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三章
10(異母妹メアリー視点)
細い顎の輪郭に、爛れた跡がはっきり残っている。ベールで目元が隠されているから、見えるのは頬から下だけだが、それだけでもはやり病に罹患した証をありありと見ることが出来た。醜い様をこうも隠さないなんて。
メアリーが驚いたのはそれだけではない。ウィレムと同じ顔の隣にいる夫は、白の軍服を着て、銀髪と相まって綺羅びやかだ。
その夫は、アンの手をとって赤絨毯をゆっくり歩いてくる。彼の横顔に、メアリーは目を見張った。
──なんて顔をしているの。
微笑を浮かべていた。アンの夫は、ひたすらにアンを見ている。ウィレムを見てきたから分かる。あんな薄っぺらい嘘の笑顔なんかじゃない。慈愛に満ちた視線を注いでいるのは、本物だ。本気であの夫は、アンを愛しているのだ。
目の前の光景が信じられなかった。てっきり自分と同じように──いや、自分以上に、悲惨な暮らしをしているものと──思いたかったのだ。
奥歯を噛みしめる。これはウィレムに対する怒りで、アンに対する怒りでもあった。こんな目にあっているのに、こんなのは許されない!
メアリーの激情に気づく者はいない。なんといっても今の注目の的は、あの二人なのだ。メアリーは初めて敗北感を味わった。
歩調を合わせて、二人は案内人に従って奥へと進んでいく。諸国達の前を通り抜けて、メアリー達の前も過ぎていく。
これ以上奥は、もう王族の席しかない。目を見張る。玉座近くの、空白の席。まさかと思った頃には、二人はそこに座っていた。
「王族の席じゃないのか。何故あそこに座るんだ」
ウィレムの疑問は、メアリーの疑問でもあった。我らは由緒正しき古株で、諸国の中でも上位に位置する。なのに、それを差し置いて、去年出来たばかりの国のくせに、最も上段の席など許されるわけがない。
周囲もざわめき出す。その中でも近い席の声がメアリーの耳に入ってきた。
「あちらはどなたかしら」
「あの紋章はユルール候爵だ」
「ユルール?あの?」
「先の戦争の功労者だよ。彼のお陰で帝国は勝てたんだ」
「お目にかかるのは初めてだわ。では、隣の方は」
「奥方だろう。スートラに罹ったようだ」
「可哀想に。でも、何故あそこの席に?王族でも無いのに」
隣でも同じような会話がされている。この場にいる者たち全員が、同じ気持ちだと確信していた。
皇帝はまだ現れない。式典はまもなく始まるだろうが、その前にお触れが必ずある。
話をするなら今しかない。
メアリーはウィレムの腕を掴んだ。
「メアリー?」
「来て!姉さまと話をするの!」
奥の席に付いているアンとその夫の元へ、ウィレムを引っ張っていく。ウィレムだってこの事態を知りたいはずだ。それにウィレムを連れて行かないとダジュール侯国の発言だと認められない。
メアリーたちが二人の前に行き当たると、アンの夫は胸に手を当て礼を取った。一応は格下だと自覚しているようだ。メアリーは微笑んで扇子を広げた。
チラリとアンを見やる。アンは夫の後ろに隠れるように立ち、微動だにしない。唯一見える口元は引き結んでいて、感情を殺しているように見えた。
「ユルール候爵様、お久しぶり。私の結婚式以来かしら」
まずアンの夫へ話しかける。名は確か、アーネストだったか。ウィレムと同じ顔の彼は、冷たくこちらを見下ろした。先のアンに向けていた微笑とは明らかに違う対応だった。
「ダジュール候爵夫人、私のことを覚えていてくださって恐縮です」
白々しい。心にも無いことを言う態度に、メアリーには怒りが込み上げた。こちらは微笑んでやっているのに。本心を隠して、扇子を仰ぐ。
「姉さまも、お久しぶり。てっきり修道女として慎ましく暮らしているものと思っていたのに。良き夫君に拾ってもらえて良かったわ。心配していたのよ」
