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大病院の陰謀
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「どういうことですか?」
突然そんなことを言われても、私にはわけがわからなかった。検査技師だから、蜂蜜男の骨を見てくれたのではないのか。
「だが、監査結果は安心してくれたまえ。資格は保有している。ただ、私はあの病院所属の技師ではない」
「じゃあ、先生は何者だって言うんです」ただの部外者が、病院内で好き勝手などできるはずないじゃないか。
「私は、技師としてあの病院に潜入したのだ」
「潜入、って」
間の抜けた私の顔が、グラスの中の酒に映っているのが見えた。
「最近あの病院にはどうにもよからぬ噂があるようでね、それを調べるために、私はあの病院に近づいたのだ」
「何を言ってるんですか。そんな、まるでスパイや探偵みたいなこと」
まさか、本当に探偵だとか?心臓がドクン、と跳ね上がった。そんなもの、ドラマや小説のなかでくらいしか見た事ないぞ!
「私の素性については今はどうでもいい。問題なのは、あの病院が不老不死の実験を患者相手に行っているのではないか、ということだ」
「不老不死?」
「ああ、そんな噂があるらしい。それで、私が見に行く羽目になった」
深刻そうに先生が眉をしかめているが、突然の情報に私の頭は付いていけなかった。不老不死?このご時世に?ただでさえ、めでたいはずの長寿がこの国を苦しめているというのに、さらに長寿を目指してどうするって言うんだ。
この期に及んで、まだそんなことを目論んでいる人間がいるのだろうか。
「まあ、言い方はいろいろある。健康寿命を延ばす研究だとか、再生細胞の研究だとか」
「別にそれは構わないんじゃありませんか。むしろ、医学の発展のために日々研究をしてるだなんて、すごいことなんじゃ」
一般的には素晴らしいことのはずだ。私はそうは思えなかったけれど、誰だって普通は早く死にたいとは思わないのだろう。
「確かにすばらしいことかもしれない。けれど、それを人を使って実験するのは、倫理的にこの国は許していない」
「まさか本当に、人体実験なんてやってるんですか?」
まるで三流ホラーだ。あまりに現実味がなさ過ぎて、私は目の前の男が壮大な嘘でもついているように見えた。
「らしい、という噂だ。末期の患者を集めては、延命治療と称していろいろやっていると」
先生が、もしゃもしゃの頭を掻いている。何かを一生懸命考えている時の先生の癖だ。彼は本気で、不老不死だなんて馬鹿げたことについて思考を巡らせている。
「まさか、有栖千暁も、患者の結城誠一にそれを行っていたかもしれない、ということですか?」
「可能性はないとは言い切れない」
「まさか」
「あいにく、その事実を明らかにする前に、彼女は殺されてしまったわけだが」
そうぼやきながら、先生はじっとグラスの中の液体に目を注いでいる。まるで血のような。
「……佐伯が殺したのかもしれない」
ぼそり、と先生が呟いた。
「病院の、偉い人ですか?」
佐伯総合病院。その名を冠する人物。恐らく医院長だとか、そう言う立場の人間だろう。
「ああ。君といろいろ考えてきてはみたものの、私はそう思うのだが」
「なんだってそんなこと」
「実験結果を隠すためだ」
「隠すって。いったいどんな結果が出たって言うんです。癌患者に不老不死を与えるには、まず癌を治さなきゃでしょう」
