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終章
終(レイモンド視点)
しおりを挟む古い入れ物を整理していて、麦わら帽を見つける。古く小さなそれを、成長した今ではもう被れない。捨てるように元へと戻す。三人で出かけたのは、あれが最後だった。
黒の髪に黒の瞳。金の瞳などという輩もいるが、黒は黒で、それ以上でも以下でも無い。かつての父の面影は、今の義母の面影でもあるという。死んだ父の記憶はまったくない。生きていたら、今の自分をどう思うだろうか。
探していたのは思い出ではない。雑多なガラクタの中に、一つの小物を見つける。光に透かして眩しさに目を細める。
十五歳になるレイモンドは、それを何の感慨もなく見つめていた。
無遠慮に扉を開ける。家臣たちが一斉に振り向く。人集りの中心、机に座るのはブライトン女王、アンだった。
義母アンは、やって来たのがレイモンドと知ると顔を上げた。にこりともしない愛想の無さは、女王らしい振る舞いと言えた。いつものことだ。女王となってからは特に。
並み居る家臣たちの声がけもすべて無視して女王の前に立つ。レイモンドは指に嵌めた指輪を見せつけた。
「亡き父の形見です。ようやく見つけました」
「あらそう。良かったわね」
素っ気ない、感情の無い答えもいつものこと。レイモンドもいちいち気にしていなかった。
ブラックダイヤモンドの指輪は、妖しい光を放つ。黒は本来光を吸収するもの。熟練の手技でカットされた特注品であるから、僅かな光でも眩しく反射した。
「これは『秘密の部屋』への唯一の鍵です。俺でないと開けない。王の証を持たない陛下には退位してもらいます」
宣言に、一同がどよめく。挑発するようにニヤリと笑ってみせる。女王は指輪へ視線を移しただけの反応をしたきりで、レイモンドの宣言をきっぱりと無視して、政務を再開した。
十年前、義母の養子となったレイモンドは、ブライトンの王家の再興の為、王として担ぎ上げられる予定だった。それに異を唱えたのは義母で、自らが女王となると言って、その通り女王となった。まだ五年前の出来事だ。
先代の王が処刑されてからは、護国卿がブライトンを牛耳っていたが、大陸から運ばれてきたはやり病であっさりと命を落とし、その息子が跡を継いだがこれが無能で、義母のアンが名乗りを上げ乗り込んでくる頃には、国外へと逃亡していた。
ブライトンの地に踏み込んできた義母に、初め民衆は懐疑的だった。例え護国卿の圧政を受けていたとしても、それ以前の先代の王の方が圧政だったからだ。あの頃を知っている世代はまだ生きている。
そんな義母がまず行ったのは、はやり病の流行の防止だった。密かに開発していた薬を持ち込み、予防接種を受けさせようとした。だが受け入れられない女王が持ち込んだ怪しい薬を使う者はいなかった。
そこで女王は、まずレイモンドに予防接種を受けさせた。一国の王子、それも次期ブライトンの王となる者が率先して薬を接種することで、安全だとアピールした。料金も無料。予防接種を受けた者が実際に効果が現れたことから、民衆はこぞって王宮へ押し寄せた。ここから、アン女王としての治世が始まった。
はやり病の流行を抑えたとして、女王を評価する一方で、史上初の女王の正統性を疑問視する声もあり、度々、レイモンドへの即位が取り沙汰されてきた。その度に女王は退けてきたが、今回見つけた指輪によっては今度こそ明け渡さなければならなくなるかもしれない危険性を孕んでいた。
王宮には『秘密の部屋』があり、その部屋の中に王の証である王冠があるという。まことしやかに囁かれてきた噂だった。
眉唾と思われてきた噂が噂でないとしたら女王はどう対処するのか。レイモンドに対してどうでてくるのか。レイモンドは出方を伺った。
──が、反応はこれだ。役立たずの臣下だけが狼狽して、女王は構わずに政務を進めている。無視されたレイモンドは、女王が今目を通している報告書を拾い上げた。これにはさすがの女王も見過ごせなかったようで、レイモンドを睨みつけた。
「なんのつもりレイモンド」
今度はこちらが無視して、報告書に目を通す。ざっと読み込んで、レイモンドは返した。
「まだダヴィア帝国に献金を?女王を支持する見返りとして金銭を要求されては、この国はダヴィア帝国の属国だと非難されるのも当然かと」
「必要経費です」
