず、蜂蜜男とアリスタイオスは、同一人物と考えていいわけだな?」
「ええ。メリッサがグラヤノトキシン入りの蜂蜜をアリスタイオスに売ったと言っています。そして、蜂蜜男からはその毒素が発見されている」
「で、さらには木村馨の元恋人が結城誠一で、アリスタイオスと同一人物である可能性が高い、と」
「元恋人のDNAがないので確実とは言えませんが、可能性は高いかと」

「それとさらに関係者がいたな。確か木村馨はストーカー被害に遭っていたんだろう?」
「誰かに付きまとわれていたのは確かなようですが、それが誰かなのかはまだわかってません」
「実際被害に遭っていて、わざわざ相談までしに来たのに、なぜ彼女は被害届を取り下げたんだろうな」

 そこが私にもわからない点だった。さらには小野さんはこうも言っていた。木村馨は、他にもこういった相談をする人がいなかったかを聞いてきた、と。

「なぜ、そんな聞き方をしたんだろうな」

 先生が危うくまた酒をこぼしそうになり、慌てて盃に唇を付けている。確かに不自然な点は残るものの、目下、彼女を殺害した犯人で一番怪しいのはその男だ。
 警察はストーカーと結城誠一の二人の行方を探しているが、現状ははかばかしくない。

「あるいは、自分がストーキングしていることを、他の誰かから相談されていないかを確認しに来たのでは」

 先生がぽつりと呟いた。

「逆に木村馨が元恋人をストーキングしてた?まさか」

 そんな事実があれば、警察がすぐに手がかりを見つけているはずだ。だが元恋人と木村馨の間にはほとんどやり取りがなかったという。

「あるいは、結城誠一以外の誰かを付け回していたか」
「誰を?」
「元恋人の結城誠一と蜂蜜男、そしてアリスタイオス。これらが同一人物だと仮定する。そうすると、アリスタイオスと付き合っていたエーオースは、木村馨の恋敵になるんじゃないのか?」
「そういえば、そうですね」

 言われてみて、初めて気が付いた。

「木村馨は考えた。なぜ自分は捨てられたのか。それは、恋人に新たな女が出来たからだと」
「でも、エーオースはゲーム内でしか付き合ってなかったって」
「どこまで本当かわからんだろ。で、木村馨はその女をなんとか見つけて、復讐の機会をうかがっていた」
「浮気相手のことを付け回していたってことですか?」
「そうだな。だから浮気相手の女がストーカー被害の相談に来ていないか心配になって相談に来たんだ」
「それだと、木村馨は加害者側になるべきでしょう。それがなぜ殺されてるんです」
「一方エーオースにとっても木村馨は敵だ。まして彼女は木村馨に付け回され嫌がらせを受け参っていた。その彼女が、木村馨に手を掛けるというのは、あり得なくはない」
「だとしたら、エーオースが一連の犯人だって言うんですか?自分の恋人まで殺したことになってしまう。おかしいじゃないですか」
「もしかしたらアリスタイオスは、嫉妬に狂った木村馨に殺されたのかもしれんぞ。それに逆上して、エーオースが木村馨を手に掛けた」

「……それで、蜂蜜男が木村馨に殺されたことを検証してほしくて、警察署に来たって言うんですか」
「そうだ」
「でもそれでは、芋づる式に自分だって捕まることぐらい予想できるでしょうに」
「だから彼女は姿を消した」

 そこでふつりと言葉が切れた。

「……自殺、か?」

 竜宮洞穴付近で見つかった女の遺体。だが自殺なら、なぜ樹海でないのか。

「あるいは、殺された」

 漏らした私の言葉に、先生が聞き返す。

「一体誰に」
「わかりません」

 先生が酒臭い息を吐く。「殺された……まさか、アイツに?」
「アイツ?それは誰なんです?」

 私は身を乗り出す。先生は何かを知っているのだろうか。しかし、その問いに答える声はなかった。「先生?」

 何かを深く考えているのだろうか。彼は深く瞼を固く閉じている。「先生、何か――」

 私の問いに返ってきたのは、まさかの寝息。彼の脇には、空になった酒瓶が転がっていた。

「この、酔っぱらいめ!」

 腹を立てた私は、冷蔵庫からビールを取り出すと一気にあおった。二日酔いの頭にひどく染みる。
 結局、被害者には申し訳ないが、私の寝正月をしたい、という望みだけが叶う元旦となってしまった。無益だ。

 だが人生とは、こんなものなのだろうか。生きていても死んでいても、大して変わらないもの。
 そう考える頃には、私の意識は夢の中へと飛んで行ってしまっていた。
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