「そうだ、恐らく彼らはそれに成功した」
「でもそれって、世界に誇れることなんじゃないですか」
そうだ、なにも恥じることはないはずだ。佐伯医師は、世界に名を残す偉業を成し遂げた。そうなるはずだ。
「だが、それが思わぬ結末を招いたとしたら?」
先生が、意味ありげにこちらを見つめて言った。「なぜ、結城誠一の頭部は破損していたのだろうか」
「それは、誰かが遺体に蜂蜜なんて掛けたからでしょう」
おかげで、身元を特定するのに苦労してしまった。
「初め私は、遺体の身元を特定されないようにそうしたのだと考えていた」
「それは私も同意見です」
「もちろん、そういう意図もあったのかもしれない。だが、あるいは」
そこで一呼吸置いて先生は続けた。「例えば、頭部が人には見せられないような形状をしていたとしたら」
「見せられない形状?」
「異形、だ」
異形。通常とは異なる姿。なぜだか私の頭に、黄熊の顔を冠した男の姿が浮かんだ。
「そんな、バカな。なんで癌の治療や延命の研究で、顔が変形するって言うんです」
「あり得なくはない。薬の副作用で髪が抜けたり歯が溶けることだってある」
「それだけで異形だなんて言ったら、副作用で苦しみながら闘病している人たちに対して失礼ですよ」
「もちろん、その程度で済む話ではない。延命治療の中で、古くなった細胞や遺伝子を入れ替える、という発想がある」
古いものは交換して新しいものへ。普段我々がやっていることだ。そのくらいの発想は誰しも思いつくことだろう。
「iPS細胞とか、そんなやつですか?」ニュースで見たことがある。
「そうだ」
「でも、あれは自分の細胞をもとに、新しく器官を作ったりするやつでしょう。それが何で、やれ不老不死だの、異形だの、そんなオカルトチックな話になるんです」
iPS細胞を研究する科学者らの目的は、あくまでも再生医療だ。例えば角膜の再生だとか、難病の治療だとか、そう言ったことに使うために研究しているのだ。不老不死だなんて馬鹿げたものではない。
「建前はな。けれどそうやってヒトが死なないようにどんどん治していったら、最終的にはどこに向かう?」
「……不死を目指しているって言うんですか」
「不死だけじゃない、不老不死だ」
キザったらしく先生が言い直した。「彼らはエーオースの二の舞を踏むわけにはいかないんだよ。だから彼女は戒めとして、自身の分身にその名をつけた」
「単に名前に〈暁〉って言う字が入っているからなだけじゃないですか」
「ふむ、それも一理ある」
納得したかのように、先生が唇に手を当ててうなずいた。「だが残念ながら、彼女は限りなく怪しい」
突然そんなことを言われても、私にはわけがわからなかった。検査技師だから、蜂蜜男の骨を見てくれたのではないのか。
「だが、監査結果は安心してくれたまえ。資格は保有している。ただ、私はあの病院所属の技師ではない」
「じゃあ、先生は何者だって言うんです」ただの部外者が、病院内で好き勝手などできるはずないじゃないか。
「私は、技師としてあの病院に潜入したのだ」
「潜入、って」
間の抜けた私の顔が、グラスの中の酒に映っているのが見えた。
「最近あの病院にはどうにもよからぬ噂があるようでね、それを調べるために、私はあの病院に近づいたのだ」
「何を言ってるんですか。そんな、まるでスパイや探偵みたいなこと」
まさか、本当に探偵だとか?心臓がドクン、と跳ね上がった。そんなもの、ドラマや小説のなかでくらいしか見た事ないぞ!