「俺が王になったら、そんな無駄金は払わせない。ロワール王国もキハール帝国も目じゃない。一流の国に押し上げてみせる」
腰に佩いた剣を手に掛ける。護衛が血相を変えて女王を守ろうと近づいてくる。女王はそれを制した。
「立派な心がけね。期待しているわ。今日のお勉強は終わったの?先生が、貴方が最近授業を受けてくれないと嘆いていましたよ」
「陛下の息のかかった者の教えを受けて洗脳されたくありませんので」
側近の一人が無礼だと声を上げる。それも女王は制した。
「だったら余った時間で、その形見の指輪で『秘密の部屋』の王の証でも見つけてきたらどう?わざわざ大見得を切った割には、『秘密の部屋』すら探し出せていないようね」
「誰かさんが巧妙に隠しているみたいなので見つからないのですよ。もしかしたら陛下の寝室にあるかもしれません。探してきてもいいですか?陛下もご興味があるでしょう。王冠がどんなものか」
女王の寝室は不可侵だ。例え家族でも入ることは許されない。女王を怒らせる為だけにつついてみたが、一笑に付されて終わった。
殿下、殿下と呼ぶ声。レイモンドはいつもの如く足早に歩く。追いついてきた男が息を切らしながら後ろを付いてくる。
「殿下!なんということを!陛下にあのような無礼な振る舞い、許されませんぞ!」
「許されただろ。うるさいぞ。お前の声は頭に響く」
「す、すみません。生まれつきなので」
律儀に声を落とす男は、かつて存在した王の近衛兵団の名を名乗っている。バーユジミル。レイモンドが生まれてから片時も離れたことがない、側近中の側近だった。
とはいえ頭はそんなに良く無く、せいぜい体を張った護衛くらいにしか役に立たない。おまけに強面で声がうるさい。なのに涙もろい。見た目だけの迫力に押されて、本来は争いごとを好まない穏和な性格だと知っているのはごく僅かだ。
「ですが、先ほどのは酷すぎます。陛下に退位を迫るなど、私は肝を冷やしましたよ」
「肝なら焼いた方が腹を壊さんぞ」
「そういうことを言ってるのではありません!」
レイモンドが耳を塞ぐと、バーユジミルは口を塞いだ。すみません、と声をくぐもらせて謝る。
「俺が部屋を出たあとも残っていたな。陛下の反応は?」
「陛下はさすが普段とお変わりありませんでしたよ。むしろ周りの者たちの方が騒いでいました」
「どいつが何と言っていた」
バーユジミルは、すらすらと答えた。この者は軍人なだけあって状況把握はお手の物だ。そのデカい図体で無ければ戦場では、斥候に向くタイプだろう。
「──とまぁ、こんな所です」
「良くやった」
わざとらしく手を叩いてやる。
「休暇をやろう。そろそろ身を固めたらどうだ。その年で独身は寂しいだろう」
「結構です。あんな大見得を切っておいて、離れられませんよ。殿下の身が心配です。それに私はこの顔ですから、女性を怖がらせてしまいます」
「なんだ自覚してたのか」
「殿下こそ。この前、アーネスト殿下から縁談話を貰っていたではありませんか」
バーユジミル以上にうっとおしい名を出され、レイモンドは一気に不機嫌になる。義父アーネストの縁談話のしつこさには、うんざりしていた。
顔を合わせればやれ良い子はいないかだの、ご令嬢を招いて茶会でもしないかだの、あれこれと世話を焼こうとしてくる。こちらはそんな気は全く無いというのに。
そんな義父は今、大陸へ長期周遊へ出て不在だ。ロワール王国、ダヴィア帝国、キハール帝国の三国を巡り、正式に女王即位の意を示しに行くという。王宮が静かになってこんなに嬉しいことは無い。
「やかましい義父がいない内にさっさと即位してしまわないとな」
「そんな世迷い言を。臣下達が本気にします」
「あんな大見得切ったのに世迷い言だと?」
黒の指輪を見せつける。親指に嵌めたそれの光にあてられて、バーユジミルは目を細める。
「義父もご苦労なことだ。俺が即位したらまた三国回らせてやろう。今度は息子が即位しましたってな」
「殿下!」
「言ったろ。休暇をやると。お目付け役のお前がいると邪魔だ。ついてきたら今度は解雇だからな」
わざと靴音を鳴らして歩き去る。慣れない黒の指輪を撫でながら、レイモンドは次のことを考えていた。
王宮の庭園を抜けた先に、森が広がっている。狩り場に使われ、レイモンドは連日そこへ繰り出していた。馬に乗って弓矢を構える。獣を仕留めると、ご機嫌取りの従者たちが口々に褒め称えた。
「いやぁ見事ですな」
「初めは森に行くのも怖がっていた殿下が」
「ま、仕留めたのはウサギですがね」
