33 / 49
三章
10(異母妹メアリー視点)
しおりを挟む細い顎の輪郭に、爛れた跡がはっきり残っている。ベールで目元が隠されているから、見えるのは頬から下だけだが、それだけでもはやり病に罹患した証をありありと見ることが出来た。醜い様をこうも隠さないなんて。
メアリーが驚いたのはそれだけではない。ウィレムと同じ顔の隣にいる夫は、白の軍服を着て、銀髪と相まって綺羅びやかだ。
その夫は、アンの手をとって赤絨毯をゆっくり歩いてくる。彼の横顔に、メアリーは目を見張った。
──なんて顔をしているの。
微笑を浮かべていた。アンの夫は、ひたすらにアンを見ている。ウィレムを見てきたから分かる。あんな薄っぺらい嘘の笑顔なんかじゃない。慈愛に満ちた視線を注いでいるのは、本物だ。本気であの夫は、アンを愛しているのだ。
目の前の光景が信じられなかった。てっきり自分と同じように──いや、自分以上に、悲惨な暮らしをしているものと──思いたかったのだ。
奥歯を噛みしめる。これはウィレムに対する怒りで、アンに対する怒りでもあった。こんな目にあっているのに、こんなのは許されない!
メアリーの激情に気づく者はいない。なんといっても今の注目の的は、あの二人なのだ。メアリーは初めて敗北感を味わった。
歩調を合わせて、二人は案内人に従って奥へと進んでいく。諸国達の前を通り抜けて、メアリー達の前も過ぎていく。
これ以上奥は、もう王族の席しかない。目を見張る。玉座近くの、空白の席。まさかと思った頃には、二人はそこに座っていた。
「王族の席じゃないのか。何故あそこに座るんだ」
ウィレムの疑問は、メアリーの疑問でもあった。我らは由緒正しき古株で、諸国の中でも上位に位置する。なのに、それを差し置いて、去年出来たばかりの国のくせに、最も上段の席など許されるわけがない。
周囲もざわめき出す。その中でも近い席の声がメアリーの耳に入ってきた。
「あちらはどなたかしら」
「あの紋章はユルール候爵だ」
「ユルール?あの?」
「先の戦争の功労者だよ。彼のお陰で帝国は勝てたんだ」
「お目にかかるのは初めてだわ。では、隣の方は」
「奥方だろう。スートラに罹ったようだ」
「可哀想に。でも、何故あそこの席に?王族でも無いのに」
隣でも同じような会話がされている。この場にいる者たち全員が、同じ気持ちだと確信していた。
皇帝はまだ現れない。式典はまもなく始まるだろうが、その前にお触れが必ずある。
話をするなら今しかない。
メアリーはウィレムの腕を掴んだ。
「メアリー?」
「来て!姉さまと話をするの!」
奥の席に付いているアンとその夫の元へ、ウィレムを引っ張っていく。ウィレムだってこの事態を知りたいはずだ。それにウィレムを連れて行かないとダジュール侯国の発言だと認められない。
メアリーたちが二人の前に行き当たると、アンの夫は胸に手を当て礼を取った。一応は格下だと自覚しているようだ。メアリーは微笑んで扇子を広げた。
チラリとアンを見やる。アンは夫の後ろに隠れるように立ち、微動だにしない。唯一見える口元は引き結んでいて、感情を殺しているように見えた。
「ユルール候爵様、お久しぶり。私の結婚式以来かしら」
まずアンの夫へ話しかける。名は確か、アーネストだったか。ウィレムと同じ顔の彼は、冷たくこちらを見下ろした。先のアンに向けていた微笑とは明らかに違う対応だった。
「ダジュール候爵夫人、私のことを覚えていてくださって恐縮です」
白々しい。心にも無いことを言う態度に、メアリーには怒りが込み上げた。こちらは微笑んでやっているのに。本心を隠して、扇子を仰ぐ。
「姉さまも、お久しぶり。てっきり修道女として慎ましく暮らしているものと思っていたのに。良き夫君に拾ってもらえて良かったわ。心配していたのよ」