「私の素性については今はどうでもいい。問題なのは、あの病院が不老不死の実験を患者相手に行っているのではないか、ということだ」
「不老不死?」
「ああ、そんな噂があるらしい。それで、私が見に行く羽目になった」
深刻そうに先生が眉をしかめているが、突然の情報に私の頭は付いていけなかった。不老不死?このご時世に?ただでさえ、めでたいはずの長寿がこの国を苦しめているというのに、さらに長寿を目指してどうするって言うんだ。
この期に及んで、まだそんなことを目論んでいる人間がいるのだろうか。
「まあ、言い方はいろいろある。健康寿命を延ばす研究だとか、再生細胞の研究だとか」
「別にそれは構わないんじゃありませんか。むしろ、医学の発展のために日々研究をしてるだなんて、すごいことなんじゃ」
一般的には素晴らしいことのはずだ。私はそうは思えなかったけれど、誰だって普通は早く死にたいとは思わないのだろう。
「確かにすばらしいことかもしれない。けれど、それを人を使って実験するのは、倫理的にこの国は許していない」
「まさか本当に、人体実験なんてやってるんですか?」
まるで三流ホラーだ。あまりに現実味がなさ過ぎて、私は目の前の男が壮大な嘘でもついているように見えた。
「らしい、という噂だ。末期の患者を集めては、延命治療と称していろいろやっていると」
先生が、もしゃもしゃの頭を掻いている。何かを一生懸命考えている時の先生の癖だ。彼は本気で、不老不死だなんて馬鹿げたことについて思考を巡らせている。
「まさか、有栖千暁も、患者の結城誠一にそれを行っていたかもしれない、ということですか?」
「可能性はないとは言い切れない」
「まさか」
「あいにく、その事実を明らかにする前に、彼女は殺されてしまったわけだが」
そうぼやきながら、先生はじっとグラスの中の液体に目を注いでいる。まるで血のような。
「……佐伯が殺したのかもしれない」
ぼそり、と先生が呟いた。
「病院の、偉い人ですか?」
佐伯総合病院。その名を冠する人物。恐らく医院長だとか、そう言う立場の人間だろう。
「ああ。君といろいろ考えてきてはみたものの、私はそう思うのだが」
「なんだってそんなこと」
「実験結果を隠すためだ」
「隠すって。いったいどんな結果が出たって言うんです。癌患者に不老不死を与えるには、まず癌を治さなきゃでしょう」
「そうだ、恐らく彼らはそれに成功した」
「でもそれって、世界に誇れることなんじゃないですか」
そうだ、なにも恥じることはないはずだ。佐伯医師は、世界に名を残す偉業を成し遂げた。そうなるはずだ。
「だが、それが思わぬ結末を招いたとしたら?」
先生が、意味ありげにこちらを見つめて言った。「なぜ、結城誠一の頭部は破損していたのだろうか」
「それは、誰かが遺体に蜂蜜なんて掛けたからでしょう」
おかげで、身元を特定するのに苦労してしまった。
「初め私は、遺体の身元を特定されないようにそうしたのだと考えていた」
「それは私も同意見です」
「もちろん、そういう意図もあったのかもしれない。だが、あるいは」
そこで一呼吸置いて先生は続けた。「例えば、頭部が人には見せられないような形状をしていたとしたら」
「見せられない形状?」
「異形、だ」
異形。通常とは異なる姿。なぜだか私の頭に、黄熊の顔を冠した男の姿が浮かんだ。
「そんな、バカな。なんで癌の治療や延命の研究で、顔が変形するって言うんです」
「あり得なくはない。薬の副作用で髪が抜けたり歯が溶けることだってある」
「それだけで異形だなんて言ったら、副作用で苦しみながら闘病している人たちに対して失礼ですよ」
「もちろん、その程度で済む話ではない。延命治療の中で、古くなった細胞や遺伝子を入れ替える、という発想がある」
古いものは交換して新しいものへ。普段我々がやっていることだ。そのくらいの発想は誰しも思いつくことだろう。
「iPS細胞とか、そんなやつですか?」ニュースで見たことがある。
「そうだ」
「でも、あれは自分の細胞をもとに、新しく器官を作ったりするやつでしょう。それが何で、やれ不老不死だの、異形だの、そんなオカルトチックな話になるんです」
iPS細胞を研究する科学者らの目的は、あくまでも再生医療だ。例えば角膜の再生だとか、難病の治療だとか、そう言ったことに使うために研究しているのだ。不老不死だなんて馬鹿げたものではない。
「建前はな。けれどそうやってヒトが死なないようにどんどん治していったら、最終的にはどこに向かう?」
「……不死を目指しているって言うんですか」
「不死だけじゃない、不老不死だ」
キザったらしく先生が言い直した。「彼らはエーオースの二の舞を踏むわけにはいかないんだよ。だから彼女は戒めとして、自身の分身にその名をつけた」
「単に名前に〈暁〉って言う字が入っているからなだけじゃないですか」
「ふむ、それも一理ある」
納得したかのように、先生が唇に手を当ててうなずいた。「だが残念ながら、彼女は限りなく怪しい」
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