「小さな的を当てたのですから凄いですよ!」
「俺たちが追い立てたお陰だけどな」
どいつも貴族の次男三男で、王太子の遊び相手として献上された者どもだが、初めて会った時から無遠慮で図々しい奴らばかりだった。皆レイモンドよりも二つ三つ年上で、武芸も学も優秀だった。爵位を継がない者たちは放蕩するか、学を身に着けて独立するかどちらかだという。彼らは後者で、今、レイモンドの側近を務めているのも、将来の足掛かりの為だろう。
そんな彼らはレイモンドに容赦無かった。ちやほやされて育ったレイモンドにとって初めての痛烈な教育者達で、世間の荒波というものを教えてくれたのも彼らだった。
とはいえ、いちいち嫌味やら昔話やらを持ち出されるとこちらも良い気はしない。レイモンドは彼らを睨みつけた。
「うるさいぞ貴様ら。次探して来い」
「おおこわ」
「連日こうも狩りをしていては獣がいなくなってしまいます。今日はお止めになっては?」
唯一、従者らしい助言をする者は、バーユジミルの甥だ。貴族でないのも理由の一つだが、最初に会った時からこの甥はレイモンドに誠実だった。うっとおしい程の真面目なのがバーユジミルにそっくりだった。
別に狩りがしたくて来ているわけではなかった。いつ止めてもいいのだが、王宮に帰るにはまだ早い。
いっそ遠がけでもしようかと、馬に水でもやろうかと思った所に、別の従者が耳打ちする。
「──どこにいる」
「そこの奥です。派手な身なりなので目につくかと」
待っていた知らせだ。笑いたくなるのを必死に堪えて、レイモンドは従者すら遠ざけて、一人、森の奥へその人物に会いに向かった。
森の中には似つかわしくない宮廷服の男は、表向きは楽師をしている。金髪の長髪に、垂れ目の瞳。媚びへつらうような軽薄な笑みを向ける青年は、レイモンドに深々と頭を下げた。
「ご機嫌麗しゅう。レイモンド王太子殿下」
「主の名は」
「大主教様でございます」
「要件は?」
「大主教様は、陛下の望むものを与えられます」
「というと?」
「『秘密の部屋』でございます」
「──ほう」
王宮のどこかにあるという『秘密の部屋』
部屋の中には、王の証があるとか。
「『秘密の部屋』は先代の王が処刑される前に密かに王冠を隠したと言われる場所ですが、長らくその場所は不明のままでした」
「回りくどい。結果だけ話せ」
「部屋は護国卿に暴かれ、王冠も盗まれました。護国卿がはやり病で死亡した後は、跡を継いだ息子が所有していましたが、国外脱出の際に行方不明になりました」
能無しと言われた護国卿の息子は、父が遺したありったけの財産を船に積んで国外へ逃げたとか。船の行方は分からず、沈没したとも、まだ見ぬ新大陸に辿り着いたとも言われている。
「であれば王冠は無いんだな」
「いえ、実は国外脱出の際に、大主教様に託したそうです」
「託した?笑わせるなよ。売ったんだろ」
そこまで聞けば合点がいった。護国卿の息子が、国外へ脱出出来た理由。大主教が協力したからか。国教の最高位である大主教に献金することで、船を手配してもらったに違いない。渡したのは王冠だけではないだろう。金は力なりとはよく言ったものだ。
女王陛下即位の折に王冠を差し出さなかったのは、大主教はレイモンドを王としたい思惑があったとしか思えなかった。でなければ、今日啖呵を切ったばかりのレイモンドに直ぐに接触してこない。
「大主教様はずっと、殿下の即位を望まれておりました。今まで私どもがお話をしなかったのは、殿下のご意思が分からなかったからでございます」
「今は義父が不在で、目付けのバーユジミルも退けた」
「なるほど」
腰を折り曲げ一礼する様は、楽師らしく指先まで芝居がかっている。こんな男が大主教の橋渡し役とは、敢えてそう思わせる為の策なのかもしれない。
「大主教様はお待ちでございます」
「なら今から俺一人で向かう。お前みたいなのを連れていたら目立ってしょうがない」
目立ってなんぼの宮廷であれば、この姿は別段おかしくはない。ましてや楽師であればなおのこと。レイモンドの宣言を聞きつけて慌てて追ってきたのだろう。着替える時間も無い程に。
表向きは、にこやかに。楽師は恭しく礼を述べると、森の中へ消えていった。ああいう輩は、宮廷に限らずごまんといる。ああやって中継ぎをしたり、情報を売り買いしたりして、小金を稼ぐ者たち。自らが生きる術を身につけて、それを実行出来るのは、それだけ自由に生きられるということ。羨ましいとは思わない。自分が生を受けた時から、自分の運命は決まっていた。
ただ、運命を先伸ばしにしてくれた人たちを犠牲にしたくない。潮時だった。もう十分育ててもらった。早く王になって、二人を解放してあげたかった。
国教の頂点に君臨する大主教は、齢八十の老人だ。高齢の為にほとんど大聖堂に留まり、朝晩の礼拝だけは、かかさずに行っているが、歩くのもおぼつかない程だった。
だだっ広い大聖堂の壁にはステンドグラスが張り巡らされ、色付けされたガラスから光が降り注ぐ。とりわけ薔薇窓と呼ばれる最奥のステンドグラスは、これでもかと趣向を凝らしていて、教典の物語になぞらえた登場人物たちが描かれている。
この薔薇窓を背景に、祭壇に祀られた女神像の降り立つような姿には荘厳さを思わせるが、清濁は隣り合うもの。この神聖な場で、レイモンドは大主教と、アン女王の退位の密談を交わしていた。
「──陛下は、義父に頼り切りだ。言いなりと言ってもいい。帝国の一侯国の出の者に、この国を牛耳られたくはないだろう?」
女神像は天使のように羽を広げ、地上を見下ろしている。女神に全ての悪事を見られているにも関わらず、大主教は全く気にしていない。
頬の垂れた猫背で肥満の、目だけは野心に溢れた姿は、化物でしかなかった。礼拝の為にほぼ毎日顔を見合わせてきたが、何度も見ても、聖職者とは全く思えない邪悪さだ。
大主教は、薄気味悪く歯を見せると、女神像の後ろに回り込んだ。かたん、と何かが外れる音がして、再び姿を見せたその手に乗っていたのは、まさしく王冠だった。
大小の宝石が嵌め込まれた王冠。黄金に輝き、その光が本物だと証明していた。
「アン女王を退位させました暁には、私自らがこの王冠を殿下に授けましょう」
「期待していいのは、王冠だけか?」
「いえいえまさか。我ら信徒が殿下をお支えいたします」
つまり国教会の後ろ盾を得るということ。国教会の大きな強みは多大な資金だ。戦争も国事も、ここから資金を調達する。アン女王が即位してからは、ほとんど国教会から資金の放出がされておらず、ユルール侯国統治時代に得た資産を切り崩したり、税収で賄ってきた。経済的に国教会に頼らない選択は王家の独立を強めてはいるが、国教会の懐は暖まるばかりだ。
金がある所に権力が集まる。国教会との対立は得策ではない。ましてや王の証となる王冠を所有しているとなれば尚更だ。
大主教はこうも言った。
「はやり病に犯された汚れた女が王など、あってはならぬのだ。神の祈りを軽視するのがその証拠。女王が醜い姿なのは、神が罰を与えたからです」
「──我々も気をつけなければな」
大きく頷く大主教へ手を差し伸べる。快く応じる大主教と握手を交わす。レイモンドは内に秘めた感情を必死に押し殺した。
夕食に招かれて義母と向かい合って座る。広いテーブルに二人だけの食事。給仕をする使用人がいなくなると、義母は満面の笑みを見せた。
「今日のメインはウサギよ。貴方が獲ってきてくれたものですよ。凄いわ」
「小物です」
「美味しいもの。私は好きだわ」
昼間のやり取りなど無かったかのように、義母はスープをすする。前菜の人参のスープは臭みが一切なく、子供でも飲めるよう、まろやかな仕上がりになっている。これがレイモンドに対する気遣いなのか、義母の好みなのか、聞いた所でどちらでも構わなかった。
「このスープの人参、改良して甘みが強くなってるんですって。味付けは塩だけだそうよ」
「そうですか」
「もう食べたの?おかわりいる?」
「結構です」
「じゃあ私だけ」
義母はテーブルの呼び鈴を鳴らして、使用人に追加を頼んでいた。線の細い人だが、昔から気に入るとそればかり食べる習性があった。
女王のペースに合わせて食事は進む。レイモンドは椅子にもたれて次の皿が運ばれてくるのを待った。
すっかり日は落ちていて、燭台の火が揺らめく。暇つぶしにその火を眺めた。
会話をしたい義母は、色々と話しかけてくる。女王の仮面を取った義母は、家族にだけ本来の顔を見せる。たとえ退位を促されようとも、義母にとってはただの愛しい息子なのだろう。自覚しているレイモンドは全ておざなりに答え続けた。
「よく眠れていますか?」
「普通です」
「お勉強は?」
「普通」
「毎日狩りをしているけど、そんなに楽しい?」
「暇つぶしにはなります」
「…大きくなったわねぇ…」
レイモンドは義母を見た。目が合う。自分と同じ黒の瞳。柔和な笑み。初めて会った時から、この人は何も変わらない。
「お父さんに似てきたわ」
「どっちの?」
義母は、くすりと笑う。
「いやねぇ。本当のお父さまの方だったら私に似てるって言うわよ」
「義父と俺とは血の繋がりはありません」
「外見じゃなくて、雰囲気の話。強気な感じとか、ちょっと意地悪な笑い方とか。昔は女の子みたいだったのに、いつの間にか立派な男の子って感じ」
「……早く食べてください。次の皿が出てこない」
「ふふ、もうちょっと待ってね」
何がそんなに楽しいのか。行儀悪く皿を持ち上げて一口で飲みきった義母は、ふ、と息をついてパンを食べ始めた。
レイモンドもつられてパンを手に取る。ブライトンに渡って良かったのは、この柔らかいパンにありつけることだ。大陸のパンは総じて固い。噛み切れなくて、よくスープに浸して食べていた。
「立派だと言うなら、俺が王になっても構いませんよね」
「『秘密の部屋』は見つけたの?」
からかうように聞いてくるから、レイモンドはパンを噛みちぎった。
「王冠は、陛下の細い首では支えられないでしょうね」
義母は一瞬だけ驚いたような顔をして、直ぐに柔和な笑みに戻る。
「そう、見つけたのね」
「俺に王の座を譲ってくだされば、一生遊べるだけの年金を支給します。父上と共に、旅行にでも行かれてはいかがですか?」
「旅行もいいけれど、また三人で動物園に行きたいわね。覚えてる?キリンに餌をあげようとして」
「はぐらかさないでもらいたい」
話を遮って言い放つ。じっとこちらを見据える義母に、レイモンドも目を合わせる。
レイモンドの意思を感じ取ったのか、義母は沈黙した。暗闇の底のように真闇な瞳だけが、炎に揺らめいて黄金に光り輝く。
「俺は王として生きるのを運命付けられた、ブライトン王国唯一の直系です。母上が王である必要は全く無い。俺が王になってこそ、ブライトン王国は、王国として完成します」
「ブライトン王国は私が復活させました。私がこれからも統治します」
「ダヴィア帝国の属国として?」
義母が反論しようと口を開いた所で、次の皿が運ばれてくる。メインのウサギ肉の料理だ。義母は悔しそうにこちらを睨みつけたが、皿が置かれた途端、急に口元を押さえ出して、レイモンド一人を残して慌てて部屋を出ていった。
翌朝になっても義母は姿を見せなかった。体調不良らしい。見舞いに行っても面会不可で帰ろうとしたところ、大臣とすれ違う。付き従う配下は書類を抱えていた。衛兵は大臣と配下をすんなり部屋の中へ通した。レイモンドは直ぐに踵を返した。
「おい何で俺は入れない」
衛兵は女王の指示とだけ答える。自分は入れないのに大臣は部屋に入れる。しかも私室だ。面白くないレイモンドは衛兵の静止を無視して中に入った。
中に入ると、女王は長椅子に座り、書類に目を通していた。向かいに座る大臣は驚いて、慌てて席を立った。
「レ、レイモンド様、陛下の許可無しに部屋に入ってはなりませんぞ」
「俺を締め出して悪巧みか」
「それは貴方でしょう」
書類に目を通しながら、こちらを見もせずに女王が言う。レイモンドは目を細めた。
体調不良なのは、白い顔を見れば明らかだった。ドレスを着てはいるものの、髪は結っていない。とても大臣に見せるような姿では無かった。
「レイモンド。下がりなさい。今は相手してられないの」
「陛下こそ。私に政務を任せて休まれてはいかがですか」
「下がりなさい」
一切を無視してレイモンドはまず大臣の前に立った。出て行けとばかりに睨みつけると、怯んだ大臣は直ぐに配下に目配せして部屋を出ていった。
咎める声も無視して、レイモンドは女王の額に手を当てた。直ぐに払われる。二人きりになっても女王の仮面を取らないのは、今は政務中だからだろう。冷たい目つきで、こちらを見てきた。
「熱なんかありませんよ。大体、触ったって分からないでしょうに」
「父上が不在の今、俺くらいしか気を配れませんから」
「ソニアがいますから気にしないで。悪巧みでもしてなさい」
「ウサギは陛下の分まで俺が食べましたよ。いくら待っても戻ってこないので」
「ごめんなさいね。胸焼けしちゃったの」
スープを飲んだだけで胸焼け?義母は本当を話す気は無いのだ。だったら自分もとレイモンドは女王から書類を奪った。
「また勝手に取って。止めなさい」
「直ぐに俺の仕事になります。……こんな上奏まで目を通すのですか」
「返しなさい」
レイモンドは女王を見下ろした。義母なりに強い眼差しをして見せているんだろうが、全く迫力が無い。
上奏は、女王の肖像画に対するものだった。はやり病を隠さずに描くようにとの注文で、痕が残った姿だった。それが醜いから飾るのを止めろという内容だった。
こんなもの許容出来なかった。上奏した者の名を確認してから握りつぶす。義母は怒ってくるが、こちらはそれ以上に腹が立っていた。
「母上、体調が悪いのなら休んでください。こんなもの見る必要無い」
「上奏は全て目を通すの。握りつぶすなんて、そんなんじゃとても任せられないわ」
「父上でも同じことをしたでしょう」
義母は息をついた。
「短気な所、本当にお父さんにそっくり」
当然だ。二人に育てられたのだから。レイモンドは大臣が座っていた席に座って、次の上奏書を手に取る。次の夕食会の食事内容だった。エビのムニエルらしい。なんでもかんでも見ればいいというものではないと思うのだが。
義母は不満げだったが、諦めたのか長椅子に凭れかかった。やはり顔色が悪い。レイモンドは今のうちにと、出来るだけ上奏書に目を通した。
話を聞きつけたバーユジミルが飛んでくるまで、それは続いた。
女王の体調が悪い噂は瞬く間に宮中に広まった。レイモンドが広めずとも勝手に広まる。それだけの目と耳と口が、常に女王に集まっている。政務はしているが、晩餐館には出席しない。レイモンドが代わりを務めて、着々と交友を広げていった。
義父から手紙が届いた。旅は順調らしい。体調不良はあちらにも届いていて、義母を助けるようにと書かれていた。
浮気はするなよと返事を書く。義父に限ってありえないが、そうやってからかうのが、挨拶代わりとなっていた。幼い頃、不在が続く義父の浮気を疑ったのが始まりで、よほど面白かったのか義母も今でも時々あの時のことを口にする。
ユルール侯国時代は良い思い出ばかりだ。あの時は何もかもが楽しくて、何でも出来ると勘違いしていた。周囲の支えありきでの束の間の平和だったと、今なら分かる。
あれから、レイモンドは毎日見舞いに行った。体調不良は続いていて、顔色も悪い。執務室の椅子に座っていられないらしく、私室の長椅子で政務をしていた。おそらくは寝室にまで上奏文を持ち込んでいる。義父がいてくれたら、迷わず義母は頼っただろう。いないから、自分でなんとかするしかない。
レイモンドは初日の暴挙から立入禁止をくらっていた。扉にはバーユジミルが仁王立ちしていて、どうしても入れない。初めは大人しく従っていたが、これが一週間も続くとこれが普通の体調不良で無いと気づく。
そんな気づきと同時期に、あの楽師を通じて国教会側から密かな申し入れがあった。
それをレイモンドは受け取った。運命が、直ぐそこに来ていた。
この日は先代の王が処刑された日だった。追悼式典で、数々の諸侯が出席する中、レイモンドは王太子として女神像に跪いた。祈りを捧げ先王を弔う。ステンドグラスの光を浴びる女神像の影に隠れて、直ぐ近くに座る女王を見やった。
生気のない、色のない顔。本来なら女王が祈る予定だったが、急遽レイモンドに代わった。ここ大聖堂内の移動でもソニアに助けを借りていた。おぼつかない足取りを心配する声が、レイモンドの耳にも届いていた。
祈りを終えて女王の隣へ腰を下ろす。労いの言葉に、小さく頷いて応える。
次は大主教が祈る番だ。老人の嗄れた声を聞きながら、そっと耳打ちする。
「顔色が悪いですよ。無理しないで」
「大丈夫」
そう見せたいのか、義母は少し高い声で言った。信用できない「大丈夫」に、レイモンドは内心でため息をつく。信用できないのではなく、信用されてないのだ。だから義母は不調を自分に見せない。
そう思っていた。
「──あのね、私もさっき知ったの」
「なにをです?」
「後で言うわね。本当に大丈夫なの。だから、存分にやって頂戴」
義母を見やる。慈母のような笑みを湛える姿は、まるで女神像だ。神託を受けたような後押しに、レイモンドは腹をくくった。
大主教は、女神像への祈りを終えると、出席者に向き直り深く一礼した。
「──本日はお集まりいただき、まことに感謝申し上げる。先代の国王が処刑され、ブライトンは未曾有の危機に瀕した。今再びこの国に王を迎えられましたこと、ひとえに女神の思し召しによるものであると、確信しております」
こちらへ大主教は礼をする。体は女王に向けてはいるが、視線はレイモンドに向けられている。
再び諸侯へ向き直ると、大主教は大きく手を広げた。
「しかし女神は女王を歓迎しておりません。このブライトン王国には、相応しいお方がおられる。先王の直系である正統な王位継承者が」
随分思いきったことをする。それだけ、今回の計画が成功すると確信しているのだろう。レイモンドは自分のことを言われていると知りながら、冷めた目で行方を見守った。
「よって、アン女王には即刻退位していただく。我々、国教会はレイモンド王太子を国王に推挙する!」
高らかな宣言に合わせて、次々と信徒が聖堂内に侵入する。信徒は武装していた。出席している諸侯はどよめく。
「さぁレイモンド新国王陛下!即位の儀式は整っております!即位の宣言を!」
大主教のお膳立てでレイモンドに注目が集まる。レイモンドは足を組んだ。
「馬鹿かお前」
大主教は笑んだまま固まる。理解していないようだから念押しする。
「俺が王になるわけ無いだろ」
「……は?」
「陛下は健在である。これからも女王陛下の治世は続いていく。俺が即位する理由が無い。大体、面倒だろ今俺に変わったら。印章紋章は作り変えなければならないし、諸侯に触れを出さなきゃならん。戴冠式には費用がかかるし、新しく仕立てる備品も馬鹿にならない。現場も事務も大忙しになる」
「レ、レイモンド…殿下?」
「言ってみろ。女王陛下の何が不満だ。税を減らし、病を終息させた。落ち度など無いだろう」
「か、神の怒りを買い汚れたはやり病に」
言い終わらない内に、レイモンドは素早く立ち上がって大主教を蹴りつけた。胸に直撃を受けた大主教は仰向けに倒れる。
「がっ…がはっ…!」
そのまま胸を踏みつけると、豚のように鳴きわめいた。体重をかけると、もっと鳴いた。
「──三度目は無い。わきまえろよ」
こんな場面になってようやく気づいたらしい。大主教は驚愕と怒りとがない交ぜになった顔を向けた。
「騙したのか我々を…!?私は大主教だぞ!」
「貧困に飢える民から更に金を巻き上げる豚と、病を治し税を減らす母上とを、比較するのもおこがましい。何が女神の思し召しだ。誰が女神かも分からない節穴め。我が尊敬する母上を侮辱した罪。その身でもって償ってもらうぞ」
「我々は…!」
「お前は、の間違いだろう。見ろ」
レイモンドが合図をすると、武装した信徒らは一斉に剣を収めた。信徒の中に混じっていたレイモンドの従者達が、呑気にこちらに手を振ってくる。
「信徒らとは交渉済みだ。貴様を差し出す代わりに、王家は国教会を保護するとな」
「そんな馬鹿なっ!まさか、この短期間に内に、国教会を取り込んだのか…!」
「悪巧みするのに根回しは基本だろ。俺の茶番に引っかかる様は滑稽だったぞ。──バージ!」
腹心のバーユジミルが飛んでくる。レイモンドの傍らに膝をつく。
「殿下」
「捕らえろ」
「は」
簡潔なやり取りを経て、バーユジミルが大主教を後ろ手にしばり上げる。いくら肥満体でも大男には関係無い。楽に担ぎ上げて連行していった。
「レイモンド」
母の声に顔を向ける。変わらない慈母の微笑み。よくやったと言われているようで、実はずっと虚勢を張っていたレイモンドは、ホッと胸を撫で下ろした。
部屋を訪ねると、テーブルには王冠が置かれていた。あの大主教が隠し持っていた王の証だという王冠。それを物珍しそうに義母はぐるぐると回っている。
「被ってみてはいかがですか?」
「大きすぎるわ。それに重すぎる」
レイモンドもまじまじと見てみる。大聖堂で見たときは気づかなかったが、確かに義母の小さな頭では被ることも出来ないだろう。バーユジミル程でないと、これは嵌まらない。
「噂には聞いていましたが、本当にこれが王の証なんでしょうか。あの老人が言う話はどうも信用できない」
「これだけの装飾だもの。本物でしょうね」
宝石が散りばめられた王冠。特に中央の黒い宝石が一番大きかった。おそらくはブラックダイヤモンドだろう。
「その指輪、とってもよく似合っているわね」
言われて親指の指輪を見る。同じくブラックダイヤモンドで、父の形見だとは言ってみたが、本当かどうかは分からない。そもそも『秘密の部屋』の鍵ですらない。今回の計画の為の、ただのでっち上げだった。
「ガラクタ入れに入ってたんです。弓を引く時にちょうど具合がいいんです」
「もっと付けたらいいわ。王太子なんだもの。黒じゃなくて明るいものとか」
「華やかなのは苦手で。母上こそ、同じ服ばかり着回さないで、もっと誂えたらいかがですか」
「まぁおいおいね」
ソニアに王冠を仕舞うよう指示する。彼女は昔から仕えている侍女で、今は女官長の任についている。レイモンドが幼い頃はよく遊び相手をしてくれた。その名残からか、レイモンドは彼女に密かな好意を持っていた。恋愛ではなく、友人や親に近い好意だ。
ソニアが従僕を呼んで王冠を片付けている間に、母とバルコニーへ移動した。花が咲き誇る庭園を見下ろしながら、デーブルに座る。生温い風を浴びて、母の黒髪が揺らめく。
「貴方が一芝居打ってくれたおかげで、無傷で国教会を取り込めました。ありがとう」
「いえ」
退位を迫る件は、半分は本気だ。楽になって欲しいレイモンドの気持ちは変わらない。幼い自分の代わりにと、女王になってくれた母。でも、その優しい母が女王として君臨しているのが、レイモンドは好きだった。何と言ってもかっこいいのだ。強さも弱さも兼ね備えながら、決して折れない心を持つ、自慢の母である。
「優秀だったでしょう俺は。今度はちゃんと上奏書、見せてくださいね」
「そうね。夕飯の献立よりは、まともなもの見てもらおうかしら」
「何であんなのまで見るんですか」
「時々おかしな名前の料理が書いてあるの。面白くて」
ずっと母は笑っている。山場を越えたせいか、今日の母はいつにも増して上機嫌だ。目の上のたんこぶだった国教会との軋轢を解決出来て、気が休まったのかもしれない。これで国内の敵と言えるものは、一応は払えたと言っていいだろう。
「それより体調はどうなんですか?ずっと悪かったみたいですけど」
すると母は一層に笑みを深めた。口元を隠して、笑い出す。
「ふ、ふふっ。あのね、実はね」
と、声を弾ませて、まるで少女のような無邪気さで、レイモンドに耳打ちする。
驚いたレイモンドは固まる。驚きすぎて、開いた口が塞がらない。
「…本当に?」
「嘘つく理由が無いわ」
「…父上には?」
「今日知ったばかりなの。それに今連絡したらあの人、旅程切り上げて帰って来ちゃいそう」
確かに。各国の出迎えを受けずに途中で帰国したとなると、相手国に泥を塗りかねないし、あの父ならそれくらい平気でしてきそうだ。
レイモンドは、ハッとして着ていた上着を母に掛ける。体を冷やしてはならないと、どこかで聞いたことがある。
「中に入りましょう。ここは風が強い」
「暑いくらいよ。大丈夫。過敏にならないで」
「心配です。腕に掴まってください。転んだら大変だ」
「大丈夫だってば。貴方ますますお父さんに似てきたわ」
「言う事聞いてください。母上、ほら」
呆れる母の手を取る。立ち上がらせて、部屋の中へ。ゆっくり慎重に歩き過ぎて、母は先に歩き出す。慌てて前を歩く。障害になりそうな物があればいちいち伝えて、休めそうな長椅子に座るよう促す。
そんな必死な姿が滑稽に見えたのだろう。母に笑われる。笑われながら、レイモンドも笑みが溢れる。冬には兄になる。実感が喜びを運んでくる。繋いだ手と手。一人増えて、四人で迎える日が待ち遠しい。そんな幸せに包まれた、春の陽気だった。
手を取って花園へ。あの時とは違う花園だけれど、気持ちは同じだった。寄り添って、薔薇を眺める。匂いを楽しむ。触れ合う肩と肩が、心地よかった。指を絡めて、睦言を囁やき合う。二人だけしか聞こえない会話を楽しんでいると、愛する人が指輪を撫でた。
唯一無二の結婚指輪。色褪せない音色のように、この人の妻だと実感する。きっと同じことを思っているに違いない。そういう顔で、指輪に目線を落としていた。
「アン」
「はい」
「まだ薔薇が咲いてる時期に戻れてよかった」
「四季咲きですよ薔薇は。いつでも見れますよ」
いつでも。そう、毎日でも、一ヶ月でも一年でも何年でも永遠に。
永久に。
花園は残り続ける。いつまでも。
この人と一緒に。終わりない旅路を歩み続ける。そうだろうとしか思えない確信があった。
〈終わり〉
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涙・涙(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
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あっ🤭
お兄ちゃんになるんだったね〜.°(ಗдಗ。)°.
やっぱり女神様なアンに宝物を授けて下さったのね♡
(=´∀`)人(´∀`=)
アン アーネスト
とても美しい剛いふたりの愛の物語でした✨
ありがとうございました🙏✨