こちらだって心にも無いことをいくらだって言える。殊に姉に対しては、ほぼそればかりの会話だった。アンはそれを知りながらいつだって、メアリーを労る言葉で返してきた。今はお互い結婚して、爵位上は同じ地位だ。格式が違うからメアリーが有利なのは変わらないが、向こうがどんな出方をするのかを伺った。
だがアンは何も言わない。口を引き結んだまま、動かない。
「……………」
「姉さま、何黙ってるの?」
「……………」
「病が進行して口も聞けなくなっちゃったの?ああそうよね。そんな顔だものね」
「顔?何がそんな顔だと?」
口を挟んだのはアンの夫、アーネストだった。冷たい、今にも射殺されそうな視線に突き刺され、メアリーは束の間怯む。ここは神聖な場、刃傷沙汰にはならないと分かっていても、擬似的な殺される妄想に突き動かされて、メアリーは一二歩、後ろへ下がった。
それをウィレムが支える。
「メアリー、無礼な言葉はいけないよ」
「ウィレム…」
「すまないね。妻は正直者なんだ。私もよく怒られてるんだ」
ウィレムはアンとアーネスト二人に笑みを振りまいた。顔の見えるアーネストは冷たい顔のまま、やはり表情を変えない。
「そんな怖い顔するなよ」
肩をすくめてウィレムは言った。メアリーを庇っての発言というよりは、アーネストを馬鹿にしているような意味合いを感じられた。
「兄上」
「アーネスト、お前はよく働くね。大した財産もあげなかったのに、いつの間にか商売で一財産築いたかと思えば、傭兵を雇い出陣してニッヒラビを制圧、皇帝陛下の覚えめでたく爵位を得て、今は王族が座る席についている。一体どうやって取り入ったのさ。教えてくれよ」
「話すつもりはない」
「勿体ぶって。…初めましてユルール候爵夫人。君とは元婚約者の関係だったけれど、こうして会うのは初めてだね」
話を振られても、アンはただ頷くだけ。アーネストに隠れて出てこようとしない。頑なに話さない態度に、メアリーは違和感を覚えた。はやり病で声が出せなくなったというのは聞いたことがない。病のせいで無いと仮定するならば、他の要因で、わざと口を利かないようにしているように見えた。
「僕とは話したくないのかな、残念」
ウィレムは違和感に気づいていない。ウィレム自身、アンに興味が無いからだろう。彼が女を見るのは抱けるか抱けないかだけだ。
「アーネスト、何故その席に?このダジュール候爵を差し置いて、どうしてそこにいるんだ」
「さてな」
「そんな目立つ所にいて、諸国の王たちは何と思うかな」
「文句があるなら陛下に言ったらどうだ」
「やっぱり陛下に取り入ったんだね。どんな手を?金?女?」
「少なくとも──」
アーネストは近づいて、ウィレムの耳元で囁いた。何事かを聞いたウィレムが、振り払うようにアーネストから離れた。
「な、何故それを…!」
ウィレムの顔は、こわばっていた。先までの余裕など全く無くなって、手で顔を覆った。
対するアーネストは無表情で、じっとウィレムを見据えている。一気に形成が逆転して、メアリーは何が何だか分からなかった。
「他に誰が知ってる!」
「誰にでも話していい内容なのか?」
「アーネスト!」
「お前が細君に言ったんだぞ。無礼な言葉は駄目だと。なのに舌の根も乾かぬうちに侮辱してきたから、俺はただやり返しただけだ」
「い、言いがかりだ…!」
「だったら黙ってろ。追及するつもりはない。この場ではな」
言い返そうとする前に、先触れが上がる。六芒星の旗がはためく。
とうとう皇帝が入場するのだ。
ウィレムは悔しそうに顔を歪めたまま、メアリーを置いて先に席に戻っていった。
わけが分からないままメアリーも慌てて席に戻る。戻りながら振り返る。相変わらずアンは動かずにそこに立ち続けていた。何だかそれが不気味で、彼女に対して薄ら寒さを感じた。
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