こちらだって心にも無いことをいくらだって言える。殊に姉に対しては、ほぼそればかりの会話だった。アンはそれを知りながらいつだって、メアリーを労る言葉で返してきた。今はお互い結婚して、爵位上は同じ地位だ。格式が違うからメアリーが有利なのは変わらないが、向こうがどんな出方をするのかを伺った。
だがアンは何も言わない。口を引き結んだまま、動かない。
「……………」
「姉さま、何黙ってるの?」
「……………」
「病が進行して口も聞けなくなっちゃったの?ああそうよね。そんな顔だものね」
「顔?何がそんな顔だと?」
口を挟んだのはアンの夫、アーネストだった。冷たい、今にも射殺されそうな視線に突き刺され、メアリーは束の間怯む。ここは神聖な場、刃傷沙汰にはならないと分かっていても、擬似的な殺される妄想に突き動かされて、メアリーは一二歩、後ろへ下がった。
それをウィレムが支える。
「メアリー、無礼な言葉はいけないよ」
「ウィレム…」
「すまないね。妻は正直者なんだ。私もよく怒られてるんだ」
ウィレムはアンとアーネスト二人に笑みを振りまいた。顔の見えるアーネストは冷たい顔のまま、やはり表情を変えない。
「そんな怖い顔するなよ」
肩をすくめてウィレムは言った。メアリーを庇っての発言というよりは、アーネストを馬鹿にしているような意味合いを感じられた。
「兄上」
「アーネスト、お前はよく働くね。大した財産もあげなかったのに、いつの間にか商売で一財産築いたかと思えば、傭兵を雇い出陣してニッヒラビを制圧、皇帝陛下の覚えめでたく爵位を得て、今は王族が座る席についている。一体どうやって取り入ったのさ。教えてくれよ」
「話すつもりはない」
「勿体ぶって。…初めましてユルール候爵夫人。君とは元婚約者の関係だったけれど、こうして会うのは初めてだね」
話を振られても、アンはただ頷くだけ。アーネストに隠れて出てこようとしない。頑なに話さない態度に、メアリーは違和感を覚えた。はやり病で声が出せなくなったというのは聞いたことがない。病のせいで無いと仮定するならば、他の要因で、わざと口を利かないようにしているように見えた。
「僕とは話したくないのかな、残念」
ウィレムは違和感に気づいていない。ウィレム自身、アンに興味が無いからだろう。彼が女を見るのは抱けるか抱けないかだけだ。
「アーネスト、何故その席に?このダジュール候爵を差し置いて、どうしてそこにいるんだ」
「さてな」
「そんな目立つ所にいて、諸国の王たちは何と思うかな」
「文句があるなら陛下に言ったらどうだ」
「やっぱり陛下に取り入ったんだね。どんな手を?金?女?」
「少なくとも──」
アーネストは近づいて、ウィレムの耳元で囁いた。何事かを聞いたウィレムが、振り払うようにアーネストから離れた。
「な、何故それを…!」
ウィレムの顔は、こわばっていた。先までの余裕など全く無くなって、手で顔を覆った。
対するアーネストは無表情で、じっとウィレムを見据えている。一気に形成が逆転して、メアリーは何が何だか分からなかった。
「他に誰が知ってる!」
「誰にでも話していい内容なのか?」
「アーネスト!」
「お前が細君に言ったんだぞ。無礼な言葉は駄目だと。なのに舌の根も乾かぬうちに侮辱してきたから、俺はただやり返しただけだ」
「い、言いがかりだ…!」
「だったら黙ってろ。追及するつもりはない。この場ではな」
言い返そうとする前に、先触れが上がる。六芒星の旗がはためく。
とうとう皇帝が入場するのだ。
ウィレムは悔しそうに顔を歪めたまま、メアリーを置いて先に席に戻っていった。
わけが分からないままメアリーも慌てて席に戻る。戻りながら振り返る。相変わらずアンは動かずにそこに立ち続けていた。何だかそれが不気味で、彼女に対して薄ら寒さを感じた。
65
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる